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衝天の鑓  作者: 筑前屋
第二章・孤城合力の段
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第二話:そして残酷な朝が来る

 「…何度も確認して悪いが、貴殿は()(こう)(のすけ)様と何の関係もないのであるな」

 「というか今川家中で内紛があったこと自体今知りましてございます。それがしが三江介様の謀反に協力しているなど、全くの事実無根でございます」

 井川城・二ノ曲輪の兵舎の一室で、小野六路兵衛は山本才助の問いに答えていた。

 「そもそも、それがしそこまで偉くはございませぬ。朝倉では馬廻りや使番を任されておりました」

 才助はしゃくれた顎に手を当て「ふむ」と何か考えていたようだが、やがて

 「無意味よな。貴殿を朝倉の名のある武将であるかのように喧伝し、その首を求めるという行動が分からぬ。かの真柄(まがら)太郎(たろう)()衛門(えもん)殿ならともかく、貴殿は三江守様と(せつ)(かい)禅師(ぜんじ)にとっては名も知らぬ者であろうし、何の脅威にもならぬであろう」

 とはいえ、と才助は続けた。

 「三江守様の軍勢は我らが旗頭、天野三郎介様と貴殿の首あるいは身柄を御所望なのは事実なようであるな。街道も閉じられておる。残念かもしれぬが、こうなった以上我らと共に戦ってはくれぬか?我らも人が足りぬ。使える兵は一人でも多いほうが良い」

 困ったことになったと、六路兵衛は思っていた。

 (駿相屋(すんそうや)が田原で足止めされておれば良いが……)

 六路兵衛は戦で死ぬ気はさらさらなく、死ぬとも思っていない。だが、沙紀との距離が遠ざかることだけは、何としても避けたかった。駿相屋が田原に辿り着き、そこから船にでも乗られれば、足取りを追うことは難しくなる。ここで六路兵衛は一つの可能性に思い当たった。

 (まさか、人買い野郎が噂をまいたのか?俺が戦で死ぬことを期待して、今川軍に偽の情報を掴ませたと……?)

 さすがに考えすぎかと思い、六路兵衛はその考えを胸の奥に押しやった。

 「それにしても、いくら当主が馬鹿であるとはいえ、朝倉氏がこうもあっさり滅ぶとは。まあ若波(わかなみ)(のかみ)(かげ)(とき)公にあまりいい話は聞かなんだ(ゆえ)、因果応報というところであるか」

 六路兵衛の話から北国の事情を知った才助はしきりに頷いて言った。

 「やはり情報は伝聞よりも直接見聞きした者の言葉に限る。こんな奥三(おくみ)(こう)の山奥では、なかなか遠方の情報が入らんからのう。困るのよ」

 「才助殿は噂話がお好きなのでござるか?」

 「そういうものではない。情報を制すものは戦を、果ては国を制す。どのような些細(ささい)な動きでも、把握しておかねばならぬ」

 よく呑み込めていない六路兵衛に、横で控えていた半右衛門が言った。

 「我が殿は軍配者(ぐんばいしゃ)を目指しておられるのです」

 「…ほう!軍配者とは」

 軍配者と言うのは、古くは戦の吉凶を占う役目の事を指し、転じて今でいえば参謀のような役割を持っている。軍師ともいう。

 「今各地の大名家は、軍の有り様を変えようとしておる。豪族領主たちが率いてきた手勢を再編成し、五百から千人単位の軍勢を組織させるのだ。これからは領主の手勢がめいめい勝手に動くのではなく、軍勢全体が一つの組織として動く戦が広まるであろう。軍配者は、そのために欠かせぬ。俺は我が才を以て、今川を支えたいと常々考えておる」

 東国では長尾氏が軍制改革を進めていたが、中国や西国では、この頃からすでに組織化された軍隊制度が確立されようとしていた。特に進んでいたのが、立花氏と今川氏である。

 この山本才助も、六十名の兵を動員する豪族であったが、一方で今川軍井川衆の将として旗頭・天野三郎介元景の元で動く軍監(軍勢の動きを監視する役職)としての役割も担っている。ちなみに、彼は元景直属の軍監であるが、同じ軍監である小鹿家家臣・犬居喜平次は三郎介の監視役として派遣されていた。

