第千十二話 弔問
カトマルズ王国の王、マクサ四世がこの世を去った。全世界に知られた名君であり、そのもっとも偉大な功績は、ロリア熱の特効薬を発見したことであった。
ロリア熱とは、十歳以下の子供に限って発症する病で、それに罹患すると急激に熱が上がり、呼吸困難に陥って死に至ると言うものであり、地域によってはそれを「死神病」とさえいう者もあった。
マクサ四世はその特効薬を発見し、しかも、その薬を無料で全世界に向けて配布した。これによって多くの子供たちが救われただけでなく、世界の医療を大きく進歩させることにつながったのである。アガルタで医療研究に携わるメイや、ポーセハイらにも大きな恩恵を被っていたのであった。
王は温厚篤実な性格も相まって、全世界の王と知己を結んでいた。むろん、リノスやヒーデータのヒートも彼と顔見知りであった。その王の葬儀が行われると聞いて、二人は相談の上、式に参列することに決めたのだった。
幸いにして、カトマルズの王都までは船で約三日の距離であった。リノスは正妃・リコレットと妃の一人であるメイリアスを伴って船に乗り込んだ。
「あの王様が亡くなるとはな。何ともこの世界にとって大きな損失だ」
船の中、リコとメイの二人を目の前にして、リノスはそんなことを呟く。リコは大きく頷き、メイはいかにも悲しそうな表情をたたえている。
「やはり、チワンさんやローニさんも連れてきた方がよかったのでは……」
「気持ちはわかりますわメイ。しかし、こうしたことは、少人数で行くのが礼儀というものですわ」
「はい……」
リコとメイがそんな言葉を交わし合っている。その二人を見ながらリノスは、今後、カトマルズ王国に騒動が起こらねばいいのだがと心の中で呟いた。
◆ ◆ ◆
「おおリノス殿、待ちかねたぞ」
港に着くと、すでにヒーデータの船が到着しており、ヒート陛下が出迎えてきた。恐縮するリノスに彼は半日ほども待ったぞと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「陛下……」
彼の後ろから声が聞こえた。見るとそこにはタウンゼット王妃が控えていた。彼女がこうして国の外に出るのは極めて珍しいことと言えた。相変わらず朗らかで優し気な表情だ。見ているだけで癒される。
「ああ……うん」
バツの悪そうな表情を浮かべながらヒートは咳払いをする。タウンゼットは丁寧にリノスらに挨拶をすると、また再びヒートの後ろに戻っていった。
「この港から王都までは馬車で一時間もあれば到着すると言う。これから王都に向かってもよいが、そこは世界中からの弔問客でごった返していよう。そこで、だ。我らは今夜はここで宿泊し、明日、着替えもすっかりすませて王都に向かおうと思うのだが、いかがなものだろうかの」
「お言葉ですが兄上。殿方はそれでよろしいでしょうが、女性は色々準備もございますし、それに、馬車に一時間も揺られますと、服に皺ができてしまいますわ。やはり、先様にはご迷惑かもしれませんが、私としましては、ある程度早めに参りまして、準備したく思いますわ」
「ううむ……」
「まあ陛下、すべて準備を整えて伺ったとしても、いくらか待つことになるのでしょう。そう考えると、準備は王都でするのがいいと思いますね。それに、途中でお手洗いに行きたくなったら、色々と大変でしょうしね」
「さ……左様か。ならば、そうしようではないか」
ヒートはさらにバツの悪そうな表情を浮かべた。そのとき、四人の周囲が少し暗くなった。何事かと思いながら周囲を見廻すと、タウンゼット王妃が口を開けてリノスたちの背後に視線を向けているのが見えた。何気なく振り向くと、そこには巨大な軍船が入港してくるところであった。
ヒーデータの船もかなりの規模を誇るが、入港してきた船はその倍近くあった。そのあまりの大きさに、リノスもヒートも口をあんぐりと開けてその様子を見守った。
程なくして、船から橋がかけられ、中から鎧に身を固めた兵士たちが降りてきた。彼らは降り口に赤いじゅうたんを敷き、それに沿って一列に並んだ。じゅうたんは真っすぐ、リノスとヒートに向かってきていた。
船の上に真っ白い衣装を纏い、金のティアラを身に着けた女性がゆったりとした歩みで降りてきた。彼女はそのまま真っすぐに二人のところに向かって歩いてきた。
「これはこれは、お久しぶりでございます」
そう言って頭を下げたのはクリミアーナ教国教皇であるヴィエイユだった。彼女は相変わらず満足そうな笑みを浮かべたままだ。
「これは教皇聖下におかせられては、ご機嫌も麗しく。相変わらず、お美しいですな」
「まあ、お上手ですこと」
そう言ってヴィエイユはヒートに笑みを向ける。謙遜しているように見えるが、その心の中は、自分の容姿に絶対の自信を持っているくせに、とリノスは腹の中で嘯いている。
実際、ヴィエイユの佇まいは計算されつくしたものであった。白い衣装を纏うことで自分の容姿を引き立たせ、さらには、赤いじゅうたんの上を歩くことで、さらに自分の存在を目立たせようとしているのだ。
「アガルタ王様も、お久しぶりでございます。お会いしたく思っておりましたわ」
「うん。元気そうで何よりだ。それにしてもヴィエイユ、お前さん、これから人の葬儀に行くのに、その衣装はまずくないかい?」
「仰る通りです。私としましても、黒い、地味な衣装を着たいのですが、皆がこれを着ろとうるさく言うものですから……。どうもこうした衣装は、顔のしわやシミが目立ってしまいますから、苦手なのです……」
……どの口がそれを言うんじゃ、とリノスは心の中で突っ込みを入れる。シワやシミなどあろうはずがない。それに、そんなものを気にする年齢でもない。ただ、謙遜しながら自分の容姿を自慢したいだけなのだ。現にタウンゼット王妃は、驚いた表情を浮かべながら両手で口元を隠している。リコは……表情は変わらない。メイは、そもそもヴィエイユに興味がないのか、ああ、そうなのですねと言わんばかりの表情を浮かべている。
「それにしても、この船は貴国で拵えたものなのかの。素晴らしい規模だな」
ヒートが話題を変えようと口を開く。ヴィエイユはクルリと後ろを振り返ると、大仰に仰け反った。
「少し大きく作りすぎました。お恥ずかしい限りですわ」
「いやいや。これだけの規模の船が作られるというのは、相当な技術をお持ちである証だ。やはり貴国には優秀な技術者が揃っているのだな。うらやましい」
「ホホホ、そんなことはございませんわ」
ヴィエイユは満面の笑みを浮かべながら、手で口元を隠している。
気がつくと、遠目に人だかりができていた。それはそうだろう。まさしく世界はこの三国によって支配されており、その均衡によって和平が保たれていると言ってよかった。いまここで何かの揉め事が発生すれば、すぐさま世界中で大きな戦いが起こることは必定であると言えた。人々が彼らの一挙手一投足に注目するのは、無理からぬことと言えた。
「まあここで立ち話も何ですから、どうでしょう。アガルタの船においでになりませんか。ちょうどお昼時です。まだ何も食べていないのであれば、俺が振舞いますよ」
「まあ、アガルタ王様お手ずから振舞っていただけるのですか? ぜひ、お願いしたいですわ」
ヴィエイユが胸の前で両手を組んで喜んでいる。その様子を見たヒートが、リノス殿の料理は美味だからな、と言いながら後ろのタウンゼットと頷き合っている。リノスはそんな皆の様子を見ながら、ささどうぞと言って、自船に案内するのだった……。