第千八話 シディー怒る
一時間後、大上王の許に一人の少女が連れて来られた。彼女はさも迷惑と言わんばかりの表情を隠そうともしなかった。少し、落ち込んでいるようにも見える。
連れて来られたのは、リノスの妻の一人であるコンシディーだった。彼女はこの大上王が苦手だった。とにかく、人の話を聞かない。すぐに怒鳴る。どこの誰とは言わないが、ミンシの男版に感じる。その風貌の凄まじさも相まって、彼女はこの老人の傍には五分といることができなかった。
ただ、メイちゃんたっての頼みというので、断り切れなかった。メイちゃんには世話になりっぱなしだ。娘のピアのこともよく面倒を見てもらっているのだ。
勧められるままにシディーは席に着く。事もあろうに大上王の正面だ。目が、鋭すぎる……。
「こちらは確か……アガルタ王の……」
「はい。コンシディーさんです」
「確か、ドワーフ王の娘子であられたな」
大上王の言葉に、コンシディーは小さく頷く。
「ドワーフに解決できるとは思えんが……」
「大丈夫です。シディーちゃんなら、きっと解決してくれます」
メイは自信満々に答えている。困るよ、メイちゃんとシディーは心の中で呟く。彼女の直感が、この爺さんとは関わるなと警告を発している。彼女は来るには来たが、断れるのであれば断りたかったのだ。
「そう言うことであれば……。こちらの御方には、どこまでお話しになっておるのかな? いや、儂から話そう。あれはそもそも……」
……話が長ぇな、と心の中で呟く。結論が見えてこない。こんなことを他のドワーフが言ったらば、だらだら喋らないで、結論から喋りなさいと雷を落とすところだ。
「……というわけじゃ」
そんなことを考えていたら、大上王の話が終わってしまった。やってしまった。この爺さんの話を聞いていない。聞いたとしても、理解ができないだろうが。
思わずゆっくりと隣のメイちゃんに視線を向ける。彼女は目をキラキラさせながら頷いている。いや、違うの。このおじいさんの話がイマイチ理解できないの、と目に力を籠めるが、彼女は再び力強く頷いた。
「要は……」
秘書のセルロイトが口を開く。シディーは正直言って、この秘書も苦手だった。一切表情が変わらず、言葉の抑揚もほとんどない。彼女は無だ。凄まじい闇を抱えている。一体、彼女の人生で何があったのかと思う程の闇が見えていた。きっと彼女にはどんな挑発も脅しも通じない。ある意味、最強の人間とシディーは認識していた。
「フラディメ王国最強の剣豪が殺されました。それを殺せるのは、同じ腕を持つ者。ですが、その者は頑なに犯人ではないと言い切っています。ただ、その疑いのある者は、剣豪がなくなる直前にその家を訪問しています」
……なるほど、わかりやすいな。と心で呟く。説明、二十秒で終わるじゃん。それをこの爺さんは延々十分以上喋り続けた。フラディメのカンサ通りを右に曲がると紫の花が育てられている話なんて、いらねぇだろう。知らねぇよ、と心の中で呟く。
「やっぱり、その人が犯人かしら?」
シディーの思考を戻すようにメイが話しかけてくる。仕方がない、と頭を切り替える。
「……ちなみに、その亡くなられた方は、どうやって殺されていましたか?」
「肩から袈裟懸けに斬られていた。その上で腹を突かれていた。調べた者によれば、サラボが素早く剣を抜いて斬りつけ、そのまま腹を刺したのだろうということだった」
「死因は、その腹を突かれた傷、ということか……」
「そのようだ」
「ただ、殺された剣豪? そんな凄腕の人が、そう易々と斬られるものでしょうか。袈裟懸けに斬るには、それこそ、目にも留まらぬ速さで剣を抜いて斬らねばなりません。それなりの腕を持つ者は、殺気を感じた段階で無意識に防御態勢が取れます。さすがに、無理があるのでは?」
