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結界師への転生  作者: 片岡直太郎
第三十三章 不撓不屈編
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第千九十三話 作戦の成否

準備は瞬く間に終わった。よく訓練されたホロラド王国軍は、もともと水辺のあった場所から少し離れた、小高い山の上に、それぞれの野営地を設営していた。


兵士たちは一様に懐疑的だった。本当に、あの足元の岩盤を砕くことができるのか、と。


だが、その心配は解消された。夕陽が森を真っ赤に染める頃になって、あの岩盤に大きなひび割れが走っているという報告があった。司令官のラプトはすぐさま液体をひび割れた部分に注ぎ込むように命じ、さらには、その液体を作るように命令を下した。


兵士たちは色めき立った。もしかすると、朝が来るまでには、あの岩盤を割ることができるかもしれない。そうなればあとは、山に自生するトリカブトを放り込むだけだ、と。従軍している者たちは、これから先のことは一切考えなかった。毒さえ投げ込めば、あとはエリオに住む多くの民衆が死に至る。ラマロンは降伏するか、町を放棄して逃げるしかない。


多くの者が、この戦いの後のことを想像していた。民衆が歓喜に沸く中、凱旋していく部隊……。羨望の眼差しを受けながら王宮に入城するのだ。この作戦に従軍した俺たちには、特別の褒賞が下されるだろう。勲章、給金……。それを持って自宅に帰る。妻や恋人の喜ぶ笑顔がすぐそこにある。これから先の幸せは保証されたも同然だ。


徐々に軍勢内の士気が上がっていくのが、誰にもわかっていた。部隊内は、ある種の異様な熱気に包まれていった。


岩盤がさらに砕けているという報告が入って来たのは、深夜になった頃だった。眠りについている者は一人もいなかった。全員が興奮していた。司令官のラプトが命令を下す前に、兵士たちが我先へと現場に向かい、液体を流し込んでいった。液体はいわゆる強アルカリ性であり、誤ってそれに触れてしまった者は手がボロボロの状態になったが、それでも、これから先のことを思えば、兵士たちにとっては何でもないことのように思えた。


翌朝、周囲が明るくなってくると、司令官ラプトは全軍に野営を引き払うよう命じ、それが終わると整列するように命令した。


「おそらく、だが、昨日のあの場所には相当深い亀裂が入っていると思われる。五千の軍勢が進めば、下手をすれば足元が崩壊してしまう危険性がある。そこで、現場の確認は、第五小隊のみとする。指揮は私が執る。他の者はここで待機せよ。ああ、そうだな。第六小隊はトリカブトを探してこい。トリカブトがどのようなものくらいはわかっているとは思うが、わからなければ、周囲の者に聞くといい。言うまでもないことだが、決して食べるなよ。舐めてもいかん。命を落とすことになるからな。嘘だと思うヤツはやってみるがいい」


兵士たちから笑い声が漏れる。皆が期待に満ちた表情を浮かべていた。それは、目の前で指揮を執るラプトという男の能力の高さが、兵士たちをしてそのような状況にならしめている原因の一端でもあった。


早速ラプトは数十名の兵士と共に現場に向かう。そこには大きな亀裂が走っており、相当の深さがあった。彼は周囲にある石を掴むと、それを無造作に亀裂に向かって放り投げた。耳を澄ませていると、亀裂からドン、という音が聞こえた。それは、石と水がぶつかる音だった。彼はもう一度石を、先ほどよりも大きな石を投げ入れた。ややあって、音が聞こえた。それは、そこにいるすべての者が聞くことができた。


「岩盤を、割ったな」


ラプトが誰に言うともなく呟く。それがまるで合図であったかのように、そこにいた全員が歓喜の声を上げた。


◆ ◆ ◆


「成功したか!」


トリヤロスはラプトの早馬からの報告を聞いて、思わず立ち上がった。その瞬間、彼はこの戦いの勝利を確信していた。彼は早速書状を認めると、それを矢の先に結び付けてエリオの町に放たせた。そこには、水源地に毒を投げ入れた。エリオの民衆が死に絶える前に降伏するか、町から撤退せよと書き入れていた。


