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結界師への転生  作者: 片岡直太郎
第六章 アガルタ国編
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第百四十八話 皇太后、ラマロン・クロウ・レイシス

ラマロン皇国皇太后、ラマロン・クロウ・レイシスは、目の前の光景に、大いに満足していた。


そこには、皇国の主だった貴族と軍人が一堂に会している。そして、全員が片膝をつき、右手を胸に当てて頭を下げていた。即ち、この部屋において頭を下げていないのは、警備の兵士を除けば、たったの二人。皇太后である自分と、息子であるラマロン皇国皇帝だけである。


レイシスは噛みしめていた。この眺めを堪能できる幸せを。


皇太后であるレイシスの玉座は、皇帝の玉座の下手に置かれている。つまり、皇帝と同じ高さに自分の玉座は置かれているのだ。皇帝だけが見ることが許される景色を、自分も同じように見ている。そして何より、命よりも大切な息子と共に、この最高の景色を共有できている。このような幸せがあるだろうか。


宰相のマドリンが立ち上がり、皇帝に恭しく一礼をして、集まった貴族たちに食料を下賜する勅書を読み上げている。その声を聞きながら彼女は、戦い続けてきた数十年間を振り返っていた。彼女の半生は、息子を皇帝にすることに全てを捧げた人生であった。



ラマロン・クロウ・レイシスは、ラマロン皇国の南端の地であるケシルの街で生まれた。父は皇国軍の参謀であり、後にジュカ王国の一部の地域を占領する働きを見せ、その地の総督となった人物であった。


レイシスが10歳の時、その父の凱旋式が皇都で行われた。その煌びやかな光景を、彼女は今でも鮮やかに思い出すことができる。


しかし、父はジュカ王国軍の反撃にあい、その戦いのさなか命を落とす。レイシス12歳の時であった。夫に先立たれた母はその後、時の皇帝、ラマロン・クロウ・ディウスに見初められ、その妻の一人として迎えられた。


レイシス15歳の時、皇帝の弟であるルキウスの息子、アエノと結婚することになった。ただし、アエノには既に正妻がおり、レイシスは側室として迎えられたのだった。そして彼女は程なくして身籠った。


激しいつわりに苦しみながらも、お腹が膨らみ始め、ようやく安定期を迎えようとしていたある時、母が姦通の容疑をかけられて、皇帝・ディウスに処刑された。これは王妃や他の側室たちの陰謀と言われているが、レイシスにとっては大きな衝撃であった。義父のルキウスと、夫のアエノは皇帝に憚って、身重のレイシスを屋敷の一部屋に幽閉した。日当たりの悪い部屋で、粗末な食事を与えられながらたった一人、自分についてきた三名の侍女と共に、レイシスはその部屋で子供を産み落とした。現皇帝、ラマロン・クロウ・フレインスである。


皇族や貴族において子供が生まれた場合、乳母がつけられるのが一般的だが、レイシスの場合は、乳母はつけられなかった。つまり彼女は、自分の母乳でフレインスを育てたのである。そして、その部屋で、侍女たちと共に5年の歳月を過ごすことになる。


幸いにしてフレインスは父に似て丈夫な子供であった。そして、大人しい子供であり、手のかからない子供であった。彼女は持てる全ての時間を子供と過ごすことに費やし、子供の成長だけを楽しみに生きたのだった。


フレインスが5歳になった時、皇帝ディウスが崩御した。そして紆余曲折を経て、次の皇帝には義父であるルキウスが即位することになった。この時、レイシスもようやく幽閉を解かれ、夫と共に宮殿に移り住むことが許された。


そのさらに5年後、義父・ルキウスもこの世を去り、皇帝には夫であるアエノが即位することになった。


アエノは有能な皇帝であった。当時、ジュカ王国に占領されていた地域へ遠征を行い、その地の征服に成功したのだ。それだけでなく、先々代の皇帝・ディウスが度重なる遠征を繰り返したことで崩壊していた、ラマロン皇国の財政を建て直したのである。実はその陰には、レイシスの活躍があった。彼女は、財政立て直しにおける陰の功労者だったのだ。


