episode 10
学校中を探し終えようとしたとき、俺は体育館の方角から言い知れぬ気配を感じた。それはイヌガミも猫屋敷も感じたようだった。
俺が顔を向けると、二人も静かに頷いた。
どうやら俺たちをこの世界に連れてきた敵は体育館にいるらしい。
俺たちはその場所へと走り出した。
「ここ、だよな?」
『あぁ。さっきまであんまり感じなかったが……いきなり強力な気配を感じた』
「けど、何もないけど」
体育館へと辿り着いたものの、その場所には何もなかった。浮遊する妖怪たちはイヌガミの強さを知ってからか、俺たちに近づいてくる様子はない。
そして、体育館にはそいつら以外の姿はなかった。けれど、何かの気配はさきほどから強くなってくる。
「なんだよ、これ」
『実殊?』
その気配が強くなるにつれ、俺の鼓動がドクンッと高鳴った。そして、その鼓動は気配と呼応するかのように脈打ち始めた。
そのことに、俺は胸を押さえつける。
『大丈夫か?』
「わかんねー。けど……なんか苦しい」
『イヌガミ! 結界を!』
『うん!』
猫屋敷の言葉を受け、イヌガミは俺の前へと移動してきた。そこで片足をドンッと力強く蹴ると、俺たちの回りに陣のようなものが広がった。
おそらくそれが結界なのだろうけれど、俺の鼓動は収まる気配を見せなかった。
『何が起きてんだ?』
『大丈夫、ご主人様?』
俺の様子に、二人とも心配そうに覗き込んでくる。しかし、それに返そうにも何かに意識が引っ張られてしまい、返答もできなかった。
俺の意識は真っ暗な闇の中にいた。周囲にはイヌガミも、猫屋敷の姿も見えない。たぶん、自分の意識の中だろうということに察しはつくが、一体何が起こったのかが分からなかった。
そんな俺の目の前に、唐突に誰かが目の前に現れた。それは猫屋敷でも、イヌガミでもない。まったく見覚えのない人物だ。
「あんたは?」
『俺は、犬神清十郎』
「いぬがみ?」
『そうだ。お前は俺の生まれ変わりだ、実殊。ようやく話ができるな』
「?」
『そうか、お前は覚えてなかったか。お前の力を封印するように、司郎に言ったのは俺だよ』
「え?」
唐突に現れた人物は自己紹介もそこそこに、いきなり訳の分からない話をし始めた。それを、「はい、そうですか」と簡単に受け入れられるものではないだろう。
俺は間の抜けた反応しかできなかった。
『あぁ、すまん。驚くのも無理ないか。なにせあの時はお前の存在を俺が喰いそうだったんでな。お前を助けるためには俺ごと封印する必要があったんだ』
「いやいやいや! ちゃんと教えろよ! そんな中途半端でなに言ってるか分かんねーだろ!」
清十郎と名乗った人物の話を、俺は突っ込まずにはいられなかった。乗りというか、マイペースなところはイヌガミを思い浮かべてしまう。
俺の突っ込みに、清十郎は頬を軽く掻いたあと、胡座をかいて座った。
『すまん、すまん。だいたいの流れは小さいお前さんに話していたからな。ついその時と同じように話してしまったわ』
「……」
『だから、すまんかったって。ちゃんとまた説明してやるから。大きくなってから、ちょっとひねくれたか?』
「……話してくれるんだろ? 早く聞かせてくれよ」
ちょっとした冷やかしに、冷めたような目を向けると、清十郎は苦笑いをしてわざとらしい咳払いをする。そして、スッと真面目そうな表情を俺へと向ける。
『俺は、昔名の知れた陰陽師でな。強大な力を持っていたんだ。そんなある日、俺は予知夢を見た。予知夢ではとある妖怪と戦うものだった。実殊、お前たちは突然異界のにつれてこられただろ?』
「なんで、知ってるんだ?」
『封印されていたからといって、眠っていたわけじゃないからな。そして、この世界に来てからの妖気に、俺は見覚えがある。それが予知夢にて見た敵。そして実際に戦をした相手の名は土蜘蛛』
