5 3D機能もついてる
千代安ちゃんが家に来てからの数日間、私と千代安ちゃんは放課後になると毎日、あの自然なんとか公園に遊びに行っていた。遊ぶと言っても、公園のあちこちにあるベンチに座ってお喋りするだけなんだけど。
千代安ちゃんは学校だと相変わらず無口で小声だけど、この公園に来て私とふたりきりになると途端に饒舌になる。学校で我慢してた分を一気に吐き出してるって感じ。
金曜日の今日も、放課後すぐにふたりでこの公園に来た。この公園は毎日人が全然いない。カメラを持った男の人がひとりいるかどうかって感じ。その姿は今は見えない。
今日は入口から少し奥にある大きな池の側にある、五人ぐらい座れそうな黒いベンチに腰掛けることにした。ベンチの端にリュックを置き、私がその隣に座ると、千代安ちゃんはやっぱり私のすぐ左に座り、密着してきた。そして前方の池を眺めている。
ん……これ、千代安ちゃんの汗のにおいかな? 千代安ちゃんの頭からふわっと、弱い風に乗って漂ってくる。妖魔って制汗剤とか、使わないのかな。――でもこのにおい、悪い気はしない。私、変態なのかもしれない。
「どうした、私の頭に何かあるのか?」
視線を感じ取ったらしく、千代安ちゃんは右手で頭のてっぺんをぺたぺたと触った。そしてぼそっと「かゆ」とつぶやいて頭頂部をかきむしり始めた。そのせいで髪が乱れ、においがさらに拡散された。自然と鼻が千代安ちゃんの頭へ引き寄せられていく。
「ああすまん。で、私の頭がどうかしたか?」
自分の頭のにおいをかいでくる変態に話しかける、勇気ある美少女。私が男だったら逮捕されてるところだな。千代安ちゃんはそんな妄想に気づくことなく、乱れた髪の毛を手ぐしで直している。私はさりげなく鼻を引いた。
「なんでもないよ。今日は風弱くてよかったね」
「うん、今日はあまり寒くない。今年は寒くなるのが早かったからな。余計にそう感じる」
千代安ちゃんはそう言うと腕を組んで、両肘のところをさすっている。
「だよね。今日都市も寒かったもん。早く衣替えしたいね」
この半袖セーラーじゃあちょっとつらい。カーディガン着ればいいんだけど、なんか気乗りしない。早く十月になれ。
「今日都か……なあ織紙」
池から私の方に目線を移して、真面目な顔をしている。
「なあに?」
「明日は土曜日で、学校が休みだろう。その、織紙は明日、何をして過ごすんだ?」
表情の割にカジュアルな質問。
「明日かあ。予定無いなあ」
私ってば無趣味な女だからな。ずっと家で絵描いてるかゲームしてるか、あとは寝てるだけ。たまにお姉ちゃんと車乗って買い物行ったりはするけど。
そういえば昨日の夕方、ようやくお姉ちゃんが歯磨き粉を買ってきた。実を言うと、昨日の朝に歯磨き粉が完全に無くなってて、その時私は水だけで歯を磨いた。そのせいで昨日はハラハラしっぱなし。特に千代安ちゃんは距離が近いから困った。何回も「なぜ口を隠す?」と言われた。
そういえば千代安ちゃん、いつもすごく近くにいるけど、いい匂いがする。匂いって言っても、香水とかスプレーとは違う、なんていうか、自然な匂い。人間本来の(妖魔だけど)においというか、人工甘味料不使用というか。
さっき頭のにおいかいだ時も、シャンプーのにおいはしなかった。だからといって臭いわけでは全然なくて、もっとかぎたくなるにおいだった。私、変態なのかもしれない。
「予定が無いなら、明日もここで会わないか? 一緒に過ごそう」
「一緒に」
休日の公園デート。この子はほんとに積極的だ。でもどうしようかな。家で寝てたい気もする。
悩んで黙っていると、千代安ちゃんが私の二の腕に両手で軽くしがみつき、上目遣いでさらに迫ってきた。
「私は毎日織紙に会いたいんだ。せっかく友達ができたのに二日も会えないなんてもったいないじゃないか。なあいいだろう織紙。好きな者と共にいたいのだ」
むむむ。今時こんな素直にストレートに、相手に面と向かって好き好き言う女子高生がいるだろうか。恥ずかしげもなく腕を掴んで私の目を見つめて。――もし私に彼女ができたらこんな感じなのかな。とほほ、彼氏じゃないのかよ。
