表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
結界師への転生  作者: 片岡直太郎
第三十一章 兄弟相克編
1020/1089

第千二十話 初恋

リノスの屋敷からの帰途、馬車の中でヒートは車窓に移る風景を眺めながら一言も口を利かなかった。それは何かに満足したようであり、大いに疲れているようにも見えた。実際、ヒートは疲れていた。彼自身、リノス家のひと時は大いに無理をしていた。


元々彼はあまり喋るタイプの人間ではない。どちらかと言えば無口で、コツコツと何か一つの物事に打ち込むのが好きなタイプだ。そのため、何かの儀式などでずっと座っているという場面は得手、不得手という点で言えば得意な分野となる。実際彼は儀式が始まるとピクリとも動かない。真っすぐに姿勢を伸ばし、まるで人形のように佇むことができた。離縁したニーシャはそういうことが苦手で、折に触れて体を動かしたり、首を動かしたりするため、ヒートと並ぶと彼の気品が大いに増幅される効果を生み出していた。


ただ、皇帝という立場上、喋らねばならない場面も多くあるし、複数のタスクを同時に進行させねばならない場面も多くある。彼はあまり得意でない部分を努力によって補ってきた。今回の会食も、彼としてはリノスの娘エリルと息子のアローズとの婚儀を進める意図があった。できればその場で婚儀の日取りを決めたいとすら思っていたのだった。


彼の頭の中には、エリルを一刻も早くヒーデータの人間にしてしまいたかった。


リノスの許にはリコレットを嫁がせていて、表向きは両国の関係は盤石なものに見えるし、事実、両国は相互協力という点では世界でも類を見ない強固な絆を作り上げていた。だが、時が経つにつれてヒートは、妹リコレットがすでにアガルタの人間になっている点に気がついていた。


可能性は極めて低いが、両国の間に亀裂が入ると、間違いなくリコレットはアガルタの側に付く。それこそ、命を懸けて国と夫を守ろうとすることだろう。彼女の聡明さと行動力はヒートもよく知るところだ。その妹を敵に回すことは何としても避けたいところだった。


むろん、ヒート自身はアガルタと事を構える気持ちは微塵もなかった。しかし、国内に目を向けて見れば、未だにヒーデータの貴族や軍人の中には、アガルタを属国と見なし、下に見る者が多かった。彼からすればそんな思考は噴飯物だが、それでも、次代――息子のアローズ――のことを考えれば、早めにアガルタとの縁組を成立させ、盤石なものとならしめることが肝要と彼は考えていた。


確かに、まだ年端も行かない子供を嫁に出すのはリノスとしても辛かろう。だが将来、ヒーデータに嫁ぐのならば早いに越したことはない。この国の貴族社会は他の国から見ても少し特殊だ。貴族の子弟たちは七歳になると全寮制の学校に入ることになり、そのまま成人するまでそこで過ごすことになる。さすがに王族は寮に入ることはないが、それでもその学校に通い、他の貴族たちとの関係を深めるのだ。


互いに近しい関係になるという弊害もないではないが、そのシステムは皇帝を頂点とする政治システムを運営する上に置いて今のところメリットの方が多かった。そういう社会であるために、とりわけ他国から嫁いできた妃に対して、この国の貴族たちは距離を置きたがる傾向がある。つまりは他所者と見ているのだ。それは亡き母が散々苦労したことであり、離縁したニーシャがヒートと不和になったのもこれが一因であると言えた。


そうしたことを見てきたために、彼は早めにエリルのヒーデータ入嫁を望んでいるのだった。そうすることで、アローズが即位する頃にはエリルにそれなりの味方ができているであろうし、そうなれば、彼女の帝国での暮らしは大いに快適になるはずであった。


ただ、この日の食事会では彼が望んだ結果は得られなかった。彼はぼんやりと車窓を眺めながら、次の手を考えていた。


……いっそのこと、倅がエリル姫を奪って我が国に連れて来れば。或いは、倅があの姫を篭絡して、彼女自身から帝国への嫁入りを希望させるようにはならないか。


そんなことを考えてみたが、彼はすぐにその考えを否定した。


……無理だな。倅はバカが付く真面目な男だ。その倅が、そんな大それたことをするわけはない。


そんなことを考えながらヒートは大きなため息をついた。


一方のアローズも、父とは反対方向の車窓を眺めていた。彼はずっと高鳴っている鼓動を押さえきれずにいた。


実際彼は父がアガルタ王の屋敷に行くと言ってきたときは、飛び上がりたいほどに嬉しかった。ただ、幼くも沽券を気にする彼はそんな様子はおくびにも出さなかったが。


初めて会ったときから、エリル姫は気になる存在だった。正直に言って、この世にこれほどの美しい女性がいるのかと思った程だ。それから幾度か彼女と対面する機会を得たが、会うたびに気品と美しさに磨きがかかっているように思えてならなかった。


その彼女が許嫁、つまり将来の妻となる人であると聞いて彼は喜んだが、今日の話の内容では、アガルタ王はエリル姫を嫁に出す気はないように思えた。それは自分自身が婿としてふさわしくないと思われているのか、姫自身が自分との結婚をイヤがっているのかのどちらかではないかと思っていた。彼は彼で、少年ながら彼女のことを色々と考えていたのである。


ただ、今日は初めてすぐ近くまで彼女と接することができた。そのとき、彼の鼻腔にとても快い香りが漂っていたのが強く印象に残った。正直言って彼は香水の類が苦手だった。とりわけ、マダムたちが好んでつける強い香りが苦手だった。頭がクラクラするのだ。対して姫の香りはそうした類のものではないのは彼自身にもよくわかった。それが何であるのかはわからなかったが、その香りを傍に置いておきたいと彼は強く思っていたのである。


これはアローズにとって初恋なのであるが、彼がそれに気がつくのは、もう少し先のことである。


◆ ◆ ◆


それから三ヶ月のときが経った。アガルタ大学にサウシ王子から若者たちが派遣されてきた。一目見て優秀とわかる若者たちは、これからの生活への期待と国を背負っていくのだという覚悟を全身から発散させていた。


彼らの知的好奇心は貪欲だった。授業の前には必ず予習をして臨み、疑問点があればすぐさま教授らに質問をした。その姿勢はメイをはじめとする教授陣に好感を持って受け入れられ、とりわけ、リボーン大上王は彼らの学ぶ姿を見て、我がフラディメにもこのような若者が一人でもおればと言って嘆いた。


むろん、彼は自国に帰ると留学生たちのことを話題に上げ、我が国にもそのような者はいないのかといって怒りをぶちまけ、周囲の者たちの大いなる迷惑になったことはナイショの話である。


彼らは伝書鳩のような方法で、自分たちが学んだ事柄をサウシ王子に報告していた。それは秘密裏ではなく、堂々と行われていた。そして、彼らからの情報を得た王子は、リノスやメイたちに心から感謝する旨の手紙を送り、謝意を示した。


「丁寧な王子様だな」


手紙を見たリノスは思わずそんな言葉を漏らした。目の前に控えていたリコは、何とも言えぬ表情を浮かべていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「おそらく、あの王子様ご自身も学ぶことがお好きなのでしょうね。そんな雰囲気が文面に横溢していますわ」


「そうか」


「あのお方のことですから、すぐさま得た情報を国政に反映させていることでしょう。恐らく結果はすぐに出ますわ。注意しなければならないのは、そのときですわ」


リノスはその言葉に黙って頷いた。アガルタに一人の男が現れたのは、それからひと月あとのことだった……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