第千三十三話 進捗
翌日から、メイは研究に没頭するようになった。
これまではアガルタ大学の学長としての役割が中心で、どちらかというと報告を受けたり相談に乗ったりすることが多かったが、ここにきてようやく、自分で研究をしたいというテーマが見つかったようだ。このところ、彼女はいきいきしているように見える。ただ、かなり頑張り屋さんであるため、体調には十分注意して欲しいところだ。
同じようにシディーもメイと何やら色々と打ち合わせをしている。彼女自身もオリハルコンの特徴には注目していて、それをどう具現化しようかと考えていたところにメイの研究が発生したため、よい機会とばかりに積極的に向き合うようになっている。
ただ、この研究は今のところ秘匿されている。基本的にメイと彼女が信頼するごく限られた研究者たちの手で進められていて、その中にはあの、リボーン大上王も含まれている。
当初その話を聞いたときは大丈夫かと俺は懸念した。だがメイは絶対に大丈夫ですと言い切った。あのジイさんは割とおしゃべりだから、研究の成果が流出してしまわないかと思ったが、その心配は無用であるらしい。俺の知らないところで、メイとあのジイさんとの間に信頼関係が生まれているようで、何となく悔しかった。
ただ、進捗としてはあまり進んでいない。これまで見向きもされなかった電気というものを研究するのだ。当然、電圧機などと言う便利なものはない。すべてが手作業で進められるのだ。今の状況を聞いて驚いた。ある程度静電気を発生させることはできているが、その威力を把握するために、自身の手を突っ込んでいるのだという。それだけでもさぞ、不快でたまらないことは容易に想像できるし、その威力が上がれば下手をすると感電して死ぬ可能性すらある。俺は彼女らに、そうした電気に対する耐性を持った結界を張ろうとしたが、メイにもシディーにも、それでは意味がないと丁重に断られてしまった。
むろん電気、というより雷撃の衝撃を和らげるものはある。ただそれは、とんでもなく高価なもので、とあるドラゴンの毛を編み込んだローブがそれに当たる。そのドラゴン自体が希少な生き物であるし、しかもそれなりに強い。そのためその素材が市場に流出する可能性は極めて稀で、さらにはそのドラゴンの毛は雷撃だけでなく他の魔法の衝撃も和らげる効果を持っているために、市場に出るとそれこそ天井知らずの価値が付けられる。まあ、アガルタの財力をもってすれば買えないことはないし、俺であればドラゴンは狩れるだろうが、いずれにしても実にコスパの悪いことで、研究員すべてに賄うことは難しい。ただ俺には、くれぐれも気を付けてやってくれと言うことしかできなかった。救いがあるとすれば、今のところ二人は嬉々として実験を行っていることくらいだ。二人との付き合いも長いが、そんなドMな一面があるのはさすがに知らなかった。
研究自体は一進一退を繰り返しているらしいが、この二人のことだ、近いうちに驚くような報告をしてくれると信じている。
◆ ◆ ◆
それからしばらくして俺は、再び陛下の私室に呼ばれた。サウシ王子の兄であるメルシ王太子の動きがわかったというのだ。
「すまぬな、いつもわざわざ」
陛下はそう言って私室の椅子にゆったりと腰かけている。俺は屋敷から持ってきた料理をテーブルの上に並べる。つい先ほど作ったので、アツアツの状態だ。ちなみに、この日のメニューはリコが揚げた天ぷらだ。
この料理に興味津々だ。油で食材を揚げるというのがよくわからないらしい。だが、そこから立ち昇る香ばしい香りに目を細めている。
「ささどうぞ、冷めると美味しくなくなりますから」
陛下は促されるままにフォークでそれを口に中に放り込む。
「ん……これは、美味だの。おお、思い出した。これは、ホテルクルムファルで供されている料理ではないか。もしかするとこれは……」
「ええ。リノスのアイデアですわ。ただ、上手く揚げるのは私には難しいですわ。単に食材を油で揚げるというシンプルなものですが、外の衣の状態と中の食材に十分熱が通っているかどうかを見極めるのが難しいですわ」
「ほう。リコレットがそこまで言うのであれば、これは難しい料理なのだろう。できればタウンゼットに教えてもらいたかったが……。なに、高温の油でやけどをする可能性がある? それはいかんな。リコレット、そなたは……。やけどをせぬのか? ううむ。そなたはやはり器用なのだな。いやしかし、そんな貴重な料理を持って来てもらって、余は嬉しく思うぞ」
陛下はそう言って料理を口の中に放り込んでいく。
「ところで、メルシ王太子の件であるがの」
口元を白い布で拭いながら彼は言葉を続ける。
「余に膨大な借金を申し込んできた訳を突き止めることができた。どうやら、その資金はアガルタから結界石を贖おうとしておるらしいのだ」
「結界石を?」
「察するところ、弟のサウシ王子と一戦交えようと考えているようだ」
「力づくで、ということですか」
「まあ気持ちはわからぬではない。このまま放っておけば、サウシ王子との力の差は開くばかりだ。そうならないうちに彼を葬っておこうと考えるのは、わからぬではない」
陛下はそう言うと、傍らに置いてあったワイングラスを手に取り、それをグイッと飲み干した。
「ところで、サウシ王子からの留学生はいま、何をしている」
「大きく分けて二つです。一方のグループでは大学で土木建築の技術を学んでいて、もう一方はアガルタ軍の中で戦術などを学んでいます」
「そうか。彼らが学ぶのはそれだけかな?」
「そうですね。土木建築と言っても色々と複雑で、それを習得するためには様々な知識が必要になります。彼らは今、基礎を学んでいますが、いずれ、土を掘り起こすための道具を開発したり、建物を建てる時に使う様々な資材や薬品を学んだりすることになります」
「そうか。それらの知識や技術を習得した者たちが帰国すれば、サウシ王子の領地はさらに発展し、彼はさらなる力を得ることになるだろう。メルシ王太子が焦る気持ちもわからぬではない」
まあ、確かに、と俺は心の中で呟く。二人の兄弟の間にはアガルタからも斥候が放たれていて、随時情報が共有されてきている。今のところ二人は傭兵を積極的に雇い入れているが、資金力のあるサウシ王子の方が集まりはいいようだ。そこにアガルタの軍事知識を持った者が帰国して兵士を訓練すれば、おそらく王太子側は敗北を免れないだろう。勝てるかどうかは微妙なところだが、攻撃するなら今というところなのかもしれない。
「ただの、余の許にはもう一つの情報があっての。メルシ王太子は秘密裏に医師を探しておるらしいのだ」
「医師?」
「うむ。このところ王太子は体調が優れぬらしい。そのために秘密裏に医師を探しているようなのだ」
「そうですか……。ということは、ポーセハイを貸してくれと言ってきそうですね」
「いや、その可能性はあるまいよ」
「そう、ですか……」
「アガルタからポーセハイを派遣してもらったとなれば、世界中にその話題は広がることであろう。そうなれば、サウシ王子側に付け込まれる隙を与えることになる。そのために秘密裏に医師を探しているのだ」
「容体は、どうなのでしょうか」
「今のところ重篤なものではないらしいが、日々頭痛に悩まされていて、立ち上がるとフラフラするようだ。察するところ、弟憎しの感情が高まりすぎているのだろうな」
俺は陛下の言葉に何も言わず、腕を組んで椅子に体を預けた。