episode 11
拳銃を打つようなイメージで、俺は指先に集めた力を、壇上へと向けて放った。その力は壇上ではじけ飛び、違和感の正体が現れた。
「あれか!」
大きな蜘蛛のような体に、多くの札が張り付いていたようだ。しかし、見えるだけでもそのうちの多くが焼け焦げているような、焼け跡に変わっていた。おそらく、封印が取れかかっているとはそういうことなのだろう。
あと数枚だけ札が見える。しかし、刻一刻とその札が青白い炎で焼かれていく。
『お目覚めの時間、てか』
「今のうちに片付けるぞ。札が全部燃やされると、あいつの手下が集まってくるらしい」
『そりゃ、厄介だな!』
クロは真っ先に土蜘蛛へと突進していった。そして、鋭い爪を立て、土蜘蛛の体に爪で引っ掻いてみるものの、その体には傷一つつかなかった。
イヌガミも猫屋敷に続いて突進していくが、噛み付く攻撃もあまり効果はないようだ。そう悟ったイヌガミは、体を光らせたが、他の妖怪を一発で倒したときのような効果はなく、土蜘蛛の体が若干焦げたような様子だ。
『俺やイヌガミには随分相性が悪い相手みてーだな』
「そうみたいだな。だから、清十郎は俺がこいつを倒せって言ったのか」
『もう使えそうか?』
「たぶんな。なんとなく、使い方はイメージできたから。あとは実戦でやってみろ、てことらしい」
俺は清十郎がやったように、中指と人差し指を立てて目を閉じた。俺は目の前の土蜘蛛をイメージした。そして、その姿が一瞬にして消滅するイメージを描く。その光景を何度も何度もリピート再生のようにイメージをした。すると、不思議な感覚が俺の体を包み込んだ。けれど、決して嫌悪するような感じではなく、むしろ暖かい何かに抱きしめられているような感じだった。そして、その暖かさが全身に広がりを感じたあと、俺は目をスッと開けた。
「滅!」
俺は清十郎がやったときと同じように、指先を土蜘蛛へと向けた。土蜘蛛はあと一枚の札を焼き切れば目覚めのようで、うっすらとその視線を感じた。しかし、その一枚が焼ききれる前に、俺の力が土蜘蛛を襲う。
『おのれ……人間……! またもや邪魔を……!』
苦しそうなうめき声とともに、土蜘蛛は俺を睨みつける。しかし、土蜘蛛の体はほぼ消滅しており、その顔も最終的には塵一つ残さず消滅した。
「終わったのか?」
『みてーだな』
「あっさりしすぎだろ。いいのか、こんな終わり方で」
『面倒事になるよりはいいじゃねーか』
「そりゃそうだけどさ……つか、倒したらすぐ帰れるんだと思ってたけど、まだ変わってねーし。どうやって帰るんだよ、ここ!」
まったく風景が変わらない状況に、俺は頭を悩ませた。しかし、猫屋敷やイヌガミは平然とした様子でいる。
「お前ら、何でそう平然なんだよ?」
『慌てても仕方ないからな。それに敵は倒したんだ。そのうち戻るだろうよ』
「大丈夫なのかよ。向こうで行方不明とか、突然消えて大騒ぎとかにはなってないのか?」
『来る前は教室だったからな。けど、問題はねーよ』
「なんで?」
『妖怪は人を喰らうとき、妖術をかけるんだよ。だから目の前で忽然と消えても、周囲の人間は早々に気づくことはない。力あるやつとかは別だがな。それに最近の人間は昔ほど自分以外の人間には疎い。俺がお前の学校に易易と潜り込めたことも、そのおかげだけどな』
猫屋敷の言葉に、俺は背筋が冷たくなったのを感じた。
現在でも多くある行方不明者。よくニュースで見ることもあり、人一人が消えれば大事件となるだろうと思っていた。しかし、ニュースで見ても自分には関係ないと思っていたこともある。
人一人が消えたところで、ニュースが騒ぎ立てるだけで、実際には人間は他人に無関心だ。それは、容易く人間を孤立させてしまう。
『妖怪は人間の心の隙を見逃さねー。そして、その隙にうまく潜り込むのが得意だ。それは喰われる人間も、その周囲の人間も関係ない。だから、この世界に数時間閉じ込められたとしても、あまり問題にはならねーよ』
「猫屋敷……それ、フォローになってねーから」
問題ないと笑う猫屋敷に、俺は突っ込んだ。しかし、あまり後ろ向きに考えていても始まらない。
俺は先程までいた土蜘蛛の場所まで歩いた。その場所はすでに何ら違和感のない、普通の場所に戻っている。
土蜘蛛を縛っていた札の燃えかすも、その下にかかれていたような模様も。何一つ残っていない。
『どうした、実殊?』
「いや。封印ってどんなのだろうなって思ってさ。けど、なんも残ってないや」
『そりゃそうだろうよ。証拠なんて残すような封印を、清十郎が行ったとは思えねーし』
「そういうことができるのか?」
『できるから現に、今何も残ってねーんだろ』
「まぁ、確かに」
猫屋敷の言葉に、俺は納得した。
どうこう言ったところで、現に何も残っていないのだからそういうことが出来るのだろう。
