第百二話 真夏の夜の夢
「そういえば、リノスはもうすぐ20歳になるのですわね?」
8月も終わろうとしていたある日、夕食を食べながらリコがつぶやいた。
「そうだな。俺ももうすぐ20歳だ。20代はいい10年間にしたいな」
前世の俺にとっての20代は暗黒の時代だ。仕事はない、ようやくありついた仕事は激務。家に帰れない、休めない、倒れられないという日々。女にはフラれ、気が付けば30代という流れだった。ああ・・・思い出したくない。
「ニザの農地復興は既に収穫を待つのみだし、ここは一丁、俺の誕生日パーティといくか?」
「またパーティーでありますかー」
「ゴンは嫌か?」
「もちろん、賛成でありますー」
「私も賛成です!今度は私も料理します!」
「そうだな。今度はフェリスがコック長でやってみるか?」
「ええー私、食べられないじゃないですかー」
ダイニングが爆笑に包まれる。じゃあ俺が買い物に行って・・・などと、ああでもない、こうでもないとパーティの話で盛り上がる。
「リノスに一つ、お願いがありますわ。みんなも聞いておいてください」
突然リコが静かに話し始めた。
「どうした、リコ?何だい、お願いって?」
「リノスにもう一人、二人でもいいですわ。新たに妻を迎えてほしいのです」
「え?どういうこと?」
「リコ殿・・・」
「リコ姉さま!」
メイは涙ぐんでいる。しかし、リコの表情は変わらない。落ち着き払った態度で再び口を開く。
「これは・・・メイとも話をしていたことなのですが、リノスと結婚して三年。私もメイも・・・子供を授かることができませんでした。これから先もこのままではいけないと思います。そこで、新しい妻を迎えてほしいのです」
「結婚してまだ三年だろ?なにもそう急がなくても・・・」
「私はもう、26歳です」
前世ならば全く問題ない年齢だが、この世界での平均寿命は50歳である。もしリコに子供が授かったとしても、かなりの高齢出産になることは間違いなかった。
「王族や貴族は、妻を迎えて三年経って子供が授からなければ、新しい妻や妾を考えるのが普通ですわ」
「俺は、新しい妻を迎えるつもりはない」
「ご主人・・・」
皆がホッとしたような表情をする。
「リノス。この家は名誉侯爵家です。それにヒーデータ帝国皇帝の義弟に当たる家なのです。後継者の問題は、大切ですわ」
「いや、俺は貴族の家の問題に興味はない。俺はリコとメイ、そして、みんなが居れば十分だ。何の不満もない。十分幸せだ。これ以上を俺は望まない。子供ができないのならできなくていい。このままみんなで年を重ね・・・」
「リノス!!!!!!!!」
驚くような大声でリコが叫ぶ。水を打ったようにダイニングが静まり返る。
「貴方はバーサーム夫人に、そのご家族に、恩を感じているのでしょう?その恩に報いるのは、バーサーム家を存続させることではなくて?貴方を養子にしようとしたのは、家名の存続を考えておられたのではないのですか?」
「確かに俺はバーサーム家に養子に入ることが決まっていた。それは摂政殿下のご命令で、俺が宮廷結界師として仕官するための方策だよ」
「グレモント宰相に送られた、バーサーム様からの書簡には、家名が存続出来てうれしいと書かれてあったそうです」
「・・・」
「貴族にとって、先祖から受け継いだ家名を後の世に伝えたいというのは、当然の願いです」
「わかった。では、俺が死ぬときに、養子を迎えればいい。そうすれば家名は残るだろう」
「リノス・・・」
「子供ができないのはリコのせいでも、メイのせいでもない。もしかしたら、俺に原因があるのかもしれない。だからリコ、メイ、二人とも自分を責めるのはお願いだからやめてくれ」
完全に場がシラけてしまった。皆、後片付けをして無言で自分の部屋に引き上げていく。メイは研究室へ、リコも自分の部屋に引き上げてしまった。
