第百七十八話 メイの決意
「リノス様、クリミアーナ教国の使者の方が、お目通りを願っています」
「・・・わかった。通してくれ」
羊獣人たちを護送する船が着くまであと十日と迫っていたこの日、ついに教国の使者からのコンタクトがあった。ヤツらがアガルタに来てから約二週間、結局俺は何一つ現状を打開する手を打てずにいた。おひいさまのところにも相談に行ったが、結局おひいさまにも獣人たちが不治の病の源であるということはわからなかった。それでも俺は、獣人たちを追放することも、羊獣人たちを捕らえることもできなかったし、そうした命令は一切出さなかった。
俺の前世の記憶を辿れば、宗教を敵に回すと、とんでもないことになるというイメージがある。いわゆるテロの問題だ。国中のあちこちでテロを起こされてはどうしようもない。そして、何も知らない幼い子供がそのテロに参加するなどという光景は、絶対にやられたくはないし、見たくはない。クリミア―ナ教は聞けば聞くほど、狂信的な部分がある。彼らならばそれをやりかねないし、実際、遠い昔にはそんなことをやってきた節がある。そんなことを考えると、クリミア―ナは相当デリケートに対応しなければならず、その対応に色々と苦慮していたのだ。
そんな状況を知ってか知らずか、クリミアーナの使者たちは迎賓館から全く外出しようとはせず、静観を決め込んでいた。おそらくヤツらは、教皇からの要請をタテに取り、高圧的に恫喝してくるのだろう。そうなった場合は、こちらにも事情があるとか何とか言い訳をして、回答を伸ばすしかない。そう考えながら俺はヤツらが待っている、迎賓館の謁見の間に向かった。
「これはこれはアガルタ王、ご機嫌麗しく何よりでございます」
相変わらず小柄なくせによく通る声で挨拶をしてくるのは、男司教のコフレシだ。その後ろで、笑みをたたえながら恭しく頭を下げているのは、女司教のジョリーナだ。俺は二人を睨みつけるようにして、席に着く。コフレシは満面の笑みをたたえながら口を開く。
「我々は明日、ガルビーに立ちます。本日はそのご挨拶に参りました」
「そうか・・・」
予想とは違う展開に、拍子抜けがしてしまう。そんな俺の雰囲気を察して、コフレシはさらに言葉を続ける。
「獣人たちの追放については、お時間もかかりましょう。それにつきましては今すぐでなくとも結構でございます。我々はこれよりガルビーに向かい、そこから出航します。途中ラマロン皇国の皇都に寄りまして、そこで羊獣人たちを収容した後、アフロディーテに向かいます。そして再び、アガルタ国に戻って参る予定でございます。その時にでも、今回のことにつきましては、ゆっくりとお話をさせていただきたいと存じます」
「・・・俺には未だに、獣人たちが不治の病の源だとは、信じられないんだがな」
「ホッホッホ。アガルタ王はお優しくていらっしゃる。その慈悲深いお心はきっと、アガルタ国の民を幸せに導かれることでしょう。あ、そういえば、アガルタ王はまだ洗礼はお済みでなかったのでは・・・?これは、私としたことが、迂闊でございました。次にお目にかかります時は、是非洗礼をお受けくださいませ」
「あいにく俺は、無宗教でね」
俺としては精いっぱい皮肉を込めたつもりだったが、ヤツらは動じることはなく、相変わらず微笑んだままだ。しばらくの静寂が部屋を包んだ後、女司教が口を開く。
「恐れながら、王妃様であられますリコレット様は、既にクリミアーナ教への洗礼を済ませておられます。私たちがアガルタに戻りますまで時間がございます。その間に、リコレット様より、クリミアーナ教がいかに人族を救い、敬われているか、そして、主神様であらせられます、クリミアーナ様のご加護がいかに尊いものか、是非、お聞きくださいませ。きっと、そのお話を聞けば、アガルタ王も、我がクリミアーナ教へ心を寄せられることと思います」
透き通った目、一点の曇りのない目で女司教は俺に語りかける。風貌がまだ少女のあどけなさを残しているだけに、その言葉には妙な説得力を孕んでいた。
「まあ、道中、気を付けて帰るんだな」
そう言い捨てて俺は、その部屋を後にした。
そして夕方、屋敷に帰った俺は、皆にクリミアーナの使者が明日帰還すると報告した。全員が安堵の表情をしている。
「取り敢えず・・・僕たちは使者が戻ってくるまで、ここに居られるのかな・・・」
思わずつぶやいたのは、先日以来、屋敷に居候しているウィリスだ。
「安心しろウィリス。俺はお前たちを追放するつもりはない。獣人たちもだ。何とか方法を考えないとな。メイ、シディー、何とか獣人たちを救う手立てを考えてみてくれないか?頼むよ。俺はメイの犯罪奴隷を解放する手段を色々と試してみる」
「大丈夫です・・・。私が、何とかします」
メイが強張った顔で口を開く。
「メイ様、私も手伝います。一緒に、手立てを考えましょう。ドワーフたちにも協力をしてもらえるよう、父に言ってみます」
