第百三十八話 軍神・リノス
「ご主人様、ラマロンの援軍です」
「ああそうか。ありがとうイリモ」
突然イリモから話しかけられて、体がビクっとする。いかんいかん。目の前の光景に集中しすぎていた。
三軍に分けた俺たちアガルタ軍は、中央がラファイエンスの率いる400名、左翼がクノゲンの率いる800名、そして右翼が俺の率いる800名という構成だ。ちなみに、一番兵力の少ないラファイエンスの部隊には、最精鋭の者を配置している。全く隊列を崩さず、殺到する敵とギリギリの間隔を保ちながら後退してくる姿は、逆に美しさすら感じた。
まんまとラファイエンスにおびき寄せられたラマロン軍は、老将軍の部隊と俺たち両翼の部隊が突撃して、大混乱に陥った。アガルタ軍には全員結界石を持たせてあり、基本的に物理的な攻撃は通らなくなっている。そのため、ラマロンの兵は面白いように俺たちに蹂躙されていった。このまま包囲して殲滅できるかと思っていたが、さすがに敵もバカではないようで、新たに援軍を繰り出してきた。
「よーし、退け!」
俺は号令と共に、火魔法「バースト」を空中に向けて放ち、爆発を起こす。それを合図に、俺たちは攻撃を止め、陣形を維持したまま200メートルほど後退した。ラマロン軍は追ってこない。どうやら援軍と合流して隊列を整えているように見える。俺はラマロンの動きを見ながら、中央のラファイエンスの所に行く。するとそこには左翼のクノゲンも来ていた。
「リノス殿、今、クノゲンとも話していたのだが、どうやら敵は歩兵を援軍に入れたようだ」
「おそらく、その中には魔術師も混じっておるでしょうな」
「わかった。では、場所を移そう。あそこの、大きな水たまりになっている所がいいな。そこで元の陣形に戻って奴らの出方を待つ。突撃してくるようなら、奴らを水たまりに誘い込もう。合図を出したら、俺とクノゲンの部隊は前進して再びコの字形の陣形にする。ただし、その時は弓を持っている者と魔法が使える者たちを前面に出せ。奴らの魔法や攻撃は結界石で守れると思うが、念のため、合図があるまでは、魔術師と弓隊は後ろで待機させて、他の奴らは盾で防御させてくれ」
俺は手ぶりで移動場所と陣形を説明しながら、素早く指示を出し、すぐに自陣に帰った。
俺の帰陣を見届けると、ラファイエンスの中央の部隊が素早く両翼の部隊に合流し、そのまま二列になりながら、さらに200メートルほど後退した。そして、水たまりの前に老将軍の部隊が陣を張り、そのすぐ後ろに俺が右翼、クノゲンが左翼の陣を張った。
「・・・小癪な。奴ら、魔術師との戦い方を知っているな」
ラマロン軍の司令官の一人が、憎々しげにつぶやく。その彼を押しとどめるようにして、もう一人の司令官が口を開く。
「ああ、おそらく正面の軍そのものが楯の役割を果たすのだろう。あれなら遠方から魔術で攻撃しても、被害は最小限に抑えられる。そして、騎兵で正面を突けば、また先ほどと同じく両翼の軍で挟み撃ちにするのだろう。しかし、同じ手は食わん。奴らは所詮、その程度の考えだ。いいだろう。その手に乗ってやろうではないか」
彼は周囲に向けて大声を上げる。
「皆、聞けい!もう一度、中央の部隊に向かって突撃しよう!おそらく奴らは、中央の部隊が後退しながら我らをおびき寄せて、両翼の部隊で包囲しようとするだろう。もし、正面の部隊が退却するのなら、そのまま追いかけつつ、左翼の部隊に突撃する。動かなければ、そのまま正面の敵に突撃する。騎兵隊が敵を殲滅している時に、歩兵隊は騎兵部隊の背後を守り、敵部隊を近づけさせないでくれ。心配するな!敵は寡兵だ!一気にカタをつけよう!」
司令官の一人はそう言って、アガルタ軍に向かって馬を走らせた。そしてその後を追うように、数千の騎兵が彼の後を追った。
「・・・突っ込んできやがった。注文通りだな。さて、俺たちのところまでたどり着けるかな?」
俺はニヤリと笑みを浮かべながら呟く。そして周囲の兵士に大声で指示を与える。
「命令があるまで、決して動くなよ!ギリギリまで敵を引き付けろ!」
左翼にいるクノゲンを見ると、奴は俺を見て、悠長に手を振っていた。
「・・・うん?正面の部隊が動かないな?よし、それならば正面を殲滅しよう!続け!」
騎馬隊の先頭を走っていた司令官が、馬の速度を速める。そして、そのまま水たまりの中に突っ込み、後に続く騎兵も次々と水たまりの中に突っ込んでいった。辺り一面に水しぶきが上がる。
それを合図として、ラファイエンスの部隊から弓と魔法で攻撃が加えられる。次々と落馬していくラマロン軍の兵士たち。その時、俺はクノゲンの部隊に合図を送る。
