第千百二十四話 大上王がやって来たゾ!
そしてひと月後、大上王はアガルタにあるシディーの研究所を訪れた。そこにはメイと秘書のセルロイトも従い、なぜか、メインティア王も従っていた。
シディーはいつもの作業服姿で大上王を出迎えた。もう少し小ぎれいな格好をした方がいいんじゃないかという俺やリコの勧めを頑として拒否して、この格好を選んでいた。確かに、大上王から不測の質問が出て、今ここで実験をやってみろと言われると、こぎれいな格好ではそれができない。そんなことも想定してのこの格好なのだろうなと解釈している。
大上王は、地下に作られた施設を手放しに誉めた。壁を叩き、引っ搔いて、これほどの強い錬成は初めて見たと感嘆の声を上げ、俺に不気味な笑みを浮かべた。彼には一部は土魔法が使える魔法使いに頼んで穴を掘ってもらったが、基本的にはドワーフたちが人海戦術で穴を掘り進め、壁の強化には、シディーが部屋を吹っ飛ばした際に発見した物質――リアスコンと名付けた――を使っていると説明していて、彼はそれを完全に信じているようだった。ただ、俺の能力を知っているバカ殿は、父親の後ろで必死に笑いをかみ殺していた。
いよいよ、ハウオウロの実験施設に向かう。シディーの背中が少し、緊張しているように見える。二日前の報告では、実験の結果は安定していて、こちらが望むような結果が出ているという報告をもらっていたが、やはり、何を言い出すのかがわからないジイさんを前にすると、不安が先立つのだろう。その気持ちは、わかる。
「……」
部屋に入ると、思わず絶句してしまった。そこは俺が作ったときとは景色が一変していたからだ。
壁全体にチューブが設置され、かなり大きな機械が一つ置かれている。長い円筒形のそれが、部屋の半分を占めている。俺たち全員が部屋に入るのは無理そうだ。仕方なく、俺とメインティア王は外で待つことにした。
扉は開け放たれているので、中でどういう会話が交わされているのかは聞くことができた。さすがにバカ殿はここでは大人しかった。喋ればすぐに親父の大カミナリ落ちてくるのは火を見るよりも明らかだからだろう。
ややあって、シディーが話し出す。どうやら、円筒状になっている機械に、ハウオウロが詰め込まれているらしい。
「こちらの水槽には、ニザ公国で採取しました、未処理の水が入っております。この機械には、ハウオウロを円筒型にした、ゼリー状のものが詰まっております。こちらに水を流すと、この中で人体に害のある物質を除去しまして、こちらの水槽にきれいな水が出る仕組みとなっております」
シディーはそう言って水の入っている水槽のレバーを引くと、ガタンという音とともに水が勢いよく流れる音がした。そうしてそのまま、しばらく沈黙の時間が流れた。
一体どうなっているのだと、メインティア王と顔を見合わせる。その様子に気づいたメイが俺たちのところにやってきて、どうぞご覧下さいと言ってくれる。俺は中に入ろうとしたが、バカ殿は手を振って断った。本当に、親父が苦手なのだな。
見ると、水の出口のところから、水が一滴一滴と滴り落ちている。なるほど、長い時間をかけて水をチューブに通して人体に害をなす物質を吸着させているので、こんな感じになるのかと解釈する。ただ、除去された水が溜まりきるには、まだまだ時間がかかりそうだ。このままでは日が暮れてしまう。
俺の考えを察知したのか。シディーがビーカーのようなガラス器具に入った水を持ってきた。
「これが、処理された水になります」
「ふむ」
大上王はそれを受け取ると、容器を光にかざしてみたり、そこに鼻を近づけて臭いをかいだりした。
「これは、飲んでも大事ないかな」
「……問題、ありません」
シディーが口ごもった。ここは突っ込まれるんじゃないかと思ったそのとき、大上王はグラスを何のためらいもなく自分の口元に持って行き、それを口に含んだ。
まるでワインを嗜むようにして彼はむにゃむにゃと口を動かし、そうしておいて、それをごくりと飲み干した。
