episode 6
深い眠りについておきながら、やっぱり変な光景が目の前に広がっていた。けれど、今までと違うのは、かなり昔のような風景だった。現在の世界というよりは、戦争時代よりもっと前の、戦国時代ぐらいだろうか。
人々の格好は貧しく、鎧を来た男たちが村人に偉い顔をしている。そんな風景ばかりだった。けれど、その村に少し大きめな体をしている犬の群れが集落を襲ってきた。
彼らはその自慢の牙と爪を使って、鎧の男たちを臆することなく立ち向かっていく。人々の体を切り裂き、彼らは人間の血肉を食べていった。そして、集落の人間を一通り殺したであろう頃、一人の青年がその集落へとやって来た。
その青年はなにかの術師のような格好をしていて、おそらく法師かなにかなのだろうことが伺える。
その青年は、犬たちへと声をかける。
「なぜ人間を喰らう? お前たちも、もとは動物なのだろう?」
『犬でも、人間は喰らう。人間は我らの食い物だ』
「お前がこの群れの主か?」
『そうだ』
「ならば交渉しないか? 俺は人間を襲うからといって無下に殺生するの好きじゃないんだ」
『貴様のほうが喰われるとは考えておらんのんだな』
「そりゃ、俺は強いからな。お前ぐらいの相手なら俺のほうに勝機があるのは、お前なら分かるだろ」
青年は飄々した物言いで、まるでその犬を挑発するような感じだった。しかし、その大きな犬のほうは暫く探るような目線を向けた。
『交渉とはなんだ?』
「お前たち全員、俺の配下になれ。そうすれば、お前たちを祓うことだけはやめてやる」
『笑止! なぜ我々が貴様なぞの配下にならなければならぬ!?』
「大妖怪との戦がこの後起こるんだよ。俺はそれを知っている。それは巨大な力だ。けれど、その時、お前たちが俺の傍にいる」
『ほう?』
「力ある者の夢には予言が宿っている。俺はこの夢が、将来起こりうる未来だと確信した。だからこそ、こうしてお前たちを探していたんだよ」
青年の言葉に、群のボスのような犬は面白おかしいというように笑った。それが人間を見下したような嫌な笑い声だということは、見ている俺にもわかるほどだった。けれど、青年は気にした様子がない。むしろ、どこかそれを面白がっているように見える。
『俺たちがお前の配下になったら、祓わないだけが条件か?』
「まさか。もちろん、それ相応の力を貸してくれるなら相応の見返りをやろう。あいにく、俺の力はあまりに余っているのでな。お前たちぐらいの空腹ぐらいなら、十分与えてやれると思うが?」
『言いよるわ、若造のくせに』
「それで、どうだ? これを面白いと思うのなら力を貸してくれるか?」
『その前に……貴様の力がいかようか、見定めてやろう!』
「だろうな!」
その犬は唐突に青年へと牙を向いた。しかし、青年は分かっていたように、立ち向かってきた犬に全く動じる様子はなかった。牙を向いた犬は、青年の見えない結界のような力に弾き飛ばされる。
『ふっ……これぐらいは力があるか』
「わざわざ確かめなくても、お前ならわかるんだろうが……群れの頂点ってのも面倒だな」
『戯言を。これは我らの見定めだ!』
今度は大きな爪で青年へと襲いかかる。しかし、その攻撃は錫杖で軽くいなされてしまった。
どちらとも強い。その緊迫感が俺にも伝わってきた。これは夢なのに、夢のはずなのに、まるで目の前に繰り広げられているような、そんな臨場感があった。
「いい加減受け身なのも面倒くせーから、こっちからもいくぞ!」
『来い、若造!』
錫杖を地面に突き刺したからと思うと、青年は両手を合わせて何かを口早に唱えていく。
「最たる力、我が刃となりて、目の前の敵を切り裂かん!」
そう唱え終えると、見えない刃が犬の体に深い傷を負わせた。それはまるで刀に切られたように鋭い切り口が走った。
『ぐっ……』
「我に仇なす者、その自由を奪いて、大地に這いつくばれ!」
今度は、主のような犬の他に、その場にいた犬全員がまるでなにかに押し潰されるように地面へと這いつくばった。どんなに動こうとしても、その犬たちは全く身動きができなくなってしまった。
「もう一度問う。俺の配下になるか?」
