第百五話 新たなる火種と突然の来訪者
冷たい北風が草原を吹き抜けている。真冬の凍てつくような、刺すような冷気を含んだ風ではない。古老や勘のいい人であれば瞬時に、近いうちに春が訪れるであろうと感じさせる風だ。しかしこの草原には、そんなものを感じる余裕を全く持たせない雰囲気があった。
漆黒の鎧に身を包んだ騎兵と歩兵の集団が、ゆっくりと進んでいた。頭の先からつま先まで鎧に固められたその集団は、その不気味な出で立ちもあって、周囲に大きな違和感を与えている。
それだけでなく、北風に乗って運ばれてくる香りは、春を連想させるものではなく、鉄の匂いだった。そしてそこに血の匂いも混じっている。彼らがどのような集団であるのかを想像するのは、たやすいことだった。
小高い丘の上で、この軍団は徒歩を止めた。そしてその先頭にいた騎兵の一人がおもむろに兜を脱ぐ。風に煽られて、美しい金髪がひらめいている。
「あれか・・・」
「あの巨大な墓標。間違いないな」
隣の騎兵が呟くように答える。
「まずは進もう。襲われる可能性も十分にある。全員、緊張して進め」
「あそこを抑えると、注意するべきは西側だけになる。何としても抑えねばな」
そんな会話を交わしながら、軍団はゆっくりと丘を下って行った。
「ラマロン皇国がついに軍を動かしたというのは本当か?」
「ああ、一週間前のことらしい。破竹の勢いで軍を進め、王都に迫っているらしい」
そんな会話を交わしているのは、ヒーデータ帝国の貴族たちだ。およそ数年ぶりに臨時貴族院が招集されていた。
臨時貴族院とは、帝国に侵攻や災害、疫病など国にかかわる大事が起こった時に召集されるもので、最近では、先帝崩御の際に召集されて以来だ。貴族というのはとにかく地獄耳である。自分の家が不利にならぬよう、また、何か利益になりそうなことはないかと日夜、情報収集に明け暮れている。全貴族が招集される貴族院は、彼らにとって打ってつけの情報交換の場であった。
そんな会議に、何故か俺も出席している。いや、見ている、といった方が適当だろうか。皇帝陛下が座る玉座の後ろの、カーテンの隙間から俺はこの会議を眺めている。
会議の内容は主に二つで、実にシンプルなものだった。
一つ目は、皇帝陛下にめでたく嫡子たる男子が誕生したこと。そして二つ目は、帝国の南に位置するラマロン皇国が北に向けて軍を進め、帝国の隣国を攻めたこと。帝国としてはその対応を考えており、もし、軍を出すのであれば、それぞれの家の役割も含めて通達する。これで終わりだった。
あっけないほどの早さで会議が終了してしまった。陛下が玉座から下がってくる。
「これはあくまで表向きの行事のようなものだ。リノス殿、これからが本当の会議だ。貴殿も出席してもらいたい」
「俺が出席するんですか?」
「是非、お願いしたいのだ。ラマロンの軍は、ジュカ王国に侵攻したのだ」
「ジュカ王国に・・・」
「あの国は大魔王降臨以降、内戦状態にあったのだがの。我らも様子を見ている間に、ラマロンが動き出したのだ」
これまで、ヒーデータ帝国とジュカ王国、そしてラマロン皇国は大国同士ということもあり、その昔はよく争っていたそうだが、ここ数十年は絶妙な軍事バランスを取り続けて均衡を保ってきた。それどころか、ジュカ王国はカルギ将軍の采配もあって、少しずつラマロン皇国の領土を侵食していた。
最初、ラマロン皇国が軍を動かしたと聞いた時、帝国のだれもが失地を回復しようとしているのだろうと考えたが、彼らは予想に反してそのまま北進を続け、ジュカ王国の旧王城に迫っているという。
ジュカ王国領がラマロン皇国に飲み込まれてしまうと、帝国は横っ腹を突かれることになる。それどころか、同盟国のニザも危なくなるのだ。見過ごすことのできないことであった。
「リノス殿はジュカ領の出身だ。その故郷に我らが軍を向けようとしておるのだ。この会議に出席してもらうのが、筋だと思ったのだ」
「はあ、ありがとうございます」
王国自体に思い入れはないが、王都にはエルザ様やファルコ師匠、そしてエリルたちと暮らした大切な思い出がたくさん詰まっている。ぶっ壊してしまったのは俺なのだが、そこに他人が土足で踏み込んでメチャメチャにされてしまうのは、俺としても気分が悪い。そんな俺の微妙な心情を察してくれた陛下の気遣いは、ありがたいものだ。
陛下に連れていかれたのは、またしても見たこともない部屋だった。
