第千十一話 秘蔵の薬
十二月三十一日、おひいさまの許にリノス家からの供物が届いた。
これは毎年の恒例行事となっており、おひいさまはもちろんのこと、家来たちも秘かに楽しみにしている行事であった。今年はどのくらいおひいさまからのお下げ渡しがあるのだろうかと、女官たちはヒソヒソと噂をしあっている。
そのおひいさまの目の前には、届いた供物が並べられていた。おはぎをはじめとして、あぶらあげなどの数種類が並んでいる。だが、それまでご機嫌だった彼女の表情が一瞬にして憤怒のそれに変わった。
「サンディーユ!」
「ははっ!」
名前を呼ばれた老狐は、静々と彼女の前に進み出る。臆した様子は一切なかった。
「アレはどうした」
「ははっ」
「どうしたと聞いておるに!」
「あるにはございます。が」
「が?」
「拙者の一存で、こちらへはお持ちしませんでした」
「なぜじゃ」
「今年はその……少々大ぶりになってござりますれば……」
「よい。差し許す。こちらへ持って参れ」
「おひいさま」
「なんじゃ」
「毎度の事とは申せ、さすがに食べ過ぎでございます。アレをお召し上がりになりたい気持ちはわからぬではありませぬが、さすがにいつものように一口で召しあがるのは、いかにもお体に障るかと存じます。あの、リノスもリノスでございます。まるで、当てつけのようにあのように大きなものを拵えるとは……。おひいさまが喉に詰めてしまったらば、どうするつもりであるか……」
「大事ない。妾が命じたのじゃ。ゴンを通じての」
「はぁ?」
「口いっぱいに頬張る幸せ。それを一気に飲み込む幸せ。そして、腹の中にしみわたっていく幸せ。いつまでも残る甘さという幸せ。これを体感したいと思ったまでじゃ」
「おひいさま!」
「ええい! そなたの小言は聞き飽きたわっ! 早くアレを持って参れ。さもなくば、この供物はすべて妾が食すことといたすぞ」
「なっ……そ、それは……」
「そうさせたのはサンディーユ、そなたじゃ。そうなればそなたは皆から恨まれよう」
……何を言い出すのだと心の中で呟く。この供物を下賜しないと恨まれるのはおひいさまであって、儂ではない。とはいえ、儂とても、あぶらあげがないのは何ともしても困る。どうするべきか……。彼は心の中で悩んでいた。
「千枝、左枝。はよう持って来や」
「かしこまりました」
「あいや待て。ならぬ。儂の許しがなくては……うぐっ!」
突然体が動かなくなった。同時に声も出なくなった。これは、おひいさまが術を掛けたのだ。儂もそれなりの腕を持っている自信はあるが、それを遥かに凌駕している。彼は心の中で唸っていた。
実際、老いたりとはいえ、サンディーユも相当の力の使い手であった。彼をここまで動けなくするのは、他の狐たちが束になってかかってもできないことであった。これだけの力があるのであれば、なぜ、他の狐族たちのために使わないのだ。彼は腹の中で小言を言った。
「お待たせいたしました」
程なくして千枝と左枝が巨大な三宝を持って入ってきた。そこには、これまた巨大なおはぎが乗っていた。どう考えても、五十個分以上の量がある。ふと、おひいさまに視線を向けると、目じりが垂れ下がっている。
「うむうむ。あの者はようわかっておる。妾の好みが、ようわかっておる」
おひいさまが頷いている。サンディーユは心の中で手を合わせた。これを作るのにどれだけの手間暇がかかっていることか……。おそらく、あのリノスは家族総出でこれを作ったに相違ないのだ。そう考えると、おひいさまのわがままに振り回されているリノスが哀れであった。
ただ、リノス家としても、彼一人でこれを作っているわけではなかった。もちろん、小豆の下ごしらえなどはペーリスとフェリスが担っているが、おはぎを作る工程そのものは、子どもたちが中心となって、皆で楽しみながら作っているために、サンディーユが懸念しているようなことにはなっていなかった。
「うふふ」
