第千百十六話 ウソついたゾ!
部屋の扉が静かに閉じられた。ちょっと待てと慌てて振り返ったが、そこには誰もいなかった。パターソンの姿も見えない。あの野郎、逃げやがったのか。ということは、この部屋には大上王と俺の二人だけとなる。いや、マジで勘弁してくれ……。
「何を、しに、きた」
ドスの効いた大上王の声が聞こえてきて、思わず振り返る。彼は傍らにあった剣を手に取り、ゆっくりとこちらに向かってきていた。
眼が血走っているだけでなく、相貌が蒼白になっている。これは……何か、命に係わる重大な決断をした顔だ。もちろん、いい意味ではなく、悪い意味でだ。
ジイさんは鋭い目つきで俺を睨みながらゆっくりと近づいてくる。あまりの迫力に恐怖を感じた俺は、ゆっくりと後ずさりをする。
「しっ、しばらく……しばらく、お待ち、ください……。はっ、はっ、はっ、話せば、わかります」
「何を話すというのだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
部屋の壁がビリビリと震えるほどの大音声で、思わず耳をふさぐ。大上王はなおも喋り散らしているが、耳がキーンとして何を言っているのかわからない。……一応、それなりの結界を張っているのだが、まったく意味をなしていない。このジイさんのバカでかい声を遮る効果を付与しなければならなかった自分を、大いに悔いた。
だが、悔いたところでジイさんは止まらない。何やら大声で喚き散らしながらこちらに向かってくる。しかも、傍らには剣を携えている。これは、下手をすれば斬られかねない状況だ。まあ、それを防御する効果を結界に付与しているので、傷を負うことはないだろう。しかし、心に大きな傷を負う可能性は大いにある。さすがの俺も、心を防御する結界を張ることはできない。今後の課題、といきたいところだが、まあ、無理だろう。
そんなことを考えながら、ジイさんと距離とをる。メイを連れてくればよかったと心から後悔したが、今はそれを悔やんでいる状況ではない。
「お気持ちはわかります。痛いほどよくわかります。その通り、お怒りいちいちごもっとも。まさに、まさに、その通りでございます。返す言葉もございません」
思わず前世の頃に世話になった、上司の口調が口をついて出た。そう、大きなヘマをやらかしたときに相手の会社に謝罪に行った際、担当者が席を蹴らんばかりに激ギレしたのだ。そのときの口調がこんな感じだった。そのとき、相手は意外に落ち着いたのだ。さて、大上王はというと……。おお、動きが止まっている。
彼はハアハアと肩で息をしながら、相変わらず血走った目で俺を睨みつけている。メチャクチャ恐ろしいが、この部屋を出るには、このジイさんを何とか説得しなければならない。そうでなければ、この罵声をずっと浴び続けることになるし、そうなったらそうなったで、きっと俺の心が崩壊するのは目に見えている。腹をくくるしか、ない。
「急を聞いて駆けつけました。お国で、重大な事案が発生したと伺いました。何か、俺たちで手助けできることがあればと思い、参りました」
「必要ない」
「妻のメイも、力になりたい、と申しております」
……俺は息をするように嘘を言った。メイはそんなことは言っていないが、たぶん、彼女ならそう言うと思ったのだ。いや、メイならきっとそういうはずだ。大上王を見ると、何やらうぐぐと言いたげな表情になっている。これは、チャンスかもしれない。
「この国の……」
「メイリアス殿に、無用であると、お伝えくだされ」
「え?」
「これは、わが国の、愚息の失政である。それを、メイリアス殿に、背負わせるわけには、いかぬ」
「いや、別に……」
「この問題は、わが国の問題である。メイリアス殿の力を借りるに及ばぬ。我が国で十分に解決できる問題であるからして、ご心配には及ばぬ、とお伝えくだされ。いずれ、近いうちに、報告に伺う、と」
