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小妖魔復活せし  作者: 司馬仲
小妖魔復活せし
8/82

7 幸せな悪夢を見せられた

 尾咲と呼ばれた狐が、私に向かって、私の声で。信じられない。これこそまさに、デカルチャー。

「え、千代安ちゃん……これって」

 左を向き、千代安ちゃんに助けを求める。

「気づいたか? これが尾咲の力だ」

「力?」

「私はね、誰とでも会話ができるの」

 右を向き、尾咲に訊く。

「会話?」

 千代安ちゃんが語り始める。私は左を向く。

「尾咲は本来、声も言語も持っていない妖魔だ。しかし力を使って、他の者から声と言語を借りることができるんだ」

「言語を借りる……?」

 声はなんとなく理解できるけど、言語を、借りる、とは? あごに手をやって首をひねっていると、尾咲が私の声で私に説明し始めた。私は右を向く。

「今私は、あなたの言葉を借りて喋っているの。あなたが今まで生きてきた中で覚えて身につけてきた、言葉に対する知識と認識。私はそれを一瞬で自分にコピーして、自由に使えるの。でもずっと使えるわけじゃなくて、相手が近くにいる間だけ。同時にコピーできるのも一人分だけ。だから今、私の中にさっき使ってた千代安ちゃんの言葉はひとつも入ってないの」

「なるほど。でもそれだとコピーって言葉は正しくないような……代わりになんて言えばいいのかわかんないけど」

「そう。あなたがわからない言葉は、私にも使えないの。あなたが意味を間違えて使ってる言葉は、私も間違えたまま使うしかないの」

「そうなんだ……」

 なんだか申し訳ない気分。

「人間も――」

 千代安ちゃんが横から口を挟んできた。左を向く。

「人間も妖魔もひとりひとり、それぞれ微妙に異なる言語を使う。私と織紙。憬糸とイマ。そしてクラスのやつら。みんな違う言葉を喋る。日本語という言語も、話者によってだいぶその様相が変わる。それがあまりに過ぎると、会話による誤解、勘違いが生まれる。でも尾咲にはそれが無い。相手が知っている言葉しか使わず、相手が理解できない言葉は発さない。一対一であれば、尾咲はどんな相手とでも完璧に意思疎通が取れる。……尾咲のその力、今では少し羨ましい」

 千代安ちゃんたら、急に遠い目しちゃって。

「千代安ちゃんってば、まだクラスで浮いてるんでしょ? かわいそうだなあ」

「なっ」

 千代安ちゃんの視線が私に鋭く刺さる。

「違うっ、尾咲。尾咲が言ったの!」

「むむう……」

 尾咲ったら私の声でなんてこと言うのかしら。千代安ちゃん、顔を赤くしてうつむいてしまった。尾咲がぴょこんと地面に降り立ち、千代安ちゃんの下から顔を覗き込むように顔を上げた。そしてまた私の声を使って話し始める。

「ごめんねー千代安ちゃん。でもそうなんでしょ。今でも夜ひとりで泣いてるんでしょ」

 尾咲の言葉を聞いたとたん千代安ちゃんが勢いよく立ち上がった。

「なっ! 泣いてなどない! でたらめなことを言うな!」

 顔を真っ赤にして叫んでいる。狐に向かって。それにしても、千代安ちゃんが、泣いてるって……?

「きゃー、こわーい」

 尾咲はわざとらしくそう言うと跳び上がり、私の陰に隠れた。

「待て! 私をバカにするな!」

 千代安ちゃんは素早く私の背後に手を回し、尾咲を捕まえた。首を掴み、自分の目線の所まで持ち上げている。尾咲が苦しそうだ。私は思わず立ち上がった。

「ちょっと千代安ちゃん! かわいそうだよ!」

「かわいそうなものか。この程度でどうにかなるこいつではない」

「でも……」

「いいんだ。こいつは私を怒らせたんだ。私の気の済むようにやらせてもらう」

 そんな、千代安ちゃん、動物をいじめるなんて……。

「織紙、気にすることはない」

 一瞬わからなかったけど、今のは千代安ちゃんの言葉を借りた尾咲の声だ。首を掴まれたまま普通に喋っている。やっぱり喉と口で話してるわけじゃないのか。尾咲はそのまますらすらと私に語り続ける。

「こいつはな、友達がいなくてさみしかったんだ。ひとりぼっちがつらかったんだよ――」

「黙れ――!」

 尾咲の首を掴む手に力がこもっている……。それでも尾咲は黙らない。千代安ちゃん、すごく怖い顔をしている。――千代安ちゃんの黒目が輝いてるように見えるのは、気のせい?

