第百四十四話 青天の霹靂
「いくつかお尋ねさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
ポーセハイのローニが口を開く。
「何だ?」
俺はぶっきらぼうに返答を返す。リコを治癒できないのであれば、コイツが居ても仕方がない。できれば、早く帰ってほしいと思いながら、ぶ然とした表情を浮かべる。
「リコレット様にこのような痛みが出たのは、いつからでしょうか?」
「今朝だ。軽い痛み自体は一昨日くらいからあったそうだが」
ローニは頷きながら、手元の紙に何かを記している。
「何か、お薬などは服用されましたか?」
「メイが痛み止めの薬を調合して飲ませたようだ。それに、フェアリードラゴンのフェアリが痛みを軽減する鱗粉を出して、リコに吸わせた」
「治癒魔法は?」
「俺がかけた」
「ハイヒールですか?」
「いや、エクストラヒールだ」
「エクストラヒール・・・」
ブツブツと何かを言いながらローニはメモを取っている。
「恐れ入りますが、飲ませたお薬と、その・・・鱗粉、ですか?拝見できますか?」
「薬については俺はわからない。メイが作ったからな。鱗粉はフェアリが出せる。おい、フェアリ」
「わかったー」
フェアリが羽を動かして鱗粉を作り出す。ローニはそれを丁寧に集めて、指ですりつぶしたり、匂いをかいだり、ちょっと舐めたりして観察している。
「うん、これは神経性のものですね。おそらく、痛覚を麻痺させるものですね。これは問題なしと」
カリカリとメモを書き入れる。その時、メイが帰ってきた。
「ご主人様、リコ様の書簡を手渡してきました。ドワーフ王とヴィヴァル族長は、大喜びでお受けするとおっしゃいましたが、マトカルさんは、畏まりました・・・と言って、すごく申し訳なさそうにお辞儀をしていました。あれは一体、何が書かれてあったのですか?」
「・・・大体、察しはつくが、今はそれどこじゃない。このローニがメイに薬のことで聞きたいそうだ」
「薬のこと・・・ですか?」
メイはローニの所に行き、何やら話を始めた。どうやらかなり専門的な話をしているようで、俺たちにはその内容は全く分からなかった。やれ、どんな植物を使っただの、割合だの、精製方法だの、かなり詳しく話をしている。
「なるほど、それでしたら、人体には問題なさそうですね。ただ、その薬は今後、使わないでください。あと、治癒魔法を使うのも控えてください」
きっぱりとローニが言い切る。その言い方が、俺の癪に障った。
「おいお前、さっきからいい加減にしろよ?」
「いい加減・・・ですか?」
「ああ。さっきから薬がどうだの、鱗粉がどうだの訳の分からん事ばかり聞きやがって。用が済んだらとっとと帰れ。リコの病気を治せないんだろ?せめて痛みだけでも軽減してほしいが、それもできないんだろう?それならお前が居ても邪魔になるだけだ」
ローニは、シャキッと背筋を伸ばし、ピョコんとお辞儀をする。
「これは、私の説明不足でした。お許しください。リコレット様のお体を案じての質問でした。あまり強い薬ですと、お体に障りますので。ただ、先ほどからお話をお聞きしまして、リコレット様がお飲みになられた薬はどれも強いものではないため、問題ありません」
「でもお前、メイの薬は今後飲むなと言ってたじゃねぇか!」
「はい。メイ様のお薬は、体内の痛みを発する患部の動きを止めるものです。それはあまりよろしくありませんので、お止めいただくよう申し上げました」
「はあ?意味わかんねぇぞ?痛みを発する患部の動きを止めて何が悪いんだ!」
「それをされますと、排泄されなくなりますので・・・」
「は、排泄?」
「触診しましたところ、リコレット様は、ここ10日間程便通がないようです。激しい腹部の痛みは、便を排泄しようとするために起こっているものです。ですから、メイ様のお薬を服用されますと、腸が排泄運動を止めてしまいます。ですから、お止めくださいと申し上げました」
