第四話:敵の正体と旅の始まり
《敵の正体と旅の始まり》
「……駿相屋は熊襲の隣国・難波王国の駿相郡に本拠を置く豪商です。これまでは駿相と三江の両今川氏を後ろ盾に、主に瀬戸海(熊襲中部の内海)から難波海西部沿岸を主な商圏としてきました。扱っているのは海産物や茶、木綿などの物産、土倉(金融業)、そして奴隷です」
熊襲を始め、和人社会には制度としての奴隷は存在しない。しかし、文永の大乱以降の長い戦乱により、戦に敗れた捕虜などが奴隷(奴婢)とされる事例が頻発した。しかし、近年熊襲の諸勢力は急速に再統合が進み、朝廷や大名の統制が強化されるとともに、奴隷となる戦争捕虜が全国で激減した。その後、二年前の大川原の戦い以降、再び政治的分裂が生じたが、皇王信光によって皇王領と東部における混乱はすぐに終息していた。
駿相屋は熊襲で得た奴隷を難波へ輸送し、売り飛ばしていた。しかし、人身売買を続ける三江今川氏と朝廷の関係が悪化し瀬戸海沿いでの奴隷調達が難しくなったため、現在は主に若波郡など東内海(熊襲北部の海)沿岸で人買いを行っているという。
「彼らの熊襲における拠点が、三江郡・田原湊です」
千歳が挙げた町の名は、六路兵衛も聞いたことのある地名であった。
熊襲中西部の三江郡は、三江今川氏の拠点であり、政治的にも安定した土地である。田原湊は三江郡最大の港で、西の都市国家大輪田と瀬戸海を結ぶ内航船の主要寄港地である。
「恐らく、若波で集められた捕虜は田原まで連行され、そこから船で難波へ向かうものと考えられます」
「しかし、ここから海に出るなら都に出るのが一番近いはず。なんでまっすぐ都に行かずに、三江田原に遠回りなんか……」
「さっき言ったでしょう?三江今川と朝廷は二年前から敵対関係です。それに長尾や三好はともかく、朝廷は人身売買の禁止へと動き、東の扇谷や刑郷、細川は宿敵難波に与する駿相屋を敵とみなしています。そのために瀬戸海の水軍衆(海賊)来島氏と戸田氏の協力で、田原から海路を難波へ直行する行程を選んだようです」
「成程な。そうと分かれば話は早い。一気に田原に向かい、沙紀を取り戻す!」
六路兵衛は気勢を上げた。
八頭竜から郡境を越え田原湊へ至るには、三好領・美前郡に入った後、美後郡、尼子領・浜田郡を経由し、津和野城下から津和野街道を南下する。今川領・三江郡に入ればあとは特に障害もなく辿り着けるはずである。
「それにしても、六路兵衛様は主家を見限る格好となりますが、よろしいのですか?」
千歳の言うとおりである。六路兵衛は主君・朝倉景時の籠もっているはずの大野城へは向かわず、妹を救うため朝倉家そのものを事実上離れていた。個人主義者の多い熊襲の武士階級であるが、一応主君への忠誠は重要な契約である。
「とりあえず、今までの武功で御恩にはいくばくか報いたはずです。所領をなくして今は家臣と呼べる状況ではありませぬし、どうせすぐに滅びるのだから今から俺が行っても何か状況が変わるわけではありませぬ。我らは負けました。もはやこれまで、ということです。そもそも俺は大殿よりも旗頭に忠誠を誓っていました。というわけでこれ以上主家に義理立てすることもないと思うのです」
六路兵衛とて弱肉強食という世の理を自覚している。ましてあまりいい噂の聞こえなかった朝倉若波守が死んだところで自業自得としか思えない。あのような男の道連れなどまっぴらであった。
とはいえ、いかに戦いに生きる武士とはいえ六路兵衛も人であり、肉親や同朋の死を悲しみもし、彼ら殺した相手を恨みもする。ようやく落ち着いて父と兄の死を理解できる様になってきたと同時に、六路兵衛は二人の無念を晴らすべき仇敵を定めた。
(長尾為虎、いかに戦でのこととはいえ、許すわけにはいかん。いずれ、必ず応報してくれる)
六路兵衛は心の中で誓った。
「ところで、駿相屋と千歳殿にはどのような因縁があるのですか?失礼ながらお聞かせ願いたく存じます」
「いいでしょう。元々私は総前郡のある武家の娘でした……」
千歳の話によると、総前郡は難波建国以降、長きに亘って千葉氏の統治下にあった。千歳の父は千葉氏に仕え、海岸沿いの塩田の管理監督を代々務めていた。この塩田に目を付けたのが隣郡の駿相を治める今川氏と、当時商売を始めたばかりの駿相屋であった。
彼らは千歳の父が今川氏に仕える家臣を辱めたと言いがかりをつけ、挙句朝廷に訴えるとまで言い出した。今川に比べ立場の弱い千葉氏は今川の要求を受け入れ、千歳の父を謀反人として討った。千歳の両親は殺され、千歳と二人の兄は逃げ出し、遠い地で暮らすことになった。塩田は駿相屋の息がかかった者が管理を引き継ぎ、実質的に総前郡の製塩業は駿相屋が独占することになったのである。
「そのまま数年が経った後、上の兄が『人々を救う』と言い残して家を出ました。下の兄は二年ほど前に兄を見つけ出す旅に出ましたが消息を絶ってしまいました」
「それで旅をしているわけですね。兄君を見つけ連れ戻すために」
「はい」
六路兵衛には肉親を心配する千歳の気持ちがよく分かった。
「兄君の行方に手がかりはあるのですか?」
「それが全くないのです。上の兄はどうも中原で傭兵をやっているようなのですが……」
「中原…!大陸ですか。それは厳しいですね。下の兄君は」
