第千十五話 名君の器
王子は照れたような笑みを浮かべながら、ポリポリと頭をかいた。その様子は、何か心に秘めたるものがあるようには見えず、本心から照れているように見えた。リノスはその様子を見ながら、何とも正直な人だという感想を持った。
「今、貴国は王位が空席となっております。その隙に、王位を簒奪しようということですわね?」
ヴィエイユにしては珍しく鼻息が荒くなっているように感じる。普段の彼女なら、そうしたことは聞かないだろうし、知っていても知らないふりをする。一体どうしたことだと不思議に思ったリノスは彼女に視線を向ける。
「いいえ。そういうことまでは考えてございません。私がこの国の王になった方がよいだろうと考えましたのは、数時間前でございますから」
「数時間前?」
「はい。ほんの二時間ほど前のことです」
「その二時間前に、何がございまして?」
「兄たち三人が、ヒーデータ帝国の皇帝陛下とアガルタ王様を夕食会に招待するということを聞いたときでござます」
「ほう……」
「兄たちの考えは手にとるようにわかります。両国に対して誼を通じようとしているのです。願わくば、両国のどちらかから姫を輿入れさせたいと考えているのです」
「なるほど、の」
「ヒーデータ皇帝陛下にはお二人の内親王殿下がおいでになります。また、アガルタ王様には、お三方の内親王殿下がおいでになります。私が聞き及びますに、エリル内親王殿下は、ヒーデータの王太子・アローズ殿下と婚約が成り立っており、ピアトリス内親王殿下は、フラディメのオンサール殿下と婚約が成り立っていると聞いておりますため、兄たちはヒーデータの内親王殿下、またはアリリア内親王殿下との婚儀を提案してくると思われます」
「娘たちはまだ幼い。輿入れなどとは……のう」
陛下はそう言って傍に控えているタウンゼット王妃に視線を向ける。彼女はただ、少し頭を下げただけで、否とも応とも言わなかった。
……アリリアは、無理だ。
リノスは心の中でそう呟いていた。誰に似たのかは知らないが、あれだけお転婆な娘を嫁に出すなど考えもしないことだった。おそらく、嫁にやると言った瞬間に反発するのは目に見えているし、おそらく考えられうる限りの抵抗を示すに違いない。
リノスはアリリアに関しては地頭はよいと見ていた。わがままも言うし、いたずらもするが、怒鳴られるギリギリのところを狙ってくる。親たちがどういう性格なのかをちゃんと把握して、それに合うように行動してくる。これはなかなかできないことだ。そんな娘が全力で抵抗するとなれば、それこそ自分の想像も及ばないことをしでかしてくる可能性があった。我が娘とはいえ、敵に回したくはなかった。
……あのバカ竜が。
チラリと竜王の顔が頭の中によぎった。アリリアの命令を受けたあのバカ竜が全力でこちらに向かってくる映像が頭の中に描きだされる。負ける気は全くないし、全力で挑めば完封する自信もあるが、それでもあのバカ竜が何のためらいもなく襲ってくるのは、面倒以外の何物でもなかった。
「……殿、……ノス殿。……リノス殿」
「あっ、はい。大丈夫です」
陛下の言葉で我に返る。周囲を見廻すと、陛下が呆れたような表情を浮かべ、ヴィエイユがクスクスと笑っていた。リコに視線を向けると彼女は無表情で、何とも言えぬ迫力を醸し出しており、メイは心配そうな表情でこちらを見ていた。リノスはオホンと咳払いをすると、居住まいを正した。
「王子が輿入れなどと言うからだ。こう見えて義弟殿は子煩悩での。とりわけ、娘に対しての愛情が深い。我が愚息・アローズとエリル殿は婚約しており、余としては早めに輿入れをと望んでおるが、なかなか娘を手放しはせぬのだ」
そのとき、タウンゼット王妃が小さな声で何かを呟いた。陛下は首をすくめて笑顔を浮かべる。そして、いつもの表情に戻ると、ゆっくりと頷いた。
