第千二十二話 王の中の王
それからさらに数週間後、ヒーデータの帝都にカトマルズ王国のサウシ王子がやって来た。いわゆるお忍びでの訪問ということで、大きな歓迎会などは開かれなかったが、ヒートの意向で内々で慰労会を開催することになった。
参加者は限定され、皇帝ヒートのほかは、弟のヴァイラス、宰相であるグレモント、そして、帝国軍総司令官であるサカゲという三人だけというメンバーで、いずれもヒートが信頼を置く者たちばかりだった。
王子を迎える料理は、バーベキューだった。言うまでもなく、アガルタ王リノスが作り出した料理だ。サンダンジ王国のニケが気に入っていることは周知のとおりだが、ヒートも意外にこの料理方法が気に入っていた。
彼は穏やかな表情を浮かべながら、ヒートはサウシ王子がどんな食材を選ぶのかを観察している。この手法は自分で料理を選んで料理をする――と言っても食材を焼くだけだが――という点が彼が最も気に入っている点だ。選ぶ食材は人によって違う。そして、調理方法も千差万別だ。そこから、この人物が何を好み、どんな性格をしているのかをある程度把握することができる。ヒートはこのバーベキューという料理を、相手の能力を図るツールとして利用していたのだった。
むろんそれは、彼の能力も相手に図られる可能性があった。彼は事前に最も健康的な食材と、最も効率的な焼き方をマスターしていた。その点についても抜かりはなかった。
いま、ヒートの目の前では三人の家来とサウシ王子が食材を焼いている。こうして客観的に見ると実に面白い光景であった。例えば宰相のグレモントは年齢のためか肉類は好まず、もっぱら魚と野菜が中心だ。量もそれほど多くはない。対してヴァイラスは肉類が中心だ。しかも、量も多い。相変わらず女性が好きなのだろうなとヒートは心の中で笑みを浮かべる。すでに妻帯している身ではあるが、妻一人では満足できないらしい。そうであれば側室を持つのが一般的だが、弟の場合は、特定の女性と長い時間を共有するというのが苦手であるらしい。多くの女性と短い時間を共有するというのが彼の性に合っているようだ。そのためには体力がいる。それを補うための肉食なのだろうなというのが、ヒートの分析だった。
一方で驚くほど食材の好みが似ていたのは、サウシ王子とサカゲだった。二人は食材をバランスよく選んでいた。まずは野菜類から食べ始め、魚類、肉類と食べ進めていく。しかも二人は火が通りにくい根菜類などは火から少し離れた場所に移して焼いている。二人は色々と相談し合いながら食事を楽しんでいて、そこには策略などの雰囲気は微塵もなかった。
そうしたサウシ王子の行動を見るにつけ、ヒートは彼にちょっとした嫉妬を覚えていた。彼の振る舞いはまさに王としてのそれそのものだった。しかもそれは、生まれ持った、天から授かった才能であった。凡人が努力をして到達できるようなものではなかった。ヒートが必死で稽古をした事柄を、この男はいとも簡単に飛び越えてきた。人としての能力は明らかにこのサウシ王子の方が上であった。
ふと、ヒートの脳裏に、この王子と似た人物の顔が浮かんでいた。それは実妹であるリコレットだった。ヒートの王子へ抱いた感情は、幼い頃、妹に感じていた感情と同じであった。そんなことを考えると、何とも言えぬおかしみが込み上げてきた。
思わず笑みを浮かべたヒートだが、周囲の者たちは単に皇帝の機嫌がよいのだと解釈した。
「いや、こうした料理は初めて経験しましたが、面白いものですね」
爽やかな笑顔を浮かべながらサウシ王子が口を開く。
「いやぁ、ご用意いただいた食材も全て美味しいものばかり。感服しました」
そう言う彼の表情は心からこの会を楽しんでいるように見え、この会を利用して相手の能力を見定めようとしたヒートは、自身の度量の狭さを痛感したのだった。