ちょうどそのとき、ホロラド王国軍からどよめきの声が上がった。大小五隻の船がエリオに向かって行くのが見えた。それはもちろん、ラマロン皇国の本隊であった。兵士たちは一瞬緊張したが、すぐに平静を取り戻した。ここに至って、ラマロン軍は敗北を免れることはできない。あとはいつ、エリオの町を接収するであると皆が考えていたからだ。だが、そのエリオの町では、彼らが想像とは全く異なる状況となっていた。


「……お待ちしておりました」


総司令官アーモンドを迎えたブリトーは、彼の前で恭しく一礼した。アーモンドは何も言わず、ただ、目礼を返したのみだった。ブリトーは早速、つい先ほどホロラド側から投げ込まれた矢文を取り出してアーモンドに見せた。


「毒、か」


アーモンドは表情一つ変えずに、ただそう呟いただけだった。そのまま大きな目で司令官のブリトーに視線を向ける。彼はスッと一礼して、


「念のため、民衆には許可があるまで水を使うことを禁じております。飲み水に関しましては、あらかじめ備蓄してありますので、特に問題はありません」


「そうか。毒の種類は」


「トリカブトでしょう。総司令官どのもご存知かと思いますが、十年前の作戦と同じかと思います」


「そもそも、毒が投げ込まれたとされる光の泉だが、もうそこの水は使用していないのではないのか」


「はい、使用していませんが……」


「が?」


「汚水を流す水として使用しております」


「それであれば、民衆が使うことはなかろう。それは、海に注いでいるのではないのか」


「その通りです」


「そうか」


アーモンドは一切表情を崩さなかったが、ブリトーには、この総司令官が落胆しているように見えた。それは、ここ数日の戦いの報告を聞く様を見ていると、誰もが見てもわかるほどの落胆ぶりだった。


「ホロラド王国軍は、十年前から何も進歩していないのだな」


アーモンドは大きなため息をついた。


過去に毒を投げ込まれそうになれば、その対策をするのは当然のことだ。そもそも、毒が投げ込まれる可能性のある水源を使用していると思ったホロラド軍の浅はかさに、アーモンドは呆れていたのである。


ブリトーをはじめとする幕僚たちは、無言のままアーモンドの次の言葉を待った。総司令官たる彼がわざわざ海を渡ってエリオまでやって来たのはそれなりの理由があると彼らは考えていた。単にホロラドを追い払うだけならば、援軍を送るだけで事は足りる。ラマロン軍総司令官がやって来たということは、ホロラドに二度とエリオを狙わせないようにする意図があると幕僚たちは考えていた。ただ、彼が率いてきたのはわずか五千の軍勢だ。城壁の外にはおよそ二万の軍勢が犇めいている。この大軍勢を蹴散らし、さらに大きな打撃を与えるというのか。彼らには想像すらできないことであったが、目の前に端座するこの初老の男からは、何とも言えぬ自信が横溢しているように見えた。


「私が来る必要はなかったな」


不意にアーモンドが口を開いた。幕僚たちに緊張が走る。


「この状態のホロラドであれば、ブリトー、貴様一人で十分に王都を抜くことができよう」


ご冗談を、という言葉をブリトーは飲み込んだ。ということは、総司令官殿はホロラドの王都を陥落させるつもりで来たということだ。彼は過去、ラマロンが王都の手前まで侵攻したことを知っていた。総司令官殿はその辺りまで軍勢を進め、再び王国が侵攻してこないような策を取るのではないかと考えていたが、アーモンドの考えていたことは、それをはるかに上回っていた。


彼らは再び総司令官に視線を向け、次の言葉を待った。だが彼は目を閉じて、ゆっくりと、天を仰いだ……。

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