第千三十六話 好調
それから折に触れて、王太子の状況を報告する書簡が、侍医ククマよりサウシ王子の許に届くようになった。と同時に、兄がヒーデータに申し入れていた借款に関しても、ヒート皇帝から丁寧な断りがあったことも報告された。
「まさに万策尽く、といったところだな。打つ手打つ手が裏目に出ている。もう、ここまで来ると、哀れさしかないな」
書簡を読みながらサウシ王子は本気とも冗談ともつかぬことを言った。すでに兄の病状は深刻で、ククマの見立ではその命は一年ももたないということだった。それでもなお、王太子側では八方手を尽くして医師を探している状況であった。
……殿下の体調不良の原因は、体内にできた肉塊が原因でございます。それは、体の養分を吸い取りながら肥大化していくもので、殿下がお痩せになっているのはそれが原因でございます。肥大化が進むと体内のあらゆる臓器を圧迫し、その働きを阻害するため、日常生活を送ることが困難になってきます。そして、最後には命を落とすのでございます。それを治癒するためには開腹手術を行い、それを摘出せねばなりません。ただし、私の見立では、殿下の肉塊は心臓に近い位置にあるため、摘出には相当の技術が必要になります。畏れながらそれは私にはできかねることでございます。殿下が血眼になって医師を探しておいでなのは、そのためなのでございます。
ククマの手紙にはそう書かれてあった。王子はそれを近習のカレントに渡しながらゆっくりと首を振った。
「なるほどな。兄上はもちろんだが、その周囲の者たちが大変だな。皇帝に即位してしまえば、開腹手術などとんでもない話だ。玉体に傷をつけることは許されないからな。やるとすれば即位するまでだ。ただ……開腹手術で相当の技術を持つ医師となると、クリミアーナかアガルタというところになるだろうが、クリミアーナはさすがに危険すぎる。一方のアガルタは医師など派遣することはないだろう。兄上にそんなことをする義理はないからな」
「殿下がわざわざアガルタに出向いた甲斐がありましたね」
カレントが笑みを浮かべながら口を開く。王子は満足げに頷いた。
「そうだな。私が要請すればアガルタは動いてくれるだろうが、私も、兄上にそんなことをする義理はないからな」
王子はそう言ってフフフと笑った。
「この上は、王太子殿下には速やかに後継者を殿下にお決めいただくことが肝要ですね」
「兄は承知しないだろう」
「それを承知させるのです。お身体がいよいよ動かなくなってくれば、お気も弱ることでしょう。そのときに折を見てお話し申し上げるのです。お兄君お二人では、いかにもこの国の未来を託すには力不足でございます。次の王位はサウシ王子様に、というのは、我々のみならず、この国に生きとし生けるもの全ての希望でございます」
「そう上手く運ぶかな」
「そのために、殿下は王太子殿下のご家来たちとも関係を構築されてきたのではありませんか」
「そう、だな」
「今こそ殿下がお播きになった種が役に立つ時でございます。このことは、このカレントにお任せください」
彼はそう言って胸を張る。その様子をサウシ王子は満足げに眺めていた。
「失礼します」
カレントと同じくサウシ王子の傍に仕えているゴロゴという男が入室してきた。その彼に、王子は兄の病状を話した。
「……話がうますぎませぬか」
予想もしなかったゴロゴの返答に、王子は思わず眉をひそめた。
「うますぎる、とは」
「いえ……あまりにも我々にとってよい状況に進みすぎている気がします。そもそも、ククマ殿の心が王太子殿下から離れる、というのが私には違和感があります。あのお方はお隠れ遊ばした陛下はさておき、他の誰よりも王太子殿下への忠義一徹であったお方です。それが、殿下に面罵されたからと言って、傍を離れようとなさいますでしょうか。むしろ、ご自分の手に余るのであれば、率先して別の医師を探してくるのではないでしょうか。それもせずに、ただ殿下の病気が進んでいくのを座して待っている、というのは……」
