第百八十四話 戦いのための布石
雲一つない快晴。抜けるような青空がアガルタの都に広がっている。まさしく夏真っ盛りの気候の中、都の外ではそれ以上の熱気があった。
「てめぇ!しっかりしねぇか!」
「すいやせん、親方!」
「このっ、バカ野郎!」
凄まじい怒号が飛び交っているのは、大工たちである。アガルタの都の傍に集落が急ピッチで建設されている。しかも、そこには何故か三階建ての建物が多くみられる。これは、下で遊んでいる子供たちに声が届く距離が適当であろうというアガルタ王の提案により、三階建ての、いわゆるハイツ様の建築物が建てられている。今、大工のゲンさんが造ろうとしている集落は二つ目であり、既に完成した一つ目の集落は、避難してきた獣人たちで埋まりつつあった。
「ボサッとしてたら間に合わねぇぞ!俺っちの弟子を名乗りてぇんなら、二日で仕上げな!二日で!」
「お・・・親方ぁ・・・」
「この野郎!口動かさねぇで手ぇ動かしやがれ!」
そんな光景を、リノスは焼きたてのパンを頬張りながら眺めていた。
「大変そうだな、ゲンさんの弟子っていうのも・・・。それにしても、お前らもなかなか逞しいな。越してきた早々から商売を始めるとはな」
「エヘヘヘヘ」
苦笑いするのは、犬獣人のオヤジである。この男はアガルタに避難して早々に屋台を引いて焼きたてのパンを売る商売を始めた。いつでも焼きたての美味しいパンが食べられる店として人気を博しつつある。
「王様のお陰で、私たちは何とか生き永らえることができました。王様には感謝してもしきれません。私のパンでよければ、毎日迎賓館までお届けに上がりますよ?」
「それは大変だろう。俺が買いに来ればいい話だ。そんな人の世話焼いていないで、早くパンを焼け。アンパンはまだか?」
「へいへいただいま」
そう言ってオヤジは、出来立てのアンパンを俺に差し出す。そして俺は、何のためらいもなくそのアンパンにかぶりつく。・・・美味い。砂糖の甘さだけではなく、きちんと小豆の旨みがでている。俺の目に狂いはなかった。このオヤジなら俺のめがねに適うアンパンを拵えると思っていたのだ。
「美味い・・・。美味いな・・・。また明日も来るよ」
「ヘイ、まいどあり!」
俺は都に向けて歩き出す。
『リノス様、リノス様。フェリスです』
突然念話が飛んでくる。
『どうした?』
『クリミアーナから使者が参りました』
『わかった。すぐ行くから、待たせておけ。あと、クノゲンも同席させてくれ』
『畏まりました』
「くそっ、焼きそばが食いに行けなくなったじゃねぇか」
そんなことを呟きながら、俺は迎賓館の執務室に転移する。
「また会ったな」
「アガルタ王におかれましては、ご機嫌麗しく・・・」
相変わらずよく通る大きな声であいさつをしてくるのは、司教のコフレシだ。
「ああ、そんな固っ苦しい挨拶は抜きだ。用向きをきかせてくれ」
言葉を遮られたためか、コフレシはいつもの柔和な笑顔が少々引きつっている。
「先だって頂戴しました書簡についてですが、教皇聖下におかせられては、我が国の首都、アフロディーテにて公開質問会を行うことは問題ないとの仰せでございます」
「そうか、わかった」
「時期でございますが、九月一日の開催としたいとのことでございます」
「今からひと月半後か」
「さすがに全世界から全ての研究者を集めるのは困難でございます。ただし、なるべく近隣の諸国からはご参加を願いたく思っております」
「なるほど。で、その招待はいつするんだ?」
「アガルタ王のお返事を頂戴し、アフロディーテに立ち帰りまして教皇聖下にご報告を申し上げた後、招待の使者を派遣する予定でございます」
コフレシはいつもの柔和な笑みを湛えながら言葉をつなぐ。
「こういうことは早くしませんと。獣人たちを受け入れておられるアガルタ国で、いつ不治の病が蔓延するかもしれませんので」
「お前も、パン屋と一緒か・・・」
「は?」
「いや、こっちの話だ。では、俺は九月一日の開催に同意した。従って、俺から周辺国へ案内を出しても、問題ないな?」
「・・・ええ。問題ございません」
「ところで、その招待状は、教皇自ら作るのか?」
「まさか・・・。教皇聖下の名において我々司教が作成し、教皇聖下の御承認をいただいてから、発行いたします」
「そうか、やっぱりな。ならば・・・」
俺は紙とペンを持ってこさせ、コフレシに渡す。
「これは・・・?」
「ああ、教皇に出すであろう招待状を書いてもらいたい」
「どういうことでしょうか?」
「だから、教皇が出すであろう招待状を書いて欲しいのだ。教皇のサイン・・・それは、真似られるだろう?」
「・・・」
「どうした?なぜ黙っている?おかしいな?違うじゃないか?」
「違うとは、一体何を仰って・・・」
俺はニヤリと笑う。
「いや、この間夢を見たんだ。クリミアーナ様がまた・・・な」
「また夢枕に立たれたというのですか!」
「ああ。招待状は使者に来たヤツに書いてもらえと仰っていた」
「ばっバカな!」
「考えてもみろ。そんなことを俺が考えつくわけないだろう?考えついたとしても、教皇の、サインを、お前に、真似ろ、なんて普通は言わないよな。そんなことを言った日にゃ、クリミアーナ教を敵に回すことになる。いかに無知な俺でも、そんなことくらいはわかっているつもりだ。それを、敢えて、言うのだ。わかるな?」
