第千九十二話 足元の岩盤
足の下、と聞いて兵士たちは一様に戸惑いの表情を浮かべた。彼らの足元には硬い岩盤があるだけで、まさかこの下に水源があるなどとは、俄かには信じられなかった。
そんな彼らの様子を見ながら、ラプトはさらに言葉を続ける。
「お前らは若いから知らんだろうが、この辺りはその昔、きれいな水辺だったのだ。俺もガキの頃はよくここで魚を獲ったりしたものだ。夜になると光虫が出て、それはそれは美しかった。そういえば、俺が新兵の頃も、ここで訓練をした。いわゆる山籠もりと言うやつだ。山で山菜を採り、湖で魚を釣り、夜は光虫を見ながら眠りにつく……。そう聞けばラクな訓練だと思うだろうが、どっこいそうはいかん。夜になると獣や魔物たちがウロついてくるから、そうおちおち眠ってもいられない。油断すると小隊が全滅するなんてこともよくあった……。懐かしいな」
そう言って彼は目を細めた。そんな中、シルハという男が前に進み出て、挙手の礼をとった。
「司令官殿、我々は、何をすればよろしいでしょうか」
「そうだな。やることと言えば、一つだけだ。お前たちの足元にある岩に、穴を開ける。それだけだ」
ラプトはそう言って笑みを浮かべた。司令官の言葉の意味がいまいち飲み込めなかったと見えて、シルハは、
「穴を、あける……?」
と呟くように言いながら、ラプトを見た。
「そうだ。総司令官殿が期待しているのは、俺たち五千の軍勢でこの足元にある岩を砕くというものだ。砕くと言っても、五千人全員で金槌をもって地面と叩くわけではない。それは無駄なことだ。お前たちの足元にある岩盤はゾテウスだ」
ゾテウス、と聞いて兵士たちの間に緊張が走る。それは、この山で獲れる石で、相当な硬度を持っていることで有名な石だった。さらにラプトの説明では、水辺は取り敢えずここら一帯であり、その広大な範囲をラマロンは巨大な一枚物のゾテウスで覆っているということだった。
「二十年ほど前までは、この辺りは高く石を積み、さらにはラマロン兵たちが常に監視していたのだが、お前たちも聞いたことがあるだろうが、二十年前に起こった大地震の際、カルハ山が崩落した。ラマロンは崩落した山の一部を持って来て、この場所を埋めたのだ」
考えられないことであった。二十年前の大地震に関しては兵士たちのほぼ全員が知っている。かつてあったカルハ山というゾテウスが豊富に採れる石山が崩落し、そこで働いていた者たちが全員命を落としたのだ。あのときは王都も甚大な被害を受けたため、王国はその復興を最優先とした。ラマロンはその隙をついて崩落したカルハ山に向かった。彼らは崩落した石の中で最も巨大なものを選ぶと、全兵力をもってそれをエリオの町に向けて引いていった。むろん、王国もその動きは把握していたが、彼らが一体何のためにそんなことをしているのかを測りかねていた。宰相をはじめとした王国の幹部は、その石をエリオ防衛の一部に充てるのだろうと考えていたが、彼らはそれを水源地まで引っ張っていき、それで水辺に蓋をしてみせた。それはわずか数週間で完了させてしまい、王国側がその意図を知ったのは、すべてが完了した後のことであった。
その後ラマロンは折に触れてこの場所に改修工事を施し、水辺を完全に封印することに成功していた。今では警備をするラマロン兵の姿は見えず、王国軍も何度もこの場所に攻撃を仕掛けたがすべて失敗に終わり、いつしかこの場所は完全に周囲の自然と一体化した場所となっていたのであった。
そこまで考えるとラプトは、あらためてラマロン軍が軍事において緻密さと周到さを兼ね備えた強力な軍隊であることを認識した。そんな軍勢をアガルタは見事に完封している。彼はこれから戦うかもしれぬアガルタというまだ見ぬ軍勢のことが頭をかすめたが、すぐに考えを切り替えて、目の前に控える兵士たちに視線を向けた。
