第九話:別れ、そして出立
お待たせいたしました。このところ滞っていましたが、今回からは従来通り二週間に一度ほどの更新になるかと思います。今後もよろしくお願いします。
翌日、皇暦三〇八(南暦九三三)年十月二十一日。
井川城は開城した。八日に及ぶ籠城戦が終わり、地侍たちが在所へと戻って行く。本領安堵を許され、実質不問に処された形の地侍たちは、昨日までの旗頭・天野三郎介に感謝の言葉を口々に述べ、別れを惜しみつつも去って行った。
入れ替わりに今川三江守元康が入城し、検分を始めた。彼はまだ少年だが、どことなく大人びている。大人たちが権力を奪い合ってきた周囲の環境によるものだろうか。その態度は堂々としていて、まさに大身大名の若君といった様子であった。三江守は馬上から三郎介を見下ろして言った。
「元景殿、実は我が実家世良田家でお主を召し抱えたいという話が出ておる。どうだ」
少年大名の誘いに、元景は首を振った。
「我が主は小鹿信元様。それ以外に仕える主を持ちませぬ。これよりは都の縁者の元へ行き、出家して戦で死んだ者たちの菩提を弔う所存」
「そうか、お主のことだ。止めても聞かぬであろうな。残念だ。……山本才助はお主だな?」
三江守は六路兵衛や半右衛門、七之助らとともに立つ才助に顔を向けた。
「お主、世良田に仕えぬか?芸後守殿の手前、天野・山本両家は取り潰さざるを得ぬが、お主のような知恵者をみすみす外へ出すのものう……」
「申し訳ございませぬ。この才助、元景様が今川を去られる以上、三江に残るわけにはいきませぬ」
「……私は人こそ国の宝と思うておるが、有為の人材を失うこととなったな。この戦の勝者は私なのだろうが、この城の者どもには勝った気がせぬわ」
三江守は最後に「道中の無事を祈るぞ」と言うと重臣たちを引き連れて去った。
続いて現れた武将は岡部平馬であった。
「貴公はひどいお方だ。元景殿」
開口一番、悔しげにそう言った。
「自分だけ楽な方へ行くとは。残される側の身にもなって頂きたい」
「我が信念を貫けたことで満足感に浸っていたというに、水を差さないでもらいたいですな」
「私は損な役回りばかりさせられる。これから今川の再建に忙しくなるのだから、都に助言を請いに行くことがあるやもしれぬ」
三郎介は「別に構いませぬが……よろしいので?」と尋ねた。今川と朝廷の仲を考えてのことである。
「問題あるまい。此度の戦に朝廷から何の反応もない時点で、公家どもの考えは明白。芸後守様の負担も多少は減るであろう」
「立花様の態度を考えれば危険な賭けですな」
「上手くやる。やらねばならぬ。いずれは立花様を朝廷に従わせることになるであろう。朝廷はそのために我らを引き入れたのだ」
「成程。まあこの元景もあと十年は生きておるでしょう。殿の為と言うならば考えまするが、三江の為というならば、喜んで協力いたしまする」
六路兵衛からすればよく分からない話であったが、この戦の背後には御家騒動以上のごたごたがあったらしい。
そこへ、三江守らと入れ替わりに連行されることになった犬居喜平次が縄に繋がれてやってきた。
「ふん、愚かな。大輪田が動けぬ今、朝廷と立花の間を上手く泳ぎ切るつもりか?」
嘲るように言う喜平次であったが、平馬は「ああ、そのことだが」と動じることもなく現状を語った。
「桑原将軍の後継は既に決まっておるらしく、殿にも使者が参られたそうだ。残念ながら大輪田と立花の同盟は未だ盤石。そして大輪田と今川の関係も良好なまま推移しておる。大輪田は朝廷を敵にしようなどとは思ってはおらぬゆえ、立花も今川を攻撃できぬ。今川を味方につけておきたい朝廷は勿論攻撃せぬ。我らは堂々と両方に通じることが出来るわけだ」