「・・・」
「ああ、ちなみにクリミアーナ様は、それを書いた者には、加護を与えると仰っていたな。君は、クリミアーナ様の加護は、い~ら~な~い、と言うのかな?」
コフレシは渋々ながら紙に向かってサラサラと何かを書き始める。そして、出来上がったのは教皇名による招待状だった。きちんと、質問会の内容、場所、時間が明記されている。
「・・・ちょっと上から目線な気もしないではないが、まあ、こんなもんでいいだろう。アガルタがクリミアーナと公開討論会をすると招待状を出しても、誰も信じないだろう。新興国の辛いところだ。そこにいくと、クリミアーナ様はさすがだ。こんな俺に良い知恵を授けて下さった」
「・・・では、私は、アガルタ王のお返事を教皇聖下に伝えて参ります」
「ああ、そうしてくれ。あ、そうだ。君の加護の話は、決して人に話してはいけない。人に話した瞬間、その加護は自動的に消滅する。いや、俺が言ってるんじゃないよ?クリミアーナ様がそう仰るんだ。どんな加護が与えられるのか、うらやましい限りだ。あ、またクリミアーナ様が夢枕に立たれたら、その時は連絡する」
コフレシは一礼をすると、きびきびとした動作で謁見の間を出て行った。
「特に、難癖をつけてくることもなかったですな」
俺の執務室に戻るなり、クノゲンが口を開く。
「ああ。クリミアーナ様の名前を出したら、途端に大人しシュン太郎になりやがった。それにしてもあいつらは、イヤなやつらだ。ところでクノゲン、ちょっと教えてくれ」
俺は机の上に地図を広げる。
「クリミアーナの首都は・・・ここか。ここから一か月くらい旅をすれば、どのあたりまで行けるんだ?」
クノゲンは顎に手を当てながら考える。
「まあ、この時期ですから嵐に遭うことはないと思いますから・・・。まあ、このあたりくらいでしょうか」
「ふーん、まあまあ行けるじゃないか」
「それが何か?」
「いや、それよりも、これらの国々はやっぱりクリミアーナ教の支配下になってるんだろうな」
「まあ、周辺国は影響が強いですが、このサンダンジ国などは太陽を神と崇めていて、独自の宗教文化を持っていますな」
「なるほどな。ありがとう、助かったよ」
俺はその後、都の外に作った獣人たちの避難村に向かう。基本的に村に入る時と出る時に消毒される結界を張っているが、効果のほどは分からない。しかし、そこでは都の人々が炊き出しを行い、獣人たちを暖かく迎えている光景があった。皆、俺を見ると礼を言いに来る。それに手を上げて応えつつ、真っ白な建物に向かう。そこに居るのは、メイだった。
ポーセハイのローニと共にメイは、アガルタに避難してくる獣人を片っ端から診察していった。そして、今のところ不治の病と見られるような現象は確認できていない。この村ができて数週間、俺を含め人間も出入りしているが、全く病を発症している者はいない。一部で恋の病を患っている者はいるようだが、それは別の話だ。
俺の姿を見たメイは、診察の手を止める。俺は手でそのままでいいと示して診察を続けさせる。その時、ローニがやってきてタイミングよく交代してくれる。俺はメイと二人で奥の部屋に入った。
「どうだ、状況は?」
「今日も特に病を発症している方は見られません」
「そうか。さっき、クリミアーナから使者が来た。それで、公開質問会の日程がひと月半後と言ってきた。それで俺は了承しておいた」
「わかりました。ローニさんと一緒に、準備します」
「あんまり根を詰めすぎないようにな。アリリアもいるからな」
「ハイ・・・大丈夫です」
実際、メイは獣人たちの診察の傍ら、都の中で匿われている羊獣人たちのケアにも当たっているのだ。まさに八面六臂の活躍ぶりで、さらには屋敷に帰るとアリリアの面倒を見、夜遅くまで研究に没頭している。俺は傍で見ていて倒れはしないかとヒヤヒヤしているのだ。
「もう少しすると、ポーセハイの人たちも手伝ってくれるようですから・・・」
「ああ、そうしてもらってくれ。無理だけはするなよ」
そう言って俺は部屋を出て、ローニに頼むと手で合図をして、建物から出た。
そして俺は執務室に帰り、コフレシが書いた招待状を数枚の紙に書き写し、教皇のサインを丁寧にまね、その下に俺のサインを書き加えていく。その出来上がりを確認し終わると、窓を開けてサダキチに念話を送る。
『お呼びでしょうか』
『この紙を近隣諸国に配ってくれ。一番立派な建物にいる人間に渡してくれればいい。あ、ヒーデータとニザ、ラマロンは俺から渡すので、行かなくていい。お前たちの速さは世界一だ。移動している最中に招待状が破れるといかんので、結界を張っておく』
『畏まりました。ありがとうございます』
サダキチが消えたのを確認して、俺はため息をつく。
「クリミアーナに帰って教皇から決裁もらって招待状を送るなんざ、本当にクリミアーナの周辺国からしか来られねぇじゃねぇか。食えねぇ奴らだ、全く。さて、この作戦が果たしてどこまで功を奏するか・・・。ま、やるだけやるしかねーな」
そう言って俺は、帝都の陛下の下に向かったのだった。