第百四十七話 日出る国と日没する国
アガルタ国の都は、熱気に包まれていた。夏の陽射しが照り付ける中、暑さに負けないくらいの、威勢のいい声があちこちで聞こえてくる。
彼らは10月に国王が新しい妻を迎えるのに合わせて、その宮殿を急ピッチで建設している。職人たちはここが腕の見せ所とばかりに、惜しげもなく持てる技術の全てを注ぎ込んでおり、まだ建設途中でありながら、完成すればさぞ素晴らしい建物が出来上がるであろうと思わせる出来栄えである。
俺はゴンと共に建設中の建物を見ている。まだ建設が始まってひと月ほどだが、予想をはるかに超えるスピードで建物が出来上がっている。
大工のゲンさんが中心となって建設を担っているが、現場からは怒号しか聞こえてこない。親方衆の気合は伝わってくるが、そこで働いている若手が潰れてしまわないか、少々心配ではある。
新しく建設する建物だが、バーサーム家の屋敷跡に建てることにした。まだ、ダイニングとキッチンが残っているところに建て増す形を取ったのだ。ゲンさんに言わせると、この建物自体かなり丈夫に丁寧に作ってあるらしく、俺の建て増し案を喜んで受け入れてくれた。
そこから職人衆が動き出すまでが早かった。デザインなどは一任していたせいもあるが、あれよあれよという間に足場が出来、建設が始まった。設計書などはどうしているのだろうと思うが、ゴンがアドバイザーとして携わっているので、敢えてそこは何も言わないでおく。俺をはじめとする、家族全員の部屋も作るそうで、バーサーム家の広い庭を利用した、かなり大きな建物になる予定だ。
コンシディーとソレイユについては、メイが使者となり、ニザとサイリュースの里に打ち合わせに行ってもらった。彼女はリコの体調を考慮して、安定期に入る10月下旬、秋の収穫が終わる頃に輿入れの日程を決めてきた。やはり二人ともそれなりの数の女官と侍女が付いてくるようだ。しかし、メイが直接二人に会って話をしたところ、帝都の屋敷に住むことは問題ないと言う。特にコンシディーは、以前食べたペーリスの食事が忘れられないらしく、ぜひ住みたいとのことだった。そこで、現在は帝都の屋敷も増築中だ。
帝都の屋敷については、基本的に俺たちが住んでいる新館を建て増しする予定だ。職人たちが屋敷に来ることで、俺たちの転移結界などが外部に漏れる危険性があったのだが、以前屋敷を増築した大工に頼んだところ、その時に使った設計図があるらしい。基本的に帝都の屋敷は木造建築なので、設計書を元に、別の場所で素材を加工し、現地で一気に組み上げる形を取るらしく、意外に屋敷に直接来ての作業は少ないようだ。これについては、リコとペーリスに任せることにした。
現在、絶賛マタニティーライフ中のリコだが、ここ最近はつわりの症状が出るようになった。とはいえ、症状自体はひどいものではなく、食事は問題なくできている。俺としては大人しく屋敷で寝ていて欲しいが、主治医であるポーセハイのローニ曰く、それなりに動いた方がよいということと、あまり妊婦のストレスになるようなことは避けるよう言われているため、無理のない範囲で仕事を手伝ってもらうつもりだ。
ちなみに、アガルタの王宮建設と帝都の屋敷の建て増し費用については、帝国の陛下がポンと出してくれた。とはいえ、金の出どころは建国の時に融資された資金である。要は、返済額を減らしてくれたのだ。
そしてマトカルについては、二人で、差し向かいで話をした。
「マトカル、お前は多くのアガルタの人間を虐殺した。本来ならば死をもって償わなきゃならん。そうしないと、お前に殺された者の家族は納得しないからな」
「分かっている。本来はそうすべきだろう。覚悟はできている」
「しかし、俺はお前を殺さないことに決めた。死にゃ全てが終わっちまうからな。死んでハイ終わりってレベルじゃねぇからな。お前がやってきたことは」
「リコレット殿が、リノス殿の妻になれと言ってきた。私は敗北した者だ。どういう扱いを受けても、文句は言えない。好きにするといい」
「バカ野郎。まあ、その、何だ。お前は殺した人間たちへの罪悪感なんざ皆無だろ?死への恐怖・・・みたいなものもあまりねぇだろ。それじゃお前に殺された人間たちが殺され損だと思わないか?」
