第千二十五話 代役
陛下はゆっくりと立ち上がると、使者殿を謁見の間に通しておけと命令した。侍女は、かしこまりましたと言ってその場を後にした。
「せっかくだ、リノス殿とリコレットも同席するとよい」
「え? 俺が同席してしまうと、色々とややこしくないですか?」
「変えられるであろう。見た目を。そなたの結界で」
「まあ、そう、です、が」
「秘書官のセウタに似せればよい」
「セウタ……」
「知らぬのか。帝国の中で知っている者がいよう。ああ、グレモントやヴァイラスはダメだぞ」
帝国の者ときいてふと頭に浮かんだのはセオーノさんだ。陛下に聞いてみたが、彼はセオーノさんを知らなかった。取り敢えず結界を張って彼に成りすましてみる。陛下は苦笑いを浮かべながら頷いた。その笑顔の意味は何なのか、さすがに問いただすことはできなかった。
ちなみにセオーノさんは結婚して、三人の子供を授かって今、バリバリと働いている。帝国軍にあって新兵の教育を担当している。あの頃は気軽に外を出歩けたが、それなりの立場となり、今はなかなか自由な時間が取れないでいるようだ。
「して……リコレットをどうするかの。侍女にするわけにもいかぬからの」
「私は遠慮申し上げますわ」
「せっかくだ、そなたも来い。謁見の間はそなたが子供の頃、大好きであった場所ではないか」
「そ……それは……」
リコが困った表情を浮かべた。これは俺の知らない情報だ。確かにこの宮城の謁見の間は贅を尽くした煌びやかな部屋だ。女子が好むというのもよくわかる。ただ、どうして彼女がこんな表情を浮かべるのかがわからなかった。
「いっそうのこと、タウンゼットの姿に成りすましてみるか」
「お戯れを」
こんなに困った表情を浮かべるリコの姿は珍しい。だが、陛下は少し真剣な表情になって、
「いや、真面目な話である。タウンゼットはああした公の場が苦手でな。そなたならば、余の皇后としての勤めを果たせるであろう。母上の振る舞いをそなたは見ている。できぬことはないであろう」
「……」
「これは、そなたにとっても、リノス殿にとっても、悪い話ではないと思うがの」
「……承知、しましたわ」
「ではリノス喉、リコレットに、タウンゼットの結界を張ってくれ」
何とも言えぬ表情を浮かべるリコに対して、陛下は嬉しそうだ。その様子を見ながら俺は結界を張る。
「おお……素晴らしい出来栄えだの。相変わらず結界師としての腕前は落ちてはおらぬの」
そう言って陛下は満足げに笑った。
謁見の間に向かうと、そこには一人の男がオドオドとした様子で立っていた。陛下とリコは上段の扉から入室し、俺はすぐ下の扉から入室した。俺たちの姿を見ると男は深々と頭を下げた。
そう言えば、俺が初めてこの部屋に来たのは先代皇帝のときだった。確か入室するとすでに皇帝が待っていて、その傍に宰相閣下がいたことを思い出す。あのときは大きな玉座が真ん中に置かれていて、そこに皇帝が座っていた。俺は皇帝よりかなり遠い位置で控えていて、話しがほとんど聞こえなかったことを覚えている。
今は客が待っているところに俺たちが入室している。今の陛下の代になって変えたのかと思ったが、先代皇帝はあのときすでに重い病を患っていた。弱ったところを見せないために、敢えて玉座に座った状態で俺を謁見した、というのが正直なところだろう。
ちなみに、アガルタでも謁見の作法がヒーデータのそれに倣っている。もちろん、それを作り上げたのはリコだ。まあ、基本がヒーデータのものであるから、それに似たものになるのは自然なことなのかもしれないが、異なる点もいくつかある。例えば、玉座の位置。ヒーデータでは真ん中に皇帝の玉座が置かれ、向かって左側、つまり下手側に皇后の玉座が置かれているが、皇帝より少し後ろの位置に置かれている。これは、女性の顔をあまり晒したくない、晒させないという配慮だと解釈している。一説によると、数代前の皇后があまりにも美しく、心奪われるものが後を絶たず、場合によっては口説きに来るような猛者も出る程だったらしい。その美貌に嫉妬した皇帝が、玉座を後ろに下げさせたと言われているが、本当だろうか。
