第百二十九話 撤退戦は精神戦
「・・・ラマロン軍が撤退を始めましたね」
マップで確認していると、対岸のラマロン軍が少しずつ移動しているのが分かる。
「まさか・・・?」
ラファイエンスとクノゲンも目を凝らして対岸を見ている。いくつかの篝火は見えるものの、兵士が引き上げている気配は感じられない。
「急いでライッセン殿のとこに向かおう」
俺たちはクノゲンに後の処理を任せて、帝国軍の本部に向かう。
「何?敵が撤退を始めただと?」
ちょうど夕食を食べようとしていた南方軍軍団長のライッセンは、料理の乗った皿を持ったまま立ち上がった。
「ええ、おそらくは、ですが」
「いや、そのような未確認の情報を鵜吞みにするわけにはいかん」
「仰る通りです。一度、斥候などを出して確認いただけませんか?」
「・・・よかろう」
斥候が戻るまでに時間がかかるとのことで、ライッセンは俺たちに夕食を出してくれた。メニューは、パンとスープ、そして、何かの肉を焼いたものと豆を煮たものだった。
「我が部隊の料理番が腕によりをかけて作った料理だ。味わって食べるといい。それに、酒もある。飲んでくれい」
ライッセンはドヤ顔ですすめてくる。俺と老将軍は無言で料理を食べる。正直、あまり美味しくない。
「しかし、今日の勝利は痛快だった」
酒を飲みながらライッセンはご満悦の表情を浮かべている。
「侯爵殿も見事だったが、帝国軍の迅速な撤退も見事だった。あれで敵の左翼が動いてくれた。そいつらを一網打尽にしたのは・・・実に痛快だ!」
「さすがはライッセン殿、と言うところかな」
ラファイエンスがニヤリと笑みを浮かべる。
「いやいや、ラファイエンス殿に比べれば私などまだまだヒヨッ子でありますぞ!」
いい加減、このオッサンの相手にも疲れてきたころ、斥候が戻ってきた。やはり、ラマロン軍は撤退していったらしい。
「ハハハ!まさか我らの声に恐れをなして逃げるとは。ラマロンは口ほどにもない奴らだな。よーし!追撃戦だ!幕僚たちを集めろ!」
「いや、待て」
ラファイエンスが押しとどめる。
「相手の一部は敗走したが、今は組織的に撤退をしているのだ。無暗に追撃しては取り返しのつかぬ痛打を被るぞ」
「何を気弱な!名将・ラファイエンスはどこに行ったのです!今が好機ではありませんか!」
「貴公は酔っている。そんな状態で指揮が執れるか」
「うるさい!南方軍軍団長は私だ!誰の命令も受けん!」
ライッセンはラファイエンスを押しのけるようにして歩き出す。
「おい、幕僚たちを集めろ!幕僚・・・」
その瞬間、ラファイエンスの手刀がライッセンの首筋に振り下ろされていた。
「・・・軍団長は酔いが回ったようだ。介抱して差し上げろ」
老将軍は伝令に告げ、俺を促してその場を離れた。
「・・・大丈夫なんですか、あれ?」
「なぁに、大丈夫だ。今追撃戦をすればかなりの被害が出る。考えてもみよ。土地勘のない敵国の中に攻め入るのだ。しかもこの夜に。敵はそれを読んで撤退しているだろう。そこに無暗に攻撃を仕掛けるのは自殺行為だ。この戦は、ラマロンの牽制が目的だ。皇国を侵略するのが目的ではない。無理な欲はかかぬ事だ」
そう言って俺たちは本陣を後にした。
ラファイエンスとクノゲンたちは、帝国軍の中で夜を明かすという。
「侯爵様はどうぞ、お屋敷にお帰り下さい」
「いや、何かある時は・・・」
「たぶん、大丈夫ですよ?何かあれば転移結界を使ってお屋敷に伺います」
「・・・わかった。ではクノゲンも使えるようにしておくからな」
そう言って俺は彼らが寝泊まりできる結界を張ってやり、その後、転移結界を張って屋敷に帰った。
屋敷に帰ると、すでに夕食は終わっており、皆、風呂に入るなどしているようだ。フェアリは少し眠たそうだったが、俺を見つけるとパタパタと飛んできた。彼女を抱っこしつつ、ゴンに今日の様子を聞く。特に大きな問題はなさそうだ。
フェアリをいつも寝ている籠の中に入れ、俺は離れに向かう。研究室にはメイがいた。サイリュースたちの支援のメドは立ってきており、今は必要な農具の開発に力を注いでいるという。これからも少し作業をするそうで、俺は、無理はしないように言い、そのまま二階に上がった。
ちょうどリコが手洗いから出てきたところだった。俺を見つけるなり抱きしめる。
「・・・どうした、リコ?」
「・・・おかえりなさいませ。どこもお怪我は?」
「ないよ。大丈夫だよ」
「夕食は?」
「ああ、帝国軍の本陣で出してくれたのを食べた。あまり美味しくなかったけどね」
「何か作りましょうか?」
「いや、いい。それよりも風呂に入りたい。一緒に入るか?」
「もちろんですわ」
やっとリコは俺から体を離してくれた。
風呂に入りながら二人で今日あったことを報告し合う。クノゲンたちの部隊を引き抜いてしまったので、クルムファルのことが心配だったが、杞憂のようだ。残ったクノゲンの部下たちが海人族などから応援を得ているようだが、元々治安がよいために、今のところは問題ないようだ。
そんな話をしていると、メイも風呂に入ってくる。三人で風呂に入りながら話をする。何より心が休まる時間だ。そして俺たちは仲良くベッドに入り、そのまま朝を迎えた。
