第千九十話 防衛戦
翌日、トリヤロスに率いられたホロラド軍二万が王都を出発し、エリオの町に向かった。
島、と言っても、それなりの広さはあり、王都からエリオの町までは、馬で駆ければ半日だが、徒歩では一日の行程が必要であった。
ホロラド軍は部隊を五つに分け、山道を使ってエリオに向かった。これまで幾度となく敗戦の煮え湯を飲まされ続けてきたホロラド軍は、今度こそ失地を取り返そうと、軍内の士気は高かった。
一方、エリオの町では、ラマロン皇国軍の司令官であるブリトーが、戦いの準備を進めていた。彼の許には、本国のアーモンドから、五千の兵を率いて援軍に向かうという連絡を受けていた。
彼は部下と共に城壁の上に立ち、侵攻してくるホロラド軍の方向を睨みつけていた。その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
「東風が、強いな」
ブリトーは誰に言うともなく呟く。彼は空を見廻すと、さらに言葉を続ける。
「と、なると、総司令官殿の援軍は、遅れるな」
この強い東風は、こちらに向かっているラマロン軍には逆風となり、それがために、海の移動に時間がかかるだろうと彼は言ったのである。
「……この、三の城壁は捨てよう。防衛線は、二の城壁に置くこととする」
彼はそう言うと、足早に城壁を降りていった。
エリオの町は城壁に守られてはいたが、それとは別に、二つの城壁を備えていた。すなわち、町の外にも高い城壁を備え、そのさらに奥には、高さこそないが、堅牢な城壁を備えていた。
これまでの戦いの大半は、最もエリオから遠い三の城壁と呼ばれる場所で戦い、ホロラド軍を撃退してきた。それはいずれも、山中に築かれた土塁と、その手前に作られた堀が敵を食い止めていたからだった。土塁のために道は細くなり、大人二人が通れる広さしかない。仕方がないので、敵はそれを乗り越えてくるのだが、その直後に深く掘られた空堀に入り込む。そこで城壁で控えていた兵士たちが一網打尽とするのである。
ブリトーは冷静に戦局を分析していた。ホロラド軍は、こちらの態勢が整う前にこのエリオを抜くつもりであり、二万の兵力はおそらく、三の城壁を超えた直後に設えてある空堀を埋めるための軍勢であろう。それは十分に脅威ではあるが、それでもブリトーは勝機はあると睨んでいた。
その理由は二つあった。一つが、兵士の練度の問題。ホロラド軍はここ数十年の間、国王の融和政策もあって、戦いらしい戦いをしていない。確かに、兵士たちはそれなりに訓練を積んでいるかもしれないが、実際に戦闘に参加した経験があるのとないのとでは、その練度は雲泥の差がある。ここエリオに配属されている兵士は、いずれも戦場での実践経験がある者ばかりだった。ラマロンとしても、この土地は皇国にとっての食糧庫となっており、ここから獲れる小麦や大豆と言った食料なくしては、皇国の運営は成り立たなくなっているために、ここには優先的に精鋭を配置しているのだった。
二つ目の理由が、作戦の質。これまでの闘いの記録を見ると、ホロラド側は戦いの前に様々な策略を用いてきた。斥候がひっきりなしに動き回るのは当然として、流言を流布したり、場合によってはラマロン兵に調略を仕掛けたりすることもあった。今回に関しては、そのどれもが見当たらなかった。敵からすれば、そうしたことを行えば皇国に動きを悟られる可能性があるために、敢えて控えたのかもしれないが、戦いに勝つにはどれだけ正確な情報を多く集めるか、という点が勝敗を左右することを知っているブリトーは、準備不足のまま侵攻してくる軍勢が烏合の衆であると断じていた。
彼はこの町の司令官に赴任する前は、アーモンドの部下として勤務し、数多くの作戦に従事してきた者だった。彼もまた、水の手さえ取られなければ、ひと月程度は十分に持ちこたえられると踏んでいた。