「前進!正面部隊の前に出ろ!」
素早く俺とクノゲンの部隊は、ラファイエスたちの前に出る。ちょうど、水たまりを囲むような、鉢形の陣形になっている。
「かかれ!」
着陣してすぐさま、俺は弓隊と魔術師たちに攻撃命令を下す。クノゲンの左翼からも、時を同じくして弓と魔法の攻撃が開始された。
ラマロン軍にとっては、水たまりに馬が足を取られて動きが取りにくい上に、十字砲火に近い形で弓と魔法の攻撃を食らっている。進むこともままならず、退くこともままならず弓矢と魔法の餌食になっている。たまらず、ラマロン軍は後退を始める。そして、後続の歩兵部隊も騎兵隊が撤退しているのを見て、我先へと撤退していった。
「・・・な、何だ?何故兵たちが戻ってくるのだ?」
丘の上で戦闘を見つめていたアガルタ派遣軍総司令官のジゼウは、混乱していた。司令官の一人が兵の大半を率いて援軍に向かい、結果、敵は数百メートルにわたって後退していった。そして、ラマロン軍はその敵を追撃していった。そこまではいい。しかし、追撃を途中でやめ、兵士たちがバラバラになって撤退してくるのは、どうしても信じられなかった。
「総司令官殿、敵には結界師がいるためか、攻撃が全く通りません!」
帰ってきた司令官の一人が、息を切らしながら報告をする。ジゼウは小刻みに体を震わせながら兵士たちを見回す。
「こ・・・これだけか?」
当初、5000程いたラマロン軍の兵士が、1000程になっていた。
「総司令官殿、あれを!」
部下が指さす方向を見ると、アガルタ軍が整然と二本の長い隊列を作ってこちらに向かってくる。そして、ある地点に来ると号令と共に三軍に分かれ、ゆっくりと歩調を揃えてこちらに向かってくる。そのあまりの見事さに、ジゼウたちラマロン軍の兵士たちは、しばし我を忘れた。
「・・・総司令官殿、どうされますか?」
すでにジゼウは、戦意を喪失していた。
「・・・退け。全力でこの場を離脱せよ。先行部隊に合流せよ」
そう言い捨てて、ジゼウ以下のラマロン軍は、全速力でその場からの離脱を図った。あとに残ったのは、彼らが領主たちから奪った、食料を満載した夥しい数の荷車だった。
「敵が逃げていくな。リノス殿、追撃するかな?」
ラファイエンスがニヤリと笑みを浮かべながら俺に問いかけてくる。この爺さんは、戦闘になると本当に嬉しそうな顔をする。
「いや、やめておきましょう。それよりも、あの食料の回収を急ごう。クノゲン、お前の部隊は先に都に帰れ。可能性は低いだろうが、敵が都を突いてきたら、その時は頼む!」
「畏まりました!しかし、奴らにそこまでの余力はないでしょう。ご安心ください!」
そう言って、クノゲンの部隊は都を目指して去っていった。俺は老将軍と共に、食料の回収に向かう。
「それにしても見事な戦略と采配ぶりだった。まさしく貴殿は軍神、だな」
「そんな、買い被りですよ」
俺はラファイエスの顔を見ずに、小さく呟いた。そして、ゆっくりイリモを走らせた。
戦場を離脱したラマロン軍の撤退は悲惨だった。森の中の部隊と合流できたのはよかったが、彼らは全く食料を持っていなかった。空腹と疲労の中、それでも全力で国境を目指して移動しなければならなかったのだ。
何とか国境を越え、ラマロン皇国に入っても、彼らは皇都に戻るまでに、いくつかの山を越えなければならなかった。そこから落伍者が出始め、腹をすかせた兵士たちは、山野の村や民家に侵入して食料を奪うなど、狼藉を働いた。
結局、疲労困憊しながら皇都にたどり着けたのは、わずか4000程度であった。出陣時の6割の兵士が敵に討たれ、あるいは移動中に魔物に襲われ、あるいは落伍したのである。この事実はラマロン皇国全体に大きな衝撃を与え、同時に、皇国内における軍の威光を大きく失墜させたのであった。
当然、ラマロン皇国皇太后の怒りはすさまじく、アガルタ派遣軍総司令官であったジゼウは敗北の責任と兵士たちの監督不行き届きの責任を問われ、皇都の真ん中で、多くの民衆の目に晒されながらその首を討たれた。
雨が降りしきる中、刑場に引き出されたジゼウは泣きながら命乞いをし、そして抵抗した。
「いやだぁぁぁぁぁ!!!!死にたくない死にたくない死にたくない!!!」
「儂は悪くない!儂じゃない!部下が、無能な部下が!!」
「やめろ!触るな!やめろ!やめろ!やめろ!」
「助けて!助けて!いやだ!いやだ!パパ助けてぇぇぇ!ママ!ママ!ママァ!!!!」
そのあまりに見苦しい様子は、ラマロン皇国軍の信頼を、さらに失墜させたのだった。