「まあ、この下にある石を剥がすこともできなくはないが、それをするには相応の準備が必要だ。縄、丸太……。そもそも今の状態では、どこが岩盤の端であるのかもわからない。そこから探すとなると、一日や二日でどうにかなるものではない」
ラプトはそう言って周囲を見廻す。その様子は、何かを諦めているかのようでもあった。
「だから俺は、この岩盤に穴を開けるというのが、もっとも効率的な作戦であると考えた。穴を開けて、そこから岩盤を砕く。それが出来さえすれば、あとはそこにトリカブトを放り込むだけだ。簡単な仕事だ、気楽にやれ」
気楽にやれ、と言われても、兵士たちは何をしてよいのかがわかりかねていた。そんな彼らにラプトは笑みを見せる。
「まずは全員一列に並べ。並んだら懐から鉄棒と金槌を出して手に取り、その場に蹲れ。そうしておいて各自、岩盤に鉄棒を金槌で打ち込むのだ。くれぐれも、鉄棒を岩盤に埋めるんじゃないぞ。打ち込むのは半分程度でいい。そうしないと、抜けなくなるからな」
兵士たちは司令官の言うことがいまいち理解できないでいた。そんな彼らの心情など知ったことではないとばかりに、ラプトは懐から鉄棒と金槌を出せと命令した。ここでいう鉄棒とは、先の尖った鋼鉄製の棒であり、ホロラド王国にあって野戦に赴く際には、必ず兵士に装備されるものであった。金槌も同様であり、小型の、こぶし大程の金槌が支給されていた。
これらはそれなりの重さがあるために、行軍が長距離になったり、戦いが長時間になったりする際は兵士たちの体力を奪うものとなるが、戦場ではそれなりに役に立つものであり、岩を砕いたりすることはもちろん、場合によっては、鉄棒で敵を攻撃することも可能であった。
ラプトは兵士たちに鉄棒と金槌の装備を命じておいて、彼らを一列に並ばせた。そして彼らにしゃがめと命じて、その場所に鉄棒を打ち付けろと命令した。
鉄と鉄がぶつかる音が聞こえる。それが周囲の木々にこだまして、何とも言えぬ無常を思わせる音が響き渡った。
ややあって彼は金槌やめ、と号令を下した。そして鉄棒を引き抜けと命じた。一部で手こずる者もいたが、五分後にはいびつではあるが、岩盤に一直線に穴が連なっていた。
ラプトは大半の兵士に休息を命じ、自身と部下数十名を連れて山の中に入った。ややあって彼らは手に大きな岩石を持って帰って来た。そうしておいて、あらかじめ持ってきた大きな鍋を取り出し、その石をそこに入れて岩石を砕きだした。柔らかい石と見えて、それは見る間に粉状となり、ラプトはそこに水を入れ、さらに瓶に入った薬品を注ぎ入れた。
「第一中隊、集合せよ!」
ラプトの号令で百人程度の兵士が脱兎のごとく駆け寄ってきて整列する。
「貴様たちには苦労ではあるが、この液体を、先ほど開けた穴に注ぎ込んでもらいたい。これは膨張剤である。液体を穴に注ぐと固まりながら膨張していく。これは非常に強力なものであるために、絶対に手で触れてはならん。容器に入れて持ち運ぶことを徹底せよ」
命令を受けた兵士たちは、渡された容器に液体を入れると、足早に散っていく。すべての穴に液体を注ぎ込むのにかかった時間は、およそ十五分程度であった。
「ようし! よくやった! あとは岩盤が砕けるのを待つだけだ。明日の朝まで、ここで野営とする。第二中隊と第三中隊は山に入って食料を確保せよ。第四中隊と第五中隊は周囲の警備に当たれ。ラマロンの攻撃の可能性は極めて低いが、ここは山中だ。獣魔物の類の襲撃は十分に考えられる。篝火を焚いて、警戒を怠るな」
ラプトはそう言うと、自らも野営のため、本部用のテントを張るように兵士たちに命じるのだった……。




