第百四十六話 上質の羊羹には、いい餡が使われる
暑い夏が訪れた。ジリジリと照り付ける太陽が眩しい。そんな中、アガルタの都にある俺の執務室に一人の来客が告げられる。アポなし突撃訪問だが、知った人物なので通してくれと伝える。しばらくすると、その人物がやってきた。
「おうっ、まっぴらごめんねぇ!まっぴらごめんねぇ!」
「何だ?部屋の外でピラピラ言いやがって。入ってこい」
椅子に座ったまま俺が声をかけると、乱暴にドアを開けて入ってきたのは、小柄だが真っ黒に日焼けした、腕っぷしの強そうな職人風の男である。
「おう大将、まっぴらごめんねぇ!」
「やあゲンさん。元気そうだな。一体どうした、この真昼間に」
部屋に入ってきたのは、大工の棟梁であるゲンさんである。帝都で1、2位を争うほどの腕利きの大工だが、アガルタで一旗揚げようと弟子を引き連れて数か月前、移住してきた。アガルタでは絶賛建設ラッシュとあって、ゲンさんには注文が殺到しており、かなり忙しくしているのだ。
「大将、聞いたぜ?新しく嫁を迎えるんだってな?」
「まあ、ね」
俺は何とも言えない顔をして答える。
「奥方のご懐妊ともども、二重の喜びだぁな。で、あっしら大工らが集まって、大将に祝いを贈ろうって話になったんだ」
ゲンさんは得意げな顔をして、ずいっと俺の近くに体を寄せる。
「別にいいよ。ゲンさんも忙しいんだから、無理しないでくれ」
「いいや、それが大ありよ!大将、新しい奥方が住む場所は決まってるのかい?」
「あー」
俺は思わず空を睨む。
「今は奥方二人と娘っ子二人とゴン兄貴でことが足りているだろうが、新しい奥方を迎えるとなると、今のままじゃいけねぇだろ?新しいお子も生まれるんだ。ここは一つ、大将の家を拵えようじゃねぇかって話になってるんでぇ」
ゲンさんは目をキラキラさせている。今のところ、都の人々には、俺の転移結界は秘匿している。そのために彼らは、俺たち一家はこの元王国軍本部の建物に住んでいると思っているのだ。
「でな大将。この都には王様が住む場所がねぇんだ。俺たちで王様が住む宮殿を建てさせちゃくれねぇか?ジュカ王国の時のようなバカでけぇものは作れねぇが、それなりのものを仕上げる自信はあるぜ?」
「ありがたい話だが、ゲンさんも忙しいだろう?」
「いいや、帝都のトメ公、トメライルだよ!・・・知らねぇ?・・・そのトメ公がアガルタに来るってんだ。野郎が来るってんなら、俺っちの仕事をトメ公に任せちまおうと思ってな。他の親方衆とも話したんだが、俺たちの手でドデかいもんを作ってみてぇって思いは一緒なんだ。大将、一つ俺たちに祝いとして、城を建てさせてくんねぇ!」
ありがたいようなありがたくないような話だが、ゲンさんの言うことももっともだという気もする。この話は一旦俺にあずからせてもらう形にして、後日返事をすることにした。
「いい返事を待ってるぜ!」
ニッと白い歯を見せ、笑顔でゲンさんは部屋を後にした。
夜、帝都の屋敷に戻った俺は、早速皆にゲンさんの提案を話した。
「うーん。このお屋敷は愛着があるんですけれど・・・」
そう話すのはペーリスだ。無理もない。この屋敷のキッチンはほぼ、ペーリスが選んだ器具、食器で満たされている。彼女のこの屋敷への愛着は、人一倍だろう。
「ペーリスちゃんは大学もありますから、アガルタに行くのは・・・」
ペーリスの心配をしているのは、メイだ。ペーリスも心配だが、この屋敷にはメイの研究に使う道具や資料が大量に保管されている。それを移すとなると、かなりの労力だろう。
ゴン、フェリス、ルアラ、フェアリにも聞いてみたが、彼らはどっちでもいいという感じだ。
「ゲンさんの言うことは、もっともですわ」
毅然と発言したのはリコだ。
「やはり、城は必要ですわ。王とその一族を守る場所でもあり、国の力の象徴でもあります。アガルタは建国したばかりの国。大きな城を建てれば、それだけ周辺国に圧力をかけられますわ」
皆、押し黙ってしまった。確かに、リコの言うことも一理ある。俺は腕を組んで考える。
「・・・お城って、いるかな?」
「リノス、何を言っていますの?必要ですわ!」
「リコの言うことも、もっともだと思うんだ。でも、お城って本当に役に立つかな?だってジュカの城も大きくて鉄壁の守りを誇っていたけど、結局カルギの反乱であえなく国王一家は滅んだ。どんなにすごい城を作っても、結局その城を誰も守らなければ意味がないんじゃないかなって思うんだ」
「リノスの結界があれば十分守れますわ」
「うん、そうなんだけどな。もし俺が死んだら、結界は効かなくなるぞ?その時に城の内部で反乱を起こされたら、全てが終わるぞ?」
「アガルタに住む者に限ってそんなことは・・・」
