第千百五話 軍事顧問
結果的にホロラド王国に対する処罰は、リノスの提案した通り、アガルタ・ラマロン両国から軍事顧問を派遣することで、その落着を見た。ラマロン皇国総司令官のアーモンドは、損害を受けたエリオの三の城壁を修理させるべきであると主張したが、それはそれで、エリオ防衛の障害になる可能性があるとのマトカルの指摘で、沙汰止みとなった。
そのホロラドに軍事顧問として赴いたのは、ラマロンからはフモリというアーモンドの副官と、アガルタからは、メイジュという女性の軍人であった。
フモリはいかにも軍人という風貌で、顔に大きな傷のある大柄な男だった。対して、メイジュという女性は、小柄で小太りであるが、いかにも愛嬌のある愛くるしい目が特徴的な女性であった。一見すると軍人には見えず、下手をすればどこかの家政婦と見間違うかのような風貌であった。
最初、フモリはこのメイジュと顔合わせをしたとき、アガルタがどうしてこの女性を推挙したのかがわからなかった。そして彼が出した結論は、アガルタはホロラドに対して手を出す気持ちはなく、あの国に関してはラマロンに一任するという姿勢であるということだった。このメイジュという女性はむしろ、副官というより、秘書として派遣されてきたのだろうと考えていた。
実際、フモリはこのメイジュを自身の秘書のように扱ったが、すぐにその立場は逆転した。事務的作業がほとんどできないフモリに対して、メイジュは恐ろしくそれが堪能であったからだ。
メイジュは暗算が得意であった。十桁の計算などもたちどころに答えを出してしまうという、驚くべき能力を持っていた。従って、予算を組むといった作業も得意であり、その能力と愛嬌で、彼女はすぐに国王他、ホロラド王国の宰相らから信頼を得た。
そうしておいて彼女は、ホロラドの軍人を法で縛ることを始めた。これまで王国では軍幹部は現役の武官でなければ就任することはできなかったが、彼女は退役した軍人や民間人でもそれが可能であるとした。とりわけ、総司令官には民間から登用された優秀な人材を充てることによって軍が暴走することを防ごうとしたのであった。彼女はアガルタだけでなく、諸国の法制にも通じており、その知識と見分の深さは、さらに国王らからの信頼を得ることに成功したのだった。
一方でフモリは、徐々に疎外されていった。会議の場に出ても発言はするものの、その根拠や論拠を尋ねられると答えることはできない。そうしたことを繰り返しているうちに彼は発言の機会すら与えられない状況に追い込まれた。
たまらず彼は本国のアーモンドに助けを求めた。自分はホロラド軍の再編にかかわりたいが、なかなかそれが上手くいっていない、と。彼はその原因を詳らかに書き記し、その対策として事務能力に優れた者を派遣してほしいと要請したのだった。
だが、待てど暮らせどアーモンドからの返信はなかった。彼は暗鬱たる気持ちになった。このままでは閑職に追いやられることは目に見えている。その前に職を辞そうか、そう考えていたそのとき、何とホロラド王国にマトカルが特使としてやってきた。ホロラド王のご機嫌伺いという名目であった。
彼女は国王に拝謁し、夫であるアガルタ王の書簡を手渡し、宰相らと会談を行うなど、通り一遍等の行程をこなした後、彼女は不意にフモリを別室に呼び出した。
彼は辞職勧告をされると思った。それならそれで構わない。本国に戻っても閑職に追いやられるだろうが、それも仕方がない。そう考えながら彼は指定された部屋に向かった。
狭い会議室にマトカルは一人で座っていた。促されるままにフモリは彼女の目の前の席に座る。
マトカルは何もしゃべらなかった。「氷の将軍」の異名をとる女性だ。さぞや冷たい目で自分を眺めているのだろうと思っていたが、意外に彼女は戦場で見るような冷酷な雰囲気ではなく、少し楽しそうな様子を見せていた。
彼女は無言のまま懐から一通の書簡を取り出して、フモリの前に差し出した。それを見た彼はギョッとした表情を浮かべた。それは、アーモンドに送った書簡だったからだ。