「……そ、その点は、承知しました。ただ、ただですね、メイが、妻が心配しておりますのは、この国で、フラディメで、多くの人の血が流れるのでは、という点です。彼女は、血が流れることをよしとしておりません。むしろ、人の血が流れることを極端に嫌います。彼女が医術を習得したのも、人を救いたいという思いが強かったからです。もし、もしも、そのような状況であれば、彼女はその身を挺して、大上王さまをおとどめ申すことでしょう」
「何と……。だが、メイリアス殿が医術を習得したのは確か、ポーセハイに無理矢理習得させられたと聞いたが、あれは……」
「そ、そうでしたっけ? まあ、そういう話も、あるにはあるのですけれど、ええ、そうです。そうそう。最初は、最初は、ポーセハイに無理矢理習得させられていました。ええ。毒を作らされていましたからね。それは彼女の心の傷として未だに、未だに残っております。何とも、悲しいことでして、何とも言葉がございません。ただ、ただですね、メイ曰く、メイ曰くは、そうした薬の知識を得ていくたびに、医術の知識が増えるにしたがって、これは、人が救えるのでは、人が救えるじゃないか、という考えに至り、それ以降は、必死でその知識を習得したと聞いております」
「ううむ。その通りじゃ。さすがはメイリアス殿」
……背中から変な汗がさっきから止まらない。これは、うまくいっているのか? よくわからないが、もう引き返すことはできないので、このまま突き進むしかない。
「先ほど、パターソンから聞きました。ご子息は、メインティア王様は、処刑、される、と?」
「今回の失政は、為政者の死をもって罪を償わねばならぬ」
「おっ、お気持ちは、よく、わかります。ただ……」
「我が国にとってぇ! ため池わぁ! 民の暮らしを守るぅ! 重要な水がめであるぅ! それをぉ! 壊滅させるようなことをしでかしたあの馬鹿者をぉ! 許すことなどぉ! できるわけはなかろうがぁ!」
……ウルセェ。どこからこんな声が出せるんだ。俺は思わず耳をふさぐ。
「ち、ちょっと、ちょっと待ってください……。あのですね、メインティア王様は、別に、ため池を壊滅させようという意思は、ないと……」
「何だと?」
「確かに、確かに、ええと……フラン草でしたっけ? その草を刈りつくしてしまったのは事実です。その草から上質の紙を作り、自分の絵を描くために使ってしまった、これも事実でしょう」
「でしょう、ではない。事実だ、だから儂は……」
「いや、お待ちください。その草を刈ってしまったから、ハウオウロが発生してしまった。それがため池の水質を汚染することにつながる。ええ、メインティア王はそれをわかっていてやったのです。それは、それは、俺、いや、妻のメイの要請によるものだったのです」
「メイリアス殿の!? バカな!」
「これはちょっとした手違いもありしたので、これは、俺の方からお詫びをしなければなりません。ただ、ただですね、そのハウオウロは、ご存じの通り、いろいろなものを吸着する作用がある。そうですよね? で、でですね。その吸着する効果が実は、ニザ公国で問題になっている、鉱物を洗浄した際に発生する水の汚れ、これを改善させる可能性があることがわかりました。ハウオウロの特性を利用して、水の汚れだけを取り除く、そして、水をきれいにして川に返す。それが可能である可能性がわかったのです」
「な……なんだと? ハウオウロで、吸着……。鉱物の……。確かに、鉱山で使う水は、汚染される……。ニザが甚大な被害を受けたことは儂も知っている。それを? ハウオウロで……。何とそれは、新発見ではないか! なぜ、儂に黙っていたのだ!」
「けっ、研究段階で……。その、ある程度、結論が出れば、大上王さまに協力を……」
「ううむ。しかし待て! ハウオウロを研究に使うのはわかる。だが、フラン草を刈って大量に紙を作る必要はなかろう。紙とメイリアス殿は全く関係がないではないか!」
「いっ、いや……関係なくは、ないのでは……」
「どういうことだ!」
「どちらも、用紙(容姿)がよろしいかと……」




