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結界師への転生  作者: 片岡直太郎
間 話 創作料理
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第千百七話 上納命令

背筋が寒くなった。この主人がこんなに猫なで声を出すときは、ロクでもないことが起こるのだ。サンディーユは戦慄しながら彼女と向き直る。ただ、ここで弱みを見せてはいけない。どこまでも付け込まれることになるからだ。そんなことを考えながら彼は全力で平静を装う。


「美味いものを、食しておるようじゃの」


「ムウッ!」


思わず声が出た。まさか、リノスから納められた供物――みそでんがくを知っているのか。一瞬動揺したものの、この主人は昔から塩辛いものは好まない。何もあわてる必要はないと自分に言い聞かせる。


「ハハッ。リノス殿より某も、いろいろといただいておりますれば……。あの者の作る供物は、実に酒に合うので、困っておりまする」


「困っておる、か」


「はい。塩辛いものを食しますと、ついつい酒が進みますれば」


サンディーユは塩辛いという言葉に力を込めた。だが、おひいさまは相変わらず機嫌のよさそうな雰囲気を醸し出している。


「ずいぶん、気に入っておるようじゃの」


「気に入る、と申すと何でございますが……」


「昨日は美味い美味いと何度も吠えておった」


「はっ!」


まさかこの儂の屋敷を神通力で覗いたというのか。そうならないように結界を張っているのだが、この主人はそれを掻い潜ったというのか。よしんば掻い潜ったとしても、術者にはそれがわかる。そうした気配は一切感じなかった。ということは、この主人は本気を出して我が屋敷を覗きに来たということだ。


……何に力を使っておいでなのか。


彼は呆れ果てていた。それだけの力をどうして眷属たちに使わないのか。民衆のために使わないのか。それだけの力があれば、この世界で企まれている悪事を見つけることは容易だろう。なぜ、そういうことに使わないのか。サンディーユはムラムラと怒りが込み上げてきた。ここはひとつ、諫言申し上げねばと思った瞬間、おひいさまが口を開いた。


「その、みそでんがく、とやら。妾に献上しぃや」


「はぁん?」


思わず変な声が出た。おひいさまからは何やら怪しげな雰囲気が醸し出されている。


「リノスよりそなたに献上された、みそでんがく。妾も食してみとうなった。持ってまいれ」


「おっ、恐れながらおひいさま」


「持って参れと申すにっ!」


「お待ちくださいませ。確かにあの、みそでんがくは美味いものにございました。ただ、あれは塩辛く、少し酸っぱさもございます。あれは年寄りの好む食材でございまして、おひいさまのお口には合わぬかと存じます」


「合う、合わぬは妾が決めることじゃ」


「いいえ、なりません。ああしたものは年寄りや男が食すものでございます。おひいさまのお口に差し上げるわけにはまいりません」


「そなたは……」


「恐れながら、サンディーユ様」


ふと見ると、いつの間にか侍女の千枝と左枝がおひいさまの傍に侍っていた。この儂の目を掻い潜るとは、この者たちも油断がならぬと思いつつ、彼は彼女らの言葉に耳を傾ける。


「おひいさまにあらせられましては、朝昼夕のお膳の見直しをなされようとしておいでなのでございます」


「膳の見直し、とな」


「はい。リノス殿の奥方、メイリアス殿のお勧めで、甘いものを少し減らそうとお決めになったのでございます」


「うむ。それはよい心がけじゃ。兼ねてから儂が申し上げていたことである。いや、おひいさま、よくぞご決断なされた。このサンディーユ、礼を申しますぞ」


「ただ、おひいさまにあらせられましては、口さみしいと仰せでございまして……。何か、甘いものに替わるものをお探しでございます。探す、と申しましても、ある程度、お体に触らぬものでなくてはなりませぬ」


「しからば、タンネン草がよかろう。あれは腹の中で膨れるによって、腹持ちもよかろう」


「ただし、美味しいもの、という条件がございます」


「ムウ……」


確かにタンネン草はほとんど味がしない。だが、あれは確かに腹は膨れるのだ。どこにでも生えているし、この屋敷の周りにもたくさん生えている。食べ物がないときに非常に重宝する草なのだ。あれを食していただければ、以前のように丸々と太るようなことはなくなるのだ。