皇帝アエノは、名君と呼ぶにふさわしい政策家であった。だが、即位の直後からその忙しさのために、妻たちへの関心は急速に薄れていった。王妃をはじめ、側室たちは皇帝の気を引こうと、豪華で煌びやかに着飾り、その美しさを競った。そのために、皇国の財政状況は悪化の一途をたどったのだった。


そんな中、レイシスは夫である皇帝に進言する。倹約をしましょう、と。


そして、レイシスは女たちの美しさの競演には目もくれず、徹底的に自分の周囲にあるムダを取り除いていった。与えられていた多くの侍女を解雇し、皇帝から与えられた宝石や衣装、そして豪華な調度品を売り払い、率先して狭い粗末な部屋に移った。彼女にしてみれば、息子・フレインスが傍にいれば何もいらなかったのである。本来であれば宮殿を追放される、下手をすると命までも危なくなる行為であるが、その行動は皇帝の心を打った。そしてこのことがきっかけとなり、皇帝は後宮に倹約令を出した。それまで莫大に使われていた後宮の経費が浮くことになり、皇国の財政は回復に向かってゆく。


このことが契機となり、彼女は、皇帝と彼に仕える官僚や軍人たちの注目を集めるようになった。


数年後、皇后が崩御した。後の皇妃を誰にするのかという議論になった時、多くの官僚と軍人たちがレイシスを皇妃に推した。そして、その声に押される形で皇帝はレイシスを皇后としたのであった。


皇后となったレイシスは、徹底的に無駄を省くよう皇帝に進言していった。まず、皇帝の十指に余る側室たちを整理し、側室は二人だけとした。この時、後宮に残った側室は、二人ともが軍の高官を父に持つ者であった。皇国内で発言力の強いのは軍人である。レイシスはそこに目を付けた。こうして彼女は軍を味方に付けることに成功し、そして、皇帝の三人の息子たちの内、次男と三男を臣籍に降下させた。


これらに反発する意見も多かったが、結果的に側室や親王たちを養う費用だけでなく、そこに仕える侍従や侍女と言った人々の人件費を削ることにもつながり、結果的には膨大な経費を節減することにつながった。


こうして、皇帝と軍の信頼を得たレイシスは、次に、息子のフレインスを皇帝にするための布石を着々と打っていく。


彼女はまず、ラマロン皇帝の近衛隊長を務めていた、ケーニッヒ・ワモリに、自身の妹を後妻として嫁がせた。そして、その妹を後宮の女官長に据えた。


ワモリは気持ちの優しい男であった。そのワモリを妹と共に叱咤・激励しつつ、彼を昇進させていき、最終的には近衛長官に据えた。そして、後宮に残っている二人の側室の父たちについては、最終的に、軍総司令官と皇都防衛軍司令官の職に就けた。


自分の息子、フレインスについても、前皇帝の孫娘を嫁に迎え、さらにはフレインスを皇帝の養子として正式に手続きを行い、万全の手はずを整えた。


こうして、軍と後宮を押さえたレイシスは、彼らの口を通じて皇帝に、本当に皇位にふさわしいのは皇太子ではなく、フレインスであると繰り返し吹き込ませたのだった。


一方で、皇太子側とて黙って静観していたわけではない。後宮を追われた女たちとその実家、そして、宰相らを味方につけ、レイシスの身分の低さとフレインスの暗愚ぶりを吹聴して回った。ここに、ラマロン皇国は、醜い権力闘争が幕を開けたかに思えた。


しかし、その権力闘争は意外な形で幕を下ろす。皇帝が皇太子を廃嫡したのだ。


レイシスが皇太子側にかけた罠は巧妙だった。彼女はまず夫であるアエノ皇帝に、次の皇位を継ぐのは皇太子殿下が適当であると説いた。そして、そのためには皇太子に、万民を納得させるだけの大きな成果を上げさせるように勧めた。