俺は久しぶりに一人で風呂に入り、一人、広いベッドで眠った。いつも誰かが傍に居てくれて、リコかメイの美しい姿が隣にあったのだが、今日は右を向いても左を向いても誰もいない。俺はなかなか寝付くことができなかった。
朝になっても、リコとメイとは気まずいままだ。皆も、そんな俺たちに気を使って腫れ物に触るような扱い方だ。
試しに、ジェネハと、隣にいるイリモにリコのことを相談してみる。二人とも、新しい嫁を迎えることには肯定的だ。子供が出来なければ、新しい嫁を迎える。魔物の中ではこれが当然の常識のようだ。
ふと他の人の意見も聞いてみたくなり、俺は貢物と酒を持って、おひいさまの元・・・ではなく、サンディーユに面会に行く。彼は俺を・・・というより、酒と肴を見て、喜んで別の一室に案内してくれた。老狐と酒を酌み交わしながら、先ほどの相談をする。
「フム。儂から言えば、奥方は見上げた御方じゃな。なかなか言えることではない」
「そうですか・・・」
「しかし、そなたも変わっておるな。普通の男であれば、頼まれなくとも外に妾を作ろうとするものなのだがな」
「俺は今のところ嫁に対して何の不満もないですから」
「察するところそなたは儂に、新しい嫁を迎える必要はないと言うてほしいのじゃろうが、儂がそう言ったところで、何にも解決にはなるまい」
「まあ、それはそうですが・・・」
「リノス殿、おひいさまがお呼びです」
部屋の外から女官の千枝の声がする。さすがは狐神。俺の来訪を悟ったようだ。バレては仕方がないので、サンディーユに促される形で、俺はおひいさまの下に向かう。
「話は聞いた。なぜ妾に相談に来んのじゃ。水臭いのう」
「おひいさまには、解決方法がおありなのですか?」
「馬鹿者。解決するのはそなたじゃ。妾は奥方の気持ちがよくわかる故に、そなたに伝えようと思ぅたまでじゃ。奥方の気持ちが分からぬによって、そなたは悩んでおるのじゃろう?」
「はあ・・・」
「奥方は相当の覚悟を持っておる。考えてみよ。誰が好き好んで己の亭主に他の女をあてがうことなどしようぞ?それでも他の女を娶れというのは、何としてもそなたの子孫を残したいと思ぅておるからじゃ。その意思を覆すのは難しいわぇ。その覚悟と気持ちを斟酌したうえで奥方と話さねば、距離は縮まらぬぞよ」
「難しいですね・・・」
「そなたと奥方に子が授かれば、問題ないのじゃがな」
「おひいさまにはその神通力は・・・?」
「ない!」
即答かい!
「子授けならば、犬神じゃの?あやつはどこにおるかの?」
「ブランシュですな」
「それはまた遠いのう」
「どのあたりですか?」
「そなたの屋敷からは・・・馬で半年くらいじゃ」
「それは無理ですね」
「ともあれ、奥方の気持ちを汲んでやることが一番じゃ」
「はい、ありがとうございます」
わかったようなわからないような思いを抱えて、屋敷に帰ってきた。
リコとメイは相変わらずだ。丸二日喋らないのは、今までなかったことだ。二人とも俺を避けるようにして部屋に入ってしまう。そしてまた、俺は一人で風呂に入り、一人でベッドに入った。
そしてその夜、夢を見た。
誰かが俺を怒っている。エリルだ。久しぶりだな、エリル。何だ?何を怒っているんだ?まあまあ待ってくださいお嬢様。そんなに怒られてもわかりません。理由をおっしゃってください・・・。
俺は必死で話しかけるが、彼女の怒りは収まらない。左手を腰に当て、右手で俺を指さしながら怒っている。これは俺に論破された時に逆ギレしているスタイルだ。
エリルの声は何故か聞こえない。いつものエリルなら木剣を抜いて俺に斬りかかってくるものだが、なぜかずっと怒り続けている。
怒った顔のまま、エリルはビシッと真横の方向を指さした。それは一体何?そっちの方向には何もないよ?そっちは森だよ?エリル??おーい、エリル―
エリルは両手を腰に当て、俺を睨んでいる。おいエリル、何だ?どうしたんだ?