そこには、陛下の他、各方面軍の軍団長が顔を揃え、そして宰相閣下とヴァイラス王子が列席していた。要はこれが戦争の可否を決める「御前会議」だ。
「さて、諸侯の考えを聞きたい。忌憚なく意見を述べよ」
陛下のこの一言から、各方面の軍団長が意見を述べていく。ラマロン皇国が軍勢を進めたのであれば、一気に南進してしまおうという意見。いやいや、まだ様子を見た方がいいという二つの意見が拮抗している。
「フム、これではまとまらんの。では・・・義弟殿、そなたの意見はいかがであろうか」
突然陛下が俺に話を向ける。二人の軍団長が、露骨に嫌そうな顔をした。
「ジュカ王国に侵攻した軍はどのくらいの規模なのでしょう?」
「おそらく、3000くらいでしょうな」
宰相閣下が即答する。さすがにこの人は、すべての情報を掴んでいそうだ。
「で、ラマロン皇国の本国に温存されている軍勢は?」
「20万くらいですな」
「問題はだな!」
俺の話を遮って、南方軍の軍団長が口を開く。
「ジュカに行くためには、ラマロンの国境沿いを進まねばならん。そこに5万の軍勢がビッシリと配置されておるのだ。まず我々はこの軍勢を蹴散らさねばならん。そして、そのままジュカのラマロン軍を討伐しても、今度は南からやってくるであろう本軍15万と戦わねばならない。そう考えると、この度軍勢を動かすとなると、帝国のほぼ全兵力をもって侵攻せねばならんのだ!」
「だからそれでは帝国の守りが薄くなると言っておるだろう!」
「ならばこのまま指をくわえて見ておるのか!」
「・・・」
結局議論は元に戻ってしまった。そして、長い沈黙の時間が訪れた。俺は静かに沈黙を破る。
「・・・すみませんが宰相閣下、南方軍の兵力は、どのくらいなのでしょう」
「北方、西方、東方、南方・・・そして帝都防衛軍、それぞれ5万ずつを配している」
「では、帝都防衛の5万を我らにくれ!そして、貴族の傭兵を集め、我ら南方軍に合わせれば、15万・・・とはいかずとも、12、3万にはなるだろう。数の上では負けているが、勝てぬはずはない」
「そのような寄せ集めの軍勢で勝てるのか?相手は訓練された15万の軍勢なのだぞ?」
「そのようなこと、やってみねばわからん!」
「敗れたら、帝国は滅ぶかもしれんのだぞ!」
「・・・諸侯、もうよい。今のままではよい策は出ないであろう。皆ご苦労だった。帰って休め。そして明日の夜、再び作戦会議を行おうぞ」
陛下の鶴の一言で、御前会議はお開きになった。
「う~ん、大変なことになったね。僕も、とりあえず作戦を考えてみるよ」
ヴァイラス王子とそんなやり取りを最後に、俺はやっと会議から解放された。
城を出ると、真夜中になっていた。俺は頭がクラクラする中、イリモに乗って屋敷に帰る。途中、イリモの翼を使って移動している時に、突然イリモが上空で止まってしまった。
「ご主人様、行き倒れがいるようです」
下を見ると、フードを被った魔法使いらしき者が倒れており、その傍らで、同じくフードを被った者が必死で介抱している様子が見て取れた。
「このまま放っておくのも何だし、取りあえず下に降りてみようか」
「ソレイユ!ソレイユ!起きて!お願い!起きて!」
どうやら女の声だ。ソレイユと呼ばれる倒れている者に必死で呼びかけている。
「大丈夫ですか?」
「ああ・・・ああ・・・あああ・・・」
叫んでいた奴は俺を見て何故か後ずさりを始める。どうやら怯えているようだ。
この場合どれだけ言葉を尽くしても誤解は解けないと経験上知っているので、俺は構わずに倒れている奴の所に行き、取りあえず回復魔法をかける。しかし、反応はない。
「水か?腹が減っているのか?」
無限収納にあるお弁当と魔法で水を出してやり、ついでにお湯も作ってあげる。
「これで様子を見な?」
そう言って俺は再びイリモに乗り、屋敷へと帰った。
「リノス、リノス、起きてくださいませ。起きてくださいませ」
リコの声で目が覚める。そういえば昨日は帰ってきてすぐメシを食って、風呂に入ってそのまま寝たんだ。ああ、すまん。寝過ごしたか・・・と思って目を開けると、きちんと服を着たリコが枕元に居た。くっ・・・今日はリコのきれいな姿を見逃したか・・・。ちょっと悔しい気分を押さえて、俺はベッドから起き上がる。
「早く服を着替えてくださいな。お客様です」
「客?誰だ?」
「ジュカ王国からの使者です」
「ジュカ王国?」
妙な胸騒ぎを覚えつつ、俺は服を着替えて応接室に向かう。そこに居たのは、昨晩見たフードを被った二人組だった。