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小妖魔復活せし  作者: 司馬仲
小妖魔復活せし
3/82

2 八千代原平安星見自然公園

 運命の出会い(って一回言ってみたかったのよね)から約八時間。太陽が地球の裏側へ帰り始める時間だ。

 私も帰ろう――と思ったけど、そう簡単にはいかないみたい。席から立ち上がろうとしたところを女子に話しかけられてしまった。

「木野山さん、部活の見学に来ない? 私バレー部なんだ。案内するよ」

 部活の勧誘だなこりゃ。バレー部だというポニーテール女子がキラキラ笑顔で誘ってくる。正直部活はあんまりやる気しないんだよなあ。運動部ならなおさら。運動苦手だもん。

「どう、行かない? バレーボール楽しいよ!」

 ううん、底抜けに無邪気そうな振る舞い。この子、相当バレーボールが好きなんだな。……断りづらい。

「あ、それとも他に入りたい所があるの? だったら無理しないでいいよ」

「うん、まあ、いろいろ見てから決めようかなって。だから」

「そうだよね。転校したばかりだもんね。うん、ゆっくり決めて。いろんな部活あるよ。バレー、バスケ、柔道……あ、体育会系の中で、陸上部だけは男女混合の部活なんだよ! 密かに彼氏狙いで入る人もいるんだってさー! あと文化系なら、吹奏楽とか……」

 なんか部活紹介始まっちゃった……。でもまあ今回はとりあえず逃げられそう。

「……あとは黒魔術同好会っていう怪しいヤツが――って、やば、時間だ! じゃあ私は部活行くねっ。他の部に入ったら許さないから。また明日ねー!」

「うん、またね。……んん」

 ひとしきり部活を紹介し終わると、彼女は笑ったまま、ボストンバッグをふたつ抱えて走り去っていった。遠くでポニーテールが揺れてる。なんかあの子、最後怖い事言ってた気がするんだけど、大丈夫だよね……?

「織紙」

「あいっ!?」

 いきなり左の耳元で小さく名前をささやかれて変な声が出た。今日だけで何回変な声出してんだ私は。

「千代安ちゃん――」

 近い。このまま左向いたらぶつかるんじゃないかってくらい近い。

「千代安ちゃん、あの、近いよ……」

「この距離でないと他の者に聞かれてしまう」

「ええ……」

 別に聞かれてもいいのでは? むしろ不自然だよこんなの。ああ、耳に息がかかってますよお嬢さん。

「この後、織紙をある場所に連れて行きたいんだが、いいか?」

 千代安ちゃんがささやくたびにその吐息が私の左耳にかかる。自然と背中が丸くなってしまう。

「……それって、部活の勧誘じゃないよね?」

「当たり前だ、私は部活などしておらん。学校の外だ。少し歩くが平気か」

「少し」

 妖魔の言う少しってどれくらいなんだろう。二時間とかかかったらどうしよう。

「八時までに帰れれば大丈夫だよ。どこに行くの?」

「公園だ。広い割に人間は少ない。私のお気に入りなんだ。織紙に紹介しようと思ってな」

 公園デートのお誘い? しかもこの至近距離から耳へ直接のささやき攻撃。この妖魔、私をどうするつもりだ、くそー。

「どうだ、私と一緒に来ないか?」

「い、行く」

 行くって言ってしまった!

「おお、そうか! ……ところで、なぜさっきからこっちを向かないんだ?」

 近くて恥ずかしいからだよ!

「なあ織紙よ」

 言いながら千代安ちゃんは腰を曲げて、机の上、私の顔の正面にその美少女フェイスを持ってきた。ひええ近い――!

「わ、かったから、行こう。行こうよ、ほら」

 なんだか耐えられなくなって強引に話を終わらせて立ち上がり、机の横にかかっている赤紫色のリュックを背負った。

「うお、そ、そうか」

 千代安ちゃんも自分の机から鞄を取ってきた。ってちっちゃ! ウエストポーチじゃん。教科書も入らないぐらい小さな緑色のウエストポーチ。逆に何を入れてるんだろう。

「じゃあ、行くぞ」

「うん」

 ウエストポーチのポーチ部分をお腹側にして着けた千代安ちゃんが先頭に立ち、私はなんとなく左耳を揉みながらふたりで教室を出た。去り際に教室の方を振り返ると、クラスの何人かが私たちの方を見ていた。すぐ目を逸らされたけど。――やな感じ。


