第千四十七話 龍王の鱗
扉を開けると龍王が立っていた。腕を組み、顎をクイッと上げた、いつものスタイルでだ。
アリリアはまだコイツを呼んでいない。呼んでいないにもかかわらずすでにここに居るということは、俺たちの会話を聞いていたということになる。さすがは一流のストーカーだなと思っていると、彼は長い尻尾を地面に打ち付けた。
「今日は何をするのだ。かくれんぼか。おいしゃさんごっこか」
「ああん?」
思わず殺気を放ってしまった。龍王はそれに敏感に反応した。
「貴様……この我と戦おうというのか。面白い。どこからでもかかってくるがいい」
「ウチの娘に変なことしやがったら、ただぁおかねぇからな、バカ龍」
そのとき、俺の裾を引っ張る者がいた。振り返ってみると、メイだった。彼女は俺の耳元に顔を近づけると、小さな声で呟いた。
「……アリリアのおいしゃさんごっこは、龍王様に色んなものを食べさせるものです。この間は毒草を食べさせていました。ご主人様から、お詫びしていただければと」
「……そのまま死にゃぁよかったじゃないか」
思わず本音が口をついて出た。メイは何とも言えない表情を浮かべている。
「りゅうおーくん、お願いがあるの」
この一触即発の状況など知ったことはないとばかりに、アリリアが呑気に口を開く。
「何だ。何でも言ってみるがいい。ウワッハッハッハ」
「りゅうおーくんの鱗が欲しいの」
龍王は言っている意味がわからないとばかりに、首をカクンと九十度に曲げた。
「たくさんほしいの」
「……」
アリリアの言葉に龍王は無言を貫いている。確かにそうだと思う。いくらアリリアの頼みとはいえ、自分の鱗を人にやるというのは難しいのだろう。人間で言えば、皮膚をくれと言っているようなものだ。それはそれで痛みを伴うのかもしれない。龍王が返答に困るのは理解できる。
ただ、メイとシディーの研究のために、それがあるのとないのとでは進捗が異なってくる。龍王には悪いが、ここは何としてもその鱗を落としてもらわねばならない。
最悪の場合、このバカ龍と一戦交えなければならないなと、俺は心の中で嘯く。
ここで戦うと家族に、アリリアに被害が及ぶから、エアバズーカ―を打ってこの龍を遠くに飛ばす。同時にコイツに渾身の雷撃を食らわせて地面にたたきつける。そのまま気を失ってくれればよし、意識があるならば、すぐにその場に駆け付けて剣で頭をメッタ打ちにして意識を刈り取る。そうしておいて、鱗を剥がしていく。この作戦は二つの魔法を同時に操らねばならない。しかも、タイミングも計らねばならないので、相当の注意を要する。エアバズーカが外れた場合のことも考えておかねばならないし、雷撃が躱されたときの場合も考えておかねばならない。そもそも、エアバズーカが効かなかった場合というのも考えておかねば。そのときはホーリーソードで袈裟懸けに斬って、斬って、斬って、切り刻んでから鱗を剥ぐことにしようか。このバカ龍は体だけは丈夫なので死ぬことはあるまい。
……いや、待てよ。ソレイユに神龍様を呼び出してもらって、彼に命令してもらえばいいじゃないか。うん、それが一番コスパがよさそうだ。
「はいこれー」
アリリアの頓狂な声で我に返る。見れば、彼女の小さな両手の中に、キラキラと光る鱗が入っていた。
「これ……は?」
「りゅうおーくんがくれたよ。おかーさん。これでいい? もっともらう?」
「……いただけるなら、もう少し、いただきたいです」
「りゅーおーくん、もう少しだって」
アリリアは手に持っていた鱗をメイに手渡すと、龍王の許に駆け寄り、再び両手を差し出した。彼は無表情のまま右手を差し出し、左手で右手をゆっくりと撫でた。アリリアの手の中に鱗が溜まっていく。
「おかーさん。このくらいでいい?」
「ええ……十分です。ありがとう」
メイはそう言うと屋敷の中に入っていった。アリリアも母親について屋敷に入っていく。
「おい」
不意に龍王が口を開いた。彼の表情は相変わらず無表情のままだ。何かに呆れているようでもあり、驚いているかのようでもあった。
「どういうつもりだ」
今度は俺がキョトンとする。どういうつもりだと言われても、どういうことになるだろうか?