まあいいや。私は決めたよ。
「わかったよ。明日も一緒に遊ぼう」
かわいい友達の誘いは断れないよね。
「おお、やっぱり織紙はいいやつだな。だから好きだ。ふふ、ふふ」
千代安ちゃんたらだらしなくにやけて、掴んでた私の左腕に、自分の両腕を絡ませてきた。それだけに飽き足らず、私の肩に頭からもたれかかってほっぺをすりすりしている。
……なんてやらしい子なんだ! 私にいかがわしい感情を芽生えさせようとしている! こんなお外でこんなこと……こんなのエロい男子中学生の夢か妄想でしかありえないと思ってた。はうっ、すぐ左に千代安ちゃんのサラサラ髪の毛が。ああ、気づいた時にはまたしてもそのにおいをくんくんしている自分の姿。私、変態なのかもしれない。
「んはあ……」
「そんなに私の頭のにおいが気になるのか?」
「えっ」
ばれてた!? やばい、やばすぎるよこれは。変態の烙印を押されてしまう。
「さっきから何回も何回も。もしかして、臭いか?」
私の肩のとこからぐいっと上目遣いで、不安そうな声。
「臭くなんかないよ! むしろいいにおい!」
あ、自分でもわかる。余計なことを口走った。
「やはりにおいをかいでいたのか。臭くないならいいが……」
そう言ってまた頭をかいている。そんなに頭がかゆいのかな。大丈夫かな私、引かれてないかな……。
そんな心配をよそに、千代安ちゃんは頭をかき終わると、腕をまた私の左腕に絡ませた。それから間を置いて喋り始めた。
「においといえば、織紙もいい匂いがするよな。こうして近くにいると、そう感じる」
「え、そ、そうかな」
予想外なことを言われて思わず右手で口を覆った。昨日歯磨き粉を使ってないのを思い出したからだ。直後に、今日はちゃんと使った、と思い直して手を外した。
「そうだとも。特に織紙はな、首の所が良い」
と言って千代安ちゃんはいきなり腰を浮かせて向き直り、私の首横の髪をかき分けて首筋をあらわにさせた。そして鼻をそこに近づけて深呼吸をし始めた。私はいきなりのことに反応できず、ただなされるがまま。
「……あはあ。ふふ。ほら、織紙のいい匂いがする。私が独り占めだ」
首に千代安ちゃんの息が吹きつけられている。千代安ちゃんの息遣いを感じる。そのたびにぞわぞわとした感覚がこみ上げてくる。我慢しようと思えば思うほど、耐えられなくて声が出そうになる。
「……うぎっ。そん、そんなにいいにおいする? 自分じゃわかんない、なぁ」
千代安ちゃんに訊くと、彼女は顔を離してこう言った。
「ああ。ずっとかいでいると、我を忘れそうになる。だから今日はここまでだ。すまなかったな」
よく見ると、千代安ちゃんのいつも白い肌が、今はちょっと、ほんのちょっぴりだけ、赤くなってる気がする。目や口も、いつもと違う、大人っぽくて、妖しいほほえみ。なんだろう、ドキドキしてる。
うそ、相手は女の子よ。私、まさか本当に変態なの――?
「おい、織紙、聞こえてるか?」
うわ、なんだ、聞こえてなかった。
「どうした、ぼんやりしてたぞ?」
あれ、おかしいな。気づくと千代安ちゃんはベンチに座り、いつも通りの、白くて生意気そうなかわいい顔に戻っていた。さっきのは幻覚? いや、そんなはずは――。
「ほんとに大丈夫か? 今日はもう家に帰るか?」
千代安ちゃんが顔を覗き込んで心配してくれている。
「ううん、大丈夫だよ。ごめんね」
「そうか。それで、明日のことだが」
「明日? ああ! 明日ね」
すっかり忘れてた。
「どうやって待ち合わせる? 時間を決めて現地集合にするか」
千代安ちゃん、腕は絡ませてないものの、また私の肩にもたれかかってきている。
「んー、あ、そうだ。ねえ千代安ちゃん」
「なんだ」
「千代安ちゃんって、レインやってないの?」
「レイン?」
連絡先を交換しておけば待ち合わせもしやすいんじゃないかって思ったけど……あごを上げて私を見つめるその顔は、「何言ってんだこいつ」と言っている。完全にそう言っている。
「レイン、って……知らない?」
「英語だろ。確か、雨って意味だ。それを、やっている、とはどういう意味だ?」