「今年の春、夏。千代安はいつもここに来て、ひとりで泣いていた。私はそれを見ていた。こいつの涙を、私は見た。一回や二回の話では無い――」

「やめろやめろ! やめろー!」

「千代安ちゃん!」

 絶叫し、千代安ちゃんは腕を振り上げて……尾咲を、尾咲をそのままでこぼこの地面に背中から思い切り叩きつけた。尾咲は地面で一回バウンドして、仰向けに伸びて倒れた。ひどい……! 私は千代安ちゃんに駆け寄ってその両手を取った。

「なんてことするのよ! 怪我したらどうすんの!」

「うるさい! 離せっ!」

 手を振り払われた。千代安ちゃんは、叩きつけられたまま、仰向けの姿勢で動かない尾咲に近づき、今度は右脚を後ろに振り上げた。

「やめて、やめてよ、千代安ちゃん……!」

「私を……私をバカにするな……私は、私は……ぐぐぐ……」

 脚を上げたまま歯を食いしばって、千代安ちゃんは呟いている。いつもの白い肌は炎のように赤く、黒い目は細く尖って、足元の尾咲を上から刺し貫いている。私は、そんな千代安ちゃんを無理矢理止めに入る勇気が……出なかった。ただ小さい声で「やめて」と言うことしかできなかった。

「蹴らないのか?」

 ぴくりとも動かないままの尾咲から声が聞こえた。

「蹴ってもいいんだぞ? お前の蹴りなど、風に揺れた草が当たった程度にしか感じないからな」

 尾咲またそんな挑発するようなこと……。

「貴様……!」

「しかしいいのか? やっとできた友達の目の前で、私を蹴るのか? 怒りに任せて、醜い暴力を振るうのか?」

「ぐっ」

 今まさに振り上げようとした脚が止まった。千代安ちゃんはそのまま両足で地面に立った。

「そう、お前は蹴らない。友達の素晴らしさを知っているからだ。友達の無いつらさを知っているからだ。見ろ、お前の友達の顔を。お前のせいでひどく怯えているぞ。どう詫びるのだ?」

「――織紙」

「え、私……?」

 千代安ちゃんが私を見る。ものすごく久しぶりに目が合ったような気がする。なんとなく恥ずかしくなって、目線を下に逸らした。千代安ちゃんが赤い顔のままこっちに歩いてくる。

「織紙、その、私……」

 私の両手を握ってきた。さっき私がそうしたように。

「さっき、織紙の手に、乱暴してしまった……その――」

 ……千代安ちゃん、ごめんね。

「いいよ。千代安ちゃんのこと、勘違いしてたみたい」

「え? それはどういう……」

「千代安ちゃん、実は酷い人だったんだね。小さい生き物を投げて、蹴ろうとするなんて」

 私の中の小悪魔が、むくりと布団から起き上がってきたのを感じる。

「いや、違う、待ってくれ、あれは、あれは尾咲が」

「恥ずかしいこと言われたからってあんなこと。千代安ちゃん、口は悪くてもいい子だと思ってたのに。軽蔑しちゃうな」

「あ……ああ……違う、違う! 違うんだ! やめてくれ、そんなこと言わないでくれ! 私が悪かった!」

 千代安ちゃん、跪いて私の脚にしがみつき、顔を覗き込んできた。目を見開いて必死の形相だ。顔はいまだに赤いけど、これは怒りじゃなくて、……焦り? 