早朝、夜が明ける前に起き出した俺は、戦場に再び転移する。ラファイエンス及びクノゲンの部隊は、交代で番をしながら俺の張った結界の中で休んでいるようだった。俺は焚火の所に行き、無限収納から炊き出し用に拵えてまだ余っている、ぜんざい入りの寸胴を二つ出し、それを火にかけてコトコトと煮はじめた。
火が通り、美味しそうな匂いが漂う頃、クノゲンとラファイエンスが起き出してきた。
「いい匂いがするな」
「これはリノス様特製のぜんざいですな」
「ああ、よかったら食べてくれ」
「いや、ありがたい。疲れると甘いものが欲しくなりますからなー」
「いや、これは何とも・・・美味いな」
皆でぜんざいを食べているところに、本陣から伝令がやってきた。
「ラファイエンス将軍、バーサーム名誉侯爵、至急本陣までお越しいただきたいとのことであります!」
「わかった」
「ああ~また山を登るのか。老体にはキツイな」
そんなことを言い合いながら俺たちは帝国南方軍本陣のテントに着いた。中に入ると幕僚たちが揃っている。
「・・・昨日、敵に追撃をかけようと思ったところまでは覚えているが、それ以降の記憶がない。貴公ら、知らぬか?」
不機嫌そうな顔をしたライッセンが俺たちを睨む。
「ライッセン殿はかなり酒を飲まれていた。それは覚えておいでか?」
抜け抜けとラファイエンスが問いかける。
「酒は・・・飲んでいたが、酔ってはいなかった」
「そうであったか。いや、いきなり倒れられたので我々は驚いたのだ。何しろ仰向けにひっくり返ったのだ。リノス殿に回復魔法をかけていただいたのだが、その様子では大したことはなかったようだな」
「それでは、この首の痛みが・・・」
「うむ。倒れた時に打ち付けたのであろうな。な、リノス殿、あの時は焦ったな?」
「そ・・・そうですね」
老将軍はライッセンにわからないように舌を出し、首をすくめて笑ってみせた。
「・・・まあ、いい。諸侯に集まってもらったのは他でもない。中央にラマロン軍がいるが、どうやら昨夜、大半のラマロン軍は撤退したようだ。その対応について意見を聞きたい」
幕僚たちは追撃するべきという意見と、ラマロン軍の撤退を見届けてからこちらも撤退するべきだと言う二つの意見に割れた。その時、伝令が本陣に飛び込んできた。
「申し上げます!ラマロン軍が森から出てきました。河原に軍を展開しています!」
外に出て見ると、数千のラマロン軍が、河原にびっしりと展開している様子が見えた。
そして、一騎の騎兵が川の中に入ってくる。
「我らはこれより修羅に入る!敵と会えば敵を斬り!親と会えば親を斬る!雑魚にかまうな!狙うは、大将の首だ!」
山々にこだまするほどの大音声を騎兵は上げている。それに呼応するかのように、兵たちも声を上げる。一糸乱れぬ、揃った返事だ。
「敵を倒せ!」 「倒せ!」
「敵を殺せ!」 「殺せ!」
騎士の声を合図に、兵士が言葉を繰り返す。そんなことを繰り返している。
「・・・小癪な。いいだろう。帝国軍の恐ろしさを見せてやる」
「いや、退きましょう。ライッセン様」
「何ぃ?」
「あれはおそらく味方が撤退するまでの時間稼ぎです。しかもあれは決死隊です。あれに討ってかかると帝国軍は甚大な被害を受けます。今、あの騎士と雌雄を決することが帝国にとって適当とは思えません。ここは逆に余裕を見せて悠然と撤退しましょう」
「私もリノス殿の意見に賛成だ。我々はラマロンに侵攻することが目的ではない。あくまで牽制だ。その目的は達せられたのだ。勝者は我らだ。悠々と退けばよいのだ」
幕僚たちの多くもラファイエンスの言葉にうなずいている。ライッセンはしばらく目をつぶって考えていたが、やがてあきらめたように、
「まあ、ラマロンには甚大な被害を与えたしな。戦果は十分作った。我々はここで退こう。撤退の準備を!」
その言葉を待ちかねたように、幕僚たちは迅速に動き出した。
「・・・アーモンド軍団長、敵は仕掛けてきませんね」
副団長のシーバが呟く。アーモンドはヒーデータ軍を睨みつけたまま微動だにしない。
「軍団長、あれを!敵が・・・退き始めました!」
ヒーデータ帝国の大軍団が撤退を開始している。しばらくその様子をうかがっていたが、どうやら敵は挑発に乗る気はないようだ。
「・・・また、命をつないでしまったな。・・・よし、我々も皇都に引き上げよう」
アーモンドは馬を皇国に向けた。そして、決死隊5000名もその後に続いて進み始めた。
ふとアーモンドはジュカの国境に目をやった。一体大魔王は何であったのか。果たして本当に復活したのだろうか。そんなことを考えながら馬を進めていると、対岸に白馬に跨る冒険者風の男とそれに従う冒険者たち。そして、近衛騎兵のような見事な鎧兜を装備した騎兵たちがジュカに向かって引き上げていくのが見えた。
ふと、白馬の冒険者風の男と目が合った気がした。自分よりもはるかに若そうに見える。しかしこの男は危険であるとアーモンドの本能は告げていた。
「いずれの日にか、雌雄を決する相手・・・か」
そんなことを呟きつつ、彼らは皇都に向けて歩を速めた。