どうやらアプリのRAINの事は全然知らないらしい。
「スマホのアプリのことなんだけど……そもそも千代安ちゃん、携帯電話って持ってる?」
妖魔だからそもそも携帯なんて持ってないのかも。
「携帯電話か。ふふ、織紙よ、私を時代遅れな妖魔だとバカにしてるな。ほら、これのことだろう!」
例のニヤリ顔で、千代安ちゃんはウエストポーチから深緑色の、カブト虫みたいに光沢のある二つ折りの携帯電話を取り出した。いわゆるガラケーだ。
「ガラケーかあ」
「イマに持たされているんだ。どうだ、恐れ入ったか」
全然恐れいらない……。でもそうかガラケーか。じゃあレインなんてやってないか。ガラケーでもできるらしいけど。
「で、これとそのレインがどう関係するんだ?」
うーん。千代安ちゃん、自信満々に携帯見せびらかしてるけど、正直機械オンチっぽいなあ。どうせガラケーだし、レインの説明するのめんどい……。
「ううん、レインはいいや。なんでもない」
「な、なんでもないだって? むう、せっかく見せてやったのに……」
「あ、待って。しまわないで」
携帯を残念そうにウエストポーチにしまおうとする千代安ちゃんを止めて、私は言った。
「レインの代わりに、電話番号とメアド、交換しようよ」
「メアド、か」
千代安ちゃんは手に持った携帯を開き、何やらボタンを押している。が、しばらくすると千代安ちゃんは、その携帯を開いたまま、私に画面を見せてきた。
「交換するのはいいが……やり方がわからん。織紙、やってくれ」
「んえ」
画面を覗きこむと、白くて明るい背景に、黄色い大きな花が青い花瓶に一輪だけ挿さっている写真が写っていた。多分、初期状態のままいじってない待ち受け画面だ。やっぱり千代安ちゃん、機械オンチか。先生も操作教えてあげればいいのに。
「……わかった。でも勝手にいじっていいの?」
「ああ。頼む」
頼むと言われちゃったら仕方ない。私は千代安ちゃんの携帯を手に取り、操作を始めた。
プロフィール画面を開こうと思ったが、待てよ――ここはひとつ、この子の交友関係を調べてみちゃおう。というわけで、私はこっそりアドレス帳を探した。それはすぐに見つかった。アドレス帳、アイウエオ順にして中を覗く。
……少ない。『あ』から『た』までゼロ。『な』に来てようやく『鳴奈河原今』。担任の先生だ。そこからまたゼロの行が続く。
なんだ、予想はしてたけど、千代安ちゃん全然友達いないじゃん。……だからこそ、二の場を使ってまで、強引に、積極的に、私と友だちになろうとしたのかなあ……って! これ!
――渡良瀬陽平――
『わ』にひとつだけ、男の名前があった。渡良瀬……? 誰だろう? もしかして、千代安ちゃんの、彼氏!?
「おい、どうしたんだ怖い顔して。まさか織紙もやり方わからないなんて言わないよな?」
「ねえ千代安ちゃん。これ、誰?」
千代安ちゃんに携帯の画面を見せて尋ねる。自分でも意外なくらい落ち着いた声が出た。
「ん、なんだあ? ……ああ、そいつか。我らのクラスの委員長じゃないか。お前も知ってるだろ」
え。
「委員長。こんな名前だったっけ」
委員長。確かに私たちの一年C組の学級委員長は男子だ。ああそういえば、こんな名前だったような気がする。興味が無い人はなかなか覚えられないんだよね。覚える気が無いとも言うかも。思えば、千代安ちゃん以外のクラスメイトの名前、ほとんど覚えてないや。
「転校してきたばかりとはいえ、自分のクラスの委員長の名前を覚えていないのか。織紙は意外とぬけているんだな」
「面目ない」
ちょっと恥ずかしい。でもそうか、委員長か、これ。それなら納得……できないよ! なんでこの委員長の連絡先だけ知ってるの?
「ねえ、委員長なのはわかったけど、なんでそのメアドを千代安ちゃんが知ってるの?」
「朱雀高校に入学してすぐ、そいつに訊かれたんだ。連絡先をな。それで電話番号と、メアドを交換したんだ。ああ、そういえばその時もレインという言葉を聞いたな。なぜか私の携帯を見てその話を引っ込めたが」
それって、ナンパされたってこと?