 教室を出てすぐ右にある掲示板に、「朱高女子バレー部 目指せ今年も県大会! そして叶えろ全国大会!」と気合のこもったメッセージの後ろでスパイクを決める女子のイラストが描かれた張り紙がしてある。生徒数少ない高校だけど、けっこう強い部なんだなあ。余計に入る気無くすわ。そういえば、前の高校のバレー部は部員多いくせに弱かったなあ。なんて思いながら階段を降りる。二階に教室があるって楽だ。前は三階だったから。

 この朱雀高校は三階建てで、一年生と二年生の教室は二階、三年生の教室は三階にある。全学年一クラス三十人の三クラスずつだから、全部合わせて九個の教室があるわけだ。今日都市にいた頃通ってた中学校も高校も、もっとクラス数多かったから、なんか新鮮な感じがする。

 なんで生徒数が少ないかというと、この四門市は北以外の三方が山で囲まれている。だから交通の便が良い北に人口が集中していて、他はけっこう田舎っぽい。いや、自然があふれてる、と言うべきかな。だからそんな四門市で一番南にある朱雀高校は、北側の高校に比べると生徒数も少ないのだ。うーん、二週間前に引っ越してきたばかりなのに、お父さんが妙に四門市に詳しいもんだから私も覚えちゃった。

 一階の廊下を歩いていると、前から担任の鳴奈河原先生がやってきた。高い身長に黒髪ショートカットでシャープな輪郭、キリリとした目鼻口。そしてピシッと着こなした黒いスーツ。仕事のできる女というか、女にもてる女というか、結婚できなさそうと――ってこれは悪口だ、ごめんなさい。

 先生は私と千代安ちゃんに気づくと、すごいびっくりしたような顔をして千代安ちゃんに話しかけた。

「千代安!? どうしたの?」

「何がだ」

「いや、転校生――木野山さんと歩いてるから、どうしたのかなって」

「転校生と一緒に歩いていたらいけないのか。イマはおかしなやつだな」

 あれ、千代安ちゃんたら先生に向かってなんて口の利き方。ってこれが千代安ちゃんのいつも通りなんだろうけど。でもなんでだろ、クラスでは午前中あんな無理して今時風にしてたのに、先生には自分の喋り方を隠そうとしないなんて。

「単純にあんたが他の子と一緒にいるのが珍しいから面食らったのよ」

 先生も普通に話してるし。

「私はこの織紙と友達になったのだ。だから今からあの公園に行く」

 友達という言葉を聞いた先生は、私のことをちらっと見て何か考えているようだった。しかしすぐ調子を戻して千代安ちゃんと私に笑いかけた。

「友達に。それは良かったわね。木野山さん、千代安と仲良くしてあげてね?」

「は、はい」

 先生は笑うと、私たちの横を通り過ぎていった。

「……行くぞ」

 千代安ちゃんは私の返事を待たずに玄関の方に歩き出した。

「あ、うん」

 小走りで千代安ちゃんに追いつく。そして訊いてみた。

「ねえ、なんで先生とは普通に話すの?」

 千代安ちゃんは歩き続けたまま答えた。

「後で言う。ここでは言いにくい」

「そう……」

 玄関でそれぞれ靴を履き替え、ふたりで外に出た。

 そろそろ日が沈みだすかなあ。にしてもちょっと風強いな。パンスト履いててよかった。千代安ちゃん生足だけど寒くないのかな。

 とりあえず千代安ちゃん先頭で校門を抜け、そのまま後をついて歩き続けた。

 三回ぐらい道を曲がったところで私は気づいた。この道、私の家の方向だ。このまま進むと民家が少なくなって、木とか畑とかが増えてくる。で、この先にある十字路を右に曲がって五分ぐらい行くと家に着く。

「ねえ千代安ちゃん、これ、公園に向かってるんだよね?」

「ん、そうだが」

 前を歩く千代安ちゃんは振り向きもせず言った。

「この道、私の家の近くなんだよ」

「ほう、そうなのか。それは都合がいいな」

 今度は振り向いた。鼻が赤くなってるように見える。寒いのかな?

