第百八十九話 準備完了
公開質問会二日目は、前日とは打って変わって緊張感に包まれながらのスタートとなった。
事の起こりはリノスだった。教皇が会場に到着し、着席すると同時にリノスは、小脇に抱えていた紙の束を教皇に手渡した。教皇は訝りながらその冊子に目を通す。
「昨日の議事録です」
「ギジロク?」
「昨日、クリミアーナ教国の方々と我々の議論が全て掲載されています。まあ、久しぶりにやりましたので、誤字・脱字の類はご容赦を。あとは・・・字が汚いのもご容赦を」
「アガルタ王・・・一体これはどういう・・・」
「ああ、いいですよ。善意なんで。差し上げます差し上げます」
リノスは照れた表情をして、手をピラピラと振る。
「アガルタ王!」
強めの口調で呼びかけたのは、副所長のダリーナだ。
「一体、どういうつもりなのですか!」
「どういうも何も、必要じゃないのか?」
「何がです!」
「だってさ。昨日結構重要な話してなかった?再現実験のやり方とかさ。手順が違ったら、ヘンな結果が出たらダメだろ?で、お互いの認識にズレがあっても意味ないだろうし。だから、文字化したんだ。ホラ、言った、言わないの水掛け論にならないための、お互いの共通認識をしといた方がいいだろう」
「そんなことをせずとも、昨日の会議の内容はすべて頭に入っております!」
「お宅はね?俺はそんなに賢くないから、昨日の会議のことなんざ全て覚えてないんだよ。だから、さ?」
「これはこれは素晴らしいですね。アガルタ王、ありがとうございます。感謝申し上げます」
口をはさんできたのは、所長のイマーニだ。彼は議事録を丁寧に見ながら、頻りに頷いている。
「ほう、よくもここまで我々の会話を再現していただきました。うむ。私もこの部分は忘れていましたね・・・。もう少し丁寧に説明するべきでした。ダリーナ君もです。この発言はちょっといただけませんよ?ほらここ、もう少し詳しく説明しなくては・・・」
「しょ・・・所長・・・」
ダリーナは顔をこわばらせてイマーニを見ている。イマーニは、相変わらず知性を湛えた目で、優しい眼差しをダリーナに投げかけている。その視線に抗しきれないように、ダリーナは渋々と着席した。その隣には、グラリーナが静かに自分の席に端座している。
相変わらず愛嬌のある顔立ちと、真っ黒なクリクリとした目。そして、理系女子らしい清楚を兼ね備えた才女の印象が、リノスたちのところにもオーラのごとく伝わってくる。
「まあ、昨日の議事録を確認いただいて、もし追加点や修正点がありましたら、話し合ってください。修正版の議事録を作りますので。グラリーナさんも、ご覧くださいね?」
リノスはグラリーナに軽く頭を下げる。それを見て、グラリーナも少し微笑みながら軽く頭を下げる。そしてリノスは、再び教皇とイマーニを交互に見ながら口を開く。
「議事録はあと三部あります。一部は我々が、もう一部は・・・再現実験を行うサンダンジ国がお持ちになった方がよろしいですかね?」
イマーニが微笑みを返す。リノスは彼らに背を向けて、声を上げる。
「サンダンジ国からの使節団の方、おられますか?昨日の議事録をお持ちください」
客席から褐色の男が立ち上がり、大股歩きでステージまでやってくる。
「昨日の議事録です。どうぞ」
男は無言でそれを受け取ると、パラパラとページをめくり、議事録を読み始めた。そして、しばらく読み進めているうちに、男はニヤリと苦笑いを浮かべた。
「私の発言も書かれてあるのか。これは、参ったな。しかし、実に詳細に書かれてある。そして見やすい。これならば、論点や実験のやり方に齟齬が生じることはなさそうだ。私は、サンダンジ国のニケという。見たところ、修正点はなさそうだ。アガルタ王、お骨折り感謝する」
「いいえ、どういたしまして」
「アガルタ王、最後の一冊を受け取りましょう!」
ズケズケとリノスの傍までやってきたのは、ヨームアン王国の使節団の男だ。
「教皇聖下!おはようございます!本日も麗しきご尊顔を拝し、恐悦至極に存じ上げ奉ります!」
男は格式ばった挨拶をし、すぐに教皇に向かって最敬礼をしている。そんな彼に教皇は優しい声で労いの言葉をかける。
「ああ、おはようございます。本日も、ご苦労様ですね。あなたのお名前は・・・」
「はい!ヨームアン王立大学医学長、ガレイシでございます!」
「ガレイシさん、ヨームアン王国の皆さん、大変でしょうが、よろしくお願いします。皆様にクリミアーナ様のご加護がありますよう」
