第千六十二話 陛下の提案
結果的にヴィエイユには迎賓館の一部屋をあてがい、そこに滞在してもらうことにした。
これでも世界最大のカルト教団の親玉なのだ。彼女に恨みを抱くものも少なくない。この派手というより、奇抜で目立つ服のままで外を歩かれて、もし、都の中で襲われでもしたら、それこそ大問題になる。そうしたことも加味して、彼女には迎賓館での滞在を許した。一応、かなりもったいぶった話をしてみたが、そんなことを気にするような女性ではなく、ヤツは嬉々として部屋に入っていった。
まあ、あんな奇抜な服で、さすがに町を出歩くこともあるまいと思っていたが、彼女はどこをどうしたものか、教皇服を裏向きに着て紋章やデザインを隠し、しかもベルトを締めずにいるとそれはワンピースのような格好になった。彼女はそのまま街に繰り出して買い物をし、色々な服や装飾品を買ってきた。そして、それらを身に着けると再び街に繰り出して、買い食いなどを楽しんだ。そして夜になると迎賓館に戻り、夕食をペロリと平らげて早めに就寝した。
夜中に起きることなく滾々と彼女は眠り続けた。よほどベッドとの相性が良かったのか、それとも相当に疲れていたのか、夜中に手洗いに起きることもなく朝まで眠り続けた。都合、十時間近くは寝ていただろうか。起きると風呂に入って朝食を摂り、そしてまた、風呂に入った。上がってくるとベッドに入って眠り、昼前に起きて身なりを整え、昼食を摂る。終わると風呂に入って、上がってくると眠る。夕食前に起きてきて身なりを整え、夕食を摂り、また風呂に入って、出てきたら眠る。それが三日も続いた。
どうして彼女の動きがわかったのかというと、別に忍びを放って天井の隙間から監視していたわけではない。ソレイユの精霊たちだ。精霊たちがヴィエイユの一挙手一投足を見守っていたのだ。
ソレイユ曰く、ヴィエイユはそうしたこともちゃんと想定した上でアガルタにやって来ているという。やって来た理由は三つで、魔法協会の取り扱いと、爆発の原因を調べること、そして、自身の休暇というものだそうだ。その中で最もプライオリティーが高いのは、休暇なのだそうだ。
その話を聞いたときは、思わずマジで、と声を上げてしまった。何でよりにもよってバカンスにアガルタを選ぶかね、と思ったが、彼女の思惑が完全に一致した結果だそうだ。精霊からの情報によると、彼女は普段は平静を装っているが、実際は重篤な睡眠不足の状態であったらしい。栄養状態もあまりよくはなく、いつ倒れてもおかしくない状況であったらしい。
何をすればそんな状態になるのかと不思議に思ったが、きっとあの娘のことだ。メイが襲われたと知って、ありとあらゆる流れを想定したのだろう。そして、その中で最も効率的で効果的なものを導き出した。その間、彼女はおそらく寝食を忘れて考えていたのだろう。寝不足と栄養不足の状態になったのはそれが原因だ。
むろん、そうなったのはそれだけが原因ではない。慢性的に寝不足に陥る、つまりは、ヴィエイユが思考を巡らす、対策を立てねばならない出来事が起こっていたのだろう。まさか、エロいことを考えていたから、そんな状態になったわけではあるまい。
その問題が解決したのかどうかは知らないし、知ろうとも思わない。ただ、転んでもただは起きぬこの娘だ。自分の体力と精神状態を回復させるのと同時に、色々な策略を巡らせてくることは間違いない。俺はソレイユに引き続きこの娘を監視するように命じた。
一方で、この頃になってようやく魔法協会の使者を名乗る男が俺の前に現れた。彼曰くは、今回の騒動を詫びると同時に、まずは総帥であるアーヤ・カマンの命を助けてくれ、総帥を返してくれと言って深々と頭を下げた。総帥を返してくれるのであれば、アガルタの要求は何でも飲むとまで言ってきた。あのジイさんにそれ程の価値があるとは思えないが、彼らは彼を神のごとく崇めていて、男は感極まってその場に泣き伏してしまった。
