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これ飲んだら世界救う。  作者: 小坂みかん
本編

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9/9

第六話 豆腐と牛すじの煮込み定食with担々麺(前編)

 あちらの世界でパンケーキを食べてからの数日間、ナターシャは得体の知れない胸の苦しみに悩まされていた。次の〈扉〉を見つけて、一刻も早く神器を――と思いを巡らせるたびに、あの爽やかな笑顔が脳裏に浮かび上がるのだ。重大な使命を帯びている身であるにもかかわらず、こんなわけの分からない事象に振り回されて気もそぞろになってしまっている己に落胆しつつも、ナターシャは初めての経験にそわそわとせずにはいられなかった。

 だが、そんな非日常とも言えそうな気持ちが続いたのも数日だけであった。とある森の近くで、怪しげなローブ姿の女が目撃されたという情報が入ってきたからだ。その女はどうやら灰色の魔道士本人、もしくはその眷属であるらしく、森に分け入っては、何やら儀式めいたことを執り行っているという。怪しげな女の素性を確認し、魔道士の眷属であるならば討伐せよ――という魔電信を風の国(ウィンディア)の王宮付き魔術師から受け取ったナターシャは、それに従うほかなかった。ふわふわと浮ついた気持ちを、いつまでも抱えたままでいる余裕などなくなってしまったのだ。


 どういうわけか、ゲオルグは長きに渡ってパートナーを選ばずにいた。そのため、ウィンディア王室の宝物庫の奥で密やかに保管されていた。おかげで先の魔道士と神官との戦いの火の粉から逃れることができたというわけである。

 魔道士討伐にあたり、ウィンディア王室はゲオルグに無理矢理にでもパートナーを選出させようとした。しかし、王室が用意したパートナー候補者は全て選外であった。それで渋々、過去に神官職に就いていた者の子孫で他国に移住した者たちの中から候補を出し、その中からゲオルグのお眼鏡に適ったのがナターシャというわけだ。しかし、誇りばかりが高く傲りの塊と言っても過言ではないウィンディア王国を治めしエルフの王は、どこの馬の骨とも分からぬ火の国(フレイディア)の小娘が魔装具のパートナーとして選ばれたことに不満を持っていた。神の魔装具の選定は絶対であるというにもかかわらずだ。そのため、王はナターシャがゲオルグに選ばれたと分かると、ナターシャの家族を人質にとった。そして、汚らわしいものを見るような目でナターシャを見下してこう言った。



「誇り高きウィンディアを捨てた民が、ウィンディアのために尽くすとは思えぬ。お前が任を放棄するようなことがあったら、お前の家族がどうなるか、分かっているな? 辞退するというならば、それはそれで良い。その代わり、お前と家族には死んでもらうことになる。そうしなければ、聖銃のパートナーの選定し直しができぬからな」



 こんなことを言われてしまっては、嫌でも救世主になるしかなかった。そして、そのようなことがあったからこそ、ナターシャは同族であるはずのエルフ――とりわけウィンディア出身のエルフを毛嫌いしていた。それに、このような事態を生み出した魔道士にも怒りを覚えていた。魔道士が世界を滅ぼそうとしなければ、家族が理不尽な目に遭うこともなかったはずだからだ。――正直、ナターシャは世界を救うという背負いきれないほど大きな使命よりも、愛する家族のために動いていた。


 目的地である森のはずれに到着すると、ナターシャは手持ちの銃弾の数を確認した。そしてホルスターからゲオルグを抜くと、祈るようにグリップにキスをした。

 ゲオルグを構えて、周囲を確認しながらナターシャは森へと入っていった。ガサガサという音がするたびに銃口を音のするほうへと向け、安全が確認できてから先へと進んでいく。そんなことを何度も繰り返しながら慎重に歩を進めていき、大分奥まで進んだというところで、ナターシャはふと足を止めて木の陰に隠れた。――いた。きっと、あいつだ。


 殺気が漏れて相手に気づかれぬよう、ナターシャはできるだけ平穏を保ちながらローブ姿の女を窺い見た。そして、その光景にすさまじいまでの違和感を覚えた。視線の先にいる女は、罪を犯して神族から追放され、邪神とすらも呼ばれずただ〈魔道士〉と称される、邪悪あるいは哀れな存在とはほど遠い雰囲気をまとっていたからだ。むしろ、神聖で荘厳と言っても差し支えはなかった。

 女はローブからすらりと褐色の腕を伸ばし、己の手のひらをナイフで切りつけた。勢いよく滴る血液は、どくどくと脈打ちながら大地へと吸い込まれていった。――何か、儀式をしている。 止めなければ! そう思い、息を押し殺しながらナターシャがゲオルグを握り直すと、地面に視線を落としていた女がゆっくりと顔を上げてこちらを捉えた。



「……ゲオルグか。(わらわ)に要らぬ手間をかけさせる阿呆は」



 ナターシャは、時が止まったような感覚に陥った。

 フードから覗いた女の髪は、美しい灰色だった。絹のようになめらかで艶があるのだが、黒でもなく白髪でもなく、銀髪でもない。灰色だった。そして、眼球は真っ白で瞳がない。それは一見すると恐ろしく思えるし、ナターシャは実際に恐ろしいと感じた。だが、ごくありきたりな恐れではなかった。畏怖である。

