第八話:解放の時
十月十六日の総攻撃は失敗に終わり、吉川軍はほとんどが引き上げた。
「まさかこうも頑強な抵抗を見せるとはな……」
翌日の夕刻、軍議で岡部平馬は苦々しげに言った。
天野三郎介は五千の軍勢を前に迷わず戦いを選び、主家と上役に弓を引いた。おまけに寄せ手を翻弄し、大損害を与えた。おかげで包囲する軍勢は半数に減った。
とはいえ、依然として寄せ手の優位には変わりない。もともと井川城にはそれほど多くの兵糧は備蓄されていないはずなので、七日もすれば食料が底を尽き、開城するだろう。本来は早期に井川を攻略して小鹿勢の背後を脅かすのが平馬ら袋井衆の役割であったが、攻撃に失敗した今は井川衆を押さえつけることに集中すべきであった。
「しかし、向こうの様子はどうなっておるのでございましょうか?もし我が方が敗れたならば……」
傍らの大須賀幸高が不安げに言った。向こうとは、西の吉田城でにらみ合っているはずの今川三江守と小鹿三江介である。
「合戦となっても決着には数日かかるであろう。それに、小鹿勢が勝ったならば、すぐにここへ攻めよせてくる。未だその気配はない」
三江介は自分が優位にあると思い込んでいたようだが、正直彼が思っているほど家中の人心が今川惣領家から離れているわけではない。もともと三江守の実家、世良田氏は長年に亘り他の今川重臣たちを懐柔し、親密な関係を築いていた。今回の当主擁立の際にも異論がほとんどなかったのはそのためでもある。
「元景(天野三郎介)もどうしてまたあのような者の口車に乗って反乱など起こしたのか。どういう結末になるか分かっておったのか?」
平馬はこの戦が始まってから何度目かの同じ愚痴を、今は敵となり、ここにはいない男に向かって言った。
そこへ、俄かに周囲が騒がしくなった。
「何事か」
平馬が陣所に入ってきた足軽大将に尋ねると、
「三江守様の使者が参られました」
との答えが返ってきた。彼が言い終わらないうちに、甲冑を鳴らしながら『伍』の旗印を背負った武者が入ってきた。『伍』の旗は今川惣領家の使番の印である。
この日、吉田で何が起こったかは明らかであった。
十月十八日、不寝番をしていた六路兵衛が背伸びをして立ち上がり、脇に抱え込んでいた太刀を手に取ったところで、井伊直竜が走って来るのが見えた。彼女は鎧姿で、一目で女だとは分からない。そのまま才助の部屋へと駆けこんだ。
「山本殿、敵が攻める気配を見せません。警備も怠っているようです」
「何と」
才助は櫓に上がると、「確かに」と直竜の報告が事実であることを確認した。
「小野殿、半右衛門、見てみよ」
才助は二人を櫓に上げると、
「これは戦が終わるのも時間の問題であろう」
と言った。
「「?」」
首を傾げる二人に、才助は説明した。
「あれを見よ。井伊勢が本来の持ち場に戻っておる。もはや我らに遠慮する必要がなくなったという事である」
「「つまり?」」
「恐らく昨日中に三江介様が大殿(三江守元康)と決戦され、敗れたのであろう。これで我らの負けは確定。寄せ手は大殿の到着を待っておれば良い、ということであるな」
才助はさらっと言ったが、小鹿三江介信元が敗れ、今川三江守元康が勝ったという事は、
「旦那様、我らは完全に謀反人となってしまったということでよろしいのですか?」
「そういうことであるな、半右衛門。まあ大殿に軍師の雪海殿がついた時点で、この展開はある程度予想できた。にしても早すぎや。小鹿信元はホンマ人望も運も無かったんやなあ」
上方言葉で感慨深げに才助が言う。
「運がないのは我々も同じでしょう。どうすんですか!」
半右衛門がキレるのも良く理解できる、と六路兵衛は考えていた。家が滅ぶとはこういう事なのだろう。誰もが覚悟してはいるが、いざそれが現実のものとなったとき、落ち着いていられるものはそう多くない。