対してアガルタでは、国王と皇后の玉座は並んで設えられている。上手が国王、下手が皇后というのはヒーデータと同じだ。それに、アガルタの場合は、時と場合によって玉座の数が増えることもある。言うまでもなく、妻たちが一堂に会する場合もあるからだ。その際は、俺を中心に椅子が左右に置かれることになる。俺のすぐ左手側がいわゆる皇后の席であり、圧倒的にリコが座る場合が多いが、迎える客によって座る者が変わるときがある。例えば、ニザ公国からシディーの兄か来た際は、その席にシディーが座り、リコは俺の右手側に座る。そのときと場合によってケースバイケースで席次が変わる。それらはすべてリコが決めるが、揉めたことは一度もない。そういう意味で、リコの細やかな気遣いでずいぶん助けられていることが多いのだ。
話を元に戻す。
リコは陛下の後に続いて静々と歩いている。そして、陛下が玉座に腰を下ろすのと同じタイミングで彼女も腰を下ろす。何でもないことのように見えるが、これはかなり難しいことだ。
リコの位置からは大きな玉座のせいで、陛下の姿はほとんど見えない。つまり、彼女は見えてない状況下で陛下と息をぴったり合わせて着席したのだ。これはやろうと思っていても、すぐにできるものではない。この光景を見せられると、大抵の者はそれだけで少なからぬ畏敬の件を抱くことだろう。
「こっ、皇帝陛下におかせられましては、ごっ、ご機嫌も麗しく、何よりと、おっ、お慶び、お慶びを、申し上げ、奉ります」
男はオドオドと体を小刻みに震わせながら再び頭を下げる。緊張しているのがまるわかりだ。そんな彼に陛下は屈託のない笑みを浮かべる。
「堅苦しい挨拶は抜きだファクト殿。遠路はるばるよく参られた」
「はい。あ、ありがとう存じます」
「先日の食事会からまだ日も待たずにこうして出会えたこと、嬉しく思いますぞ」
「ははっ。恐懼に堪えませぬ」
「皇太子殿下はご健在……で、あられるであろうな。あのときはずいぶんお元気そうに見えた」
「はっ。兄は……殿下は戴冠式の準備に忙殺されておりますが、至って、そ、壮健でござい、ます」
「左様か、それは何よりだ」
「ははっ……。まっ、また、皇后陛下におかせられましても、ご、ご機嫌も麗しく、この、ファクト、恐悦申し上げます」
突然話を振られたにもかかわらず、リコは一切動揺を見せることなく淡々としている。
「遠路ようこそお越しくださいましたファクト様。歓迎申し上げますわ。どうぞごゆるりとご逗留くださいませ」
「あ、ありがとうございます」
リコはゆったりとした動きで、いつの間にか手に持っていたセンスのようなもので口元を隠した。これは知っている。ここで聞いたことは一切口外しませんという意味だ。きれいな佇まいだ。
「……して、用向きを承ろう」
「ははっ。本日は、皇帝陛下にお願いの儀が、おっ、お願いの儀がありまして罷り越しましてございます」
「願いの儀、とな」
「ははっ」
ファクトはそう言うと懐から大切そうに一通の書簡を取り出した。そして、キョロキョロと周囲を見廻していたが、やがて俺を見ると、じっと見つめてきた。
「あっ」
思わず声が出た。そうか、俺が持っていかなきゃいけないのか。慌ててファクトの許に向かう。
「オホン」
彼は咳払いをしながら俺に書簡を渡す。ちょっと怒っているみたいだ。怒らなくてもいいじゃん。
その書簡を陛下に渡す。彼はそれを開いてじっと見つめていたが、やがて大きなため息をついた……。