第千百十七話 恥ずかしい思いをしたゾ
大上王は一瞬、キョトンとした表情を浮かべたかと思うと、ゆっくりと腕組んで天を仰いだ。何だ、一体どうしたんだ?
口元が小さく動いている。ブツブツとヨウシ、ヨウシと小さな声でつぶやいている。先ほどの俺のシャレを反芻しているようだ。いや、これ、ちょっと恥ずかしいな。もしかして、意味が伝わっていなかったか? それはそれで相当に恥ずかしいのだけれど。
きっとメイならば、ウフフとかわいらしい笑顔を浮かべてくれるはずなのだ。そう考えると、俺は彼女に随分と救われてきたのだというのが改めてわかる。いや、メイと結婚して本当によかった。ここから生きて出られたら、お礼を言おう。いや、出れたら、じゃねぇ! 俺は、メイたちの許に帰るんだ!
「帰るぞ!」
「ああん?」
「あっ、いや、まあ、何と言いましょうか」
思わず口に出てしまった。大上王が驚いた表情を浮かべている。思考を遮られたのが気に障ったらしい。明らかに不満を湛えた表情だ。
「確かに、わが国の紙は、よい用紙である。メイリアス殿は容姿がよろしい。確かに、発音はようし、で同じだが、意味が異なっている。そなたが関係がある、と申していたのは、そういうことか?」
……改めて聞くんじゃねぇよ。恥ずかしいじゃないか。俺は思わず顔をそらせた。
「ま、まあ、そういうこと、です。ど、どうして、そのようなことを、とお思いになるでしょうが、これは、いや、こうした、言葉遊びは、妻のメイがとても好きでして……。妻のためにですね、妻を喜ばせる、いや、妻を喜ばせたい、その一点の思いで、私は日ごろからこのようなことを考えているのです。それが、思わず口をついて出てしまいました。いや、お許しください」
そう言って胸を張ってみたが、果たしてこれは胸を張っていいことなのだろうかという疑問が沸き上がる。ダジャレを言ったオッサンが、どうだ、上手いだろうとドヤ顔をしているイタい姿になっていないだろうか。いや、どうも、そんな気がしてならない……。
「ムムッ。メイリアス殿が、か。確かに、メイリアス殿は言葉の選択が実に的を射ている。儂はな、常々思っておったのじゃ。一つの言葉、一つの表現で多くの意味を持たせることは、高い知性の証明になる、と」
……おお、なんか納得してくれたぞ。とりあえず、頷いておくことにする。
「だが、それとこれとは話が別ではないのか」
「まずは、大上王様にあらせられては、ご子息、ご家来の処刑をおとどまりいただきたいと存じます。それが、我が妻、メイリアスの断っての願いです。少なくとも、妻の研究がある程度の結果が出るまでは、とどまっていただきたいのです。いま、彼女が為そうとしていることは、世界中の人々を救うことにつながる事柄です。もしそれが成功した場合、研究の機会を作ってくれたメインティア王様が処刑されていた、などということは、あってはならぬことであると考えます。そうなった場合、貴国、フラディメ王国の体面に傷がつくものと愚考します。何より、大上王様のお孫様に当たります、オンサール皇太子は、我が子ピアトリスの許嫁であります。そうなった場合、彼女の婚儀にも差しさわりが出て参りましょう。まずは、研究の結果をお待ちいただきたく、それが俺の願いであります」
一体何を言っているんだろうと思いながら喋っていた。だが、大上王はピクピクと顔をこわばらせていたが、やがて、わかった、と一言呟いた。彼は大きなため息をつくと、メイリアス殿によろしくお伝えくだされ、と言って、すぐ近くにあったドアの扉を開けて、部屋を去っていった。
「……助かった、のか?」
俺はそんなことを言いながら、その場に片膝をついた。