「兄たちは、そんな陛下たちのお気持ちやお立場も顧みず、何の考えもなくそのようなことを言ってくることでしょう。どうぞ、お気を悪くされませぬように」
「うむ。うまい具合に躱さねばの、義弟殿」
その言葉にリノスはゆっくりと頭を下げる。
「大体、兄たちは己の立場をわかってはおらぬのです。畏くもヒーデータ帝国の皇帝陛下とアガルタ王様の二人を呼びつけるなど、あってはならぬことです。己の力も顧みず、ただ、亡き父上の余得に縋っているだけにすぎません」
「ずいぶん兄上様たちのことを厳しく申されるのですね」
ヴィエイユが意地悪そうな表情で口を開く。その言葉に、王子は参ったなと言わんばかりの表情を浮かべる。
「兄たちの考えは現状維持です。特に長兄メルシはその傾向が強くございます。二人の兄は、こう申しては何ですが、自分の考えがございません。与えられた地をどうしていくのか、民をどうしていくのか、などということは何も考えておりません。兄上に従っておればそれなりの政治ができると考えています。この二人の兄はよく似ておりましてね。幼い頃から二人で行動しておりました。口さがない者などは、この二人の兄をお神酒徳利などと悪口をいう者さえございました。私は二人の兄の生き方を否定する者ではありませぬが、ただ、領地を与えられた以上、そこに住まう者たちを守る義務がございます。その義務を果たさぬのは、領主としての資格はないと存じます」
「これは手厳しいの。それで、王子はこの国の王となろうとてか」
「はい。ただ、私は王位にはこだわっておりません。別に兄が王位を継ぐことに関しても何ら反対する者ではございません。が、現状維持というのはいただけません。現状維持とは成長をしないということ。成長しないということは、それはつまり、国として衰退していくことになります。国が衰退しますと、その国に住む民衆は疲弊してくことになります。それは、これまでの歴史が証明していることです」
「なるのど、の。それで技術支援、か」
「はい。先に私は王位にこだわらぬと申しました。それは、私の治める国が発展していけば、自ずと民が増えることでしょう。民が増えれば税収が上がります。税収が上がれば国が潤います。そうなれば、民衆にさらに良い生活をさせてあげることができるかと存じます。それが上手く循環すると、自ずと我が領地に人々が移り住むようになり、兄たちは力を失い、私を認めざるを得なくなると存じます」
「素晴らしいお話ですわ。私は、あなた様を応援いたしますわ」
ヴィエイユが目をキラキラさせて、腕を胸の前で組みながら口を開いている。リノスはそれを見ながら胡散臭そうな顔を隠そうともせずにいた。
「ありがとうございます。教皇聖下のそのお言葉、心強く存じます」
王子はそう言って深々と頭を下げた。
「それでは、誠に不躾ではございますが、後日書状をもちまして、私どもからアガルタ大学へ留学させる者たちをお知らせ申し上げます。入学の日取りなどは、色々とご準備もございましょう。貴国のご指示に従います。何卒よろしくお願い申し上げます」
そう言って王子は再び深々と頭を下げ、お時間を取っていただきありがとうございましたと言って、颯爽とその場を去っていった。
「……あれは、名君の器だの」
陛下が誰に言うともなく呟く。それは少し皮肉が込められているようにも聞こえた。ヴィエイユはその言葉に大きく頷いていた。
「さて……そろそろ出かける時間かの。面倒くさい食事会だが、早めに終わらせようぞ」
「それでは、私はこちらで失礼しますわ」
「ヴィエイユ、あの王子様に手を出すんじゃないよ」
「まあ、ご挨拶ですこと。あのお方は、私の好みの殿方ではございません」
そう言ってヴィエイユは立ち上がった。その様子をリノスは苦笑いを浮かべながら見守った……。