「寒い? 大丈夫?」

 問いかけた瞬間、千代安ちゃんはえらく驚いたようで、その場に立ち止まり、目をクリクリ、いやもうグリグリに丸くして私を見つめている。

「え、な、な、寒くなど、ないぞ?」

 なんで動揺してるんだろう。変なことだったかな。千代安ちゃんは再び前を向いて歩き始めたが、しきりに首をかしげている。

「なあ」

 急に千代安ちゃんが訊いてきた。歩きながら。

「なぜ、私が寒いとわかったんだ?」

 やっぱり寒かったんじゃん。

「あの、鼻が赤かったから、寒いのかなって」

 千代安ちゃんはバッと両手で自分の鼻を押さえた。後ろ姿だから、多分だけど。そしてさわさわもみもみしている。多分だけど。

「そうか……ああ、ここを左だ」

 左か。ここで右に行けば私の家だ。曲がる時に千代安ちゃんの横顔が見えたが、やっぱり手で鼻を触っていた。

 そこから五分ぐらい歩くと、ようやく公園らしき場所が見えた。でかいなー。三メートルぐらいある黒い柵の奥に木々がひしめいてる。

「着いたぞ。ここが八千代原(やちよはら)平安(へいあん)星見(ほしみ)自然公園だ」

「え、なんだって?」

「だから、八千代原平安星見自然公園だ」

「長くない?」

「しかたないだろう。八千代原平安星見自然公園という名前なんだから」

「わかったよ」

「もう一度言おうか? やちよはらへいあんほしみ――」

「いいよわかったから! それ千代安ちゃんが言いたいだけでしょ」

「はは、ばれたか。織紙とここに来れて嬉しくなってしまった。ほら入るぞ」

 もう、千代安ちゃんたら小悪魔フェイスでなんかかわいいこと言っちゃって。


「うわー広いねー」

 入口のゲートを越えて八千代原自然なんとか公園の中に入ると、そこは土に緑に、ちょっと奥には池まである。なによりすごい広さ。よくこういう時ってテニスコート何面分とか言って例えるよね。……そもそもテニスコートってどれぐらいの広さかわからない。諦めよう。ああでも多分、この木とか池を全部無くせば野球とか余裕でできそう。野球もしたことないけど。

 それにしても他に人全然いないなあ。あ、茂みの方で花の写真撮ってる人がひとりだけ見える。

「さて、歩いてばかりいてもつまらんだろ。そこの椅子にでも座ろう」

 そう提案しながら千代安ちゃんは木の陰にある二人がけの黒いベンチを指差す。背もたれがおしゃれ。

「うん、そうだね」

 ふたりでベンチに座ることにした。私はリュックを外して腰かけ、膝にリュックを置いた。その左隣に千代安ちゃんが座ってきた。ベンチの端けっこうあいてるのに私の左ももと千代安ちゃんの右ももがくっつくほど近い。会話が聞こえるとか聞こえないとかって問題じゃなくて、もうこれが千代安ちゃんの距離感なのかもしれない。

「ちょっと、ち、近くない?」

「ん、そうか。すまんな」

 千代安ちゃんは謝ると、お尻を浮かせて十センチぐらい離れて座り直した。

「あいや、離れなくてもいいけどさ」

「ん、そうか」

 そう言うと千代安ちゃんはまたお尻を浮かせて十センチぐらいこっちに近づいて座り直した。そう、もっとわかりやすく言うと、元の位置に戻ってきたのである。わざわざ戻ってくるなんて……。

「まあいいや。それよりさ、教えてよ。なんであんなに喋り方気にしてるのに鳴奈河原先生とはそのまま話すの?」

「その事か」

 千代安ちゃんは真面目な顔をして、ベンチに対して体を下にずらして思いっきり背もたれにもたれかかり、だらしない姿勢ででろーんと浅く座った。腰痛めるよ。あ、ちょっと太もも見えてますよお嬢さん。……私の視線には気づいてないみたい。

「実はな、その鳴奈河原今、私はイマと呼んでるが、そいつは仲間なんだ。私の正体も知っている」

「え、仲間?」

「私が朱雀高校に通っているのはな、イマの計らいなんだ」

「先生の?」

「ああ……長話になるかもしれないが、いいか」

 でろーん状態のままこっちを見上げてきた。むう、わざとなのかってぐらい上目遣い率高いなあ。もしかして妖魔はそういう、人間の心を掴むというか、魅了するというか、そういう力を持ってるのかもしれない。二の場の力があるんだから、他にも不思議な力があってもおかしくないよね。

