第千五十六話 逮捕
二人は渾身の力を込めて女性たちの喉元を突いていた。総帥の傍に控えていた男が思わず口を開いた。
「こ……こんなことをなさって、大丈夫なのでしょうか。あの二人はアガルタの研究者ではないのですか。その命を奪ったとなると、我々もタダではすまぬのではありませんか」
男の声に、アーヤ・カマンは何も反応を示さず、ただ、その場に立ち尽くしていた。
「そ……総帥」
男の鳴くような声がした。見ると、女性の首に突き立てられている剣が小刻みに震えている。
「け……剣が、通りません……」
男は顔を真っ赤にしながら、全体重を乗せて女性に剣を突き立てようとしているが、それは体に通っていない。何事かと目を見開くと、もう一人の男も声を上げた。
「こ……こちらも、通りません」
訳がわからなかった。魔法使いとはいえ、総帥に伴っている男たちは、それなりに剣の訓練も受けてきていた。そんな彼らが女性の体に剣を突き立てられないわけがなかった。
「……結界、か」
そのとき、アーヤ・カマンが誰に言うともなく呟いた。周囲を見廻してみるが、結界師らしき姿はなく、魔力も感じなかった。
不意に目の前が真っ暗になった。と同時に、体に凄まじい重力を感じた。
「……な」
我に返ると、男の体の上に、つい先ほどまで女性に剣を突き立てていた男の体があった。隣に視線を向けると、総帥の体の上にも、自分と同じ、もう一人の男の体が乗っていた。
まるで蹴飛ばすようにして体をどける。どうやら男は気を失っているようだ。一体何が起こったのかと慌てて立ち上がると、目の前に一人の男の姿があった。
黒い、貴族が日常的に見に着けるような略服を着用している。黒髪が風に揺れていた。こちらには目もくれずに、倒れ伏した女性たちを抱き起して介抱していた。
「大丈夫か」
男の声が聞こえた。どうやら気を失っていた女性たちは意識を取り戻したようだ。二人ともキョトンとした表情を浮かべながら、キョロキョロと周囲を見廻している。
思わず総帥に視線を向ける。彼はようやく男の体から抜け出したようで、ハアハアと肩で息をしている。
「貴様らいったい、何者だ」
気がつけば、黒髪の男が目の前にきていた。その後ろから二人の女性がゆっくりとこちらに向かってきている。
「研究施設に魔力を通して調べるのは百歩譲ってわからないでもないが、施設を破壊した上に、二人の命を奪おうとするのは看過できないな。どういうつもりだ」
その声が徐々に怒気を帯びてきていた。我慢していた怒りが爆発しそうになっているのが十分に伝わってくる。じわりじわりと殺気を放ってきていた。
不思議な感覚に囚われていた。大方においてこうした場面では、相手の戦力を即座に分析して、勝てるかどうかを判断する。勝てないと判断したとしても、戦力差によっては勝てる方法なないかと算段する。だが、目の前の男からはそうした判断ができなかった。言ってみれば、勝てそうでもあるし、勝てないようでもある。恐怖などは微塵も感じない。こうした場合は、何か攻撃を仕掛けて、その反応を見て強さを判断するしか方法はなかった。
「とりあえずお前たちは拘束させてもらう」
「わっ、我々は」
魔法協会の者だ。こちらにおいでのお方は、魔法協会総帥、アーヤ・カマン様であると言おうとしたが、声が出なかった。それどころか、体が動かなかった。いくら体を動かそうとしても、指一本動かすことはできない。反射的に魔法を放って脱出しようとしたが、その魔法も出すことができなかった。こんなことは初めてだった。
一体何をしたのだと言いたかったが、やはり声は出ない。男はこちらに背を向けていて、女性たちと何か話している。断片的に、取り敢えず屋敷に帰って休めと言っているのが聞こえた。女性たちは、自分たちが殺されそうになっていたのを知って戸惑っていた。幼い女性が、何で殺されなきゃならないのですかと言っている。羊獣人の女性は、どうしてこんなことに、と言っているのが聞こえてきた。
目だけを横に動かすと、総帥、アーヤ・カマンも同じように固まっていた。彼は四つん這いの姿勢のまま、顔だけを上げて、黒髪の男たちを睨みつけていた。だが、男は背を向けたまま一瞥もくれずに女性たちを伴ってどこかに消えていった。
ややあって騎馬に乗った兵士たちがやって来て、そこにいた全員を拘束した。拘束したと言っても、縄で縛るなどはせず、動けない彼らを戸板に乗せて粛々と運んでいくだけだった。倒れている男たちも意識を取り戻していたが、やはり体を動かすことはできないようで、目を剥いて必死の形相を浮かべている。
兵士たちは一言の言葉も発せずに、粛々と彼らをアガルタの都に運んでいった。
◆ ◆ ◆
一夜明けると、彼らは自分たちが襲った相手を知って驚愕した。何とそれは、アガルタ王の妃であり、さらには、羊獣人はあの、聖女・メイリアスであると言うのだ。
深夜にアガルタ軍本部の地下室に連行された彼らは、一睡もせずに夜を明かしていた。それぞれ独房に収監され、互いに会話ができない状態にされていた。そうしておいてアガルタの軍関係者は、朝になると一人一人を呼び出して尋問を始めた。それを始めるにあたって、彼らには逮捕された罪状が言い渡されたが、それは殺人未遂罪というものであった。ただ、その相手が王の妃と聖女・メイリアスであり、死を免れないのは明らかだった。
若者たちは一様に項垂れ、後悔を口にした。宿屋で休んでいた二人の若者たちも、夜明けとともに拘束されていて、同じように大きなショックを受けていた。ただし彼らは殺人未遂の罪には問わないと聞かされていたが、それでも、自分たちが解放されるわけではないことは明らかであったために、その顔色は明るくなることはなかった。
若者たちは口々に、総帥・アーヤ・カマンの命令に従っただけだと繰り返した。彼らは総じて取り調べには協力的で、質問された内容に関しては、すべて真摯に答えていった。
そして最後に取調室に呼ばれたのが、アーヤ・カマンだった。彼は事前に聴取した従者からの話をもとに取り調べがなされた。だが、彼は質問に一切答えずに黙秘を貫いた。しかし、取調官も動揺することなく、声を荒げることもなく、淡々と質問し、返答がないとわかると、次の質問に移り、それがすべて終わると、彼を元の独房に帰らせたのだった。
アーヤ・カマンは、今回の件に関して一切口をつぐもうと決意していた。死はもとより覚悟の上だった。いや、諦めたと言った方が適当であるかもしれない。今回の旅を通じて、若者たちには魔法使いの、魔法そのものの危機は伝えられたはずだ。その彼らの口を通して、それが魔法協会幹部たちに、ひいては魔法使いたちに伝わればよいのだと考えていた。
先ほどの取り調べを通じて、自分の傍についていた若者――コトラスに関しては、殺人未遂の罪に問わないことを確認していた。少なくとも、このコトラスがここで経験したことと、自分の考えを広めてくれることだろうと考えていた。
魔法協会総帥が死罪になるというのは前代未聞のことだ。これほどの衝撃は世界でも稀に見ることだろう。少なくとも、世界に与えるインパクトは相当なものになる。魔法使いたちに現状の危機を喚起させるには十分だろうと考えていたのだった。
アーヤ・カマンの二回目の取り調べは翌日の昼から行われていた。前日に担当した男の姿はそこにはなかった。目の前には、一切の情を感じさせない女性軍人が座っていた……。