 「……ところで貴殿は三江に何用で来られたのだ。三江介様に加担しに来たのではないのであろう」

 才助が話を変えてきた。

 「はあ、それが……」

 六路兵衛が小野家滅亡と沙紀が連行された顛末(てんまつ)を話すと、半右衛門は涙を浮かべて

 「妹御が不憫(ふびん)でござる…」

 と言い、挙句(あげく)泣き始めた。

 「すまんのう、半右衛門は情に厚い男で涙もろいのだ」

 才助が言う。

 「とにかく、大変な目にお遭いになられたのであるな。今宵はゆっくり休み、英気を養うと良い。今夜中にも袋井衆が城を囲むであろう。妹御のためにも、早く戦を終わらせ、生き延びねばなるまい。体調が整わぬではそれもままならぬぞ」

 「かたじけない」

 この後六路兵衛は床に就いたが、この間に事態は深刻化しつつあった。





 朝、六路兵衛が兵舎の外に出ると、井川城は(あさ)(もや)の中にあった。あちこちで炊事の煙が上がっている。

 「おはようございます、小野殿」

 由比半右衛門が来て、丁寧な挨拶をした。

 「敵軍はまだ来てはおらぬようだな」

 「はい。ですがすぐ近くまで来ていると思われます」

 半右衛門は東の方角を眺めながら続けた。

 「この城は、今川家当主、三江守元康様の安城城と、袋井衆を率いる岡部(おかべ)(へい)()幸雄(ゆきかつ)様の袋井城を分断する(かなめ)であり、袋井勢に信元さまの背後を突かれぬよう、我らが食い止めねばなりませぬ。二千の兵を城に残る七百で押し留めることになります」

 「激しい戦になるな」

 六路兵衛は顔をしかめたが、その武士は楽観的であった。

 「いえ、岡部様は力攻めを好まぬ御方。向こうの思惑は井川城と吉田城の連携を絶つことにありますから、恐らく元康様と信元様の決戦の帰趨が定まるまで動かぬかと存じます。我が方が勝てば城は解放、負けても即開城かと思われますので、そのどさくさに紛れて落ちられればよろしいのです」

 「要するに、小鹿信元がさっさと敵の本拠を襲えばいいというわけだな。それまでここで座して待つか」

 それならば心配はない。黙って待っていればすぐに戦は終わると、六路兵衛は安心した。

 その時である。

 法螺貝の音が周囲の山野に響き渡った。

 「来ました」

 少しずつ晴れていく朝靄の中から、何本もの旌旗が姿を現した。旗指物の家紋は『左三つ巴』……

 「……誰だ?」

 遠く若波郡の出身である六御兵衛には解らなかったが、周囲の将兵は旗の主を良く知っていた。

 「袋井衆だ!岡部平馬が来襲したと知らせよ!」

 麓の敵勢を目にした山本家郎党の山田七之助が叫んだ。すぐに足軽が一人山頂へ駆け去って行く。しかし、敵は袋井衆だけではなかった。麓に展開する軍勢とは別に、城の反対側を取り巻こうとする軍勢があった。

 「や、山田の兄貴、あれは『三つ引き両』では……」

 七之助の同僚、渡辺(わたなべ)()太郎(たろう)(さね)(のり)が袋井衆の後に続く軍勢を認めて言った。

 「吉川(きっかわ)か……!」

 旗印を認めた七之助はそれ以上の言葉が出なかった。

 「七之助殿、あの軍勢はいったい…」

 六路兵衛の問いに七之助は眉間にしわを寄せて、

 「袋井の岡部勢、二俣の井伊勢に加え、吉川芸後守の兵が加わっておる。これは少しばかり不味いかもしれぬ」

 そう言うと、

 「まあ、死なぬように頑張ろうではないか」

 と六路兵衛の肩を叩いて去った。入れ替わるように千歳が現れた。彼女は

 

 「六路兵衛様、この状況はかなり不味いですよ」

 と真面目な顔つきになって言った。

 彼女が言うには、岡部幸雄の援軍としてきたらしい隣の芸後郡の郡司・吉川家(きっかわいえ)(ひろ)は粗野でせっかちな人柄で知られるという。無論兵糧攻めよりも力攻めによる強行突破を好み、また得意とする猛将であるらしい。