「千代安ちゃんと一緒にいたら、私もいつか殴られちゃうかもなー」

「し、しない! そんなことしない!」

「でも尾咲や他の人は殴るんでしょ? 暴力的だもんね。……さよなら」

 左足をわざと後ろに動かした。

「あっ、や……やだ、やだっ! 待って、待って! だ、だえも、誰も殴らない! 殴らないから! だから行かないで、いかないでよ! 織紙おねがい行かないで!」

 私のショーパンを掴み、すがっている。

「……本当?」

「行かないで……やだよ行っちゃやだよお……織紙……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 千代安ちゃんは顔を歪め、今にも泣き出しそう。心なしか小さな子どもみたいに見える。……さすがにかわいそうになってきた。

「千代安ちゃん」

 私は地面にしゃがみ、千代安ちゃんの正面に頭を並べた。

「織紙……?」

「騙してごめんね。千代安ちゃんのこと、軽蔑なんかしてないよ」

「え?」

 鳩が豆鉄砲とはこのことだな。千代安ちゃんのびっくりした顔がかわいい。

「でももしあそこで尾咲を蹴ってたら、ほんとにさよならしてたかもね」

「お、織紙……お前」

「千代安ちゃんのこと信じてるよ。友達だもん」

「織紙……」

 千代安ちゃんは安心したのか、大きな大きなため息をひとつついた。そして私の目を見つめて、ゆっくり問いかけてきた。

「なあ、ぎゅってしても、いいか……?」

「え? ふふ――」

 質問には答えず、私は跪いたままの千代安ちゃんを両腕でそっと抱きしめた。千代安ちゃんの頭がすぐ右にある。お互いの髪の毛を挟んで耳と耳がくっついてる。

「好きだよ。千代安ちゃん」

「織紙……ありがとう」

 ちょっとだけ間があってから、千代安ちゃんも私の背中に両腕を回した。小さな手のひらと、そこから伸びる細い指。彼女の確かな熱を感じる。お姉ちゃんやお父さんのとは違う、千代安ちゃんだけが持つ特別な熱。今、私だけがそれを感じている。――とても、幸せな気持ち。

 横から千代安ちゃんの声がした。

「私も好きだ。だから、織紙は離れないでいてくれ。お願いだ」

「うん。もちろんだよ」

 さっき千代安ちゃんに頭を撫でてもらったことを思い出したので、抱き合ったまま私も右手でこの子の頭を撫でた。千代安ちゃんは一瞬ビクッとしたようだけど、何も言わず、私の背中を押さえる手に力をこめて、さらに私に体を寄せてきた。

「嬉しいな。こんな気分、織紙に会うまで長らく忘れていた」

 私も嬉しい。こんなこと言ってくれる友達は初めて。……しゃがんでいるのに疲れたので、私も膝を地面につけることにした。おかげで千代安ちゃんとの距離がもっと近くなった。――待てよ、頭を撫でてもらったのは、あれは現実の話ではなかった。私の妄想の中の出来事だ。

「もう、撫でてくれないのか?」

 千代安ちゃんのさみしそうな細い声にはっとする。頭を撫でる手が止まっていた。

「あ、ごめんね。……あっち座ろうよ。脚、汚れちゃうよ」

 なんとなく切り替えようと思って、千代安ちゃんの腕を取り、一緒に腰を上げた。その時見た千代安ちゃんの顔は、怒りでもなく、焦りでもない、おそらく他の何かの感情で、赤くなっていた。

「はは、そうだな。――本当だ、土がついている」

 そう言うと千代安ちゃんは私の足下にしゃがみ込んで、私の脚についた土を手で払い始めた。

「わ、大丈夫だよ」

「そうか?」

 そう言ってる間に千代安ちゃんは、私についた土をあらかた取り除いてしまった。そして次に自分の脚についた土に取りかかった。その生脚の膝から下がちょっと傷っぽくなっている。擦りむいたのかな。悪いことしちゃったな……。