「土蜘蛛?」
『土蜘蛛は山に出没する妖怪で、本来は山里などには出て来ない妖怪だ。しかし、俺が戦った土蜘蛛は変異していてな。通常より硬い殻に被われ、他の土蜘蛛たちを率いていたんだ。そして、土蜘蛛たちは人里を襲い始めた。かなりの人間を喰い漁ったらしくてな。俺は帝の命に従って、その土蜘蛛の討伐を行うこととなった』
「それじゃ、なんで俺たちはこの世界に連れてこられたんだ?」
『それは、俺が土蜘蛛を滅するのではなく封印したからだ。たとえ帝の命とはいえ、俺は殺生なぞ好かなくてな。封印することにしたんだ。当時は討伐も封印も、意味的には大差なかったからな。故に、土蜘蛛がお前たちをこの世界につれてきたのは、まぁ俺への復讐といったところか。現に、その封印が解けかかっているようだからな。もともとここはその土蜘蛛を封印した場所。封印は何がきっかけで解けるか分からないから、この丘には誰にも干渉させないよう伝えていたんだがな。時代が流れ、今は建物がある。場所があれば、そこに人が集る。人が集まればその場所に様々な気が発生し、場合によっては施した封印に影響を与えることがある。土蜘蛛の封印が解けかかっているのは、恐らくそれが原因だろうな。目覚めが近くになり、俺の生まれ変わりたるお前をこの世界に連れてきたんだろう』
清十郎はそこで一旦大きく息を吐き出した。その様子に、俺は小首を傾げる。
『すまなかったな』
「なにが?」
『俺がきちんと祓っていれば、お前をこんな危険な目には合わなかった』
「けど、祓いたくなかったんだろ。もう過ぎたことをうだうだ言っても仕方ねーよ。それよりも、本題に入れよ」
『……』
「何をすればいいんだ? どうやったらもとの場所に戻れるんだ?」
『お前たちをつれてきた張本人。土蜘蛛を倒すしかない』
「やっぱそうなんのな」
今度は俺のほうがため息を吐き出した。
何となく流れ的に相手を倒さなければ戻れない、といった雰囲気があった。しかし、イヌガミや猫屋敷がいると言っても、できれば外れてほしい予感だった。
『実殊』
「倒すって言っても、どうすりゃいいんだ? どうやって力を使えばいいのか分からねーし、イヌガミや猫屋敷だけでなんとかなる相手なのか?」
『それは厳しいな。土蜘蛛はただでさえ固い殻に守られている。あの猫や、イヌガミだけの力では手下は倒せても、大本の土蜘蛛は難しいだろう』
「は? じゃあ、どうしろっていうんだ?」
『お前の力を使えばいいんだ』
「言ったろ。どう使えばいいのか分からねーって。それとも、イヌガミのことか?」
『イヌガミはお前の力の一旦に過ぎない。しかし、自分の力をきちんと使えば俺と同等……いや、それ以上の力を秘めている。イヌガミはお前の内に抑えきれなくなった力が漏れでて、形を成した物だ』
「それじゃ、イヌガミに力を与えればいいのか?」
『いいや。お前がお前の力を使うんだ』
「……は?」
清十郎の言葉が分からず、俺は間の抜けた声が出てしまった。
しかし、清十郎は冗談を言っている様子はない。まっすぐに、俺を見てくる。
その眼差しに、俺も真剣に話を聞こうと前のめり気味に問いかける。
「なんだよ、それ」
『お前の力は、お前が思っているより強いってことだよ。とりあえず、使い方を教えてやる』
「教えるっていったってどうやって……」
『さぁ、目覚めの時間だ!』
「ちょ、ま……!!」
清十郎は止める俺の声を聞かず、パンッと両手を叩いた。すると、まるで誰かに引っ張られているような感覚が俺を襲った。
そうして、俺はバッと目を見開いた。しかし、目の前に映るのは清十郎ではなく、心配そうに覗き込むイヌガミと猫屋敷の顔だった。