「仕方がないことだ。案ずるな。これ以上仲間を死なせたりはせぬ。必ず生きて城を出るぞ」
才助はそう言って半右衛門の肩をぽんぽんと叩くと、櫓を下りて本曲輪へ向かって行った。直竜が後に続く。
「何とかなるんですかね」
不安げな半右衛門を励まそうと思い、六路兵衛は
「言い方は悪いが、下級武士のお前が切腹なんてことにはならんと思うぞ」
と言った。しかし、半右衛門の心配は別にあった。
「いや、私は問題ないのです。危ないのは小野殿ですよ」
「あ」
そういえば、自分は今川転覆を目論む危険人物ということになっていたと、六路兵衛は思い出した。
「まずいな」
「まずいですよね」
「うむ。まずい」
才助なら何とか殿様を言いくるめて解放してくれるのではないかと虫のいいことも考えてみたが、散々暴れた以上言い逃れも出来ない。あの吉川芸後守などが文句を言ってきそうである。
「死ぬのはごめんだぞ」
「誰だってそう思いますよ。いっそのこと千歳殿と強行突破為されてはどうですか?お二人の武辺ならば手薄な所に突入して逃げ出せそうなのですが」
「……妙策だ!」
というわけで千歳に相談してみたが、
「……やめた方がいいですね」
とつれない。
「そもそも、六路兵衛様はあらぬ疑いを掛けられております。わざわざ敵中に飛び込んで大立ち回りを演じては、疑いが強まるだけです。沙紀様のためにも、三江今川家を完全に敵に回すのは避けるべきです。ここは堪えるべきところです」
仕方なく六路兵衛は、運を天に任せることにした。
才助の言葉通り、翌十月十九日の昼過ぎ、大軍が井川城下に雪崩れ込んできた。黒地に白の『赤鳥』の旗印をなびかせながら整然と行軍する一万余りの軍勢こそ、三日前に小鹿信元の軍勢を打ち破った今川元康率いる今川の本軍であった。
「来たか……!」
天野三郎介は犬居喜平次と才助を連れて本曲輪の大櫓へ上がると、そうつぶやいた。六路兵衛と由比半右衛門も才助の護衛として従った。
「どうやら我らの負けのようでございます。殿、ご決断を」
才助が暗に開城を促した。
「才助、うぬは城を開けよと申すか?まだ三江介様が討たれたとは決まっておらぬぞ」
顔をしかめる三郎介に対し、才助は言葉を続けた。
「これ以上の抵抗は無駄でございます」
「くどい!儂は諦めぬ。最期まで武士の意地を貫いてくれようぞ」
元景はそう言うと階段を下りて行った。喜平次は我が意を得たりとばかりに大きく頷くと、元景の後に続いた。
「これはすぐには開城せんわ。お主らには今しばらく苦労を掛けることとなる」
「しかし、どうするんですか?三郎介様の様子を見ると最後まで抵抗しそうなんですが」
六路兵衛としてはそれだけは避けたいところであった。
「案ずるな。あとはいかに城を開くかだ。小鹿信元の死が確定すれば、旗頭も降る気になるであろう。口ではあのように言っておられるが、あの方は無駄に戦をするような愚か者ではない」
才助の視線の先には、膨れ上がった今川軍が雲霞の如くひしめいていた。
翌二十日、事態は動いた。合戦に敗れ逃亡していた小鹿三江介信元が己の敗北を悟り、自刃したことが分かったのである。
井川城に使者として入った今川軍軍師・大南坊雪海と二俣衆旗頭・井伊直頼は、三江介の陣羽織を持参していた。六路兵衛が縁側で平伏しつつ覗き見た雪海は四十代半ばと思われる、いかにも胡散臭げな坊主であった。
「元景(三郎介)殿、貴公が主と仰いだ信元様はもはや、この世におられませぬ。これ以上戦を長引かせるは愚行。開城なされよ。我らが殿は死一等を減じ追放とすると約束しております」
雪海は腹の底から響いてくるかのような低い声でそう言うと、「景宗殿をこちらへ」と家臣に命じた。景宗とは天野元景の弟であり、信元に従った井川衆を率いていた。
現れた景宗は元景の前に平伏した。
「兄上、三江介様を守れなんだそれがしをお許し下され。そして城兵のため、何卒矛を収めくさされ。これ以上の戦は三江全体に益をもたらしませぬ」