「よし、いいぞ。座ろうか」

 千代安ちゃんは手早く土を払って、すたすたと丸太ベンチに歩き、その真ん中に座った。本人は平気な顔してるけど、赤くなっている膝が痛々しい。

「どうした。ほら、来い」

 ぼーっと突っ立っている私を見かねたのか、千代安ちゃんはベンチの自分が座っている右側をぽんぽんと叩いて、こっちに来いと促している。

「……うん」

 私は、光に集まる虫のように、千代安ちゃんの隣へと引き寄せられた。横にぴったり密着して座る。

「もー、いつまでラブラブしてるの? 私のこと忘れないでよう」

 近くで私の声。前を見ると、尾咲が地面にちょこんと四本の脚で立っていた。

「尾咲……ごめん、無視しちゃってた?」

「いいんだけどね。女子同士のいちゃいちゃ見せつけられて、さみしいというか、むかつくというか、気まずいというか」

 私の口癖も完璧にコピーされている……。

「お前、まだいたのか」

 千代安ちゃんが失礼なことを言っている。しかし尾咲も負けてない。

「ふたりの逢瀬(おうせ)を邪魔したのは悪かったが、この林は私の住処だ。出て行けと言われても聞く筋合いは無いぞ」

「なんだとお」

「それにしても千代安、お前が人間の女とそこまで仲良くなるなんてな。どんな手を使ったんだ?」

「手だと? 私は織紙に運命を感じたんだ。運命の相手にせせこましい手段など必要ないわ!」

 ――思いっきり二の場の力使ってたじゃん。ていうか、運命だなんて……千代安ちゃんはいったい私に何を感じたというんだろう? 私、別に普通なのに。

「運命ならしかたないな。織紙とせいぜい幸せになるといい」

「そうさせてもらうさ」

「ええ……?」

 幸せ、って、この妖魔ふたりが言う『幸せ』って、何? 人間の思う『幸せ』とは違うんだろうか。人間、私の思う幸せ……好きな人との、結婚……? 子どもができて、家族みんなで、楽しい生活。……好きな人? すぐ横にいる美少女の顔が浮かぶ。なんてことか。好きな人と聞いて男の人の顔が全然浮かばないとは。

「はあ」

「織紙どうした。ため息なんてついて」

「ううん、なんでもない」

 私の未来の旦那様。いずこにおられるのやら……。

「そういえば、千代安には千年前にも運命の相手がいたよな」

 急に尾咲が語りだした。千代安ちゃんの顔色が変わる。

「よせ、無駄話だ」

「我らの話なんて九割無駄話じゃないか」

「むう……」

 千代安ちゃん、口を尖らせてうなっている。――言い返せないのかよ!

「運命の相手?」

 代わりに尾咲に訊いてみた。尾咲は青い目をこっちに向けて言った。

「平星。千代安から聞いてないか?」

 まただ。平星くんの名前。千年前の、千代安ちゃんの……相棒。千代安ちゃんの方をちらりと見たが、彼女は何も言わずに黙って尾咲を見ていた。

「うん、聞いたことあるよ。千代安ちゃんとふたりで大暴れしてたんでしょ?」

「そう。都でその名を知らぬ者無し。とまで言われた有名な妖魔。私はふたりの活躍を草むらからよく見ていた。たまにふたりの手伝いをしたこともあったな。平星は策士だった」

「でも捕まっちゃったんだよね?」

「人間の方にも策士がいたというわけだ。なぜ平星が消えて千代安は無事だったのかが大きな疑問だが」

「千代安ちゃん……」

 再び千代安ちゃんを見た。白い肌に黒い両目がよく映えている。でもその表情は薄暗い灰色。

「……覚えてないんだ。網に入れられ、あの屋敷に連れてこられてから、曖昧で」

「そう……」

「この話は前にもしただろう。蒸し返しても何にもならん。平星が戻ってくるわけじゃない」

「……かもしれないけどさ。気になるよ。千代安ちゃんの運命の相手だったんでしょ?」

「織紙までそんなことを……」

「ふふっ、いいじゃない、千代安ちゃん。教えてあげなよ。平星くんのこと」

 尾咲、また私の声。千代安ちゃんの声と切り替えるタイミングの基準がよくわからない。

「忘れようと思っているんだ。平星のこと」

「どうして?」

「……苦しいからだ。平星のことを想うと。いくら想っても、平星はいない。それが苦しい」

「そう、かあ……」

 私が言葉に詰まっていると、尾咲が口を挟んできた。いつの間にか千代安ちゃんの足元までやってきて彼女のすねの傷を舐めている。

「でも忘れられない、と」

 千代安ちゃんの体が一瞬ぴくりと縦に揺れた。尾咲の言葉に反応したのか、傷を舐められたことに反応したのか、わからないけど。

「貴様……。まあ確かにその通りだ。平星を忘れるなんて無理だった。生まれてからあの日まで、われらふたりは常に共に在ったのだから」

「ううん……」

 なんか適当な相づちしかうてない私。

「それに引き換え人間は薄情だ。怪異が無くなったらすぐ我らのことを忘れた。悪夢から目覚めるとその内容は忘れてしまうのと同じように。あれほど苦しんでいたくせに。くそう、我らの存在は、人間にとってくだらん夢や幻と同じ程度だとでも言うのか」