「下の兄は全く行方知れずの状態です。ただ熊襲・難波・大輪田の三国のいずれかにいると思います」
何でも下の兄は、和語しか話せないのだそうである。
「しかし、あてのない旅というのはつらいでしょう」
「まあ用心棒稼業で路銀は十分ありますし、時間も腐るほどありますから。それに旅にも慣れました。どうやら兄妹三人、全員が旅に取り憑かれたようです」
千歳はそう言ってくすっと笑った。
「はあ……」
千歳の境遇は聞いた限りでは過酷なものだが、当の本人はそれなりに状況を楽しんでいるようであった。
(分からん……俺もいずれはこうなるのか?いや。沙紀を取り返すのにそう日はかかるまい)
とりあえず、敵の素性と行き先が分かったので、こんな人気のない郡境に用はない。六路兵衛は千歳に別れを告げた。
「では、俺はこれで失礼します。いろいろお聞かせ下さりかたじけない」
しかし、千歳の反応は意外なものであった。
「あら、旅は道連れともいいますよ。私も共に参りましょう」
「へ」
「見知らぬ土地に一人で行くのは危険すぎます。言ったでしょう、私の仕事は用心棒です。つまり人助け。これはお節介のようなものですよ」
「は、はあ……有難く存じます」
六路兵衛は拍子抜けしながらも、このしっかりしていそうな女性が同行してくれることに心底有難いと思った。やはり、見知らぬ土地への旅は心細いのである。
「三江田原への道は存じております。では、参りましょうか。六路兵衛様」
「は、はいっ」
六路兵衛は返事をしつつも、これは完全に千歳の調子に乗せられたらしいと感じていた。と同時に、彼女を頼もしく思った。
後に稀代の豪傑と呼ばれる小野六路兵衛の長い旅路は、ここから始まったのである。正直、彼は数か月で故郷に帰るつもりであった。人買いから妹を取り戻し、故郷へ戻って家族の墓を建て、改めて小野家再興へ歩み出す腹積もりであったのだ。しかし、若波郡へ帰るのが何年も先の事であるなど、六路兵衛は知る由もなかった。
美前郡・宮本宿―
ここには、六路兵衛が追う駿相屋の一行が泊まっていた。
「しくじっただと?」
駿相屋番頭・友蔵はふくよかな顔に怒気を含んだ声で言った。
「はっ。申し訳ありませぬ。商品を奪おうとしていた者どもの内、五人は始末しましたが、朝倉家家中の小野六路兵衛とやらが、まだこちらへ向かっているようでございます。女を連れておりますが、その者もなかなかの手練れと見受けられます」
駿相屋の手先として働く追跡術の達人・無量は平伏して報告した。あの六路兵衛を監視していた商人風の男である。
「黄昏幻魔斎はどうした」
「鬼道師殿には伝書鳩で敵の風体と人数を伝え、郡境での待ち伏せを頼みましたが、どうも逃げたようです。こちらにも戻っていないということは……」
「くそっ。あのインチキ鬼道師め。何が凄腕だ。糞野郎が」
友蔵は穏やかそうな風貌とは似ても似つかぬ下品な言葉を吐くと、
「よいか。今は見張るだけでよい。こちらも人数が少ない。三江に入ってなお、小野六路兵衛なる犬が追ってきておるのならば、改めて考えよう。奴は騎乗ではないのだな?あと、最初の報告では、敵は五人連れと、あとは一人だけではなかったか?」
「御意に。奴は徒歩で移動しています。連れの女ですが、どうも郡境で仲間に加わったようでございます。我らが郡境を越えた時には、すでに二人連れでした。今は千介と万介を付けておりますが、幸い奴はまだ監視に気付いておりませぬ。」
無量は郡境であった闘いを見てはいなかったため、ことの経緯を知ることが出来なかったのである。
「ふむ。……ところで無量よ。我らは先を急ぐこととなった」
「六路兵衛を恐れておられるので?」
「阿呆。城で捕らえた女どもの話によれば、確かにその者、若いが武勇に優れ、あの真柄太郎左衛門の子飼いであったそうだが、犬一匹に振り回される我らではない。問題は三江今川だ」
「ということは、いよいよ……」
「うむ。下剋上の戦が始まる。厄介ごとに巻き込まれぬうちに、田原湊へ入らねばならん。お、そうだ。あの犬め。武人らしく戦で散らせてやろう。あの物分かりの悪い小娘の眼前に首を突きつけるのだ」
友蔵の目には憎悪の感情が表れていた。
「あの沙紀とかいう娘、まだ折れぬので?」
「うむ。奴は己の状況をよく分かっておらぬようだ。未だに兄が助けに来ると信じておる。まあ、実際追ってきてはいるが、な。武家はこれだから始末が悪い。相府に着いたらさっさと遊郭にでも売り飛ばすに限る。……さて、あの犬めをどうやって戦に駆り出すかだが……おお、そうだ、良きことを思いついたぞ」
そう言うと友蔵はくっくっくと嫌らしい笑い声を上げ始めた。無量は「それでは失礼いたす」と言って音もなく部屋から立ち去った。笑い声は無量がいなくなった後も、しばらく続いていた。
皇暦三〇八(南暦九三三)年九月二十一日、朝倉若波守景時の籠もる大野城は長尾・三好連合軍一万余の攻撃により落城、若波守ら一族の主だった者が自刃し、朝倉氏は滅亡した。最後まで抵抗した朝倉家臣は、わずか三百人程であったという。
今回までが第一章となります。とはいえこの章は事実上の序章にあたりますので、これ以降の章は分量が多くなります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。第二章以降もよろしくお願いします。