突っ込み疲れたというのもあるけれど。
「とりあえずどうやって帰るんだ、清十郎?」
ひとまず俺は帰還を最優先にした。どこぞのアニメや漫画なら敵を倒したらもとの空間に戻るのがセオリーだろう。
しかし、俺の風景はまったく変わる気配がなかった。
俺は事情をよく知るであろう人物へと声をかけるが、まったくの無反応だ。
「清十郎?」
『どうした、実殊?』
「いや、清十郎から返事がないんだ」
てっきり呼び掛ければ応えると思っていた俺だが、清十郎からの返事はなかった。俺はスッと目を閉じて意識を清十郎へと向ける。
精神世界のような空間で、俺は清十郎を見つけた。しかし、清十郎は眠っているかのように目を閉じている。
「おい、どうしたんだよ?」
『……』
「眠っているのか?」
『……』
何度も呼びかけているが、清十郎は目覚める様子がなかった。そんな清十郎の体がスウッと消えかける。
「!?」
俺はビックリして清十郎の腕を掴んだ。
幸い俺の手はすり抜けることはなく、清十郎の腕を捉えた。その衝撃かはわからないが、清十郎の目が開いた。
「おい、大丈夫なのか?」
『ん、あぁ……すまん、ちょっと眠たくてな……』
「なんだよ、それ。いきなり現れて、いきなり消えるとか、本当に止めろよな」
『消える? ……そうか』
「なんだよ?」
『いや』
何かを納得したような仕草を見せたあと、清十郎は大きく欠伸をした。その間抜けな姿に、俺は心配したことが馬鹿らしくなってきた。
そして、清十郎はニカッと笑いかけてくる。
『それより、まだ異界におるのか?』
「帰り方が分からねーから聞こうとしたのに、あんたが呑気に寝てたんだろ」
『おぉ、そうか。すまんすまん。しかし、土蜘蛛は倒したんだろう?』
「あぁ。けど、戻れねーんだよ。どうしたらいいんだ?」
『もといた場所にはいるのか?』
「は?」
『異界と現世の繋がりは同じ場所にいること、だ。だから、こっちに来た場所に戻ったら戻れるぞ』
「……」
清十郎の言葉に、俺は間抜けな表情を浮かべた。そんな俺に、清十郎はニヤニヤと嫌らしい顔を向けてくる。
「なんだよ?」
『いや、お前もまだまだお子さまなんだなと思ってな』
「うっせーよ。とりあえず猫屋敷たちのところに戻るわ」
『おう、気を付けてな』
「……サンキュ」
清十郎に小さく礼を言い、俺は猫屋敷たちがいる現実へと意識を向けた。
目の前には猫屋敷とイヌガミ、心配そうに顔を覗き込んでいた。俺はそんな一人と一匹に、思わず吹き出してしまう。
「ちょ、お前ら、近すぎ!」
『仕方ねーだろ。俺たちからはお前が清十郎と会っている間は何が起きてんのかわからねーんだから』
『ご主人様、大丈夫?』
「あぁ。平気平気。二人とも、ありがとな」
二人の気持ちは素直に嬉しい。猫屋敷の正体を知らないままだったら子供扱いされている気分でここまで素直に喜べなかっただろう。
猫屋敷がクロだったから、イヌガミが今まで俺を必死に守ろうと行動してくれたから、俺はそんなこいつらだから素直に嬉しいと感じるんだ。
『それで、清十郎はなんて?』
「あぁ。最初に来た場所に戻れってさ。異界に来た場所が、出入り口らしいから出発点に戻ったら帰れるって言ってた」
『そんな簡単なことだったのかよ』
「そう言うなよ。俺だって気づけなくてちょっとショックだったわ」
俺の言葉に、猫屋敷はガクッと両肩を落とした。その様子に苦笑しながら、俺も同じだったことを伝える。そんな談笑を交えながら、俺たちはもといた教室へと向かった。
帰り道ですら妖怪に襲われたが、今までのことで少しなれてきたのか、俺自身も戦闘に加わった。
さほど集中しなくても攻撃できるようになった頃、俺たちはもといた教室へとたどり着いた。その教室に入った瞬間、俺たちは眩い光の中へと吸い込まれる。その眩しさに目を閉じた。少しして耳に届くガヤガヤとした音。俺は目を開けると、そこにはなんら変わらないいつもの風景が広がっていた。
「戻った、のか」
「そうみたいだな」
俺の隣にいる猫屋敷へと目を向ける。彼の格好も、普段の人間の姿へと戻っていた。そのことにホッとしながら、俺は周囲を見回した。
教室内は特に変わらず、そしてクラスメイトたちも普段と変わらない様子だった。誰も、俺たちが別の場所にいた、ということを認識している様子はない。
そのことを猫屋敷に言おうと口を開いたとたん、見計らったようにチャイム音が響いた。俺の様子を期にした猫屋敷だったが、席に着くよう促し、俺は授業の準備へと取りかかった。
そこからはいつもの日常だった。まるで夢でもみていたように、普段と変わらない日常。それでも、俺は知っている。
俺の中に眠る清十郎を。
あの世界で戦った感覚を。
猫屋敷の正体を。
イヌガミの存在を。
非日常の出来事を、俺は知っているんだ。