 半右衛門は「よくご存じで」と千歳の見識に感心した。

 「千歳殿の言うとおり、芸後守様はかなり危険な人物です―大将が芸後守様本人であれば、芸後の全軍に近い三千の兵を引き連れているでしょう。袋井と二俣の兵を合わせて、総勢五千。我が方の七倍です」

 古来より城攻めには城方一に対し寄せ手は三から十倍の兵力を用意するべきであるとされる。今回の兵力差は七倍。今川元康は、街道沿いの小要塞を落とすに充分な軍勢を用意したといえる。

 「……嫌らしい奴だな。元康ってのは。他の大名の手を借りてまでこの城を落としたいのか」

 六路兵衛が吐き捨てると、千歳は「それは少し違いますよ」と言って続けた。

 「吉川氏は今川の従属大名ですから家臣にも等しい存在です。それに嫌らしいといえば、権力欲に取り憑かれわざわざ無用の乱をおこす三江介様こそ、此度の戦の元凶です。三江守様はむしろ被害者ですよ……」

 「その通りです」

 半右衛門も同意する。

 「とにかく、勝ち負けはどうあれ生き残ることが先決です。小野殿、共に生きて城を出ましょうぞ」

 と精一杯の笑みを浮かべて本曲輪へと向かった。若者の後姿には悲壮感が漂っていた。





 陣地の設営のため忙しく動き回る陣夫や足軽たちを見ながら、袋井衆旗頭・岡部平馬幸雄は井川城の(ふもと)、城下の手前まで馬を進めた。周囲には長柄兵や弓兵が(かき)(だて)を連ねて展開し、城からの攻撃に備えている。旗印は岡部氏の家紋『左三つ巴』でほぼ統一されていた。旗は黒地で、家紋の部分が白く染められている。そのなかで部隊ごとに一本用意された黒地に金の『赤鳥』の大旗は一際目立っていた。この旗こそ今川傘下の軍勢であることの証明であった。

 さらに、足軽の兵装は全て鉄製の陣笠と桶側胴という最新装備である。袋井衆は今川軍の各軍勢の中では世良田の蒲庄(がましょう)衆とともに今川本軍並みの軍備を誇る精鋭でもあった。少なくとも装備の質では井川衆も吉川軍も(しの)いでいた。

 「岡部殿、二俣衆八百、全て所定の場所へ到着いたしましたぞ」

 そう告げたのは二俣衆の旗頭である井伊掃部頭直頼(いいかもんのかみなおより)である。三六歳の平馬より、三つ下の三三歳であった。

 「まさか天野殿と戦うことになるとはな」

 「運命というのは分からぬものですな」

 掃部(かもん)はまるで他人事のように言った。平馬は顔をしかめた。どうもこの井伊掃部という男は、腹に一物抱えているような気がしてならないのである。

 そこへ、「岡部幸雄殿ですな」と言いながら一騎の武将がやってきた。三十代前半の、中背の武者である。

 「吉川家家臣、杉原(すぎはら)(へい)太夫(だゆう)(たね)(とも)でござる」

 「おお、あの杉原殿でござるか、武名はかねがね聞き及んでござる。芸後守様には援軍かたじけないとお伝えくだされ」

 「御意に。殿は布陣が終わり次第、和戦いずれかを問うた(のち)、総掛かりにて城を()み潰すべしと仰せでござる」

 (はな)から戦が前提かと、平馬は心の中で芸後守に突っ込んだ。三度の飯より戦が好きという性格は相変わらずのようであった。

 「…承知致した。こちらから使者を立て、城方の返答があり次第、軍議を開いて対応を協議致す。ただし日没までに返答がない場合は、敵は戦を選んだものとみなします故、日没前には一度失礼ながら我が陣までお越しいただきたく存ずる。よろしいですな」

 「かしこまって候。では御免」

 平太夫はそう言って首肯(しゅこう)すると馬を飛ばして吉川の軍列へと戻って行った。

 「芸後勢は不安ですな。好き勝手に攻め込みかねませぬ」

 掃部が言った。

 吉川芸後守はこれまでも、抜け駆けなどの勝手な行動を繰り返していた。しかもそれが結果的に全軍の勝利につながった戦いは一つや二つではなく、それが彼の自信を深めていた。