一方で皇太子側には、レイシス一派が皇太子側を追い落とそうとしており、息子のフレインスに大きな成果を上げさせようと画策しているという情報を流した。しかも、その政策が「スズメの駆除」であることも同時に伝えたのだった。


皇国内でスズメは農作物を食い荒らす害鳥として認識されており、皇太子側は喜んでこの案を取り入れて皇帝に奏上した。皇帝もこの案を受け入れ、皇太子をスズメ駆除の責任者として任命したのだった。


皇太子はすぐに触れを出し、国中のスズメを駆除していった。


しかし、問題はすぐに発生した。国中で蚊、ハエ、イナゴなどが大発生したのだ。そして、それらの害虫が農作物を食い荒らし、ラマロン皇国はこれまでにない程の凶作となるかに思えた。


それを救ったのが、フレインスである。レイシスとフレインス親子に組する一派は、スズメの駆除を積極的に行わず、彼らの領地における農作物は無事であった。このお陰でラマロン皇国は危機を迎えることなく乗り切ることが出来た。


レイシスは知っていた。スズメが害鳥ではないことを。幼いフレインスと共に過ごした狭い、粗末は部屋で、年老いた侍女の一人からスズメの役割を聞いていたのだった。


この政策の大失敗は、皇太子の信頼を失墜させるのに十分であった。皇太子は世間の批判にさらされ、父の皇帝からも見放される形で、皇都から遠く離れた粗末な屋敷に幽閉されることになった。


軍と民衆の支持を受けたレイシスに、もはや敵はいなかった。そして彼女は、老いの影が見られた夫、アエノ皇帝を暗殺するに至った。


彼女が使ったのは、毒殺という手段である。コンサルムという薬を用いて皇帝を呼吸困難に陥れ、殺害したのだ。


このコンサルムという薬は遅効性の毒であるが、苦みがあるのが難点であった。そこで彼女は、食事のデザートに甘い氷菓子を出すよう料理番に指示を出した。もともと甘いもの好きであり、夏という季節ということも相まって皇帝はこれを喜び、数多くの氷菓子を口に運んだ。そして、その後に出された、レイシス自らが入れたワインを飲んで就寝し、翌日、ベッドの上で物言わぬ姿になって発見されたのだった。


人の口腔は冷たいものを食べると、しばらくの間味覚がマヒする。それを利用しての毒殺であった。父が軍人であり、怪我をした時に水魔法で患部を冷して痛みを和らげている場面を、彼女は幼い日に見ていた。その経験にヒントを得たのである。


皇帝崩御から一年、念願であった息子、フレインスの即位式が行われた。彼女は名実ともに皇帝の母、皇太后として絶大な権力を手に入れたのである。


幼いころから優しい言葉で包み込んで育てたフレインスは、繊細で、気の小さな男であり、母親に見放されることを極度に恐れる人物に育っていた。結果的にフレインスは母の言うことを問答無用で受け入れるようになっていた。彼女はそんな息子を愛し、彼の邪魔になるもの、無駄なものは容赦なく排除していった。


その甲斐あって、今ではこの母子に対抗する者は皆無となった。ようやく、全ての権力を手に入れ、贅を尽くした物に囲まれた生活を手に入れたのだ。しかし、それだけの物を得てなお、皇太后の欲望は終わることがなかった。


現在の彼女の欲望は、先帝の名声を息子が超えることである。ラマロン皇国は手に入れた。今度は皇国の歴史を手に入れたい。息子、フレインスを皇国史上もっとも優れた名君とする。それが今の彼女の望みだった。


そのためには、何としても息子に大きな成果を上げさせねばならない。現在のラマロン皇国に訪れている食料危機は、その欲望を満たす最高のチャンスであった。皇太后の歪んだ愛が、暴走し始めようとしていた・・・。

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― 新着の感想 ―
[一言] 似たような事をやった中国の則天武后と違って、レイシスはひたすら息子の為にやっているだけまだマシ‥‥‥とはならないよな。 自分の為であれ大切な者の為であれ、国を私物化している時点で大差ないのだ…
[一言] 隣の赤の犬の某指導者?
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