「リコ、ないとは言い切れないぞ。俺たちは大丈夫でも、子供や孫たちの代はどうだろうか?それに、今、大規模な城を建てれば、かなりの人員を動員しなきゃいけないだろ?そうすればアガルタに住む人々の負担になりはしないだろうか。何も今、無理をして城を建てる必要はないと思うんだ」
「リノス・・・」
「ただ、コンシディー公女とソレイユは確実にやってくるから、彼女らの部屋は用意しないといけないな」
「あれ?マトカルは・・・?」
「うん、マトカルは一度、ゆっくり話をしなきゃなと思ってるんだ。彼女の意に沿わないのであれば、それはそれで考えたいと思うんだ」
リコは目を伏せて俯く。
「いや、リコが責任を感じる必要はない。あくまで、俺の問題だ」
「余計なことを・・・しましたわ」
「リコ、大丈夫だ。ただ、城を建ててしまうと、やれ女官だの兵士だのを置かなきゃいけないだろ?できるだけシンプルにしたいんだ。できれば、コンシディーとソレイユは身一つで来て欲しいと思っているくらいだ」
「さすがにそれは・・・。最低でも女官の一人や二人は連れてくると思いますわ」
「やっぱりそうか・・・。そうだよなぁ」
「コンシディー公女もソレイユ様も、高貴なお方ですわ。かたや一国の公女で、かたや族長の娘です。それなりの迎え方をしなければ、失礼になりますわ」
「ただ、ご主人のスキルは、知る者は少ない方がいいでありますー」
「ゴンの言うことももっともだ。わかった。ちょっと考えるよ」
俺は結論を先送りにして、風呂に入って寝ることにした。
今日はリコとメイと三人で風呂に入る。リコの妊娠が分かってから、風呂はなるべく三人で入ることにしているのだ。リコのお腹はまだ目立って膨らんではいないが、これからどんな風になるのか、不安が半分、楽しみが半分といったところだ。
三人で湯船に入りながら、疲れを落とす。至福の時間だ。
「お風呂って気持ちいいですね~」
思わずメイが声を漏らす。
「そうだな。極楽だよな~」
俺もノホホンとした声で答える。
「もしお城に移っても、こうやってお風呂に入りたいですね~」
「そうだな~」
そんな会話をしていると、リコが俺の隣に来た。俺はリコを背中から抱きしめて、両手でお腹をやさしく撫でる。
「この子が生まれても、パパとママとでお風呂に入れたらいいな」
リコはとてもうれしそうな顔をしていた。
そして、俺とリコはベッドに入る。このところ俺はずっとリコのお腹に手を当てて寝ており、今日もお腹に手を当てて寝ようとする。しかし、リコはその手をやさしく払って、俺の胸に顔をうずめてくる。
「・・・リノスは、どうしたいのですの?」
「何がだい?」
「お城のことです」
「俺は・・・今の生活のままがいいな。何か今さら貴族みたいな生活をしても、たぶん馴染めないだろう。城も大きなものは必要ないと思っている。アガルタの人々が俺を見放せば、どんなに立派な城を建てても、結局は無駄になる。それよりも、アガルタの人々を俺が守り、そして俺がアガルタの人々から守られる関係を作りたい。そっちの方が、城を建てるよりいいと思うんだ。すごく非常識で甘い考えかもしれないけど、それが、俺の本心だ」
リコは俺の胸をキュッと掴む。俺も、リコの背中を優しく抱きしめた。
そして次の日の朝、皆で朝食を食べている時に、リコが口を開いた。
「昨日のお城の話ですが・・・」
「どうした、リコ?」
「私なりに考えてみたのですが、やはり、城は建てるべきだと思います」
俺はゆっくりと頷く。
「しかし、大きな城は必要ないと思います。リノスの言う通り、一番大切なことは、アガルタの人々から信頼を得ることだと思いますわ。ただ、威厳と格式のある建物・・・そうですわね、領主や各国の使者を引見し、歓待する建物は建てるべきだと思います。それで十分ですわ」
「リコ・・・俺たちは、どこに住むんだ?」
「今のまま、この屋敷で住めばいいのですわ。仕事が終わればこの屋敷に帰ってくる。それでいいと思いますわ。コンシディー公女とソレイユ様の住む場所は、空いている敷地に、新たに建てればいいのです。お二人には一度お話をして、この屋敷で住むのがイヤならば、新しく作る建物の中に部屋を作ればいいのです。それであれば、侍女や女官を連れてきても、十分対応できますわ」
「それはいい考えでありますなー」
「リコ姉さま、さすがです!私も賛成です!」
みなリコの案に賛成のようだ。リコは俺をじっと見る。
「リノス、どうでしょうか?」
「俺も、その案に賛成だ」
「ありがとう、リノス。考えてみれば私も、この屋敷が一番好きですわ。そしてこの屋敷で、みんなで生まれてくるこの子を育てたいと思いますわ」
「わかった。じゃあアガルタに建てるのは、城ではなくて、洋館で決まりだな」
「ようかん?」
「宮城にある、舞踏会なんかで使われている建物のことだよ」
「ああ、迎賓館のことですわね」
「そうだ。いい案が使われるから、きっと上質な洋館が出来上がるだろう」
そう言って俺は、ゲンさんと話をするためにアガルタに向かった。