第千四話 作戦名ハチミツ
カヅマは驚きながら周囲を見廻している。そんな様子をキザは苦笑いを浮かべながら眺めている。
「うふふ、儂さぁ」
「何だ。儂に何をしろというのだ!」
「なぁに。敵の動きを見てくるだけでいい」
「敵の動き? 何で儂が!」
「お前は先の戦いでは何もしてはおらんだろうが!」
ザワシゲが苦々しい表情で口を開く。その彼にカヅマは目を剥いて怒った。
「バカを言え! 誰のおかげでこの砦を落とせたと思っておるのだ! 儂と、儂の手の者がこの砦の中を調べたお蔭であろうが! それがなくては、この砦は落とせなかった!」
「アガルタの兵士に無心しに行っただけじゃろうが!」
「ひっ、人聞きの悪いことを言うな! 隣の砦の、領主が、変わったらば、あいさつに出向くのは、当然のことだろうが! あいさつに出向いたと見せかけて、この砦のことを、調べた。十分な働きではないか」
カヅマはチラリチラリとマトカルを見ながら話す。その彼をマトカルは冷たい目で眺め続けていた。
「まあまあ、よさぬか二人とも」
キザが割って入る。そのとき、シディーの体がピクリと動いた。
「もしかしてそこには、珍しいものがある?」
その言葉にカヅマはぴしゃりと膝を打った。
「おお! 切通を抜けたところには、ロエハルという蜂がよく巣を作るのです。そこから採れるはちみつは、滋養強壮に効くと言われておりまして、あの辺りの者たちは万病に効く薬として重宝しております」
「たくさん、採れる?」
「ええ、もちろんでございますとも。私の手の者を連れて採って参りましょう。ロエハルという蜂は大型で、普段は大人しいのですが、巣を攻撃すると狂暴になる蜂なのでございますよ。しかしながら、この私めは、その巣を採る名人でございましてな。ええ。子供の頃なぞは、巣を採りまして、その蜂の子などを主食としておりました。このザワシゲなどは蜂の子が好物でしてな。ただ、こやつは不器用で臆病ですから、自分では採れないのでございます。よく私が採ってやったものでございますよ。この男がこの年まで大病もせずに五体満足で暮らせるのも、まあ、私のお蔭でございますねぇ。その恩も忘れてこの男は……。それを飲めば、お嬢様の背は伸び、胸もこのようにボン、と……。ああいや、お肌などもツヤツヤになります。ええ、お嬢様だけでなく、ぜひマトカル様もご賞味ください。お肌はもちろんのこと、疲れなども吹き飛ぶのでございますよ」
「では、お嬢様のために、ハチミツを採って来てはどうか。敵が来てからでは遅いだろう。なぁに、王都からこの砦までやって来るのに山を一つ越えねばならない。今のうちならば、敵もまだ来ないだろうから、ハチミツを獲って、すぐに帰ってくるといい」
キザが苦笑いを浮かべる。カヅマは嬉々としてその場を去っていった。その彼に、念のために百人くらいの警備の者を連れて行けよと声をかけると、彼は無言のまま手を振った。
「……こう言っては何だが、あの者は、幼い少女を好むのか?」
マトカルが誰に言うともなく呟く。
「いや、単に子供好きなだけで、それ以上のものはないと思うよ」
シディーが口を開く。その言葉を聞いたマトカルは小さなため息をついた。
「ああ、せっかくですから、お三方への褒賞が決まりましたのでお伝えします」
ケンシンが懐から紙を出して拡げる。そこには、それぞれに領地が与えられる旨が書かれた書状だった。三人ともにルレイクの土地と金が与えられることになり、マダクはまるで神を崇めるかのように書状を押し頂いた。対してザワシゲは当然だと言わんばかりの顔で書状を受け取った。だが、その心中は喜びで爆発しそうだった。
「早くこの戦いを終わらせて、家に帰りましょう。ああ、言うまでもないことですが、新しく治める領地については、領民の皆さんに優しくしてあげてくださいね。とりわけ、二年間は税をとることは厳禁とします。金が与えられるのはそのためです。領民にやさしくない領主は問答無用でクビにしますので、そのつもりで」