結局、例の桑原光義の引退によって、大輪田の外交姿勢が変わることは一切なく、軍事的な隙が生じることもなかった。おまけに今川三江守(というより雪海禅師)は大輪田との関係を利用し、朝廷と立花の両方を味方につけていた。混乱に乗じたつもりになっていた小鹿三江介は滅びの結末を辿ることになったのである。
「くっ……くそおおおおお!」
喜平次は絶叫すると打ちひしがれたように項垂れながら引き立てられていった。
後日、小鹿家家臣・犬居喜平次には切腹が申し付けられた。ただこの事を六路兵衛が知るのは、何年も経ってからのことである。
六路兵衛が半右衛門と荷物を取りに戻ろうとすると、
「おうおう、敗者のくせに随分と晴れがましい面をしておる者どもがいるぞ」
と言いながら大男が姿を現した。
「鬼熊虎之助……!」
半右衛門が後ずさる。
「待て青二才。戦は終わったのだ。びびるなら次の戦場でびびれ。それにしてもロクロ―よ。世の中理不尽よなあ。後先考えずに挙兵した間抜けのおかげで大勢の兵が死んだ。結果何か変わったかといわれれば何も変わっていない。何の為の戦だったのやら……」
そこまで言ったところで虎之助は、出丸の隅に突き立った旗付きの銛に気づいた。
「おっとそうだ、これこれ。持ち帰らなくては今川の殿さんも困るだろう。……城方の士気を下げるために打ち込んだんだがなあ。ロクロ―といい青二才といい良くやったものだ。うむ。天晴れなり」
「御託はいいからさっさと抜いたらどうだ。それとな、俺はロクローではない。小野『六路兵衛』だ」
「あの……前から思っていたことなのですが、何故小野殿の名は『六路兵衛』で『六郎兵衛』ではないのですか?」
半右衛門が尋ねると、六路兵衛は「やっぱりそう思うのもいるよなあ」と言ってその由来を語った。
「俺の兄が生まれた時、父上は家のしきたりに従って『五郎兵衛』と名付けることにした。しかし何故か字を間違え、半紙に『五路兵衛』と書いてしまった。まあそれでもいいかと父上はそのまま五路兵衛を兄の名としたのだ。それで兄だけが『路』なのもあれだというので俺も『六路兵衛』を名乗ることとなったというわけだ」
彼はそこまで語って「全て順調だったころの話さ」と結んだ。
「成程な。そうだ、思い出したぞ。俺の斬馬刀!返せ」
急に虎之助が斬馬刀のことを思い出したらしく叫んだ。
「本曲輪に千歳殿がおられる。そこで渡してくれるはずだ」
「よっしゃ!恩に着るぞ、六路。さて、これも持っていかねばな」
虎之助はそう言うと銛を軽々と引っこ抜いた。
「四人がかりでも抜けなかったのに……」
半右衛門が瞠目する。
「では今度こそさらばだ、小野六路兵衛。あと……誰?」
「由比半右衛門統家。いつか必ず、あなたと同じ高みに行きついて見せます」
「調子のいい青二才め。その時には俺はもっと上へ行ってお前を見下ろしているだろうよ!追いついて来い、青二才……。では小野六路兵衛に由比半右衛門。また戦場で会おう!鑓を合わすのを楽しみにしているぞ!はっはっは」
虎之助は銛を担ぎ、笑い声を残して軽やかに走り去った。
「……あいつ、あの銛持って走っているぞ……」
「化け物ですね……」
とりあえず恐ろしい男を敵に回したらしいことを、六路兵衛は悟ったのであった。
午後には事後処理も終わり、山本家の面々は城を出て行くこととなった。井川を去ることになる二十人程の郎党とその家族ら合わせて百五十人余りが城を出る姿は、才助に敗北を実感させた。
「七之助殿、郎党の皆様方はこれからどうされるのでございますか?」
一足先に浪人となっている六路兵衛としては、彼らの今後が気がかりであった。
「ほとんどは直竜殿が召し抱えるそうだ。浜名井伊家は最近の加増で侍が足らんらしい。直頼さまの許可も下りたとか。まったくあの方には頭が下がる」
