第千二十六話 代理戦争のおそれ
ファクトの肩が小刻みに震えている。そんな彼を眺めながら陛下は優しい声で話しかけた。
「内容が内容だけに、即答はできかねるな」
「は……ははっ」
「我が国においても少し議論する時間が必要になる。そうであるな……。結論が出次第、しかるべき使者をもって返答申し上げよう」
「そ……それでは……」
「ご貴殿におかれては、帝都にてゆっくりと疲れを取って帰国なされ、返答を待たれるとよい」
陛下の言葉に、ファクトはゆっくりと頭を下げた。
◆ ◆ ◆
陛下の私室に戻ると、彼はうう~んと背伸びをして一言、疲れたと言い。俺とリコにしばらく座って待っていてくれと言って、別の部屋に行ってしまった。それから待つこと数分、彼はガウン姿になって俺たちの前に現れた。
「どうも、ああいう畏まった服は肩が凝っていかん」
彼はそう言いながら右手で自分の左肩を揉んでいる。
「あの……兄上、先ほどの……」
「ああ、あれか。まあ、一言で申せば、借金の申し込みだ」
「借金……」
「金一万枚という途方もない額だ。メルシ王太子は、帝国の蔵を空にしたいらしい」
そう言って陛下は笑った。
「条件は何と言ってきまして?」
「うん? 条件か。メルシ王太子の妹……名前は何と申したか失念したが、その妹を人質として我が国に寄こすとあった。つまるところ、人質とは言いながら、余が側室にしたいのならば好きにしてよいという意味であろうし、王太子はそれも狙いの一つであろうな」
陛下の言葉にリコが露骨にイヤそうな表情を浮かべる。
「兄上は、何とお返事をするおつもりですか」
「むろん、断る。余はタウンゼットがおればそれで十分なのだ。徒に側室を増やしては後宮がうるさくなりかねん。ようやくニーシャの一件が片付いてホッとしておるところだ。まあ、余にはすでにアローズという世継ぎがおり、娘ではあるが、子供も授かった。これ以上何を望むことがあろうか」
陛下はそう言って笑みを浮かべる。だが、すぐに元の表情に戻り、
「ただ一つ気になるのは……」
「何でしょう」
「文末に、金を借りるに際して不測の条件があれば何なりと付け加えていただいてかまわないと書かれてあったことだ。つまりは、金を借りるに際しては我が国の条件はある程度まで呑む用意があるということだ。これは余の推測だが、領地の一部くらいは割譲しても構わぬと考えているのだろうな」
「……なりふり構わず、というやつですか」
「ああ。リノス殿の言う通りだ。それだけ、メルシ王太子は資金を欲しているということなのだろうな」
「つまりは……サウシ王子への対抗策として……」
「と、いうことなのだろうな」
「借金ならば、クリミアーナのヴィエイユのところに申し込めばいいと思いますけれどね。恐らくすぐに都合してくれることでしょう」
「それは、代償が大きすぎるの」
「まあ、裸で国を追い出される可能性は極めて高いですけれどね」
「だからこそ、余の許に弟を遣わしたのだろう。クリミアーナに匹敵する大国で、資金力のある国は、そうはないからな。とはいえ、そうした国々はみな、アガルタと何らかのつながりがある。その中で、カトマルズ王国の話を聞きそうな国を精査したらば、我が国ということになったのだろう」
「その話を陛下が易々と受けると思っている段階で、あのメルシ王太子という人物の力量がわかるというものですね」
「フフフ、そう言うな。確かに、メルシ王太子の行動は目も当てられぬものだ。何のつながりもない我が国に膨大な借金を申し込んでくるというのは、いかにも乱暴すぎる振る舞いだ。金の力で弟の取り組みを壊したいと考えておるのだろうが、一方で、その金で自領の民を守ろうとしている可能性も否定できぬがな」
「そうだとしても、このやり方では……」