 絶対的な存在に対する畏怖と、得も言われぬ幸福感。――そのようなものに支配されたナターシャが呆けていると、女がふっと姿を消した。驚いたナターシャはようやく我に返り、目を瞬かせて身じろいだ。直後、女はナターシャの目の前にいた。声を上げることもできず、ゲオルグのシリンダーを強く押さえられてしまい撃つこともできない。一瞬、ナターシャの脳内に〈死〉という言葉が浮かんだ。しかし、女は瞳のないはずの目でまじまじとナターシャを見つめると、おもしろいと言わんばかりにニヤリと笑った。



「二つの色を持つ者を選ぶとはのう。――小娘、よく聞くがよい。ぬしは〈扉〉だけを気にしていれば良い。それがぬしの使命なのだからな」



 女の物言いと表情は、高慢で鼻についた。しかし先ほど感じた畏怖は健在で、その不躾な態度ですらナターシャは喜ばしく感じずにはいられなかった。


 女は出し抜けに「さて」と言うと、パッとシリンダーから手を離した。ナターシャは咄嗟に撃鉄を下ろしたが、女は気にすることなくニイと笑った。そして、真っ白な眼球に真紅の瞳を灯して言った。



「そろそろ昼時じゃなあ。腹が空いた。のう?」



 ナターシャが引き金を引くよりも早く女が動いた。そして女にラリアットされて後方に倒されながら、ナターシャは視界の端に扉枠を見た。



 ***



「ふべっ……!」



 倒れ込んだナターシャの背中に触れたのは地面ではなく、もっと温かくて柔らかいものだった。押しつぶしているだろうもの(・・)がカエルを潰したような声を上げたが、しかし、ナターシャには〈何を下敷きにしてしまったのか〉を確認している余裕などなかった。

 勢いよく上体を起したナターシャは座り込んだ姿勢のまま、あの女を探すべく必死に視線を走らせた。ここはどうやら〈扉〉の先の世界らしいから、ローブ姿の女がうろうろと歩いていたらすぐに見つけられるはずだ。しかし、それらしい姿はどこにも見られない。ナターシャは顔をしかめて歯噛みすると、拳銃を握っていないほうの手で近くにいた者の肩を勢いよく掴んだ。



「ねえ、あなた! 灰色の髪の女を見なかった!?」


「へっ!? ――えっと、あー、それって、あそこにいる人?」



 ナターシャに肩を掴まれた者――何故かナターシャのすぐ近くに座り込んでいた、ナターシャよりも小柄な女性――は目を白黒とさせながら、少し遠くにある店で飲み物をテイクアウトしている女性を手のひらで指し示した。例の女は何故かローブではなくこちらの世界の住人が着ているような服を着ており、たくさんの黒いつぶつぶが透明のコップの底に沈んだ怪しげな飲み物を笑顔で購入している最中だった。女は会計を済ませるとナターシャをチラリと一瞥し、小さくニヤッと笑って人混みの中へと消えていった。


 ナターシャは慌てて立ち上がると、女を追おうとした。しかし、問いかけに答えてくれた女性に腕を掴まれて阻まれた。ナターシャがその手を払い除けて走り出そうとすると、女性は顔を青ざめさせて叫んだ。



「私を信じて! 一緒に走って!」



 わけも分からぬまま、ナターシャは女性に続いて走り出した。走っている途中、女性が息も絶え絶えになりながらナターシャに話しかけてきた。



「この国では、銃を持っているとケイサツに捕まるんだよ! だから! このバッグにでも隠して!」



 ケイサツとは、きっと警邏隊のことだろう。捕まってしまうのは、たしかに困る。――ナターシャは押し付けるように渡された鞄にゲオルグをしまいこみながら、女性を見ることなく尋ねた。



「ねえ、どこまで行くの!?」


「後ろ! 追いかけてきてる人がいるでしょう!? さっき、ケイサツを呼んでるっぽい人がいたからさ! 何とかして撒かないと!」


 二人はどこかの店の中を通り過ぎ、細い路地をいくつも通過し、どこを目指すわけでもなくひたすら走った。しばらくして、追跡者を振り切った二人は疲れ果てて膝から崩れ落ちた。



「あー……こんな死ぬほど走ったの、いつぶりだろう……。――あ、お水ちょうだい。バッグの中にボトルが入ってるから、それ取って」



 ナターシャからボトルを受け取った女性は、ふたを開けると煽るように水を飲んだ。よほど喉が乾いていたのだろう、ゴクゴクと音まで鳴らしていた。ナターシャが羨ましそうに女性を見つめていると、彼女はボトルから口を離してニッコリと笑った。



「はい、半分あげる!」



 ナターシャは礼を述べると遠慮なくボトルの中の水を飲み干した。そしてフウと至福の息を漏らしてすぐ、ナターシャは悔しそうに顔をくしゃくしゃにして呻いた。



「嗚呼、せっかくのチャンスだったのに。これじゃあもう、あの女を探しにはいけないわね」



 そう言い終えるのと同時に、グウと腹の虫が鳴いた。ナターシャは一瞬ぽかんとすると、恥ずかしそうにみるみる顔を真っ赤にした。その様子に、女性は楽しそうに笑い転げた。そして立ち上がると、彼女はおしりについた砂ぼこりを払いながら言った。



「お昼、食べに行こうよ。――私は、風村夕凪(ゆうな)。よろしくね!」

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