「アリリアに、あんなものを持たせてはならない。すぐに魔法をかけるのだ」
「魔法? 何の?」
「手を綺麗にする魔法があるだろう」
「クリーンのことか? それならかけられるが……どうしたんだ」
「アリリアにあのようなものを持たせてはならぬ。すぐに浄化するのだ。すぐにだ!」
何をキレてんだコイツ、と思ったが、ここまで感情を露わにするのは珍しい。いや、待てよ。ということは……。
「まさかお前の鱗、毒でもあるんじゃないだろうな!」
「それに近いものがある」
「バカ野郎! 早くそれを言え! アリリア!」
「なにー」
屋敷から出て来た彼女にすぐにクリーンの魔法をかける。念のため、もう一度クリーンの魔法をかけておく。手を取ってみてみるが、いつもの小さな手だ。
「特に問題ないように見えるが……おい龍王、こんなものでいいのか」
「……まあ、よいだろう。貴様、二度とアリリアにそのようなことをさせてはならぬ」
「何で、どうしたんだ」
「我の鱗など……」
「鱗がどうした」
「それは、貴様らで言う排泄物と同じだ。そのようなものをアリリアの手に取らせるな」
「排泄物ぅ?」
思わずアリリアの手を取ってクンクンと匂いを嗅いでみる。何の香りもしない。あ、俺がさっきクリーンの魔法をかけたからか。彼女は不思議そうな表情を浮かべながら俺を眺めている。
「おとーさん、りゅうーおーくんと遊んでくるね」
「いいけれど、彼の体には触らないようにしなさい」
「え?」
俺は無言のまま彼女に結界を張り直した。
屋敷に入ると、メイとシディーが龍王の鱗をテーブルの上に広げて、一つ一つを吟味していることろだった。二人は鱗を光に透かして見ていたり、爪で引っ掻いたりしていた。
「これ……メイちゃん、きっと、デンブリードの含有量が高いよね」
「そうですね。きっと、ベタルフリセルトもかなり含まれていますね」
「ということは、ガイセルンと処理をして、ワセコール反応を起こさせて……」
「そのままカセオフボウイすればいいと思います」
俺の存在に気付いたシディーが、真剣な表情のまま口を開く。
「これは、今まで見たことのない物質です。詳しくは調べて見ないとわかりませんが、ただ、私たちが求めているものよりもはるかに役立つものであるのは確かです」
……二人の会話の内容が全くわからないが、何か、すごいことが起こりそうな気がする。ただこれは、龍王曰く彼の排泄物なのだという。俺はその鱗を手に取り、鼻先に持っていって臭いを嗅いでみた。特に特徴的なものは感じなかった。ホッと胸を撫で下ろしつつ、それはよかったねと言おうとしたそのとき、メイが鱗を歯で噛んでいるのが目に入った。
「あの……メイ、それ……」
「あ、すみません。はしたないことを……」
「あ、いや、いいんだ」
俺はそう言うと、テーブルの全体にクリーンの魔法をかけた。
◆ ◆ ◆
「本当に参られるのでしょうか」
「くどい」
アーヤ・カマンは不機嫌さを隠そうともせずに口を開いた。彼は部下にアガルタの都に行く準備をせよと命じていたが、部下たちは一様に反対をした。彼らには、魔法協会の総帥自らアガルタに赴く理由がわからなかった。
だが、彼は直感的に、このまま今の状況を見過ごせば、魔法協会の存続意義だけでなく、魔法そのものの存在理由もなくなると考えていた。それは魔法使いにとって死を意味することであった。それはひいては、彼自身の死をも意味するものであった。
彼は老骨に鞭を打ち、その流れを何としても止めようと、覚悟を決めていた……。