 「これまで芸後守様が勝利してきた相手は帯方(テバン)や難波の凡将ばかりでございましょう。昨年の尼子攻めの際も同様です。それに引き換え井川にはあの男がおります」

 「山本幸信とかいう隻眼の武者であろう。井伊殿はえらく奴を買っておるが、それほどの男なのか」

 「それほどの男です。彼が二年前に上方(かみがた)より婿入りして以降、井川衆は見違えたようになりましてござる」

 「確かに井川衆は組織だった戦いにおいてその勇を存分に示しておるが……それが全て山本幸信によるものであるというのか?」

 「御意に。あの男は軍配者として大成することが望み。そもそもこのような山奥に収まる人材ではありませぬ。それ故細心の注意を払わなければなりませぬ」

 掃部の言葉に、平馬は考え込むとともに、味方の活躍にただ感嘆していた自分を呪った。

 「……使者は我ら井伊から出しましょう。それがしと天野殿は深い付き合いがござるゆえ。よろしいですかな」

 「分かった。井伊殿に任せる。……天野殿も、朝廷の援軍など来ぬことを知れば、無益な戦を避け軍門に降ってくれるであろう」

 だが平馬はそう言った後、「ただし」と付け加えた。

 「しかし、城におるという朝倉の回し者……奴は生かしておくわけにもいくまい」

 平馬の顔が険しくなった。他郡の者が三江介の企てに関わっているらしいというのが面白くないのである。

 「駿相(すんそう)屋は確か、奴は小野六路兵衛とやら申す侍大将で、先年の大川原の戦以来、今川に恨みを抱いておるとかないとか申しておったそうですな」

 掃部の言葉に、平馬は「うむ」と頷いた。

 「何にせよ、今川に弓引く者、特に他郡の者は全て排除せねばならぬ。三江介殿の直臣である犬居喜平次と、その協力者・小野六路兵衛。この二人の首と引き換えに開城、というのが理想だな」

 「承知(しょうち)(つかまつ)った。では失礼」

 掃部は馬に鞭をくれ自陣へと駆け去った。

 平馬としては、三郎介が情より現実を直視してくれることを望んでいたが、彼の性格を考えれば、それは難しいとも考えていた。だがそれは平馬にとって最悪の筋書きであった。

 「仲間でもない者の首二つで助かるのだ。敵に対する処置としては極めて寛大なものぞ。どうか受けてくれよ、元景……」

できれば朋輩との戦は避けたいと、平馬は心から思っていた。





 正午近くになると敵の布陣も終わり、寄せ手の全容が城からも把握できた。城の出入り口は大手口と(からめ)()口であるが、斜面を登り柵へ殺到する恐れもあるため、才助の指示で大手口から津和野往還へ下って行く道のある二ノ曲輪の東側斜面に多くの弓兵が配置された。

 領主ごとに部隊がばらばらであった朝倉軍と異なり、ここでは各領主の兵たちを兵科ごとに再編成しているため、守備兵をより効率的に運用できていた。

 既に放棄された居館の東一里(約五百メートル)に陣を敷く岡部勢もまた、弓衆を前面に配置し、その後ろに長柄衆、(やり)(侍)衆、馬上(騎馬武者)衆と続いている。その整然とした布陣は、(やぐら)から周囲を眺める六路兵衛に八頭川の合戦の際の長尾軍を思い出させた。

 一方で、城の南から西にかけて布陣した吉川勢は、朝倉と同じ領主別の軍制であるようだった。袋井衆とは異なり、様々な旗印が雑然と並ぶ。

 「西から杉原、()見原(みはら)、吉川本陣、庄原(しょうはら)吉川(きっかわ)の各軍勢、あとは小土豪の兵でございます。吉川の本軍がおよそ一千、他が五百程ですね。ばらばらに来るならば我らにも勝ち目があります」

 半右衛門が六路兵衛に説明した。六路兵衛はこのあたりの大名や豪族の旗印をほとんど知らないため、半右衛門には随分と助けられた。

 「軍使が来たぞ」

 その声に六路兵衛が気づくと、山道を数騎の騎馬がこちらへ向かってくる。

 「半右衛門、それに小野殿」

 山田七之助が二人を見つけると呼び掛けた。

 「本曲輪へすぐに来い。鑓を忘れるな。小野殿もついて来てもらいたい」

 「何をなさるのでございますか?」

 六路兵衛の問いに、七之助は振り返って答えた。

 「戦よ」


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