 はっ、じゃあ私、もう千代安ちゃんに心を奪われちゃってるのかも。そしてこの子の言うことを何でも聞かされて言いなりになっちゃうんだ。

 例えば、なんかこう、えっと、そうだなあ、例えば、ああ例えば、あいつが気に入らないから殴ってこいとか、チョコレート万引きしてこいとか、自分の代わりに行列並んでろとかそういう……なんか、自分で考えておいてだけど、違う気がする。そもそも妖魔って普段何してるんだろう。

「おい織紙、いいのかって」

「んえ?」

「んえではない。訊いているのだ、早くいいと言え」

「あ、うん、いいよ……」

「よしよし」

 私の目を見ながら千代安ちゃんは語り始めた。――また言いなりになってしまった。なんか不安になってきちゃった。でもかわいいんだよなあ。

「妖魔というのはな、自らの存在を保ち続けるために、人間から認識されて存在感を得る必要があるんだ。それもひとりやふたりでは足りん。大勢の人間たちに自分の存在を知らしめ、恐怖、猜疑、敬愛、信仰など、何らかの感情を抱かせなくてはならないんだ。全ての人間から存在を否定され、認識されず、忘れられた時、それが妖魔にとっての死。完全に消滅してしまう。だから妖魔たちはそれぞれ自分たちが持つ力を使い、あらゆる方法で人間の興味を引き、その心、感情を動かそうとしていた。そうだな、人間で言うと、くわを持って畑を耕し、様々な作物を育て、収穫して食らうのと同じことだ。妖魔は力を以て人間の心を揺るがし、様々な感情を育て、収穫して存在感の源とする。昔々、多くの妖魔が存在していた中で、我らは主に恐怖という感情で、自らを保っていた。自慢ではないがあの頃、平星と千代の名は平安京中、さらにその周辺まで轟いていた。皆我らを恐れていた。その様がとても愉快でな、平星といつも笑っていた。本当に何でもできそうなほどに力があった。……しかし、栄枯盛衰。訳あってその後、私は一気に存在感を無くしてしまってな。つい最近まではなんとか体を維持するので精一杯、消えて無くなる寸前だった。情けない話だろう」

「そこで先生に出会ったの?」

 話が難しすぎて相づちがうてずにいたけど、やっとこさ口を挟んでみた。

「そうだ。イマの家は代々、妖魔研究に就いていたらしくてな。どうやってたどり着いたのか知らんが、私が四門市にいる事をつきとめてわざわざやってきたんだ。三年ぐらい前だったかな」

「なんで千代安ちゃんに会いに来たの?」

 どうでもいいけど、千代安ちゃんの体がちょっとずつずり下がって、頭の位置がどんどん低くなっていってる。腰痛くないのかな?

「最初あいつは、研究の一環だと言っていた。妖魔の研究のな。出会った頃のイマは教師ではなく研究者だった。父と一緒になにやらよくわからん小難しそうな事をしていた」

「研究って、何かされたの?」

「さっきも言ったが消える寸前で弱ってたからな、記憶が曖昧なんだ。覚えてるところで言うと、体を触られたり、針を刺されたりしたな。そうだその時に血を取られた。痛かった覚えがある」

「勝手に? なんかひどいね……」

「確かに弱ってるのをいいことに半ば無理矢理だったが、自分を認識する人間が増えるのは私にとって好都合だったんだ。妖魔は多少の存在感さえ持っていれば、たとえ体を八つ裂きにされ、業火で焼かれて肉体が朽ち果てたとしても、消滅はしない。いつか機を得て復活することができる。だから耐えられた。……もっとも、当時の私にそこまで思考する気力はなかったんだがな。今思えばというやつだ」

「それがどうして、朱雀高校に通うことになったの? 先生も、先生じゃなかったんでしょ?」

「イマたちも、今話した内容に気づいたんだよ。妖魔は人間から認識されないと死ぬということに。イマたちは私を死なせたくなかったんだよ。やっと見つけた、本物の妖魔だからな」

「つまり……?」

「学校に行けば否応無しに多くの人間に認識される。そうすれば私は死なずにすむ。他に策も無く、死にかけの私にはこれしか選択肢がなかった。イマは高校の教師の資格を持っていたから、近くにあったあの朱雀高校と何かの取引をしてそこの教師となり、私には高校生のふりをさせたのだ。それが今年の四月の話だ」