「……うむ。水、じゃな」
ジイさん大丈夫か。腹をこわすんじゃないかと思ったが、メイもシディーも特に表情に変わりはないので、これでよしと思うことにする。
「これは、飲んでも大事無いかな」
大上王は機械を指さしている。そこには、処理された水がうっすらと溜まっている容器があった。
「データ上では問題ありませんが、一応、殺菌処理を施したほうがよろしいかと思います」
大上王はメイに視線を向けた。彼女はシディーの意見に同意するように、大きく頷いた。メインティア王も頷いている。それは、完全に悪意があるだろうと心の中でつぶやく。その後ろにいるセルロイトは……相変わらず無表情だ。
「では、いま、殺菌処理をしてもらおうか」
大上王が口を開く。いま、あの水を、ここで飲むんかい、と心の中でツッコミを入れる。
彼の振る舞いは正直言って俺の予想外のものばかりだった。てっきり実験データを確認して、いろいろとイチャモンを付けるものだとばかり思っていたが、そうしたデータの類は一切確認しないばかりか、機械すらも確認しない。いや、これはそうして俺たちを油断させておいて、最後にまとめて質問をぶつけてくるのかもしれない。ここは、気を抜いてはならない。
そんなことを考えているうちに、シディーはたまった水を取り出し、それを網でこし始めた。それを繰り返すこと数回。そうしておいて彼女はその水に白い粉を一つまみ入れた。すぐにそれは溶けてなくなる。
カラカラと棒で水を掻きまわす音が聞こえる。彼女は無造作にグラスを大上王に差し出す。彼は先ほどと同様、グラスを光にかざし、臭いをかぐ。そんなことでわかるのかという俺の疑問など知ったことではないとばかりに、大上王は悠々とそれを口元に持って行き、口に含んだ。
ややあって彼はそれを飲み干し、ゆっくりと息を吐いた。
「水、じゃな」
彼はそう言うと俺たちを見回した。
「この円筒形の中には、どれほどのハウオウロが詰まっているのだ?」
不意に大上王が質問する。シディーの顔が強張る。
「約、二キログラムです」
「二キロか。それを、ここに詰めておるのじゃな」
「左様です」
「ふむ……」
大上王はそう言って天を仰いだ。何とも言えぬ嫌な静寂が訪れる。
「これだけの距離しかないから、ハウオウロを詰めねばならないのだな。ということは、この距離を長くして、ハウオウロを内部に塗って、水を循環させれば、水の処理は早くなるな」
大上王は誰に言うともなく呟く。彼は振り返ると、外に控えていたメイに向かって、
「メイリアス殿、その距離を計算しましょうぞ」
そう言って彼は足早に部屋を後にしていった。その後ろをメイとセルロイトが追っていった。二人は何やら話をしているが、声の様子からは悪い話ではないというのは伝わってきた。
「はぁぁぁぁ」
シディーが安心したように息を吐く。俺はお疲れさまと言いながら彼女をねぎらう。
「ところでシディー。あの水、飲んでも影響はないのか?」
「たぶん」
「たぶん……って……」
「さすがに私も飲んだことはないから。ただ、直感的に、あの人は大丈夫だと思う」
「父は、胃腸が丈夫だからね。多少の毒では効かないねクックック」
メインティア王が笑っている。シディーはヤレヤレと言った表情で工房に戻りますと言って歩き出した。俺もメインティア王も彼女の後ろについて歩く。
「それにしても、久しぶりにあのセルロイトという女性を見たけれど、相変わらずいいね。手を出すと抜け出せなくなると言っていたけれど、それでも、閨を共にしたいね」
「アホか。やめなさいよそんなこと」
俺たちの話が聞こえたのか、シディーが振り返って口を開いた。
「やめなさいよ。どうしてここでそんな話になるわけ?」
「これは、失礼しました。どうしてだろうね。私にも……わからないよ」
「水だけに、エッチが入っているからかな」
二人は、不思議そうな表情を浮かべた。