行列を眺めながら七之助が言った。
「七之助殿は?」
「俺と実紀(由太郎の本名)、光信(風太郎の本名)、家利はここの人間ではない。殿について行こうとしたが、断られた。半右衛門も行かぬらしいぞ」
六路兵衛は驚いて後ろの半右衛門を見た。
「これもいい機会です。外の世界を見てみようと思いまして」
「いや、家族は?」
「私は天涯孤独の身です。浪人であった父が殿にお仕えした縁で息子の私も召し抱えられただけに過ぎません。先輩方には止められましたが、この際父の夢を叶えようと思うのです」
「何だ、夢ってのは」
「父は大陸へ行きたがっていました。海のない広大な世界を旅してみたい、と。私は父の遺志を継ぎます。父の知り合いに伝手がありますので、田原湊から大輪田に向かいます」
大輪田の西には東楚があり、そこから北へ進むと大帝国・後魏に行き着く。一方で外海を南西に進めば南洋の海洋国家群へ向かうことが出来た。
「そうか……ところで山田殿、才助殿は?」
「負傷した実紀を連れて一度都へ戻られるそうだ。その後は遍歴の旅に出て、仕えるべき大器を探されるとのことだ」
「皆さんバラバラですか……」
「いや、旦那様が仕官された暁には全員を呼び集めるそうだ。それに一年ごとに都で一度落ち合うことになっている」
才助は、自分の才を認め、それを正しい方向に使おうとする主君を探すことにしたのであった。
行列が全て城門を出た。
「では我らも行くか」
「「応!」」
三人が城門を出ると、才助、直竜、由太郎、風太郎、家利が待っていた。直竜は武装して騎乗していた。
「遅い。待たせるでない」
才助が言った。
「皆様方、ご武運を。生きていればまたお会いすることもあるでしょう。では、さらばです」
直竜はそう言うと馬腹を蹴り、行列に加わるべく駆け去った。
「七之助、風太郎、次郎(家利の通称)。次に会うのは一年後の十月二十日、平成京の左京丸木橋町にある『割れ物屋』である。場所は紙に書いて渡したな?忘れるでないぞ」
「「「御意!」」」
威勢よく三人が言った。才助は次いで半右衛門と六路兵衛の方を見た。
「半右衛門、大陸はこことは気候風土何から何まで異なる土地であるという。心して行け」
「はっ」
「そして小野殿、我らの下らぬ戦に付き合わせて申し訳ない。妹御の無事を祈っておる」
「お構いなく。人のために働くこと自体は我が喜びでもあります。なに、相手もこのごたごたで船留めに遭っているでしょう。すぐ追いつきますよ。では俺はこれで失礼します。才助殿、郎党の皆さんもご武運を」
「あ、待て。お主に餞別である。半右衛門には鑓をやった故、小野殿にはこれをやろう。報酬が少なかった詫びと思って受け取ってくれ」
そう言うと才助は荷物からなかなかの拵えと思える太刀を取り出した。
「これは昔、亡き義父上が旗頭より拝領した太刀である。丈夫で折れにくい。窮した時に質屋にでも売ればかなりの額となるであろう」
「良いのですか?こんなもの私に」
「ほかにも十振りはあるからな。妻も構わないと言ってくれておる」
横を見ると千歳が「もらいなさい」と目で言った。
「分かりました。有難く頂戴いたします。才助殿、達者で」
六路兵衛は一堂に別れを告げると、千歳と共に津和野往還へ向かう道を下って行く。
「旦那様。小野殿のことは田原湊まで私が見届けますので、ご心配なく。それでは、またどこかでお会いしましょう」
半右衛門が一礼して六路兵衛の後を追いかける。
「いや、お前の方が余程心配やねんけどな」
七之助の心配は半右衛門の耳に入らなかった。さらに物陰から彼らを窺う人影があったことにも、半右衛門は気づかなかった。