 千代安ちゃんは私から目を逸らし、前の方にあるひときわ大きな広葉樹を見つめた。

「そんなことが、あったんだ……」

「それからというもの、私は毎日学校に通った。人間に認識されて、確かに体力は戻った。だが、苦痛だ。人間たちはすぐ徒党を組む。私はその中に入れなかった。使う言葉が少し違うだけで、やつらは私を、コミ障? とか言って蔑んだ。認識されてるといっても、その感情は恐怖とは程遠い。侮蔑、嘲笑だ。もはや昔の私の威名などこれっぽっちも残っていないことをまざまざと思い知らされた」

「そんな……まさか千代安ちゃん、みんなにいじめられてるの?」

 千代安ちゃんが姿勢を直してゆっくりとこちらを向く。目がうるうるしてるように見えるのは、気のせいかな。

「そのいじめというのはよくわからんが、今では私に進んで話しかける者はいない。おかげでずいぶん気が楽になった」

 それって、無視されてるってこと――? 教室を出るとき見られてた理由がなんとなくわかった気がする。

「千代安ちゃん、その……」

 呼んでみたものの、言葉が思いつかない。次の声を出せないでいると、千代安ちゃんの方が先に口を開いた。この子のこんな切なそうな表情、初めて。

「不思議なんだ。なんというか、クラスメイトの視線が……怖いんだ。皆に見られると、体が緊張する。認識されなければ消えてしまうというのに、認識されることを、恐れている。かつて恐怖させていた人間たちに、恐怖させられている。――ひどい屈辱だ!」

 怒りか悲しみか判然としない叫びと一緒に、千代安ちゃんの右目から涙が一筋流れた。それに気づいた千代安ちゃんは涙をぬぐい、その濡れた手を見つめている。

「涙など、なぜ?」

 自分の手を見ながら困惑する千代安ちゃんを眺めていると、とても胸が苦しくなるのを感じた。気づくと無意識に千代安ちゃんの濡れた右手を握っていた。

「織紙?」

 自分で自分のしたことにちょっとびっくりしている。でも、ここで何か言わないと。――友達だもん!

「大丈夫だよ。これからは、私がいるから。私といっぱい、おしゃべりしよ? そしたら学校、楽しくなるよ!」

「ほん……本当か?」

「ほんとだよ。そんなに私が疑わしい? ふふ」

「……はは、やられたな」

 よかった、笑ってくれた。嬉しい。握った手の涙は、風に吹かれてもうすっかり乾いていた。


 それからしばらく、ふたりでベンチに座ってずっと話をした。この八千代原自然なんとか公園の話。四門市の天気の話。今まで食べたおいしいものの話。いろいろ。

「そういえば思ったんだけどさ」

 話しているうちに思いついたことがあった。思い切って提案してみる。

「学校にいる間はずっと二の場にいれば、みんなに見られずにすむんじゃない?」

 二の場にいれば誰からも見えなくなる。なぜ千代安ちゃんはそうしないんだろう。

「二の場か。あの力はふたり以上でなければ使えないんだ」

「どういうこと?」

「私ひとりだけで二の場にいることはできないということだ。人間でも妖魔でもいいから必ず私を含めてふたり以上いなければならない。今日のあの時も織紙がいたから力が使えた」

「そうなんだ……じゃあ私が一緒に行くよ。そしたらいいでしょ」

「いや、だめなんだ。一時ならいいが、あまり長い時間二の場にはいられない」

「どうして?」

「わからんか? 二の場の力とは、元の場にいる者たちから一切認識されなくなる力。そして我ら妖魔は認識されなくなると死ぬ。もうわかっただろう?」

「そうか、ずっと二の場にいると、認識されなくなって、死んじゃう。ってこと……」

「そういうことだ。強力だが、難儀な力なんだ。まあ大勢の人間と共に二の場に行けば、その人間たちからの認識で存在を保つことはできるだろうが、今の私にはそんなに人間の知り合いはいない」

