第百九十一話 大荒れ・・・あれあれ?
九月十六日正午。クリミアーナ共和国の首都、アフロディーテの大聖堂には、ちょうど二週間前と同じ参加者が、同じ位置に着席していた。異なる点を挙げるとするのならば、ヨームアン王国の研究者たちが、リノスたちと同じ壇上に座っていることである。彼らは当然のように、クリミアーナ医学研究所所長のイマーニたちの後ろに着席している。
「そろそろ、始めてもよろしいでしょうか?」
教皇の一言から質問会が再開される。イマーニは興奮を隠し切れない様子である一方で、副所長のダリーナは強張った顔を崩さず、グラリーナは相変わらず落ち着いた雰囲気で自分の手元を見つめている。
「それでは・・・アガルタ国から、発表いただきましょうか」
教皇の穏やかな声が響き渡る。それを受けてメイがゆっくりと立ち上がる。
「まず最初に、結論から申し上げます。私共の再現実験では、キリスレイ、ガイッシャ、ルロワンス、全ての病が、特定の獣人を媒介して人間に感染するという事例は見られませんでした。同時に、羊獣人の胆汁が、それらの病原菌を死滅させるという事例も、発見されませんでした。我々は・・・」
メイが喋れば喋るほど、会場内のざわめきが大きくなっていく。そして最後は、またしても喧騒の状態となった。これまでであれば教皇が止めに入っていたのだが、今回は何故か微動だにせず、事の成り行きを見守っている。
「黙れぇぇぇぇぇ!!!!黙らんかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
とんでもない爆音が大聖堂に鳴り響く。あまりの音の大きさに耳がキーンとする。聖堂内は、先ほどとは打って変わってシーンとした空気に包まれている。
「我が国も、同じだった」
発言していたのは、サウダンジ国のニケだった。彼はとてもよく通る渋い声で語りだした。
「我々が預かった患者たちは、確かにキリスレイ、ガイッシャ、ルロワンスに感染していた。キリスレイの特徴である、全身に発疹が確認できていたし、ガイッシャの特徴である筋肉の硬直も確認できた。そして、ルロワンスの特徴でもある、首の周囲に紫色の斑点が出ているのも確認できた。それらの患者と獣人、オーガを同居させてみた。しかし、クリミアーナのやり方では、全て再現実験はうまくいかなかった。そこで我々は、病人それぞれから体液を抽出し、預かった獣人たちに触れさせてみた。しかし、全く感染は確認できなかった。羊獣人の胆汁を用いた特効薬についても然りだ。再現実験はことごとく失敗している。何故だ。なぜこうなったのだ?我々は失望している。詳しくは、この報告書にまとめているので、読んでもらいたい」
ニケが舞台の前にやってきて、三冊の報告書を置いて行った。彼の背中からは怒りの感情が見て取れる。その報告書を司教が手にして、一冊を教皇の下に、もう一冊をイマーニに、そして、最後の一冊をヨームアン王国のところに持って行った。
イマーニはその報告書を興味深そうに読んでいる。その時、壇上の教皇が声を上げる。
「ヨームアン王国はいかがでしょうか?」
ガレイシと名乗るヨームアンの代表はキビキビとした動作で起立し、教皇に最敬礼をした後、自信満々の声で口を開いた。
「我が国の実験では、全てのオーガに感染が確認されました」
会場内が再びどよめきに包まれる。そして、図ったかのように大拍手に包まれる。
「さて・・・これは困りましたね・・・」
教皇が声を上げる。それを受けてダリーナは立ち上がり、教皇に一礼をする。
「教皇聖下、これには原因があるかと存じます。我がクリミアーナ、アガルタ、サンダンジ、ヨームアン。この四か国は地理も異なれば気候も異なります。ここは、実験の場所を変えみてはいかがでしょうか?」
イマーニもうんうんと頷いている。
「そうですね・・・。クリミアーナとヨームアンでは成功し、アガルタとサンダンジでは失敗している・・・。共通点と言えば、ヨームアンがクリミアーナに近いということくらいですか・・・。それでは・・・」
「クリミアーナ様のご加護のお陰です!」
どこからともなく声がする。その声に触発されるかの如く、会場中からクリミアーナ様!の声が起こる。一部の教会関係者は祈りをささげる者までいる。よく見ると、教皇まで祈りをささげている。
それに気づいた会場内は徐々に静けさを取り戻していく。そして、大聖堂に滔々とした教皇の祈りの言葉だけが響き渡っている。
