第千三十話 オリハルコンと大金
俺とリコは再び陛下の私室に訪れていた。別に行きたかったわけじゃない。陛下に呼び出されたのだ。
さぞや面倒くさいと思っているだろうと予想していることだろう。だが、意外に思うかもしれないが不快感はない。俺としても、何となくだが、陛下とコミュニケーションを取った方がよいと思っていたから、まさに渡りに船といったところなのだ。
「すまぬな、わざわざ来てもらって」
転移すると、陛下とタウンゼット王妃が出迎えてくれた。彼女の傍には二人の女の子が控えていた。二人の子供たちだ。俺は秘かにこの子供たちを「いとちゃん」、「こいちゃん」と呼んでいる。
長女であるいとちゃんは五歳だが、まだ俺たちに慣れていないらしく、母親であるタウンゼットのスカートの裾を握りながらこちらを見ている。体がこちらを向いていないところを見ると、ちょっと苦手に思っているようだ。対して妹であるこいちゃんは母親の後ろに隠れていて、顔だけ出してこちらを見ているが、興味はあるらしい。俺はそんな二人に笑顔を見せる。
王妃と娘たちは挨拶を済ませると早々にその場を後にした。その後ろ姿を陛下は幸せそうな表情を浮かべながら眺めている。察するところ、娘たちが可愛くて仕方がないのだろう。その気持ちは俺もわかる。
招かれるままに椅子に座る。相変わらずクッションが利いていて座り心地がよい。陛下もそこにどかりと腰を下ろす。すかさずリコがお行儀が悪いですわと窘める。
「相変わらず厳しいの。屋敷でもこんな感じなのか? リノス殿も息が詰まることであろう」
陛下はそう言って苦笑いを浮かべる。
「あ、陛下、お昼はもうお済ですか」
雰囲気が悪くなりそうだったので話題を変える。陛下は、昼はまだ食べていないと言うので、屋敷から持参したサンドイッチを食べませんかと提案したところ、顔がパッと明るくなる。
「おお、ちょうど腹が減っていたところだったのだ」
「では、食べましょう」
そう言ってテーブルに紙で包んだサンドイッチを差し出す。
「そなたの屋敷の食事は美味であるからの。楽しみだ」
「ええ、いつもはコック長のペーリスが食事を作りますが、今日は俺とリコで用意しました」
「なに、二人で作ったと。これは……アガルタ王と皇后殿の手料理をいただけるとは、恐縮だの」
「お戯れを。お口に合えばよろしいのですが」
そう言って俺は紙包みをとく。中には肉や野菜を挟み込んだ数種類のサンドイッチが入っていて、それこそ焼き立てのパンに素早く具を挟んで持ってきたので、まだ十分に温かい。
「あら、美味しそうな香りがしますね」
タウンゼット王妃がお茶を淹れて持って来てくれた。よかったらお召し上がりくださいと言って別に包んだサンドイッチを差し出す。彼女は丁寧に礼を言いながら、ぜひいただきますと言って受け取った。
「……ん、美味いな。なによりまだ温かいのがよいの」
陛下はそう言ってサンドイッチにかぶりつく。こうして見ていると単にいいおじさまに見えるが、やはり彼は根っからの政治家なのだろう。唐突に話題をそちらの方に替えてきた。
「ところで、サウシ王子から余にドワーフ公王に目通りできるように紹介して欲しいと要請があった。かの王子が狙いは何であろうかの」
俺はリコと顔を見合わせたが、やがて陛下に真っすぐな視線を向けた。
「おそらく、オリハルコンが望みではないかと」
「オリハルコン、か」
陛下は目を丸くして頷いた。その様子を見てリコが口を開く。
「兄上も知っての通り、オリハルコンは非常に希少な鉱物で、製作するのに多くの時間と技術力を要しますわ。ただしそれは、魔法を増幅したり軽減したりすることができる特性を持ちます。サウシ王子様はオリハルコンを手に入れて、軍備を増強しようと考えているのではと推察しますわ」
「なるほどの。サウシ王子の領内には金山がある。言わば、その豊富な資金力を背景にオリハルコンを手に入れようとしている、か。あの鉱石は確か、何とやらという技法を使えばどんな形にも変えられるし、それが固まれば相当の硬度を誇るものになる。いわゆる伝説の武器や防具などがそれで作られているのは、そういう理由のためだ。あの王子は、伝説級の武器防具を自国で増やそうとしているということか」
「あくまで推測の域を出ませんわ」
「うむ。もし、その推測が当たっているのであれば、あの王子に領主たる資格はない」
陛下は言下にそう言って切り捨てた。この人がここまで断言するのは珍しい。
「考えてもみよ。余も詳しいことまではわからぬが、何とやらと何とやらの鉱石を溶かして混ぜ、不純物を取り除いていかねばオリハルコンは作ることができぬことくらいは知っている。それだけでも相当の労力と技術力が必要だ。さらに、それを加工して使うとなると、さらに技術力が必要となる。あの王子の領内でそれを作る技術者も設備もない。となれば、公国に依頼をするしかない。それをするためにはどれほどの金が必要になるであろうか。公王もお人よしではない。相当の金額を請求することだろう。そんなことをすれば、たちまち領内の経営は行き詰る。その被害は領民にも及ぶだろう」
まさに陛下の言う通りだと大きく頷く。彼はさらに言葉を続ける。
「サウシ王子が我が国とアガルタに近づいてきた狙いはオリハルコンであることははっきりした。対して、兄であるメルシ王太子は単に我が国に対して借金を申し込んできただけだ。兄の方は、弟に対して何をしようとしているのだろうか」
「それは……今はまだ……」
「リノス殿もリコレットも同じように感じていると思うが、サウシ王子は動きすぎだ。別に行動することが悪いと言っているわけではないが、余には何の対策もなく、単に闇雲に動いているように見える。こういう場合は得てして失敗をしがちだ。あの男の能力の高さは認めるが、いささか自分の能力に自信を持ちすぎる傾向があるように思う」
まさに、ソレイユが言っていた通りだと心の中で呟きながら俺はゆっくりと頷く。
「対して、メルシ王太子は動きが少ないように見える。余にはこの兄の方が色々と権謀術数を巡らしている気がしてならぬ」
陛下はそこまで言うと、王妃のタウンゼットが用意したお茶をゆっくりとすすった。
「メルシ王太子は莫大な資金で何をしようとしているのか、一方のサウシ王子はオリハルコンを手に入れて何をしようとしているのか……。二人はおそらく、我が国とアガルタを戦わせるような気持ちはないと思われるが、二人が本格的に戦いを起こしたとあれば、世間の者たちはそうは見ぬであろう。二人の狙いがどこにあるのかを見極めるまで、しばらくは様子見、というところだの」
そのとき、女性の声がしたので思わずその方向に視線を向ける。すると、手をソースでベトベトにし、さらには、服にもソースをつけた状態でこいちゃんが俺たちの前に走って来た。
「とってもおいしゅうございました」
彼女はそう言って俺たちの前でペコリとお辞儀をした。ああ、なんとも行儀のいい女の子だなと思ったが、汚れた手でスカートを押さえていたために、さらに衣装が汚れてしまった。後ろからやって来たタウンゼット王妃が、大変失礼しましたと言って子供の手を引いて連れて行ってしまった。
「……あれはお行儀が悪くて困る」
そう言って苦笑いを浮かべる陛下は、どこか幸せそうだった。俺はとても行儀が行き届いていますねと褒めたところ、彼は満足そうに頷いていた。その一方で俺は、もう少しあの王子のことを調べてみようと考えていた……。