第千二十八話 過ぎたるは猶及ばざるが如し
それから数日たって、王子はアガルタの都を出立した。
俺はリコを伴って見送りに立とうと思ったが、それは止めることにした。その代り、マトカルとソレイユがその役割を担った。実は二人にはある密命を与えていた。言うまでもなく、ガルビーに到着するまでの間、王子の動向を監視することで、マトカルには護衛の兵士たちを使って、ソレイユについては精霊たちを駆使してそれをやってもらうことにしたのだ。
その王子は、見送りに立ったマトカルとソレイユを前にして、ずっとソレイユを眺め続けていたらしい。まあ、そうなるのもわからなくはない。彼女のあの衣装では、まともな男の子であればどうしてもそこに視線がいってしまうというものだ。きっと同じ立場であったら、俺も同じようになるだろう。
そんな彼にソレイユは思いっきり愛嬌を振りまいたらしい。やめなさいよ、男の子の心を弄ぶのは。
もっとも、彼女は誰彼構わず愛嬌を振りまいたりはしない。これは逆に気に入らない男子にする仕草だ。彼女は彼女なりに、サウシ王子から何かを感じ取っていたようだ。
王子が出発してしばらくして、俺は執務室にマトカルとソレイユを呼んだ。報告を聞きがてらランチでも食べようと思ったのだ。
マトカルからの報告は、「別に」という実ににべもないものだった。まあ、その一言で大体の事は察しがついたのだが。対してソレイユは、てっきり王子の悪口を言うのかと思いきや、意外な答えを返してきた。
「他者に嫌われることを極端に恐れておいでのようですね」
ほう、詳しくと身を乗り出す。
「あれだけ他者に不快感を与えないように振舞うというのは、なかなかできないことです。ただ、それがあまりに極端であるために、人によってはそれは違和感を覚えることもあります」
「おお、そう。そうなんだ。あの王子様の行動はすこし違和感を覚えるんだ」
「そして、それをバカにされていると感じる人もいます」
そう言ってソレイユはマトカルに視線を向ける。だが、彼女はいつもの通り無表情のままだ。
「そのために、人からは警戒されたり、嫌われたりしますので、サウシ王子様ご自身も、どのように振舞ったらいいのかがわかりかねているところもあるように見受けられました」
「なるほどな……。兄貴のメルシ王太子との関係がうまく言っていないのは、その点も原因であるかもしれないな」
俺の言葉にソレイユはくすくすと笑う。
「いいえ。これは私の推測ですが、それは関係ないと思います」
「そうか」
「サウシ王子様は、ご自分の容姿と能力に絶対の自信を持っておいでになります。兄上様との仲が悪いのは、おそらく兄上様の能力を下に見ての態度がそうさせているのだと思います」
「なるほど、ね」
「ただ、それだけでは、サウシ王子様には味方がいなくなります。そうならないために、孤立しないために、あのお方はご自身の優れた容姿を生かして、あのような振る舞いをなさっているのではないかと私は思います」
「……たぶん、ソレイユの言う通りだろうな。ただ、それがあまりにもやりすぎるために、人によっては不快感を覚えたり、警戒されたりしているということか。よくわかるよ。何事も、やりすぎはよくないということだ」
「その通りです。ああしたお方は得てしてご自分の行動は絶対に正しいと思う傾向があります。そうなると、その行為は押しつけがましいものになりがちですし、結果、多くの敵を作ることになります」
「うん。あの王子様はきっと、いい女にはモテないかもしれないな」
俺の言葉に、ソレイユはケラケラと笑い声をあげた。
「そうかもしれませんね。迎賓館の仲間も、サウシ王子様のことを話題にしていた者は皆無でした」
そう言って彼女は笑顔を浮かべながら頭を下げた。
ちなみに、迎賓館のサイリュースの中には、他国から訪れた使者や王族と関係を持つ者もいる。誤解がないように断っておくが、全員ではない。ごく一部のもの、としておく。ソレイユのように衣装はエロいが、身持ちの固いサイリュースもいるのだ。
そのサイリュースは基本的に子供は一人しか生めない。例外として二人以上の子供を授かることもあるが、その可能性は極めて低い。それに、二人以上の子供を産むと、母体がかなり弱くなってしまうらしいのだ。そのため、彼女らは種の保存に対して並々ならぬ意識を持っている。世間では彼女らのことを性に対して奔放であると思われているし、実際にそういう者もいる。だが、彼女らにとっては優秀な遺伝子を残していくことが、その種族に課された使命であるために、そうならざるを得ないこともあったようだ。
特に迎賓館で勤めているサイリュースたちは、里の中でもえり抜きの者たちが派遣されてくる。彼女らにとってアガルタの都で働くというのは、一種のステータスにさえなっている。そこで見染めたり見染められたりして、優秀な男の子供を宿して里に戻る、というのが一般的な流れのようにさえなりつつある。迎賓館の館長であるミンシも、それは黙認しているようだ。
ただ、自分からあからさまに声をかけるのは禁止されているし、ほぼ圧倒的に男性側からアプローチされて関係が生まている。ただ、先に述べた通り、彼女らの男性を見る目は実に厳しいものがある。とりわけその人間性に重点を置いているために、サイリュースの間で話題になる男性というのは、相当に人間的にも優秀であると言って差し支えないのだ。ちなみに、だが、彼女らの中で一番人気は、あのフラディメ王国のメインティア王に仕えるパターソンだ。彼も実は、あるサイリュースと恋に落ちて、子供を授かっている。
サウシ王子はそんな彼女らの間で話題にも上らなかったらしい。彼も彼なりに、女性たちを褒め倒したのだろうが、その努力は実を結ばなかったことになる。
昼食を終えた俺は二人にねぎらいの言葉をかけて部屋から下がらせた。なお、この日の昼食はカルボナーラパスタとサラダとパンだった。パスタのソースが濃厚で美味しかったことを特筆しておく。
サウシ王子の動向については意外に早く報告がなされ、その日の夜には俺の許に第一報がもたらされた。
王子は移動の馬車ではずっと眠っていた。目覚めるとぼんやりと車窓に移る景色を眺め、しばらくすると眠るというのを繰り返していた。よほど疲れているのか、迎賓館の枕が合わずに寝不足になっているかはわからないが、ともあれ、彼はよく眠っていた。
王子は馬車で移動と言ったが、実際は馬車ごと大きな筏に乗せて、川を下ってガルビーまで向かった。森を抜け、山の間を進む景色が最も雄大で感動を覚えるのだが、彼はそこでは眠ってしまっていた。ここは俺だけでなく、家族の者も大好きな場所で、年に二回は皆でここを訪れて景色を堪能することにしているのだが、この王子には縁のないものになってしまった。
ガルビーに着くと彼は深夜であるにもかかわらず船に乗り込み、そこでようやく遅い食事を摂った。都を出てから食事もとらず、水分だけで手洗いも行かずに十時間以上もの時を過ごしていた。逆に彼に何があったのか、俺はちょっとした興味を持ったので、マトカルとソレイユに命じて、そのまま彼を監視させることにした。王子は朝を迎えるとそのままヒーデータに向けて出国し、ずっと部屋にこもり続けた。その報告を聞いて俺は少し呆れたが、報告書の末尾に記された記事を見て、思わず手を止めた……。