おひいさまが笑い声を漏らすと同時に、巨大なおはぎがフワリと宙を飛んだ。それはそのままフワフワと漂いながら、大口を開けたおひいさまの許に飛んでいく。そしてそれに彼女はぱくりと食いついた。
モゴモゴ、クチャクチャと音がする。音を立てて食べてはなりませぬと言いたかったが、声が出ない。おひいさまはそれをゴクリと喉を鳴らして呑み込む。
「美味~ぃ! 美味じゃっ。満足じゃ。大いに満足じゃ。千枝、左枝、その前においておる供物は皆で分けよ」
「ははぁ~」
二人は目にも留まらぬ速さで供物を片付けていった。その様子を見たサンディーユは、がっくりと肩を項垂れた。
その夜、サンディーユの屋敷に内々に使者が遣わされてきた。それは何とあの、千枝と左枝だった。驚く彼に二人は、人払いをするように願い出た。
「もとより老人の一人暮らしじゃ。この屋敷には誰におらぬによって、安心せい」
「それを聞いて落ち着きました。私どもが遣わされたのは、他でもございません。サンディーユ様にお薬を頂戴するためでございます」
「薬? して、何の薬じゃ」
「それがその……。あのお薬でございます」
「あのお薬ではわからぬ。痛みを止めるものか。熱を下げるものか。お前たちはおひいさまの命令で我が屋敷に来ておるのではないのか? 別の誰かに頼まれてやって来ておるのか」
二人は顔を見合わせていたが、やがて千枝が申し訳なさそうに口を開く。
「私どもはおひいさまのご命令で参りました。お薬を欲しているのは、おひいさまでございます」
「何とおひいさまが! それは由々しきことではないか。して、何のお薬をお望みじゃな」
「それが……お腹のものを……」
「うん? いま、何と申した?」
「おひいさまは、腹痛で苦しんでおられます。サンディーユ様ご秘蔵のお薬を是非にと、ご所望でございます」
「……だから言わんことではない」
彼はそう言って天を仰いだ。一見すると悔しそうな表情を浮かべているように見えるが、実際は笑いをかみ殺していた。それ見ろ、儂の言うことを聞かんからだと心の中で嘯いていた。
おひいさまは明らかに食べ過ぎだった。あの巨大おはぎだけではない。あの後ちゃんと夕食も召しあがったのだ。どこにそんな食べ物の入る場所があるのかと不思議に思うくらいだ。尻尾が九本あるので、胃袋も九個あるのではないか、などと下らぬことを考えたくらいだ。
「薬は進ぜよう。ただし、条件がある」
「何でございましょう」
「これからは、暴飲暴食を慎む。これを守っていただけるのであれば、薬は進ぜよう」
「承知しました」
「いや、そなたらではいかぬ。おひいさまに一筆書いていただくのじゃ。もし、約束を破った場合には、リノス殿からの供物を差し止めると」
「そ……そんなご無体な。そんなことをされれば、妾たちは生きてはいけませぬ」
「儂とて辛い。だが、それを約束していただかねば、な」
「承知しました。早速、おひいさまにお願い申して参ります」
そう言って二人はその場を後にしていった。程なくして、おひいさまからの書状が届いた。そこには、ちゃんと暴飲暴食は控えると書かれてあった。サンディーユは満足そうに頷くと、彼が秘蔵する薬を出して、二人に渡した。
おひいさまの体調はすぐに回復した。彼女はしばらくは大人しくしていたが、すぐにまた、リノスに供物の量を多くするように申し渡し始めた。だが、それは想定内のことで、サンディーユは彼女の誓いの書状を持って小言を言おうと、それを仕舞ってある引き出しを開けた。
「ない。まさか……」
その手紙はおひいさまが神通力を使って回収していた。サンディーユは、そんなところに使う力があるのならば、もっと他にすることがあるはずだと小言を言いに、おひいさまの屋敷に出向くのだった……。
2024年最後の投稿となります。本年もありがとうございました。また、年明けから更新してまいります。来る年が皆さまにとって幸多き一年となりますよう、祈念申し上げます。
片岡直太郎 拝