「それからメールとかしたの?」
「いや、私には何も来なかった」
「には?」
「あいつ、クラスの女子全員に同じことを訊いていた。多分私以外の誰かとは連絡取り合っているんじゃないか」
女子全員って、完全にナンパ野郎じゃん。学校を出会いの場と勘違いしている不届き者め。……だんだん顔を思い出してきた。身長高くて、爽やか系でそこそこイケメン。髪型もばっちり決めて、いつも誰かと一緒にいる。クラスの人気者ってやつか。でもその裏では、気に入った女子を次々とたぶらかし、食いものにしている。ということか……むむむ。
「うちの委員長、けっこう肉食系なんだね」
「肉食? ああ、なるほど、そうだな。好色な男なのかもな」
千代安ちゃんが肉食系の意味を知っているとは。
「でもさ、連絡無いならアドレス帳から消せばいいじゃん。なんで残してるの?」
「消せるのか。どうやるんだ?」
「やってあげるよ」
サブメニューを開いて……。
「いや、やっぱりいい。それはそのままにしておけ」
「え」
あと一回ボタンを押せば削除、というところで指が止まる。
「消さなくていいの?」
「ああ。それよりも、早く織紙と電話ができるようにしてくれ。渡良瀬のことは今関係ないだろう」
「……そう、だね」
なんで残す必要なんてあるのかわかんないけど、千代安ちゃんの言うとおりにしておこう。
削除をキャンセルして、千代安ちゃんのプロフィール画面を開く。千代安ちゃんの携帯を左手に持ち替えて、右手に自分のスマートフォンを持つ。スマートフォンに千代安ちゃんの電話番号とメアドを登録。登録したメアドに、自分の電話番号を書いてメールを送信。左手に持った千代安ちゃんの携帯に、私からのメールが来る。これを、メール本文に書いてある電話番号と一緒に登録。これで完了! 千代安ちゃんのアドレス帳にはしっかりと、私の名前が追加されている。もちろん私のスマートフォンにも、千代安ちゃんのことがちゃんと登録されている。
「はい、できたよ!」
千代安ちゃんに携帯を返した。
「うん。ええと、ここを押して、押して、押して、ここで織紙の名前を選んで……この左のボタンを押せば、織紙の携帯に繋がるんだよな?」
「そうそう。あ、ほら、かかってきた」
千代安ちゃんが携帯の発信ボタンを押すと、数秒経ってから私のスマートフォンがぶるぶる震えだした(基本的に電話着信音はバイブオンリーなのだ)。キャンセルボタンをタップして震えを止める。
「ああっ……」
「ん? あ」
隣から、小さく儚げで、あだっぽい悲鳴が聞こえた。見ると、千代安ちゃんが携帯を耳に当ててこっちを見ている。口を小さく、目は大きく開いている。出てほしかったのか……。
「ごめん、切っちゃった……」
「い、いいんだ。構わん……」
そうは言ってるけど、ものすごくさみしそーな顔をしている。さみしそーに携帯を閉じて、さみしそーにそれをウエストポーチにしまった。そしてさみしそーに、私をじっとりと見つめた。
「ごめんってばー」
「いいと言ってる」
「次はちゃんと出るからさ」
「約束だぞ。明日の朝かけるからな」
「うん。わかったよ」
「よしよし。ふふ。じゃあ明日の朝、電話で集合時間を決めよう。今から楽しみだな」
「そ、そうだね」
別に集合時間は今決めたほうがいいんじゃないかって思うけど、電話するのをすごく楽しみにしている千代安ちゃんを見てると、とても言い出せなかった。
「ではそろそろ帰ろうか。送っていくぞ」
千代安ちゃんはベンチから颯爽と飛び降りた。
「あ、もう帰る?」
「ああ。明日は織紙と一日中一緒にいられるのだ。今日のところは勘弁してやろう」
勘弁?