「シディー、頼む。メイを助けてやってくれ。近いうちに、鹿神様のところにも相談に行こう。俺とメイとシディーと三人で行こう」
「吾輩も行くでありますー」
「そうだなゴン。お前も一緒に来てくれ。リコ、フェリス、ルアラ、ソレイユ、マト・・・。みんな協力してくれ」
皆が真剣な表情でうなずく。しかし、何故かリコの反応が薄い。ちょっと気になったが、敢えてこの場では追及はしないことにした。
「明日は休みだ。久しぶりに、うまいものでも食うか!晴れたらバーベキュー、雨が降ったら屋敷の中で俺が何か作ろう。から揚げか・・・ケーキか・・・ぜんざいがいいか?」
「大丈夫です、私が腕によりをかけて作りますから」
「いいえ、ペーリス姉さまばっかりですから、たまには私がやります!」
「おお~それじゃ、雨が降ったらフェリスがコック長で何か作ってくれ。ペーリスはアドバイザーだ。俺も手伝うから、何かあったら言ってくれ」
「賛成でありますー美味いものを食べるでありますー」
ようやくみんなの笑顔を見ることができた。その光景に少し安堵の気持ちを持ちつつ、この場をお開きとした。
そして夜、寝室でリコと二人っきりになった時、俺はさっきのことを尋ねてみた。
「リコ・・・さっきのことだけど・・・」
「・・・」
リコは俯いたまま喋らない。俺はリコを背中から抱きしめる。
「クリミアーナ教は・・・リコも洗礼を受けていたんだっけ?教皇の要請に反するようなことは、やっぱり心苦しいか?」
「・・・わからないのです」
「わからない?」
「幼い頃から教えられてきたのですわ・・・。クリミアーナ様は我々を守ってくださる御方、正しい道に導いてくださる御方・・・。その・・・クリミアーナ教国は、人間を救い続けてきた国・・・。その国が発表したことですから、きっとそうなのでしょう。でも、でも、獣人たちを追放して解決するのでしょうか?特効薬はあるとはいえ、多くの羊獣人たちが犠牲になりますわ。そんな犠牲の上に私たちが生き永らえても、何があるのでしょうか・・・?これまでクリミアーナ教が獣人を迫害したことなどありませんでしたのに・・・。私には、わからない・・・わからないのですわ」
リコは頭を抱えて首を振る。俺はリコをさらに強く抱きしめる。その時、部屋の扉がノックされた。
「・・・ご主人様、メイリアスです」
「ああメイか・・・。いいよ、入っておいで」
俺はリコから体を離す。その直後にドアが開き、メイが入ってきた。
「・・・アリリアは?」
「部屋で寝ています」
「そうか・・・」
メイは俺とリコをまっすぐに見据えながら、口を開いた。
「リコ様、申し訳ありませんが、今夜は私がご主人様のお相手をして差し上げたいのですが、よろしいでしょうか?」
リコはゆっくりとうなずく。そして、立ち上がり、ベビーベッドに寝かせているエリルを優しく抱きかかえた。
「今日は、メイが一緒にいた方がいいですわ」
「申し訳・・・ありません」
メイは申し訳なさそうに頭を下げる。リコは優しく微笑んで、ゆっくりとドアに向かって歩いていく。
「リコ様」
不意にメイが声をかける。
「アリリアを・・・アリリアをよろしくお願いします・・・」
そう言って深々とリコに向かってメイは頭を下げた。
「安心してメイ。アリリアは私に任せてください。大丈夫ですわ」
優しい微笑みを湛えたまま、リコは寝室を後にした。
メイはそれを見届けると、ゆっくりと俺に近づき、そして、抱きついてきた。
「メイ・・・。大丈夫だ。必ず、守るからな」
「私が、何とかします。必ず、何とかしますから・・・」
「メイ・・・」
俺は、メイを強く強く抱きしめた。
朝、起きるとそこにメイの姿はなかった。そして、枕元には一枚のメモがあった。
『クリミアーナ教国が発表した病の原因と、その対策を調べてきます。アリリアをよろしくお願いします
……メイリアス』
「メイ・・・」
俺は呆然としながら、彼女の名前を呟いた。そして、メイは、昼になっても帰ってこなかった。
「このアガルタの水運の活用は素晴らしいですね」
「そうですね。アガルタ王が優秀な結界師であるという噂は本当だったようですね。まさか、この石に結界の効果が付与されているとは・・・」
そんな会話を交わしているのは、コフレシとジョリーナだ。二人はアガルタの都から筏に乗り、ガルビーに向かって川を進んでいるところであった。
「この速さであれば、予定よりも早く着きそうですね」
コフレシが誰に言うともなく呟く。
「この筏で川を下るというのは、あなた様がお考えになったのですか?」
ジョリーナは後ろを振り返りながら、口を開く。
「いえ・・・」
蚊の鳴くような、小さな声が聞こえる。ジョリーナはその声を聞いて、満足そうな笑みを浮かべる。
ジョリーナの視線の先には、見目麗しい羊獣人・・・アガルタ王リノスの第二王妃、メイリアスの姿があった。