「・・・と、いうことは、リコの腹痛の原因は・・・便秘?」
「そういうことになります」
身体の力が一気に抜け、俺は椅子にへたり込むようにして腰を下ろす。
「念のため触診と、検尿を行いまして、他の病気がないのかを調べましたが、特に大きな問題はなさそうです。取りあえずリコレット様には、便がゆるやかに排泄されるお薬をお飲みいただきましたので、しばらくすれば全ての便が排泄されると思います。おそらくそれで、痛みはなくなるかと思います」
「そうか・・・よかった・・・。でも待てよ?リコは今まで便秘なんかしたことなかったよな?そんな話も聞かなかったぞ?メイ、フェリス、ルアラ、お前たちは何か聞いているか?」
フェリスとルアラは顔を見合わせている。
「いえ、リコ姉さまからは、私たちは聞いたことがありません」
メイもしばらく考えていたが、
「そうですね。私もそんな話は聞いたことがありませんね・・・」
全員が首をひねる。ローニは俺たちを見回しながら、
「リコレット様の生活習慣が変わられたというのはありませんか?」
「ああ、確かにここ数か月で、働く場所が変わった」
「運動は、どうでしょうか?」
「ほぼ、しないな。家事をやる時くらいか?」
ローニは長い耳をピクピクと動かしながら、うんうんと頷きつつ口を開く。
「便秘は規則正しい食事と運動で、かなりの確率で防ぐことが出来ます。ちょっと待っていて下さい」
そう言うとローニは、新たな紙を取り出し、カリカリとそこに何かを書き始めた。
「・・・ハイ、できました。これが、便秘解消に効果のある食材です。これらを使って食事を作られると、いいと思いますよ」
目を通してみたが、書かれていた食材の半分以上は、俺の知らない物だった。俺はその紙をペーリスに渡しながら、呆れたように呟く。
「それにしても驚くな。いきなり便秘なんかになるんだな」
ローニは不思議そうな顔をして、小首をかしげる。
「珍しくないですよ?よくあることですよ?」
「そうなのか?」
「はい。ご懐妊の初期症状としては、珍しくありません」
「・・・何?今、なんて言った?」
「ええと・・・ご懐妊の初期症状としては珍しくないと・・・」
「か、懐妊?それって、もしかして・・・」
「・・・あれ?ご存じなかったのですか?それは・・・失礼いたしました。この度はおめでとうございます。リコレット様は確かに、ご懐妊しておられます。詳しく調べてみませんとわかりませんが、おそらく既に、二か月目に入られているかと思います。先ほど私が申し上げましたのは、ご懐妊は病気ではありませんので、つわりや便秘などのご懐妊にまつわる症状を治癒する、というのは出来かねますという意味でした。説明不足で申し訳ございませんでした」
ローニはお辞儀をして笑顔で俺に説明してくれる。俺はフラフラと椅子から立ち上がると、全力でリコが寝ている部屋に向かう。
「リコ!」
既に上半身を起こしていたリコは、突然飛び込んできた俺の姿を見て、目を丸くして驚いている。
「な、何ですの?」
「リコ・・・リコ・・・」
俺は涙を流しながらリコを抱きしめる。そして、オイオイと泣いた。
「リ・・・リノス。・・・ちょっと、リノス・・・」
「リコ、よかった。よかった・・・」
「扉が開いたままですわ。はっ、恥ずかしいですわ。やめてくださいませ・・・」
「リコぉ・・・リコぉ・・・」
「わかった、わかりましたから、離してくださいませ。ちょっと・・・離して!」
リコが驚くほどの力で俺の腕を振りほどく。びっくりした俺は、泣き顔のままポカンとリコの顔を見る。リコは俯きながら恥ずかしそうに、
「ト・・・トイレに・・・トイレに行かせてくださいませ!」
ベッドから飛び出したリコは、脱兎のごとく部屋の外に出ていった。
パタパタパタパタ・・・リコが走り去る音が廊下中に響き渡る。そして、バタン!と大きな音がしたかと思うと、それ以降、リコは約1時間トイレの中に籠り続けたのだった。
アガルタ国とその同盟国に、リコレットの懐妊が発表されたのは、その次の日のことであった。