「一日中一緒にいるの?」
「いてくれないのか?」
「……いる」
「ふふ、織紙はいいやつだな。好きだぞ」
ああまた。またやられた。私のハートは矢傷だらけ。すべて同一人物による犯行。このままでは私、いけない道に進んでしまいそう。
「織紙、行くぞ」
「うん」
とりあえず今日は家に帰ろう。リュックを背負い、先を歩く千代安ちゃんの後を追った。
十分ぐらい歩いて、家の前に着いた。千代安ちゃんが口を開く。
「ではここまでだな。明日、電話するから出てくれよ?」
まだ言ってる。
「大丈夫だってば」
「ふふ、そうか。じゃあまたな」
「ばいばい!」
玄関のドアの前で手を振って、千代安ちゃんと別れた。
その日の夕食。お姉ちゃんとふたりでごはんを食べながら、明日のことを話した。
「ふたりで公園に。付き合い始めのカップルみたいだね」
「やめてよー」
「でももう何回も行ってるんでしょ? 他に行くとこ無いの? ――無いか。田舎だし」
「うーん」
「女の子なんだから、化粧品でも見に行ったら? ほらこの前一緒に行ったじゃん。朱雀本町のあそこ。広かったよねー」
「結局いつもの乳液しか買わなかったじゃん。アイライナーとコンシーラー買うって言ってたくせに」
「いざ見てみるとしっくりこないんだもん。高いし」
「お姉ちゃんが買ったって使い道無いしね」
「飾る心を無くしたら女は終わりよ。これは気持ちの問題なの」
「はあ?」
「だから、あんたも、千代安ちゃんも、少しは顔になんか塗ってみなさいよって話。あの子すっぴんだったでしょ? せっかくかわいい顔してるのに」
「まあ、そうかもしれないけど」
「あんたもね。私が乳液買ってる間、あんたリップクリームしか見てなかったじゃない。大好物なの? リップ」
「何それ。だってめんどくさいんだもん。しなくたって死なないしさ」
「今はね。でも卒業して仕事するようになったら、嫌でも化粧しなきゃならなくなるのよ。その時になって、ファンデすらまともに塗れなかったら困るでしょ」
「お姉ちゃん仕事してないじゃん」
「あんたたちの世話してるだろうが」
「じゃあ私もお姉ちゃんの世話する」
「何十年後の話よ。お母さんはひとりいれば十分」
「あーじゃあ結婚する。そんで専業主婦になる」
「あたしができねーのにおめーにできるわけねーだろーが」
「無理かなあ」
「相手もいないでしょ? クラスにいい男いる?」
「うーん」
そもそも男子の顔が全然浮かばない。千代安ちゃんとの話に出てきた渡良瀬くんの顔がちらついたけど……ないな。
「千代安ちゃんとか。――はあ?」
自分で言ってドン引き。
「あんた……そうだったの?」
お姉ちゃんもドン引き。
「いや今のは、口が滑ったというか、なんというか……」
「いやあ、まあ……あんたがそうしたいってんなら、反対はしないけど。うーん……ますます女系家族になってしまう……」
「待って待って誤解だよそんなわけないじゃん! 私普通だよ。ノーマルだよ」
「ほんと? 私は別に……どっちでも、いいのよ? 妹が幸せになってくれれば。私が頑張ってお父さんの孫産むから」
「何の話してんの? とにかく千代安ちゃんはただの友達だから」
「わかったわ。冗談はここまで。じゃあ最後にひとつ言わせて」
「……何?」
「確かフランスでは同姓婚が認められているわよ」
「だから違うって!」
「テレビで見たわ。日本人女性がフランスの女性と結婚して向こうで暮らしてるって」
「それ私も見た」
「女同士って想像できないわー。どうやってんだろうね」
「どう?」
「どう。……いや、失礼しました。なんでもない」
「はあ」
謎な話で盛り上がり、夕食は終わった。お風呂に入り、歯を磨いて、部屋に戻った。
ドライヤーで髪を乾かし、湿ったバスタオルを勉強机の椅子の背もたれにかける。その勉強机の右にあるテレビの電源を、リモコンを使ってつけた。夜十時。いつもやってるニュース番組。今はお天気のコーナーだった。夜空の下でお天気お姉さんが喋っている。
「今週末も例年より温度が上がらず、夕方以降は冷え込むでしょう。日差しは強いので、お洗濯には問題ありません。続いて週間のお天気です……」
お天気お姉さんは喋り続けている。まだ九月だというのに、今年は寒い。天気自体は晴れが多くていい感じなんだけどなあ。
「以上、お天気でした」
お天気コーナーが終わって、次はスポーツ。興味無いからいつもスルーしている。
「……このホームランが決勝点となり……四連勝……ペナントレース終盤……一ゲーム差となった……」
野球はルールもよく知らないからなあ。中学生の時、野球の『右中間』を『宇宙間』だと思ってて、ちょっとした恥をかいたことがある。
……ゲームでもしよう。テレビを消して、勉強机の棚から二つ折りの携帯ゲーム機を取る。赤い色のかわいいやつだ。開いて電源を入れる。オンラインのフレンドがひとり……お姉ちゃんか。またいつものやってる。動物たちが住む村で気ままなスローライフ体験ができるゲーム。お姉ちゃんはこれが好きでほぼ毎日やっている。熱心なことだ。私は、そうだ、この前ダウンロードした脱出ゲームやらなきゃ。このシリーズ好き。夢中になっちゃう。
――ふとスマートフォンを見ると、十二時になっていた。そろそろ寝るか……。ゲームを終了して、元あった棚に戻して布団に入る。ふう、明日は千代安ちゃんと一日デートかあ。ふふふ、なんだかんだ楽しみ。
しばらく後、閉じていた目を開けて驚愕。まさか、ドキドキとワクワクで眠れないとは……!