『……負けた者は勝者に従う。我らはそうしてきた』
「よしっ!」
敗けを認めた犬の言葉に満足したのか、青年はころりと笑顔をになった。すると、力がなくなったのか、犬たちはそれぞれ立ち上がる。
「そんじゃ、証としてお前たち全員に名前をつけてやる。そうだな。まずはこの群れの主だから……そうだな、犬を統べる存在だから……犬神!そうしよう」
『けんしん?』
「犬の神と書いて、犬神だ」
『ふっ、妖怪の我に神とはな』
「いずれ、この群れ以上の主になってもらう。だから、大それた名前ではないぜ?」
『そうか。さて、我が主となる者の名は?』
「俺は犬神。犬神清十郎だ」
そう言って、青年は笑う。犬神と名付けられたその犬も、どこか面白そうに笑った。
俺はなんだか不思議な光景を眺めていた。犬神と名付けられたその犬は、イヌガミのように真っ白な毛並みをした普通の犬より大きな存在なのだから。
「イヌガミ……」
「これは始まりじゃ」
「っ!?」
俺はポツリとイヌガミを呼んでいた。けれど、その名前に答えたのは、イヌガミではなかった。しかし、その声には酷く懐かしい声音だった。
誰の声かは一瞬で分かった。けれど、その声に振り向かずにはいられなかった。
「じいちゃん!」
「お前には早い……早いんじゃ……」
「早いって何が? 何が早いんだよ! 教えてくれよ、じいちゃん!」
じいちゃんに向かって言ったけれど、じいちゃんは何も答えてはくれなかった。はっきりと映っていたじいちゃんの姿も、まるで消えていくように暗闇の中へと吸い込まれていく。
「じいちゃん! じいちゃんっ!!」
俺は小さな子供のようにじいちゃんを呼んだ。けれど、じいちゃんは答えてくれない。
そのうち、俺の意識も暗い闇の中へと引き釣り込まれていった。
◇◆◇◆◇
無意識に伸ばした手は何も掴むことなく宙を舞った。うっすらと目を開けると、心配そうなイヌガミの顔が目の前にある。
驚く光景だが、いまだ覚醒しきっていない頭の思考力は弱かった。それに驚く前に、俺はイヌガミの名を呼んだ。
『ご主人さま、だいじょうぶ? うなされてたよ』
「そうか」
『ご主人さま?』
普段なら、すぐに頭が覚めるのに今日は少し違った。頭に靄がかかったように、すっきりしなかった。
『きょうは学校ないの?』
「ん? あぁ、行くよ。まだ金曜日だからな」
『きんようび?』
「あぁ。俺たちは一週間のうち五日間は学校に通う義務があるんだ。休みは明日と明後日な」
『うん?』
「お前には、まだ早いか」
説明してやっても、イヌガミはいまいち理解できなかったらしく小首を傾げている。その様子に小さく笑い、イヌガミの頭を撫でた。
本当にこうしていると犬でも飼い始めたようだ。けれど、イヌガミが他の犬とは違うことは分かっている。理解しているつもりだ。
「いってきまーす」
『いってきます』
俺の言葉に、イヌガミも同じ台詞を言う。玄関のドアを開けると、そこにはいつの間にか日課のように猫屋敷がいる。
「おはよ」
「はよ」
軽く挨拶をかわし、俺たちは学校への道のりを踏み出した。
学校への徒歩通学は俺の自宅から約三十分ほどの道のりだ。丘の上にあるということもあり、上り坂でそれなりに時間がかかってしまう。その見慣れた道のりを歩きながら、俺は周囲を観察した。
普段通りなれた道のりのはずなのに、今日はいつもと違ったように感じる。
「どうした?」
「いや、なんか感じがいつもと違うっていうか」
「なにか感じるのか?」
「うーん……なにかを感じるのはわかるんだけど、それが何かまではよくわからねーな」
「……力の強い者が通ったせいかもな」
「わかるのか?」
「大体な。微かに残ってるぐらいしかわからないけれど、こいつは強いと思うぜ」
『ご主人さまはへいき?』
「悪意があるわけでもねーし。今のところは様子見でいいだろう。それに、どうやらこいつも同じ学校らしいしな」
猫屋敷はそう言うと学校へと目線を移す。その瞳には何を映しているのか分からないほど、遠くを見ているようだった。
俺たちはこの時気づいていなかった。これから起こる大事件を、そして出会う新しい存在を。
俺たちは……俺は、まだ何一つ気づいてはいなかった。