「相変わらず心配性だな、ゴロゴは」
「……」
「ククマの話が嘘であるというのか。もし、万に一つそれが本当であったとして、どうなるというのだ。兄上が痩せて体力が衰え、体調が悪いというのは事実である。仮定の話として、兄上の体調が問題ないとしても、あの兄が私に勝てる要素は今のところ何一つとしてない。軍事・物資両面で我々は兄を圧倒している。その兄が、その家来たちがどのような策を弄したとしても、この私に勝てる要素は万に一つもないのだ」
「……はっ。しかし殿下」
「しかし、何だ」
「追い詰められた者は何をしでかすかわかりません。命を捨てた破れかぶれの攻撃が功を奏して勝ちを拾うことはよくある話でございます。殿下にあらせられましては、注文通り、いや、それ以上によい傾向で事が進んでいたとしましても、決して御油断なきようにお願い申し上げます」
「フフフ。その通りだ。最後の最後まで、王位をこの手に掴むまで油断は禁物だな。慢心していた私の心を落ち着かせてくれたゴロゴの意見、嬉しく思うぞ」
王子の言葉に、ゴロゴは恭しく一礼した。
「それでは殿下、早速王太子殿下の周囲の者たちに、殿下に王位を禅譲するよう働きかけます。何事も、穏便にコトが運ぶのに、越したことはございません」
「そうだな。カレント、任せたぞ」
カレントは一礼すると、まるで飛び出すようにして部屋を出ていった。
◆ ◆ ◆
シディーが怪我をして帰って来た。外傷はないのだが、右手が痺れて動かない。そして、歩行も怪しい。フラフラするようで、彼女はメイに肩を借りながら、たどたどしい足取りで帰って来た。その様子を見た家族は騒然となった。
「大丈夫大丈夫。痺れているだけだから。すぐに回復するから」
そう言って彼女は笑顔を見せたが、皆の心配は拭えなかった。
どうしてこんなことになったのか。シンプルに言えば、高圧電流に触れてしまったからだ。メイとシディーが進めているオリハルコンの研究は、すでに高い電圧を生み出すだけの電気を生産するところまできていた。ただ、その電力を調整する技術までは確立されていないために、こんなことが起こってしまったのだ。
「オリハルコンを入れている容器から出ている鉄の線に触れたら、まるで木刀で叩かれているような衝撃を手に感じたのよ。で、それから手を放そうとしたんだけれど、手って放れないのよね。逆に掴みにいっちゃって……。そのまま手が離れなくてびっくりしたわ。メイちゃんがオリハルコンの容器を蹴っ飛ばしてくれなかったら、もしかしたら死んでいたのかもしれないわ」
シディーはあっけらかんとそんなことを言った。いや、死んでいたかも、ではなくて死んじゃいますよと思わず突っ込んだ。それよりも、メイが容器を蹴っ飛ばしたと言っていた。メイがこれまでそんな過激なことをした場面は見たことがなかったので、それはそれで見たかった気がする。
「研究もよろしいですけれど、ケガをしては何にもなりませんわ。絶対に、一人でやらないようにしなければなりませんわ」
リコが呆れたように口を開く。シディーは大丈夫大丈夫と言って笑顔を見せた。必ず研究はメイちゃんと二人でやるから、何の心配もないと言って動く左手を振って、心配ないとアピールしていた。その様子を見て、皆はホッとしたようだった。
「……なあ、シディー」
皆が食事の準備をするために三々五々と散ったときに、俺は彼女に小声で尋ねてみた。シディーは怪訝な表情を浮かべている。
「なに?」
「大丈夫だったのか?」
「なにが?」
「その……痺れるだけですんでいるのか?」
「すむもなにも、それだけよ」
「粗相は……大丈夫だったか?」
「……」
彼女は顔を真っ赤にしながらゆっくりと俺から視線を逸らせた。俺は後でメイに礼を言っておこうと、心の中で呟いたのだった……。