王子はヒーデータの政治システムの優秀さを改めて褒め、ぜひ、我が国でもこれらのことを取り入れたいと言って笑みを見せた。彼の爽やかな弁舌はグレモントやヴァイラスを自然に笑顔にしていた。その様子を見ながらヒートは、この男はまさしく王となる資質を備えており、状況が許せば、世界の王となる逸材であると評していた。
「そう言えば」
ヒートの思考を遮るようにしてサウシ王子が再び口を開く。彼は周囲の者たち一人一人に視線を向けながら、ゆっくりとした口調で話し始める。
「聞き及びますれば、貴国からアガルタまでは意外に近いと聞きましたが、本当でしょうか」
「そうだの。約二日で行くことができようか。上手く潮の流れに乗れば、一日半で行くことができるかの」
「左様でございましたか。私は一週間はかかると聞いておりましたが、その話は間違いであったのですね」
「いや、それは昔のジュカ王国の時代の話だ。今はアガルタの努力と技術力で我が国との交流が格段に速くなっている」
「なるほど。二日であれば、行って帰って来られそうですね」
「うん?」
「アガルタにも参りたく存じます」
「アガルタに、か」
「はい。留学させている我が手の者たちの様子も気になります。報告では皆、息災にやっているようですが、彼らの頑張りを労いたく存じます。それに……」
「それに?」
「兄の差し金で、彼らに暗殺者が送られたと聞いております。気になりますので、ぜひ、見に参りたいと存じます」
その件はヒートの耳にも入っていた。愚にもつかない間抜けな暗殺者であるとの報告を受けていた。そんな事柄を気にするとは、ヒートは意外に感じた。
「ずいぶん心配性であられるの」
「はい。私も細かいことを気にしてはいけないと思うのですが、生まれながらの性分でございまして、仕方がございません」
そう言って王子は再び笑みを見せた。
彼が退出したあと、ヒートの許には、そこに参加した者たち全員が集まっていた。
「どう思うか?」
言うまでもなく、サウシ王子のことだ。ヒートは参加した三人の者たちのそれぞれの立場から見た王子の人物評を聞いた。
三人の意見は驚くほどに一致していた。欠点らしいものが見当たらない、すばらしい人物であると言うのだ。ヴァイラスなどは、王子がアガルタから帰ってきたら、早速彼と何らかの同盟関係を結んでおいた方がよいとさえ言った。彼にとって意外であったのは、冷静沈着で、いつも悪いことは悪いとはっきりというサカゲですら、手放しで王子を褒めていたことだった。
三人を下がらせたヒートは一人、椅子に深く座り、天を仰いだ。
……およそ、欠点のない人間などは存在しない。だが、あの王子の振る舞いは一切の欠点が見当たらなかった。そう、完璧であった。そんなことが自然にできる者など、はたしているものであろうか。
そこまで考えて彼は首をゆっくりと左右に振る。
……いや、あり得ぬ。あれは相当の修練を積んだのであろう。確かにあの料理は皇子にとっても初めて経験するものであったことだろう。であるにもかかわらず、それを完璧にやりこなしたというのは、それだけの経験と努力をしてきたからに他ならない。あの振る舞いが、我々の信頼を得るための芝居であったとしたら、彼はとんでもない政治家であると言える。
ヒートの直感が距離を置くべき者であることを伝えてきていた。それをヴァイラスたちに言ったところで彼らは理解しないであろうし、逆に、そんな穿った考え方をした自分を責めるかもしれない。彼らには言うだけ無駄なことであった。
むしろ、王子がアガルタに行くことは、願ったり叶ったりの状況であるのかもしれない。
ヒートの表情に安堵の色が宿った。きっと、義弟殿とリコレットは、自分の不安に共感してくれるのではないか。彼は早速、リノスに手紙を書くべく立ち上がるのだった……。