・・・目が覚めた。エリルは一体何が言いたかったのだろうか?森の中を指さしていた?何かあるのか・・・?一度、森の中に行ってみるかと思いつつ、俺はリコとメイの覚悟と気持ちを考える。
リコは独占欲の強い女だ。そんな女がメイを嫁にするだけでも、相当な覚悟がいったはずだ。そこに来てさらに新たな嫁、というのは、リコにとって自分の存在を否定するようなものだろう。それでもあえて、というのは・・・。
ベッドで寝がえりを打ちながら考えても、やっぱり答えは出ない。既に夜が白み始めている。
「・・・そうか。考えるんじゃなくて、感じるままに行動しろ、か。エリルの口癖だったな。ならば、敢えて俺がどうこうするべきではないな」
俺はベッドを出て、リコの部屋に向かう。部屋からは薄明かりが漏れていた。
ドアをノックする。返事はない。
「リコ、起きてる?入るぞ?」
静かにドアを開けて部屋に入る。リコはベッドに入ったまま、俺に背を向けている。
「リコ、考えたんだけど・・・俺は、リコの思うようにすればいいと思う」
「・・・」
「ただし、俺からは新しい嫁は選べない。リコのことが大好きだからだ。だから、新しい嫁はリコとメイが選んでくれ。二人が納得した嫁なら、俺は受け入れるよ」
「・・・」
「・・・リコ?」
リコの肩がかすかに震えている。
「・・・残酷ですわ」
「・・・」
「私にはそんなことはできません・・・。あなた様が好きな女性をお選びくださいませ。私にはとても・・・」
リコは涙声で、必死に言葉を振り絞る。
「リコじゃ選べないって?だからいいんだよ。しばらくは、リコとメイと一緒に居られるじゃないか。男はいくつになっても子供を作ることが出来る。別に今すぐじゃなくていいじゃないか。俺はむしろ、人に選んでもらった方がいい」
「どういう・・・ことですの?」
リコは起き上がってまじまじと俺の顔を見る。涙で目を真っ赤にしている。
「だってリコは皇帝陛下からの紹介、メイはリコが妻に迎えるように勧めてくれた。俺には結婚する気はなかったんだが、二人に勧められて、こんなに素敵な奥さんを持てている。だから、新しい妻も、リコとメイが選んでくれ。じっくり選んでくれ。二人の眼鏡にかなった人なら、俺は受け入れるよ」
「リノス~」
俺の胸に顔をうずめて、リコは号泣している。俺はリコをそっと抱きしめる。
「新しい妻の件、お願いしていいかな?」
リコは無言で頷いた。
「じゃあメイにもお願いしに行くか」
メイの所にはリコも一緒に行くという。俺はリコと手を繋いて一階の研究室に向かった。
メイは、机に突っ伏して寝ていた。俺とリコの足跡が聞こえたのか、俺たちが部屋に入るとスッと体を起こした。俺はリコと同じことを伝え、メイにもリコに協力してほしいとお願いした。
・・・メイも泣いていた。リコと同じように号泣していた。そして、泣きながら「承知しました」と言ってくれた。
「ところでお前たち、この二日間風呂はどうしてたんだ?」
「私は・・・お湯で体を拭いていましたわ」
「私は・・・浄化の魔法で済ませました」
「・・・じゃあ、今から風呂に入る?」
「「・・・ハイ」」
そうして、朝食までの数時間、俺は燃えに燃えた。二人を抱きしめながら二人への愛情を体中で表現しまくった。お蔭で三人とも汗だくで、髪の毛まで汗だくになってしまってもう一度、風呂に入り直すハメになったのは、ペーリスたちにはナイショである。
収穫の季節が、すぐそこまで迫っていた。