「それでは、リノス殿にお願いをして、タンネン草を美味しく料理していただいてはどうか」


「それはならぬ」


「なぜでございます、おひいさま」


「リノスには妾の供物について色々と願いを聞いてもらっておる。これ以上の願い事は迷惑というものじゃ」


……一体どの口がそれを言うのだ、という言葉を飲み込む。


「妾とても、方々探しておったのじゃが、なかなか見つからぬ。そんなところへ、そなたの美味い美味いという絶叫にも似た言葉が聞こえてきた。そなたがそれほどまでに言うのは珍しいことじゃによって、妾が味を見てやろうということじゃ」


……しまった、声が大きすぎたか。とは思ったものの、あの程度の声量で周囲に聞こえるわけはない。まさか、それなりに距離の離れているこの屋敷まで自分の声が届くわけはない。サンディーユは訝りながら口を開く。


「某の屋敷を覗いておられましたな? 一体何用あってそのようなことを」


「リノスがな。そなたの屋敷に新作を届けたと言っておった。割と自信作だ、とも言っておった」


……余計なことを、と老弧は舌打ちをする。そこに左枝が口を開く。


「聞けば、そのみそでんがく、という供物は、豆でできたものであると聞き及びます。豆であればおひいさまの体に障ることもないと存じます。サンディーユ様、ここはひとつ、おひいさまのお体のために、みそでんがくをおわけいただきませんでしょうか」


「ハア、読めたぞ。そなたら、おひいさまと一緒に儂の屋敷を覗いておったな! それで、儂の様子を見て、これは美味そうじゃと思ったのであろうがな。千枝、左枝、そなたらは酒も嗜む。リノスの供物を欲しておるのは、むしろそなたらじゃな! そなたらが、おひいさまを唆したのであろうがな!」


「ハテ、なんのことであろうか。私どもにはわかりかねます」


「そのような不埒な頼み事、聞き入れるわけにはいかぬぞ!」


「サンディーユ」


「ははっ」


「これは、妾の命令であるぞよ。千枝、左枝は関係のないこと。それが聞けぬとあれば、そなたを妾の眷属から追放いたす」


「な……何と」


ムチャクチャだ、と心の中で叫ぶ。一体いつからこのような浅ましいお方になり果てたのか……サンディーユは愕然とした。だがそのときふと、頭の中に一つのアイデアが浮かんだ。


「よろしい、そこまで言われるのであれば、お分け申す。ただ、みそでんがくを食すには、少しコツがいりまする。それでもよろしゅうございますか」


「一向にかまわぬ。そのコツとやらを申せ」


「ははっ。みそでんがく、はそれだけでは食べられませぬ。長方形のモノでございますが、それは一旦蒸さねばなりませぬ」


「蒸す……。ほう、それで」


「ハッ、それだけでございます。某は、食べよいように蒸し終わった後は、丸くして食べております」


「あいわかった。そのようにしようぞ」


「早速、お持ちしますれば、某はこれにて」


「ああいや、それには及ばぬ。千枝、左枝。そなたら、取りに行きゃ」


「畏まりました」


「準備もあるので、そなたらは、しばらくしてから我が屋敷に来るのじゃ」


サンディーユはそう言っておひいさまの許を辞した。


屋敷に帰ると、ドッと疲れが出た。冷や汗に似た汗も出てきた。それほど彼は全神経を集中しておひいさまとのコトに当たったのであった。彼女の神通力をもってすれば、彼の心の中を見透かすなど朝飯前のことだ。だが、彼とても長年の修行のおかげで、それを悟られぬようにすることができるようになっていた。ただそれでも、彼女の能力を謀るためには、相当の精神力を必要としたのだった。


しばらくして千枝、左枝がやって来た。彼は二人にみそでんがくを渡すと、くれぐれも長めに蒸すようにと付け加えた。


それ以降、おひいさまからみそでんがくを持って来い、とは言われなくなった。サンディーユは安心して、この食材を酒とともに楽しむことができるようになったのだった……。

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