「千代安ちゃん……」

 私は妖魔じゃないから、この千代安ちゃんの気持ちはわかってあげられない。でもなんでかな。心が痛むような感覚――。私は千代安ちゃんにかける言葉を探していた。しかし次に声を出したのは私ではなく、尾咲だった。

「あるいは、そうなのかもな」

「なんだと?」

 千代安ちゃんは上半身を前に倒して、自分の脚の傷を舐め続けている尾咲を見つめた。

「人間とっては、な。妖魔への認識など悪い夢か幻程度でしかないのかもしれない」

「あれだけ翻弄されておいて、『あれは夢だった。忘れよう』で済まされては――」

「だからこそ、我ら妖魔は人間に夢を見せ続けなければならないんだよ。さもなければ、消滅だ」

「それは……そうだが」

「わかるぞ、悔しいんだろう。平星を葬った人間たち。妖魔を夢か何かと勘違いしている馬鹿な人間たち。しかしその人間がいないと自分も存在できない。仇に頼らなければ生きられない。それが悔しいんだろう」

「……そうだ。――いたっ!」

「おお、痛かったか? すまんな」

 傷にしみたのか、千代安ちゃんは声を上げた。尾咲は謝ったが、またすぐに傷をぺろぺろし始め、何事もなかったように千代安ちゃんと会話を続けた。

「それで、そんな恨むべき人間と友達になって、お前はどうするつもりだ?」

「復讐……いや違うな。私はかつての私を取り戻すんだ」

「ふむ。織紙を平星の代わりにするということか」

「違う。織紙は平星の代わりにはならない。織紙は織紙だ。他の誰にもならない。他の誰も、織紙にはなれない。誰でもいいわけじゃない。織紙だから、よかったのだ」

 嬉しいというか、恥ずかしいというか。千代安ちゃんはどうしてそこまで私にこだわるんだろう……?

「なるほどな。で、新たな運命の相手と、具体的には何をするつもりだ? 私にも教えてくれ」

「決まっている。手始めにクラスのやつらに恐怖を味わわせてやるんだ。今計画を練っている」

「え、クラスの人たちに何かするの?」

「織紙よ心配するな。何も殺そうというわけじゃない。ちょっと怖い思いをさせるだけだ」

 殺そうと……って、なんだか前に観た映画のワンシーンを思い出す。人型の殺人アンドロイドが登場して、主人に「人を殺すな」と言われたそばから警備員の脚を撃っちゃう。主人がそれを責めるとアンドロイドは一言「死にはしない」。そこで一緒に観ていたお姉ちゃんが吹き出していた。確かに死にはしないだろうけど、人間とアンドロイドの思考回路に大きな差があるのを感じるシーンだった。それが今の、妖魔である千代安ちゃんの発言と重なったのかも。確かに殺す気は無いんだろう。でも彼女の言う『ちょっと怖い思い』とはどの程度の事なんだろうか。私なんかは、歩道歩いてて前から自転車が猛スピードですれ違っていっただけで『ちょっと怖い思い』なんだけど。千代安ちゃんの人間社会、一般常識に対する思考回路、認識がいまいち読めないからなあ。なんか校舎に時限爆弾仕掛けて『ちょっと怖い思い』とか言い出しそうで怖い。