ケンシンの声は単なる脅しではなく、確固たる決意があるように聞こえた。マダク、ザワシゲの二人は神妙に頭を下げた。
「ところで」
場の空気を変えようとしたのか、ケンシンが少し声色を変えて喋り始めた。
「カヅマさんが言っていたハチミツ? 蜂の子? そんなに美味しいのですか? ハチミツは蜂の巣から採るのでしょう? 危険ではないかと思うのですが、大丈夫なのですか?」
その問いかけに、ザワシゲはフンと鼻を鳴らした。
「あ奴は子供の頃から変わっておるのです。蜂は……ロエハルは大型で刺されるととんでもない痛みがある。そう……熱湯をかけられたような、そんな感覚だ。ヤツはそれが心地いいらしい。あ奴は蜂に刺されながら嬉々として巣を採りに行く。バカなのです。バカすぎて、感覚もおかしくなっているのです」
「……いわゆるひとつの、ドMというやつか?」
「どえむ?」
「いや、こちらの話です。まあ、本人がいいのであれば、いいんじゃないでしょうか……。それにしても、あれだけ絶賛しているハチミツ、楽しみだ。焼いたパンに塗って食べても美味しいだろうし、何かの隠し味にもなりそうだ」
「あれは別名『子授けの薬』とも言われておりましてな。そちらの方にも効果があるのです」
マダクが口を開く。彼はシディーに視線を向けると、
「お嬢様には少し、刺激が強いかもしれませんから、お召し上がりになるときは、湯などに溶かして飲むとよろしいかと思います」
そう言って笑顔を見せた。その言葉を聞いたシディーが小さな声で、楽しみだと言ったのを聞いて、リノスは覆面の下で苦笑いを浮かべた。
「さて、我々も準備に取り掛からねばなりますまい」
キザのひとことで、その場に緊張が走った。マトカルはその場に居る者たち一人一人に視線を向けながら、地図を指さしながら作戦を伝えていった。
「作戦名はハチミツ、だな」
ケンシンの言葉に、ザワシゲが思わずプッと吹き出した。
◆ ◆ ◆
アミダバル率いる五千の軍勢は、バンゴの切通しに向かって進んでいた。当然、アミダバル自身もここがイルシの砦を落とすための最重要地点であると認識していた。問題はどうやってあの細い道を抜けるかだ。何の対策もなくあそこに入ってはならないことはわかっていた。むしろ、敵を切通しの外におびき寄せるくらいでなければならないと考えていた。
彼の作戦はこうだった。一旦、何の備えもない様子で切通に兵を入れる。敵はきっと崖の上から石を投げつけて攻撃してくるだろう。その対策として兵士たちに鉄の盾を持たせてある。それで頭上を守る。そうしておいて、兵士たちには一旦そこから撤退させる。きっと敵は怯んだと思って追手を差し向けてくるだろう。その兵士たちをできるだけ切通から遠くまでおびき寄せて、五千の軍勢で叩くというものだった。
だが、いざ現地についてみると、そこには数百の兵士たちが犇めいていた。犇めいてはいたが、戦闘態勢をとってはおらず、まるで物見遊山か何かのように、兵士たちには緊張感がなかった。まるで、敵の襲来など全く眼中にないという有様に見えた。
アミダバルは側近の兵士に命じて、敵に矢を射かけさせた。予想もしてなかったと見えて、兵士たちは慌てふためいていた。その敵にさらに矢を射かけると、アミダバルの軍勢に気がついた敵は一目散に切通しの中に逃げ込んでいった。それに釣られて、アミダバルの兵たちも攻撃に移った。
一瞬、罠ではないかと思ったが、敵が逃げる様はまさしく驚き、混乱した様子だった。彼の側近が声を上げて進言した。
「敵は我々の進撃を予想していなかったようです。今が好機です。一気に砦まで兵を進めましょう。おそらく敵は防御態勢が整っていないことでしょう。今攻めれば、確実に、勝てます」
アミダバルは大きく頷いた。