「クリミアーナ様の、勿体ないご加護を頂戴し、我ら恐懼して落涙止まらざるあるのみ・・・」
教皇が涙を流しながら声を震わしている。それを見て、教会関係者たちも涙を流しているようで、会場内からすすり泣く声が聞こえる。
「お待ちください」
その厳かな雰囲気を打ち破ったのは、メイだった。
「地理や気候が異なるくらいで、キリスレイ、ガイッシャ、ルロワンスの発症に偏りがありましょうか。これらの伝染病は、世界各地で発症しております。そのような原因ではないかと思います。我々は、医学を生業とするものです。そのような推測ではなく、徹底した議論と実験を繰り返し、経験と確立を積み重ねていくべきです。まずはこの場は、それぞれの実証実験がどのようなものであったのかを発表し合い、議論を重ねるべきであると考えます」
「だから、それは話が平行線になるだけだ!」
苦々しそうにダリーナが口を開く。それに対して、ローニがすかさず反論する。
「その、話が平行線にならないようにするために、再現実験の結果を発表し合うのです。我々はほぼ二週間、ずっと再現実験に携わり続けました。ほぼ、不休不眠で携わっておりました。それを証拠に、実験ノートが、ええと・・・七十四冊にも及びました。我々の主張はこれを見ればすぐにわかることです。今回は各自、実験ノートを出し合いましょう。そして、それを互いが見て、問題点を明確にするべきであろうと思います」
「そうですね。それがいい。そうしましょう」
賛成の声を上げたのは、意外にもクリミアーナのイマーニだった。彼は立ち上がると教皇に一礼し、語り始めた。
「アガルタ妃が仰る通りです。我々は医学を生業とする身です。人の命を扱う仕事です。そんな我々が、推測だけで結論付けていいはずがない。今回は、人族が数千年の間苦しみ続けていた伝染病が撲滅できるかもしれない機会なのです。この機を逃すべきではありません。やりましょう。ぜひ、やらせてください。教皇聖下、伏してお願い申し上げます!」
イマーニは教皇に向かって最敬礼をする。
「イマーニ所長がそこまで仰るのであれば、異論はありません。存分におやり下さい」
「ありがとうございます、教皇聖下。それでは・・・まずはアガルタの実験ノートを拝見しましょうか?」
「いえ、イマーニ様。ここは、再現実験に携わったすべての機関が、実験ノートを公表するべきでしょう」
チワンが落ち着いた声で口を開いた。それに対し、ダリーナは噛みつくように反論する。
「ここですべての機関の実験ノートを公開したら、この壇上がノートで埋まってしまうわ!」
しかし、チワンは全く動じない。
「それでは、場所を移せばいいでしょう。正直申し上げて、我々はクリミアーナの論文は信ぴょう性がないと思っている。片やクリミアーナは、我々の再現実験は信ぴょう性がないと思っている。これでは議論になりません。イマーニ所長が仰るように、これらの伝染病を真に撲滅するのであれば、今こそ胸襟を開いて議論するべきでしょう」
ダリーナは歯ぎしりをして、チワンを睨みつけている。イマーニは、そんなダリーナを目で制しながら口を開く。
「ダリーナ君。我々も実験ノートを公開するのです。グラリーナ君も、実験ノートを持ってくるように。サンダンジの・・・ニケ様、実験ノートはお持ちですか?」
「当然だ。持ってきている。我々も五十冊程度になっているので、運び込むには少し時間が必要だ」
「わかりました。時間がかかるのは構わないと思います。アガルタは・・・すぐに用意できますか?わかりました。それでは、ヨームアン王国の研究ノートは、どのくらいでしょうか?」
イマーニの言葉を受けて、ヨームアン王国のガレイシは固まっている。
「どうされました?実験ノートは・・・?」
「それが・・・その・・・」
「冊数が多くて、持ち運びが難しいですか?それなら、我が研究所の者も手伝わせましょう。遠慮なく仰ってください」
「それが・・・その・・・手元にはないのです」
「ああ、それでは我々ポーセハイがヨームアン王国に一緒に転移しましょう。どのくらいの冊数でしょうか。数によって、もう一人つけねばなりません」
ガレイシは、ガバッと頭を下げる。
「実験ノートを・・・作っていません」
メイ、チワン、ローニ、イマーニ、ダリーナが壇上で固まっている。サンダンジのニケは、口をぽかんと開けて、せっかくの男前を、台無しにしているところだった。