 私がひとりで悩んでいる横で、妖魔ふたり(ひとりと一匹?)が話を進めている。

「平星無しでできるのか?」

「無しでやるんだ。いないものを頼ることはできない。それともなんだ、私は平星がいないと何もできない妖魔の屑だとでも言いたいのか」

「昔だったらそう言ってたかもな。でも今は違うんだろう?」

「当然だ。お前のようにここでただ狐として愛でられて存在感を保ってるようなやつとは違うことを見せつけてやる」

「唐突な侮辱だな。まあいい。私は千代安と違って心が広いからな、軽く流してやろう。(はばか)らず激昂して暴れたりはしないぞ」

「むぐ……」

「でも千代安の腕力じゃあ、大暴れしても若木の小枝を折るぐらいしかできないだろうがな」

「ぐ、き、貴様ぁ……!」

「まあまあふたりとも――」

 千代安ちゃんたら小さい拳を握りしめて震えている。このふたり、仲がいいのか悪いのかよくわからん。

「だ、大丈夫だ。織紙よ、約束は守るさ。こ、このような女狐いたぶったところで面白くもなんともないからな」

「千代安ちゃん」

「……ただ、念のため、しばらく私の手を押さえていてくれ」

「ぷっ」

 吹き出してしまった。私は言われたとおり千代安ちゃんの右手を握った。細かく震えている。

「なにかおかしいか?」

「ううん、なんでもない。あんまり怒っちゃだめだよ?」

「怒ってなどいない。こいつが悪いんだ」

「む、私は事実を言っただけだ。お前は非力だろう」

「尾咲もそうやってあんまりバカにするようなこと言わないの」

「はは、怒られてしまった」

「もう……」

 尾咲は笑っている。全然気にしていないようだ。

「そうだ千代安ちゃん、平星くんのこと教えてよ。聞きたいな」

 話題を振って千代安ちゃんの機嫌を直そうと思った。

「ん、平星か。無駄な思い出話になるが、いいのか?」

「無駄じゃないよ。聞かせて」

「……そうか、じゃあ」

 千代安ちゃんはしぶしぶ話し始めた。と思ったら途中からだんだん調子が乗ってきたのか、平星くんについて訊いてないことまでどんどん語り出し、止まらなくなっていた。平星くんの見た目、性格、話し方。ふたりでいつもどんな話をしていたか。ある日ふたりで大きな木に登ったこと。その時木から落ちそうになったのを助けてくれたこと。本当は走るの速いのに、自分に合わせて遅く走っていてくれたこと。手の甲に足を乗せて歩くことで足音を消すという技を教えてくれたこと。千代安ちゃんは他にもいろんな話をしてくれたけど、どれもみんな平星くんを慕い、尊敬していることを強く思わせるものだった。話している時の千代安ちゃんの顔もすごく楽しそうで、明るく輝いていた。なんだか、嫉妬しちゃうな。

 千代安ちゃんによる平星くん語りは続いた。途中お腹が空いて、残っていたおにぎりを食べてしまった。その時千代安ちゃんが悲しい声で小さく「あっ」と言ったのが聞こえた。そのことには特に触れずにいると千代安ちゃんはまた平星くん語りを再開した。尾咲はいつの間にか林の中に帰っていった。飽きて逃げたとも言う。


「……というわけだ。やはり雨の日を選んだのが功を奏したんだな」

「あの、千代安さん……」

「なんだ」

「ごめん、ちょっと……寒くなってきちゃった」

 延々話を聴き続けて、とうとう太陽まで地球の裏側に帰り始めていた。

「そうか、ここから面白くなるところだったんだが……しかたない。今日はここまでにするか」

 まだまだ話し足りないみたいだけど、もうさすがにつらい。寒い。

「ほんとごめんね。平星くんの話、面白かった」

「ならよかった。また聞かせてやろう。……ん?」

 千代安ちゃんが辺りを見回している。

「尾咲はどこに行った? いつの間に消えたんだ?」

 いなくなったのに気づいてなかったらしい。だいぶ前に帰ったことを伝えると、千代安ちゃんは呆れた顔をした。

「まったく、集中力の無いけだものめ。思い出話もまともに聞いていられないとは」

 ――途中から私も正直半分ぐらいしか聞いてなかったのは内緒にしておこう……。

「じゃ、じゃあ私、帰るね。楽しかったよ」

「そうか。私も楽しかった。出口まで送ろう」

 公園の出口まで送ってもらい、そこで千代安ちゃんと別れた。家でお姉ちゃんにずっと公園にいたことを言うと、「あんたたち小学生なの!?」と驚きを隠しきれない口ぶりをされた。家に帰っても寒気が抜けなかったのでお風呂に入って早めに寝た。

 次の日、熱が出て一日中寝込んだ。完全に千代安ちゃんのせいだ。せっかくの日曜日は、黒髪の美少女と一緒に空飛ぶ木に乗る夢を見て終わった。

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