「二の城壁の守りを固めろ。一兵たりとも帰すな」
彼は部下にそう命じた。
◆ ◆ ◆
ホロラド軍がエリオの町に到着したのは、翌日の朝のことであった。相変わらず空は曇っていて、東からの強い風が吹いている。この具合では、もし、ラマロンが援軍を発したとしても、その到着は少なく見積もっても三日は遅れるものとトリヤロスは考えていた。
周囲が明るくなるのを待って、トリヤロスは全軍に総攻撃を命じた。五方向からの総攻撃……。彼らは頑強な抵抗を予想したが、それに反して、中からは一切の反撃はなかった。
彼らとしても、このエリオの町を守る城壁は熟知しており、兵士の訓練では常に、ここの土塁の攻略を念頭に置いていた。兵士たちは鉄の盾を装備して土塁攻略に当たったが、予想に反して敵からの攻撃がなかったために、拍子抜けをした。だが、あれだけ苦しめられた土塁を攻略したことで、兵士たちの士気は上がった。彼らは易々と三の城壁に達して、城門の攻略に当たった。
城門は鉄でできており、それは容易に壊すことはできなかった。ただ、ホロラド側もそれは想定済みで、彼らは縄梯子を準備してこの攻撃に当たっていた。すばやく兵士の一人が城壁を登っていき、縄梯子をかける。次々とそれを伝って兵士たちが三の城壁を上っていく。
その瞬間、兵士たちはうめき声を上げながら倒れ伏した。何と、向かいにある二の城門の上から、ラマロン軍の兵士が弓矢で攻撃を仕掛けてきたのである。ここに至って、ホロラド軍はようやくラマロンの目論見を理解した。
二の城壁は、三の城壁に比べて横長に作られている。つまりはそこに、多くの兵士を配置することができるということだ。ラマロン軍はそこにほぼ、全兵力を集中させて、それぞれに弓矢を持たせ、城壁の登ってくるホロラド軍の兵士を片っ端から射貫いていった。ここに至って、総司令官であるトリヤロスは、兵士たちに一旦退却を命じた。
結果を見れば、ホロラド軍の明らかな敗北ではあったが、トリヤロスは、エリオを守る城壁の一つを抜くことができたと王都中に喧伝した。そうしておいて彼は、幕僚たちを集めて新たな作戦会議を開いた。
結論としては至極シンプルな作戦が決定された。三の城壁を守る鉄の城門については、火魔法を操る魔法使いたちを使って焼き切る、もしくは溶かすことし、その彼らは鉄の盾を持った兵士たちが護衛することとした。さらには、城門の上には新たに弓隊を配置することとした。先に盾を持った兵士たちを上げ、そこで十分な防御態勢を整えた後で弓隊を上げ、敵の兵力を削ろうという作戦だった。
早速、翌朝からその作戦は実行された。幕僚の中からは、時間がかかりすぎるし、目立った成果を上げるのは難しいのではないかという意見も出されていたが、蓋を開けてみれば、ホロラド軍にとっては予想外の利益をもたらせた。
盾を持った兵士たちが城壁の上に上がる。昨日同様、弓矢に討たれるものも多かったが、一人二人と城壁の上に盾を構えていき、徐々に防衛陣地が形成されるようになった。時刻はすでに昼を過ぎていたが、その頃になると、ようやくそこに弓隊が上がり、敵の兵士に向けて矢を射かけることができるようになった。その間、大半の兵士は動くことなく、十分な休息を取ることができた。対してラマロン軍は、漸く疲れが見えてきた。気がつけば二の砦の城壁にはラマロン軍の兵士の姿は消え、夜になる頃になってホロラド軍は三の砦の上に、強固な陣地を形成することができた。鉄の扉も、魔法使いたちの働きによって大きく曲がっており、あと一押し二押しで破れるところまで来ているように見えた。
トリヤロスは一部の守備兵を残して、全軍に休息を命じた。彼は翌日に再び総攻撃をかけ、三の城壁を完全に制圧するだけでなく、二の城壁も制圧しようと考えていた……。