処分については改めて申し渡すと言って男を下がらせた。
「アーヤ・カマンを返せ、か。バカも休み休み言えと言いたいところだが、あんなジジイの首を獲っても……な」
俺はそんな独り言を呟くと、思わずかけている玉座に体を預けた。
「こういうことは、あの人に相談してみるのがいいかもしれないな」
そう言うと俺は立ち上がって、謁見の間を後にした。
◆ ◆ ◆
「なるほど。それは、難儀なことだの」
訪ねて行った先は、ヒーデータの陛下の私室だった。むろん、陛下にはその旨を知らせておいた。サダキチに手紙を持たせたのだ。すぐに彼は返事を持って帰って来た。今すぐ来てもらって構わないとそこには書かれてあった。
時間は昼を少し過ぎた頃なのに、もう後宮の私室に陛下はいた。この人は暇なのだろうかと思いながら、政務の方はと聞いてみたが、彼はキョトンとした表情を浮かべながら、もう済んだぞと答えてきた。
聞けば陛下は午前中しか仕事をしないのだそうだ。何か特別な出来事や来客があれば話は別だが、基本的には皇帝は午前中で政務を切り上げてしまう。そう言えば、先帝陛下にお目にかかったときも、今の陛下に目通りするときも午前中が多かった。謁見の間で引見すると言った政務は午前中に行われることが多いようだった。
仕事の内容自体は俺とそう変わらない。報告を聞いて決断するべき点は決断し、会議があれば出席し、あとは書類に目を通して判を押していく。俺はそれを日中いっぱいかけて行っているが、陛下は午前中で終わらせている。一体どういうことかと思っていると、その秘密はすぐに明らかになった。俺がアーヤ・カマンのことを質問すると、彼は瞬時に
「命は助けてやればよい」
と即答した。俺が返答に困っていると彼はさらに、
「その方が、アガルタの名声は高まる。確かに批判も多くあるだろうが、それよりも、名声を高めた方が、後々アガルタに有利に働くではないか」
「そう、でしょうか。実は、クリミアーナのヴィエイユがアガルタに来ておりまして」
「ほう、ヴィエイユ殿は何と言われている」
「アガルタ、クリミアーナ両国で魔法協会を支配下に置いてはどうかと。正直言って俺は興味がないのですが……」
「フム。それならばいっそのこと、魔法協会自体をアガルタに移してはどうかの」
「え? いま、何と?」
「魔法協会をアガルタに、そうだな……アガルタ大学の一角に移してしまえばよいではないか。最初は居心地が悪いだろうが、メイリアス王妃の許に入るのであれば、表立った批判もあるまい。それに、聖女・メイリアス殿のことだ、その慈悲深い心で、魔法協会の連中の心を掴むのも早かろう」
「いや、それは……」
「まあ、絶対にそうせよ、と言うことではない。早々に帰って、リコレットに相談してみるといい」
……今更ながらだが、この陛下の決断力の速さは尋常ではない。ほんの一瞬で決断してしまう。つまりは、ボールを自分の手元に置かないのだ。色々と手許で悩んでしまう俺とは、明確に仕事の進め方が違う。
早速帝都の屋敷に帰ってリコに相談してみる。彼女はしばらく腕を組んで考えていたが、やがて大きく息を吐き出すと、兄上には敵いませんわね、と言って首を振った。すぐに彼女はメイを呼んで話を始めると、メイは意外にも、そうなればぜひやらせて欲しいですと言って目を輝かせた。
自分を殺そうとした者たちが側に来るのに、よくそんな顔をしていられるなと思ったが、彼女はそれはそれ、これはこれだと言って涼しい顔をしていた。そして、そうなれば、人間の技術力と魔法力の向上に力を尽くしたいし、それらが融合すればさらに見たこともない技術が生み出される可能性があると言って目を輝かせた。
その夜、帝都の屋敷では家族会議が開かれ、陛下の提案が、満場一致で可決された……。