「私にどうしろというのだ。一生男の嬲り者になり、穴という穴を犯され、飽きるまで・・・」
「マトカル、取りあえず、そのプレイから離れようか。・・・オホン。俺は、お前を幸せにする」
「・・・幸せ?」
「ああ。俺と俺たちの家族がお前を幸せにする。お前が人としての幸せを感じた時に初めて、お前が殺した人たちや、その家族たちの無念や苦しみ、怒り、憎しみが分かるだろう。お前に憎しみの目を向ける人々の気持ちが理解できた時、初めてお前は自分の罪と向き合うことができる。きっとそれは、死ぬよりも辛い思いを味わうことになる。それが、俺たちがお前に課す刑だ」
マトカルはわかったようなわかっていないような顔をしている。
「我ながら残酷なことをすると思うよ。幸せを感じれば感じる程、不幸を感じる度合いも大きくなるんだからな。メチャ幸せにしてやるから、覚悟しておけよ?取りあえず、俺の嫁になるのに、その呪いスキルはよろしくないな。生まれてくる子供に悪影響を与えそうだから、こいつは除去しといてやる」
マトカルは俯いたまま、何も言わなかった。
彼女の輿入れについては、ラファイエスが喜んでいる。そんな素振りは俺にはおくびも見せないが、マトカルが断ると、老将軍が衰弱死するのではないかと懸念するほどのアゲアゲ状態なのだそうだ。
マトカルは、ラマロン国皇帝の庶子という身分であるが、特にその身分を明らかにすることはしないことにした。彼女の身分については、隠したところでいずれは周知の事実となるだろうし、好奇の目線で見られることは想像に難くない。それは彼女自身が、罪の重さに気付き、それと向き合いながら、今後の生き方や行動で世間の目を変えていくしかない。アガルタの人々の理解や賛同は得られないかもしれないが、俺はあえてこの方法を選んだ。俺たちはただ、彼女がラマロン皇国で生活していた時よりも幸せな人生を送ることができるよう、協力していくだけだ。
この、リノスが新しい妻を迎えるという情報は、ラマロン皇国にも伝わっていた。
皇国の皇都にある宮殿の一室に、きらびやかな軍服を身に付けた青年が椅子に座り、机に頬杖を突いたまま部下の報告を聞いている。新しく皇国軍の統括司令官に就任した、ケーニッヒ公爵である。
「ふーん。敵もなかなかやるね。ニザ公国の姫を嫁に迎えるとは。これで、ヒーデータ、ニザ、アガルタの結束は強まり、アガルタは後顧の憂いを断って、皇国との戦いに集中できるわけだ」
「アガルタの王は、ニザの王女に加えて、あと数名の女を娶るそうです。その中にはマトカル司令官の名前も・・・」
細身で神経質そうな顔をした部下が顔をしかめながら報告する。ケーニッヒ公爵はフンと鼻を鳴らす。
「まあ、放っておけ。しかし、マトカルのことについては、あくまで他人ということにしろ。そうだな・・・。国民には、アガルタがマトカル司令官の勇名を利用しようとしている・・・とでも言っておけばいい。ヤツが女だと知っているのは軍関係者の上層部だけだ。マトカルはアガルタと戦って華々しく散り、軍神となった・・・とでもしておくのが一番いいだろう」
「畏まりました」
「それよりも、ジゼウのバカが失敗したおかげで、皇国内における軍の威光は地に落ちている。それどころか、兵士たちもアガルタに大魔王が出たなどと臆病風に吹かれているヤツも多い。まずは軍の威光を取り戻さないとね」
「もしかしてまた、派兵でしょうか?」
部下の手がかすかにふるえている。
「バカだな、君は。あのケチな宰相が食料を出すわけがないだろう。今年いっぱいは無理だろうな。僕が一番懸念するのは、先日の失敗を吹聴して、皇国軍の威光をさらに貶めようとする輩だよ。皇都をはじめとして街のあちこちで皇国軍の敗北が噂になっている。噂っていうのは尾ひれが付くからね。そんな皇国軍にとって敵となる奴らを、跋扈させるわけにはいかないだろ?」
「では、如何なさいますか?」
「軍の中で使えそうな者を選抜して、各町と村に忍ばせろ。そして、軍の威光を貶めようとするやつらを徹底的に探し出し、捕らえるんだ」