「イヌガミ……猫屋敷……」
『大丈夫か、実殊』
「あぁ。俺……、清十郎に会ったんだ」
『!?』
俺の言葉に、猫屋敷は驚いたように目を軽く見開いている。その様子を見ると、やはり猫屋敷は清十郎のことも知っていたようだ。
俺はむくりと上半身だけを起こした。なんだか、体が疲れたような感じがするけれど、そうも言っていられる状況ではない。
『清十郎はなんて言ってきた?』
「俺たちをここに連れてきたのは土蜘蛛って妖怪だってよ。昔、清十郎が祓わなかった相手だそうだ。んで、俺にそれを倒せって言ってきた」
『倒すって、どうやって?』
「力の使い方を教えるってよ。どうやって教えてくれるのかは、全然言ってくれなかったけどな」
ちょっとムッとしながら、猫屋敷に答えていった。
勝手に現れたかと思えば、勝手なことばかり言ってくれる。そんな相手に、怒るなというほうが無理な話だろう。
しかし、今は怒っていても仕方ないのも確かだ。
『実殊?』
「怒っても仕方ないからな。それにしても、清十郎のやつ、どうやって教えようっていうんだか」
てっきり、さっきの精神世界のような夢のような所で教えてくれるものだと思っていた。
しかし、俺は現実世界に戻され、特に清十郎が幽霊のように現れているというわけでもない。
「『教えるってのは、直接ってことだよ』」
どうしたものかと考え込んでいると、口が勝手に動いていた。驚く俺だが、清十郎はお構いなしに言葉を続ける。
「『こっちのほうが体が覚えるからな。体で感覚掴んだほうが早いこともある』」
そう言って、清十郎は俺の体を意図も簡単に操っていた。俺自身の意識は残っているものの、全く持って言うことを聞かなかった。
「『まぁ、すぐ終わるから暫し我慢してくれ、実殊』」
『清十郎、あんまり実殊の体で無茶するなよ』
「『おぉ、クロか〜。懐かしいな』」
『俺はあんまりお前に出てきてほしくねーけどな』
「『そうツレないことを言うな。もう実殊の力も十分備わっているから、俺が存在を喰っちまうってこともねーよ。だから、安心しろって』」
『……』
『ご主人様? けど、なんだか違うような……』
「『そうか。イヌガミ、お前には初めましてだったな。俺は実殊の前世でな。名を清十郎って言うんだ。よろしくな』」
『せいじゅうろう? ご主人様は?』
「『大丈夫、ちゃんといるって。ちょっと、こいつに力の使い方を教えるってだけだから、安心しろ』」
やはり大雑把な清十郎の説明に、イヌガミは頭上に疑問符を大量に浮かべていた。俺は意識の中で盛大にため息を吐き出した。
「『実殊もそう心配するなって。ちゃんと、体は返してやるから』」
(そういうことじゃねぇ!!)
勝手に人の体を乗っ取ったと思ったら、勝手なこと言ってくれる。そんな清十郎に、俺は盛大に突っ込んだ。もちろん、その言葉は本来の俺の口から出ることはなかった。
俺もとい清十郎はイヌガミの結界を抜け出し、群がる妖怪の前に佇んでいる。妖怪たちは俺の姿を見るなり突進をしてくるが、清十郎は全く慌てた様子がなかった。
そして、スッと人差し指と中指を立てたかと思うと、小さく言葉を吐き出した。
「『滅!』」
その一言で、目の前にいた妖怪すべてが一瞬にして塵も残さず消えていった。
その光景に、俺は驚き、言葉が出てこなかった。けれど、猫屋敷もイヌガミも驚いた様子はない。
自分だけが取り残されているような錯覚に陥った。
「『そう悲観するな、実殊。これはお前の力だ。ただ、お前は力の使い方を知らなかっただけに過ぎない』」
『清十郎、何度も言うが、実殊の体で無茶すんなよ』
「『あの程度では、何も問題はないよ。それにしても、本当にしっくりくるな。実殊、たまには俺に体を貸してくれないか?』」
(ぜってーヤダ!)
