第千七十四話 高さ広さ
そこから三十分近く歩いて、ようやお目当ての現場に着いた。人の気配はない。ただ、大きな穴が見えるのみだった。
メイとシディーはためらいなく穴の中に入っていく。しばらくすると、中から光が見えた。どうやらシディーがライトの魔法を使って明かりを灯したようだ。
デハラが二人の後を追う。俺たちも彼の後ろを付いて行く。
思ったより天井が高い。確か、高さ五メートルと聞いたが、俺の身長よりも遥か高くまで掘られている。これはちょっと実験に使うのは難しいんじゃないかと素人考えをしていると、大上王が地面に転がっている石を拾うと、それをポンと投げて天井にぶつけた。カーンという音が響き渡る。
「三メートルほど掘り進めているか。なるほど、当初は馬車も通れるようにしようとしたか」
大上王が誰に言うともなく呟くと、デハラがゆっくりと頷く。
「掘り進めた当初は、多くの物資が行き交うことのできることを想定していたが、ガルマシオンホンの硬度があまりにも高く、工事が進むにつれて尻すぼみになっていった。結果的に、人ひとりが通れるどうか、というところで万策が尽きた、というところか」
大上王の言葉に、デラハが無表情のまま頷く。
一方でメイとシディーは、ペタペタと壁を触りながら二人で何やら話し込んでいる。相変わらず専門用語が飛び交っているので、俺には皆目わからない。大上王とデハラはそれがわかるようで、二人とも俺の妻たちに視線を向けている。そういえばサルファーテ女王は……なぜか地面に転がっている石を拾っている。これは……放っておくことにしよう。
二人の会話が止んだ。見ると、シディーが懐から一本の細い、金属のようなものを取り出した。これだけ見ると、必〇仕事人みたいだ。思わず心の中で、おお、ヒデじゃん、などと呟いてしまった。
彼女はそれを壁に突き刺した。それを何度か繰り返すと、石の塊が取れた。あんな小柄な女子でも壁が割れてしまうのだから、意外とガルマシオンホンというのは脆い部分もあるのだなと一瞬思ったが、実はシディーの腕力は強い。一見すると中学生くらいの女子に見えるが、その腕力たるや、俺以上のものがある。腕相撲はしたことがないが、やれば、下手をすると彼女が勝つ可能性すらある。
あの華奢な体、細い腕にどこにそんな力があるのかと思ってしまう。結婚した当初は、そのギャップになかなか慣れることができなかったのを思い出した。我が家では特注したスキヤキ用の大なべがあるが、それは女性が三人がかりでやっと持てるものだ。ペーリスやフェリスはそれを軽々と持ち上げるが、それをシディーも一人で持ち上げることができる。初めて彼女がそれを片手で持ち上げたときは、我が目を疑ったのだ。
そんな思い出に浸っていると、デラハと大上王が目を丸くして驚いている。まあ、普通は、そうなるよね。サルファーテ女王は……まだ石を拾っている。そっとしておいてやろう。
そんな俺たちのことなど知ったことはないとばかりに、二人はどこから取り出したのか、ルーペのようなもので小石を観察している。こうなると話が長くなりそうなので、俺も壁に近づき、手を触れてみた。
鑑定スキルを発動させる。土魔法のスキルと相まって、この石山の情報が頭の中に浮かび上がる。
……固い。とにかく固い岩盤だ。実を言えば、地面の下にもこの岩盤が埋まっていて、むしろ、地下に埋蔵されている部分の方が多い。地上には五メートル程度が出ているが、地下には十メートル近いものが埋まっている。とにかく巨大だ。
さて、どうやって持って帰ろうかと思案を巡らせる。転移結界を張ることはもちろんだが、転移先に関しても考えばならない。何しろ山一つを持って帰るのだ。そこいらに放り出しておくということはできない。一歩間違えば、アガルタ国内の交通を遮断することにもなりかねない。そうなると俺はリコから叱られてしまうことになる。
当初の話では、高さ五メートル、幅十五メートル程度と聞いていたが、奥行きまでは聞いていなかった。この山、かなり奥行きもある。実験に使うのがどの程度の規模なのかを確認しなければならないが、こんなにバカでかいものはいらないだろう。ということは、俺の魔法でこの山をぶっ壊して、適当な大きさになったものを持って帰るか……。となると、色々と面倒なことになりそうだ。だからと言って、この山丸ごとを転移させるのも、結果的に面倒なことになる。どうしようか。巨大な穴を拵えて、そこに転移させるか。そうなると俺は毎日ぶっ倒れるまで魔力を使い切る作業を続けねばならない。それがどのくらい続くだろうか。ポーション漬けの毎日になるのは……ちょっと勘弁してもらいたい。
となると、山ごと転移させて、その直後に魔法でぶっ壊す、というのがよいかもしれない。ただ、魔法でも壊せなかったらどうなるのか……。どこかで実験をした方がよいかもしれない。
そんなことを考えていると、メイもシディーも話は終わったようで、気がつくとまた、四人が集まって会話を交わしていた。
結論から言うと、返事を保留させて欲しいというものだ。この山におけるガルマシオンホンの含有量をこちらでも調べさせて欲しいとメイが説明していた。デラハはそれはもっともなことですと頷き、データ類が必要であれば提供しますと言って笑みを見せた。
それから俺たちは、再び三十分の道のりを歩いて馬車が止めてある場所に戻る。サルファーテ女王は疲れてしまい、仕方なく俺が負ぶって帰ることになった。その彼女は俺の背中の上で静かに寝息を立てていた。
そのまま昼食も摂らずに、馬車に揺られて帰路につく。グラグラと、壊れるんじゃないかと思う程の揺れだ。シディーは最初から俺の膝の上に座ってしがみついている。
山を抜けて平地になると、ようやく揺れが収まってくる。それを待ちかねたようにメイが口を開いた。
「あの山のことですが、ガルマシオンホンの密度は相当に高いです。ただ……」
「ただ、何だい?」
「天井まで相当に掘り進められていますので、実験に使うのは難しいかもしれません」
「下手をすると天井が崩壊する可能性があります」
シディーが俺につかまりながら口を開く。もう道も落ち着いてきたので座ってもいいと思うのだが、彼女は相変わらず俺の膝から降りない。
「ああ、そのことだけれどね。俺も調べてみたんだ。確かに天井までは二メートル弱しかないけれど、地中には十メートル近い岩盤が埋まっている。クルッとひっくり返して使うことができれば、実験の、爆発の威力に耐えられるんじゃないかな」
メイの眼が開かれて、瞳に潤いが出てきた。おお、いい表情だ。
「ちょっと待って」
シディーが口を開く。
「それ、どうやって持って帰る? 置き場所を考えないと大変なことになるんじゃない?」
「あーそれは俺も考えた。二人はどこまで把握しているのかはわからないけれど、結構あの山奥行きがあるんだ。転移させるとなると、山全体を移さなきゃいけなくなるから、相当の広さと高さが必要になるな」
「うう……そこまでは考えていなかった……」
「だから、どこかのタイミングであの山を魔法でぶっ壊して、必要なものだけを使うというのを考えていたんだけれど……それもちょっと現実的ではないなと思っていたんだ」
「地中に埋めるとしても、高さ広さが必要になりますから、それはそれで難しいですね……」
メイが困った表情を浮かべている。先ほどの嬉しそうな表情は影も形もない。
「あ、ひとつ、可能性があるかもしれない」
俺は思わず口を開いた。しがみついていたシディーが、ガバッと顔を上げた……。