「畏まりました」
「そいつらを軍の名において処刑する。民に軍の恐ろしさが伝わるだろうし、皇国内における軍の威光も回復する。どうだ、一石二鳥だろ?」
「すばらしいお考えかと思いますが、宰相たちがうるさいのでは・・・?」
「ああ、放っておけ。本来は宰相がやるべきことを、代わって僕がやってやろうとしているんだ。所詮、政治屋には、考えがここまで及ばないよ」
「まことにその通りかと思います」
部下は恭しく一礼をする。そして顔を上げ、不安そうに口を開く。
「軍の綱紀粛正はいかがいたしましょうか」
ケーニッヒ公爵は面倒くさそうに答える。
「大魔王に怯えている奴らは、まとめてカリエス将軍の部隊に送ればいい。というより、カリエス将軍の部隊だけが、大魔王に怯えていると言ってもいいかもしれないな。そんな臆病者の教育は、将軍に任せておけ」
「畏まりました」
一礼をして部屋を出ていく部下。その姿をため息をつきながらケーニッヒ公爵は見送った。
一方、宮殿内のマドリン宰相の執務室では、一人の男が宰相と何やら話し込んでいる。ラマロン皇国総司令官の、カリエス将軍である。
「将軍、いかがかな?ジゼウ殿が残した軍の再編は?」
ため息交じりに問いかけるマドリン宰相の顔をちらりと見て、カリエス将軍は口を開く。
「まさか、ここまでとは正直思わなかった」
「そんなにひどいのか?」
「ああ。士気が全くない。というより、兵たちは怯えきっている。大きな音や空を飛ぶ鳥の影を見ただけで、怯える者が多くいる。あれではどんな良い作戦を立てても、アガルタには勝てないだろう」
「ううむ・・・」
マドリン宰相は手を額に当てて天井を見上げる。
「将軍が皇太后陛下に申し上げた、アガルタ王と刺し違えると約束した一件、あれは当面難しそうだな」
将軍はゆっくりため息をつく。
「今は兵士の訓練が最優先で、作戦の決行はまだまだ時間がかかりそうだ。それよりも、兵士たちの誤解を解いてやることが最優先だ」
「誤解?どういうことだ?」
「兵たちの間では、ジュカを滅ぼした大魔王は、この皇国にいるというのが専らの噂でな」
「皇国に大魔王とは・・・何と言うことだ・・・。ジゼウの部隊は一体どうしたのだ?」
「国境付近でヒーデータと睨み合った時に、ジゼウの隊では、おかしなことが起こっていたのだ」
「おかしなこと?」
「突然兵士の一人が空を飛んで敵陣に吸い寄せられたり、ジュカ側の山に霧が発生して、大魔王らしき影が見えたり、挙句には、普段人など襲わない臆病な魔物であるエグニモが大量に押し寄せて、ジゼウの隊を襲った」
「まさか・・・」
「私も、まさかとは思うが、兵士たちが口々に言うのだ。大魔王が出たと。実際にジゼウの隊では多くの戦死者を出したが、大魔王が出たと兵たちに知らせた者は、全員が死んでいたそうだ。おそらくエグニモは大魔王が操り、その姿を見たものは全員が殺された。そして、我らが混乱した隙に、皇国に入り込んだのだと兵たちは言うのだ」
「しかし将軍、もし大魔王が皇国に入り込んでいたのであれば、今頃とっくに我が国は蹂躙されていただろう」
マドリン宰相は、額から流れ出る汗を拭きながら、必死になって言葉を返している。そんなマドリンをカリエス将軍は、冷静な目で見ながら、落ち着いた声で言葉を続ける。
「いや、兵たちはこう信じている。大魔王はこの皇国に潜伏し、この国を滅ぼそうとしていると」
「潜伏している・・・と?」
「魔物の中には、人に化けることができる個体もある。大魔王クラスの魔物であれば、人に化けるのは容易かろう」
「大魔王が人に化けている?一体誰に?」
「ここ最近、突然人が変わってしまわれた方はおらんだろうか?無理難題を押し付け、その責を部下に押し付け、排除し、皇国の規律を乱そうとするお方が・・・」
「まさか、皇太后陛下に大・・・」
「おっと、宰相殿。それから先は、不敬だ」
カリエス将軍は目を閉じる。そして、大きく息を吐き出す。マドリン宰相は冷たい汗を背中に感じながら、ここ最近皇国で起こった事柄を頭の中で思い浮かべた。
ラマロン皇国の歯車が、少しずつ狂い始めていた。