教皇はヨームアン王国の代表団に向かって右手を出し、手招きをしている。どうやら祝福を与えるポーズのようで、代表団は全員が立ち上がり、教皇に最敬礼をしている。
「あ・・・ありがたき幸せ!」
ガレイシと名乗る代表が、年甲斐もなく涙を流して喜んでいる。既に頭が禿げ上がっているおっさんが泣いている姿は、リノスたちを戸惑わせるのに十分だった。
「グスッ、さて、アガルタ王、我々にもその書類、いただこうか!」
「いや、クリミアーナの人から見せてもらって?」
「な・・・何ですと?」
「いや、どうやらクリミアーナの人たちと仲良さそうだから、見せてもらうか、写させてもらったらいいと思いますよ?あ、教皇にお渡ししたので、それを貸してもらえばいいと思いますよ?教皇は見てもお分かりにならないでしょうから」
「なっ!バカな!何を言われるのだ!」
「だって、クリミアーナ教国に二冊もあげてるんですよ?それをまた・・・ねえ?」
「ならばその余っている書類は・・・」
「それは、渡すところがありますからご心配なく」
声を上げたのはヴァイラス殿下だ。
「それは我々ヒーデータ帝国が受け取ります」
「何故だ!おかしいではないか!」
「我々が写し本を拵えます。貴国には写しの写しでよければ、近日中に揃えてお渡ししましょう。もちろん、修正点があれば、修正してお渡ししましょう。再現実験が終了するまで、ひと月もふた月もかかりはしないでしょう。その間、我々はここアフロディーテに滞在します。実験結果が出るまでは暇ですからね。我々はこの議事録の写し取りを行います。ニザ公国の方々も同船されていますので、ドワーフの皆さんと作業に勤しむことにいたします。ご希望がありましたら、どうぞ。写しを作ってお持ちしますよ?」
ヴァイラス殿下が俺から議事録を受け取り、颯爽と自分の席に戻っていく。その時、チワンとローニが到着したという知らせが来た。俺は外に出て、転移してきた患者たちに結界を張る。患者たちはベッドに寝かされており、全員が眠っている状態で転移してきていた。ベッドの傍には、転移を手伝ったであろう数名のポーセハイが控えていた。そしてついでに、俺が捕らえた呪い付きの獣人たちも転移させてくれていた。
「リノス様、患者たちです。で、この・・・」
「ああ、ご苦労だった。さすがはポーセハイ、仕事が丁寧だな。患者たちには、もう結界は張り終わった。先にこの人たちを運び込もう。アイツらは後でいい。取り敢えず、眠らせちまうか」
次々と運び込まれてくるベッドと患者たちを見て、会場内は騒然となった。俺は殺菌する結界を張ってあると説明するが、なかなか会場内のどよめきは収まらない。そんな中、再現実験を担う各国使節団が壇上に上がり、丁寧に獣人たちの病状を調べ始めた。最も長く調べていたのはクリミアーナの連中だったが、やがて全員が調査を終えたようで、それぞれの患者たちは、キリスレイ、ガイッシャ、ルロワンスに感染している患者であると確認された。
その後、眠らせている獣人たちが運び込まれると共に、実験対象となるオーガーがクリミアーナ側から提供され、各国が持ち帰ることとなった。クリミアーナ側からは、獣人たちとオーガーに異常がないのかを相互で確認しあうよう要請され、この確認作業に時間がとられた。
やがてそれも終わると、チワンたちから羊獣人の胆汁が提供され、最後に、クリミアーナからこれまでの実験の流れと、特効薬の作成に必要な酸液とその配合率が記載された書類を受け取って、ようやく実験準備が完了した。
「それでは、実験期間は十四日間でよろしいでしょうか?二週間後の九月十六日の正午に、再びこの大聖堂にて実験結果の発表を行う。それで、よろしいですね?」
教皇が再現実験の日時を確認すると全員が頷く。もっとも、ヨームアンの連中は一糸乱れぬ最敬礼だったのだが。
そして俺は、魔力を通すと半径一キロメートル以内に結界が張られ、その結界を通る際に消毒される結界石を渡す。それを受け取り、使節団のそれぞれは、ポーセハイに伴われて各国に転移していった。舞台上では、俺たちとクリミアーナの連中が残った。
「さて、どのような結果になるのか・・・。楽しみです。我々の主張が、皆さんの手で証明されると確信しています。それに、新たな発見もあるかもしれませんね。その時は、次の機会に是非共有してください!」
そう言ってイマーニは俺とメイ、チワン、ローニの手を順に握る。その光景を、教皇は、相変わらず優しい微笑みを浮かべながら、じっと見据えるのであった。