「そうだな。おそらくリノス殿でも断るだろう。ただ、金という手段に目を付けたのは悪手ではないと余は思う。使い方によっては国を富ませ、飛躍的に発展させることができるからだ。ただし、金というものは上手に使うことは難しい。一手誤れば、人々は堕落し、国を崩壊させることにもつながるからの」
「ただ、王太子はその点を理解していないでしょうね」
「話は変わるが、例えば、リノス殿とリコレットが多額の金を余から借りねばならなくなったとしたら、どのように申し出る?」
「どうしたのです兄上、藪から棒に」
「いや、これは余の興味だ」
「……私でしたら、詳細な返済計画を立てますわ。必ずお借りした資金を返済できると兄上が納得できるような資料を作り、それを忠実に実行しますわ」
「なるほど、リコレットらしいの。リノス殿は?」
「俺は……リコのような才覚はありませんから、ただ、ひたすら夢を語りますね」
「夢? それは面白いの」
「はい。情熱の限り夢を語り、陛下も一緒にその夢をかなえませんかと言って説得しますね」
「ハァッハッハッハ! それは面白いの。余が考えだにせなんだ答えだ」
「リノス、それはいけませんわ。借り入れるのは個人ではなくて国と国同士のことですわ。いかに兄上が許可を出したからと言って、家来たちが納得しなければいけませんわ」
「う……ごめんなさい」
「リコレット、そう言うな。いや、よい意見が聞けた。それだけで、そなたたちをここに呼んだ甲斐があったというものだ」
「恐らくメルシ王太子はアガルタにも使者を送ってくることでしょう。となれば、アガルタもヒーデータと歩調を合わせて、借金の申し込みは断る方向で考えていてよいでしょうか」
「いや、おそらくアガルタには使者は送るまいよ」
「そう、でしょうか」
「おそらくアガルタはサウシ王子の側に付いたと見られておるだろう。聖女・メイリアスが王子の選んだ選り抜きの若者たちを受け入れて教育しているからの」
「えっ、そんなことで……」
「フフフ。聖女・メイリアスが直接教育しているという事実は、リノス殿が思う以上に影響力があるということだ」
「ただ、こう言っては何ですが、もし、陛下がメルシ王太子の借金を受け入れると、対外的にはヒーデータがメルシ王太子側に付いたと見られることになるのでは?」
「まあ、そうなるだろうな」
「だから陛下は……」
「うむ。余とて他国の争いに巻き込まれるのは、御免だからの」
「いいえ、すでに巻き込まれておりますわ」
リコの言葉に、俺も陛下もキョトンとした表情を浮かべる。
「今の兄上のお言葉ですと、すでにアガルタはサウシ王子の後ろ盾になっていることになりますわ。だからこそメルシ王太子も後ろ盾を得ようとしているのではありませんか?」
「ほう、なるほど。そう考えれば、余がメルシ王太子の申し出を受ければ、カトマルズ王国内でヒーデータとアガルタの代理戦争が起る可能性があるということか」
陛下の言葉にリコがゆっくりと頷く。
「それは考えすぎであるというものだ。ただ……面白い意見ではあるの。フム……」
陛下は顎に手を当てて何かを考える素振りを見せた。俺は一瞬、陛下がサウシ王子からの留学生を追い返せと言うのではないかと思っていたが、彼が口にした言葉は、それとはまったく違ったものだった。
「とりあえずは、もう一度、カトマルズ王国のことを調べた方がよさそうだの。リノス殿、それを頼んでもよいだろうか」
「俺が、ですか」
「ヒーデータ軍に調べさせてもよいが、余の望む結果は得られぬだろう。対して、そなたの情報収集能力は、世界一だと余は見ている。なにもタダでとは言わん。今、我が国では最新鋭の軍艦を建造している。それをアガルタに提供しようではないか」
「うう~ん」
俺は思わず腕組みをして考え込んだ。