……裏切られたという感情が湧き出してきた。己が最も信頼する上官に対して訴えた心の苦しみを書いた書簡が、よりにもよって第三者の手に渡っている。一体これはどうしたことだろうか。それほど自分は総司令官殿から価値がない男だと思われていたのか。心の中で何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちていくような心境になっていた。
「貴様、見所があるな」
突然マトカルの声が聞こえてきて、我に返る。彼女の言った言葉の意味がわからなかった。見所がある、と聞こえた。一体どういうことだろうかと顔を上げてみると、マトカルは優し気な笑みを浮かべていた。
「この書簡を見る限り、アーモンドは貴様に、このホロラドに赴任するにあたり、その目的を教えていなかったのだな。不器用なあの男らしい。だが、さすがはアーモンドだ。ちゃんと人を見る目はあるようだ」
そう言って彼女はフフフと笑った。フモリは一体何が何やら訳がわからなかった。
「貴様は、現状を人のせいにせずに、自分事として捉えた。そして、その現状を打破するために、事務的スキルに秀でた者を寄こして欲しいとアーモンドに要請している。これは、なかなかできることではない」
フモリはどう返事をしてよいのかがわからず、怪訝そうな表情を浮かべるのが精いっぱいであった。
「軍人の多くは現状分析を行うことが苦手だ。ともすれば、他人のせいにしたがる嫌いがある。それは、アガルタであれ、ラマロンであれ、同じだ」
「は……はあ」
「軍人の最も必要なスキルは、現状分析能力だ。いかに主観を排除して客観的に現状を分析する能力だ。これを習得するためには、知識だけではいけない。心の修行も必要なのだ」
「あの……マトカル様」
「うん? 何だ」
「恐れ入りますが……何を、仰せなのでしょうか」
一瞬、マトカルは眉間にしわを寄せた。フモリはしまったと思った。斬られるかもしれないと覚悟を決めた。だが、マトカルは意外なほどに狼狽えた様子を見せた。
「これは……私としたことが。喋りすぎた。今のは忘れてくれ」
「は、ハハッ」
「貴様がこの、ホロラドに派遣されたのは、一つの目的があったのだ。それを今、伝える」
「ハッ」
「先だっての戦いには貴様は従軍していたな」
「ハッ。二の城壁にあって、敵を迎撃しておりました」
「うむ。見事な働きであった。確か褒章を授けられていたな」
「お、恐れ入ります」
「その兵士たちは貴様が鍛えたのだと聞いた。貴様は戦いの中でホロラドの兵士をどう見た」
「ハッ。僭越ながら、守りが苦手であると感じました。攻撃は勢いがありましたが、いったん退却をして守りに入ると、途端に士気が下がったように感じました」
「同感だ。一方でラマロンは数度にわたるエリオ防衛戦を経験していたために、守りには強かった」
「……」
「私が言いたいのはその点ではない。フモリ、貴様に担ってもらいたいのは、ホロラド軍兵士たちへの教育だ」
「は、ハハッ」
「察するに、あの戦いでホロラド軍は敵軍、つまり我々の撤退を期待しながら陣を敷いていた。貴様もわかろうが、その段階で戦いに敗れたも同然だったのだ。それは偏に現状が分析できていなかった結果であると言える」
「……」
「そこで貴様には、ホロラド軍兵士たち、とりわけ、士官たちへの教育を担ってもらいたいのだ。体力増強はもちろんのこと、主観を排して現状を分析する能力を向上させてもらいたいのだ」
「ハハッ」
「我々が派遣したメイジュは、軍を運営するにあたり、軍と為政者たちと諍いが起こらぬようにする環境を整えるために派遣している。翻って貴様には、軍の教育を担うために遣わされているのだ。アーモンドは説明が下手で苦労をかけたが、今、私が言った意味が、わかるな?」
フモリはハッと頭を下げたが、それであれば一言で済むではないか。このマトカル様も、アーモンド司令官に負けず劣らず説明が下手だなと思ったが、そんなことはおくびにも出さずに、深々と頭を下げ続けたのだった。