「難しいんだね」

「ああ、もうひとつ難しい要素がある。二の場を作るとき、共に二の場に連れて行く者を選ぶわけだが、その時、感覚的な話だが、選んだ者と私との間に直線が引かれる。ここで他の者がその直線に重なってしまうと、その者まで勝手に二の場に来てしまうのだ。だから人が多く、誰がどんな動きをするか予測できない状況で使うのは危ない。平星がいればなんとかなるのだが、今ではとてもできない。私の正体を他人に明かしてしまうようなものだからな。密着した状態でやるのが確実だ」

「へえ……あ、だからか!」

 だから千代安ちゃん、妙に距離感が近いのか! 本人は意識してないのかもだけど。

「何がだ?」

「いや、なんでもないよ。ところでさ、訊いてもいいかな」

「今さらどうした? 何を訊きたい?」

 正直さっきから気になっていたことだ。

「千代安ちゃんの話によく出てくる、『ひらほし』って誰?」

 そう、訊くタイミングがかなり遅れたけど、誰なんだろう。話の流れ的に平安時代の人っぽいけど。

「そうか、そうだな。織紙が平星のことを知っているはずないか。気づかなくてすまんな。……平星というのは、私と共にこの世に生まれ、ずっと行動を共にしていた、妖魔だ」

「妖魔……。どんな妖魔なの?」

「男の見た目をしていた。私と同じぐらいの年格好で、まあそこそこの美男子だ」

 美男子……。

「もしかしてさ、千代安ちゃんとその平星くんって、恋人同士だったの?」

「馬鹿な。妖魔同士は恋愛などしない。私と平星の関係を人間の言葉で表すのは、少し難しい」

「そう」

 もしかして妖魔と恋バナができるかもと思ったけど、ちょっと残念。

「あいつは、とても頼りになるやつでな。平星がいつも計画を練ってくれていた。平星の言うとおり行動すればいつもうまくいっていた。しかし、それが良くなかったのかもしれない」

「へえ?」

「あまりに騒ぎを起こしすぎて、人間たちは私と平星を本気で討伐しようと動き出したんだ。詳しくは省くが、結果的に我らは負けた。罠にかかってふたりとも捕まった」

「え、それで、どうなったの?」

「私はなぜか助かった。よく覚えていないんだが、おそらくどうにかして逃げられたんだと思う。平星は……死んだ」

「え――」

「死んだんだ。人間によって、その存在を消された。もう、どこにもいない」

 やけにあっさり死んだなんて言うなあ。ずっと一緒にいたらしいのに。

「平星くんに、会いたいと思わない?」

 平星くんのこと、どう思ってるんだろ。

「会いたいさ。でも叶わない。存在そのものが無くなってしまったんだ。私がいくら平星を想っても無駄なんだ。妖魔が妖魔を認識しても、何も生まれない。悔しいことだが」

 千代安ちゃん、不自然な無表情。あまり平星くんのこと、考えないようにしてるのかな? ……やっぱり、平星くんのこと大好きだったんだ。

「……そろそろ完全に日が落ちる。織紙は家に帰ったほうがいいんじゃないか?」

 いつの間にか空が暗くなっていた。気づかなかった。

「ほんとだ、もう帰らなきゃ。お父さんが心配しちゃう。千代安ちゃんはどうするの? 家どこにあるの?」

 立ってリュックを背負いながら尋ねてみた。

「ん、すまん、うまく説明できないんだ。そのうち案内する」

 うまく説明できないってどういうことだろう。まあいいか。早く帰らなきゃ、って言ってもここから家まで十分ぐらいだっけ。

「わかった。じゃあ今度私の家においでよ。この近くだから。一緒に遊ぼう!」

「ああ! 楽しみにしてるぞ」

 ふふ、千代安ちゃんたら、かわいい。

「じゃあまたねー」

「あ。おい織紙!」

「な、なに?」

 公園を出よう千代安ちゃんに背中を向けたとたん呼び止められた。

「織紙、今、寒いだろ?」

「え、あ」

「鼻が赤くなってるぞ」

「……はは、ばれたか」

「ふふ、また明日な!」

「うん、ばいばーい!」

 千代安ちゃんは背中を向けて、公園の奥へと走っていった。

 ふふ、転校初日にあんなかわいい妖魔と友達になっちゃうなんて、人生何があるかわかんないなあ。

 ……待てよ。なんで千代安ちゃん、公園の奥に行ったんだ? 家に帰るんじゃないの? あの子の家、どこにあるの?


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