しばらくして部屋から出ると、パターソンが兵士たちに槍で拘束されていた。衣服が乱れているところを見ると、ああ、別にあの部屋から逃げ出したわけではなく、無理矢理連れ出されたのだなというのがわかって、ちょっとホッとした。コイツはいい奴だと思っていたが、その通りの奴だったようだ。目に涙をいっぱいにためている。
俺は兵士たちに、とりあえず大上王に処刑は思いとどまるように言い、彼もそれを納得してくれたと言って、拘束を解くように命じた。パターソンには、もし何かあればすぐに知らせてくれと言うと、彼はその場で泣き崩れた。
何だかんだと時間を取られてしまい、ようやく屋敷に戻ってきたのは、すでに夕刻になっていた。帰るとすぐに食事が始まってしまい、メイとシディーに研究の進捗を聞くことはできなかった。彼女らも食卓を囲みながらその話題を出すことはなく、俺は少し不安になった。あの研究、どうなりました? と聞いて、イヤ全然、箸にも棒にもかかりませんでした、などと言われてしまっては、俺の立つ瀬はなくなる。いや、そうなった場合は、メイを説得して、何とかあのジイさんを宥めてもらうしかない。そのときは……。リコも一緒に行ってもらおうか。二人なら、リコとメイなら、何とかあのジイさんを説得できるんじゃないか。いや、だが、どうしてあなたのついた嘘を、私たちが肩代わりしなければならないのですか、などと言われてしまったらどうしよう。嘘をついたリノスが悪いのですわと言われてしまっては、進退が極まる。
そんなことを考えていたら、料理の味がわからなくなってしまった。ただ、美味しかったのは、美味しかった。
そういえば、今日はメイとの日だ。なんていいタイミングたと思いつつ、風呂に入って、寝室で待つ。しばらくすると、メイが入ってきた。
「あのさ……メイちゃん」
「はい?」
「よかったら、教えてほしいのですけれど、あの、研究は、どうなっていますか」
「あの研究? 何のことでしょうか?」
「あの、ハウオウロの件です」
「ああ。いま、準備中です。シディーちゃんとのスケジュールの調整をしています」
「その、結果が出るのは、いつ頃、でしょうか」
「いえ、別に、特に決めてはいませんが……」
「それ、申し訳ないけれど、早めにお願いできないかな」
「はい……。ただ、それは、シディーちゃんとの兼ね合いもありますので、私一人が決められることではありませんから……。ちょっと待ってください」
メイはそう言うと、ベッドを下りて寝室を出て行ってしまった。
てっきり俺は、シディーのところに行って日程の打ち合わせをするものだと思っていたが、何と彼女はシディーを伴って寝室に戻ってきた。シディーはベッドにいる俺を見て、露骨にいやそうな表情を浮かべた。
「さ、シディーちゃん」
メイはそう言いながら、俺の隣に入ってきた。シディーの顔がさらに慄いたものに変わっている。そんな彼女にメイは手招きをしている。
「ちょっと……何をする気? 私……そんなの、イヤだ」
……一体何を想像しているのか。俺がそんなことを好む男だと思っているのだろうか。だとしたら、ちょっと情けないし、恥ずかしい。
「違う違う。シディーが想像しているようなことじゃない。ちょっと、打ち合わせをしたいだけだ」
「打ち合わせって……何も、ここですることないじゃない」
まあね、と俺は心の中でつぶやく。この寝室に置かれているベッドはかなり広い。三人くらいは悠々寝ることができる。ただ、ベッドしかない。クローゼットの類はあるが、たいていは俺の服だ。傍には小さなテーブルしかない。結果的にシディーは立ったままか、ベッドに腰掛けるという選択肢しかない。ただ、彼女にはベッドに腰を掛けて、というのに大いに抵抗があるようだ。
「いや、ハウオウロの研究について、お願いがあるんだ。できたら、その研究、早めに着手して、早めに結果を出してほしいんだ」
「え? 何て?」
シディーはけげんな表情を浮かべたまま、ようやく俺たちの許に近づいてきた……。