清十郎は楽しげに笑うけれど、俺は清十郎の言葉を蹴飛ばした。ただでさえ、自分の体を乗っ取られているというのに、それを自ら進んで貸してやる気にはならない。
「『ツレないね。ずっとお前の中でいたっていうのに』」
『気色悪い言い方すんな』
「『妬くな、クロ』」
『そんなんじゃねー!』
どうやら猫屋敷ですら、清十郎にからかわれてしまうようだ。
俺は呆れながら、二人のやりとりを見守っていた。視覚も、聴覚も、自分のものだとはっきりとわかるのに、思うように体が動かせないというのは随分と変な感覚だ。
そんなことを考えながら、俺は清十郎が力を使う様を感じていた。
それは、まるで息を吸うように、力を使っている。そう、それはまるで日常的な行動であるかのように、力を使う瞬間に違和感がなかった。
「『わかったか、実殊?』」
(少しわかった気がするよ)
その感覚が馴染んできた頃、清十郎はそう声をかけてきた。そして、その言葉に返事をした瞬間、俺の意識はもとの俺の体に戻った。
「あれ?」
『実殊?』
「あぁ。清十郎は?」
『俺たちには何があったのか、分からねーよ』
猫屋敷にそう言われ、俺は自分の内側に意識を向ける。清十郎は、まだそこにいた。
「もう終わったのか?」
『あぁ。これでお前は自分の力を使えるだろう。ただ、実殊。覚えておけ』
「?」
『強大な力はそれだけで因果が巡る。この先、お前にとって試練となるかもしれない』
「どういうことだよ?」
『お前が幼い頃、俺はお前の中で目覚めた。しかし、まだ幼子だったお前の存在を、俺の力は圧迫してしまっていた。それは、お前の存在を喰らってしまいかねないことだ。だから、俺は司郎にお前の力ごと俺を眠らせるように命じたんだ』
「それで、俺の記憶は思い出せないことが多いのか。クロのことも、最近まで忘れていたんだぜ」
『忘れていたわけではない。俺やクロ、妖怪に関係するすべての記憶も封印せざるを得なかったんだ』
「お前に存在を喰わせないため、か?」
俺の言葉に、清十郎は静かに頷いた。そして、真剣な目を俺へと向けてくる。
『俺の力は生前でも強大だった。そのため多くの妖怪と因縁を持ってしまった。俺を封印しなかった場合、俺はお前の存在を喰ってしまうだけでなく、まだ力が備わっていないお前に、その妖怪たちと因縁が巡ってしまう可能性があった』
「だったら、封印する前に、今回みたいに力の使い方を教えてくれたら良かったじゃないか」
『それはできなかった。お前の力は幼すぎたんだ。不安定な力の使い方を教えたところで何の意味も持たない。だから機が熟すまで待ったんだ』
「じゃあ爺ちゃんが言ってた"時が来るまで"って、俺の力が安定するまで、てことだったのか?」
『そうだ。現に、今ではお前の力の化身とも言えるイヌガミが誕生している。白い犬に、イヌガミか……血は争えないな』
「?」
『いや、何でもないよ』
清十郎の言葉が気になったが、それ以上の詮索をしないほうがいいと思った。そう言った清十郎の表情が懐かしそうな、しかし寂しそうだったから。
俺は清十郎をその場に残し、意識で目を閉じた。そして、次に目を覚ましたとき、目の前には猫屋敷とイヌガミがいた。
『大丈夫か、実殊?』
「あぁ。しっかし、力ってあんな風に使うんだな。なんか、まだ感覚がしっくりこねーけど」
清十郎に乗っ取られていた体を軽く動かす。寝起きのような感じで、体を軽く動かしただけで骨が軽く鳴った。
『疲れたか?』
「いや、ちょっと動きたくなっただけだよ。別に疲れたとかはねーし」
『そうか。それなら良いが……疲れたなら言えよ』
「大丈夫だって。それより、土蜘蛛ってどこにいるんだ? 最初にきたときに感じた力は今は感じねーし」
『ご主人様。あっちで、何か臭うよ』
鼻をひくつかせ、イヌガミは体育館の奥側へと顔を向けた。その方角には壇上がある。その壇上に、何か違和感を覚えた。
『実殊、やっぱここにいるみてーだな』
「たぶん。壇上の上、なんか変な感じだ」
俺はスッと目を瞑った。清十郎に会うためではなく、力を集中させるためだ。
指先に力が集まる感じをイメージした。すると、指先がほんのり暖かくなった感じがする。俺は目を開け、その指先を壇上へと向けた。