「いや、サラボであれば可能だ。彼はそれこそ、目にも留まらぬ速さで剣を抜き、斬りつけることができる。儂も見たことがあるが、サラボが剣を抜いた瞬間に勝ち負けが決定している。殺されたカナロダも相当の使い手であるが、旧知の中であるサラボが来たことによって気を許し、そのスキを突かれて斬られた、というのが調べた者の見解だ」
「う~ん」
シディーは右手の人差し指を顎の下に持って行って、何かを考える素振りをしている。静かな沈黙がその場に流れる。
「凶器は? その殺したと疑われているサラボという人の剣ですか?」
「いや、ヤツの剣には人を斬った形跡が見つからなかった。別の武器を使ったと見ているが、発見されていない」
「うう~ん」
シディーは目を閉じて天を仰ぐ。しばらくすると、ゆっくりと大上王に向き直った。
「私の直感では、その方は犯人ではありませんね」
「おお……。いや、だが、それではいかん! 直感など、信ずるに値せぬわっ!」
いきなり大声を出されたので、思わず体がビクッとなる。だから嫌いなんだよと心の中で呟く。
「儂もサラボが犯人でないと信じておる。あ奴は、そんなことをする者ではない。忠誠心が高く、高潔な人物だ。そんな彼が、旧知の仲であるカナロダを殺すわけがない。だが、証拠が、それを証明する証拠がない。だからこそ、メイリアス殿に相談し、そなたの話を聞いておるのだ!」
「少し、考えさせて」
シディーはそう言って席を立ちあがり、そのまま部屋を後にしていった。
◆ ◆ ◆
「どうした? 何をさっきから怒っているんだ?」
夫のリノスが呆れたような表情を浮かべている。彼女は腕を組みながら鋭い視線を浮かべている。すでに夕食も終わり、風呂にも入り、あとは寝るだけという状態だ。
帝都の屋敷に帰って来てからのシディーは明らかにおかしかった。眉間に刻めない皺を刻んでいるし、あまり喋らない。そうかと思うと、夕食はいつもの倍以上は食べた。いわゆるドカ食いだ。あまりのことに、さすがのリコも言葉をかけるのをためらった程だ。
いつもはゆっくりと長く風呂に入るところを、この日は僅か数分で出てきた。ちなみに言っておくが、長く風呂に入るのは、肩や腰が凝っているからではない。いや、凝っているが、年のせいではない。いつも工房で重たいものを持っているからだ。
話を元に戻す。
リノスはそんな彼女を肩を抱き、余った手で頭を撫でている。こうすれば、彼女の機嫌が直りやすいことを知っているからだ。
「……ったく、あのヤロー」
「どうしたんだ」
「あのジジイ、メイちゃんにはメイリアス殿、って殿まで付けておいて、私にはそなた、ですよ。そなた、ですよ。私のことを下に見ているんだ」
「まあ、あの大上王はメイのことが大好きだからな」
「それにしても、失礼だ」
「でもシディー、モノは考えようだぞ?」
「どういう意味です」
「逆にあの大上王に懐かれてみろ。コンシディー殿、コンシディー殿っていつも付きまとわれるぞ。毎日工房に押しかけられたら、堪らないだろう?」
「……最悪」
「だろう? ちょっと下に見られている方が、色々とトクだと思うんだけれどな」
「ううう」
「で、大上王は何だって?」
「どこまで聞いていますか?」
「大体の事のあらましは、メイから聞いた。剣豪が殺されたんだって?」
「そうなのです」
「シディーのことだ。犯人の目星はついているんだろう?」
「……まあ、大体は。剣豪を殺したのは、その人ではないことは、確かです」
「おお……」
「だだ、証拠がありません。証拠を見つけないと」
「証拠、か。それは難しいな」
「リノス様!」
突然シディーがガバッとリノスに体を向けた。思わずリノスは仰け反った……。