床に額をこすりつけて懇願する景宗を見て、元景は遂に折れた。
「もはやこれまでか……承知した。明日開城する」
顔色を変えたのは犬居喜平次である。
「な……何を言われるのだ!……雪海禅師!このことを朝廷が黙っておられるとでも思っておるのか?」
声を荒げる喜平次に、雪海は冷徹に現実を告げた。
「見苦しきかな。朝廷のお墨付きは真っ赤な偽物であることは既に調べがついておる。関白様もお怒りとのこと。…犬居殿、畏れ多くも朝廷を騙り書を偽造することは重罪。お主には追って沙汰が下るであろう」
「……!」
驚いたのは三郎介である。彼は今の今まで、朝廷が小鹿氏の背後に控えていると信じていたのだ。
「まさか……」
「そのまさかでございます、元景殿。朝廷の援軍など始めから来るはずもなかったのです」
三郎介と喜平次が揃って肩を落とした。
「……雪海禅師、よろしいか」
やがて三郎介が静かに言った。
「何なりとお答えしましょう」
「一族と家臣たちについてだが……」
雪海は「それなら…」と言うと間をおいて答えた。
「今回の戦の指揮を執った元景殿は追放となり、天野家は取り潰しとなります。また、与力山本幸信は謀反に加担し、積極的に動いたこと明白であるため、三郎介殿と同じく所領没収の上、追放。天野家ならびに山本家の一族郎党は三日以内に所領を退去していただくこととなります。それ以外の家臣団は全て殿の温情により本領安堵と致します」
雪海の宣告を聞いて主な井川衆の与力たちの間から安堵の溜息が漏れた。才助だけが固い表情であった。
「一つよろしいか」
才助はしばらく押し黙ったままであったが、やがて発言の許可を求めた。
「何か」
「それがしの処分を訴えたのは吉川芸後守様でございますな」
「いかにも。他にも吉川殿には当家から戦死者の遺族に弔い金を支払うことになっております」
「芸後守様の求めならば致し方ありません。我らは三日以内に在所を退去いたします」
「禅師、今一つよろしいか。井川衆旗頭の後任は決まっておるのでござるか」
元景が問うた。
「高力元長殿でございます。明日当地に着く予定です。質問は以上でよろしいですかな」
優れた民政家として知られる元長の事を良く知る元景、才助ともにこれ以上尋ねることはなかった。井川城は開城が決まった。
退出しようとした雪海禅師であったが、ふと立ち止まって言った。
「おお、そうでした。朝倉遺臣・小野六路兵衛の件でござるが、奴が謀反の企てに加担しておるというのは駿相屋の勘違いとのことでした。よって小野六路兵衛は無罪放免。謀反の罪には問わぬと我が殿は申しておられます」
雪海はそれだけ言って退出した。六路兵衛は床に額がぶつかるかというくらい深く平伏した。
「……というわけで、明日の開城が決まった。やっと城から出られるぞ」
才助の言葉に六路兵衛は喜びを隠せなかった。
「やっと田原に行けます。これで妹の足取りもつかめる。今日にでも城を出たい気分ですよ」
「まあ焦るな。開城は明日の午前中になるだろう。荷物をまとめておけ。お前らもだぞ」
「御意に」
才助が立ち去ると、皆が脱力したように座り込んだ。
七之助が言った。
「……終わったか」
「負け戦ではありますが、まあ良いではありませぬか。我ら一人も欠くことなく開城を迎えられたでござるゆえ」
「アホか家利。俺ら全員浪人暮らしや。六路兵衛と同じになる」
「実紀殿、六路兵衛殿に失礼では」
「うるさい風太郎!これからどうやって食っていけっちゅうねん!」
彼らがわいわい騒げるのも、生き残ったからこそである。
半右衛門は何事か考え込んでいる様子で、話しかける時ではなさそうであった。
六路兵衛は立ち上がると、荷物をまとめに宿舎へ向かった。
すると、宿舎の前で騒兵衛と会った。
「何とか開城できました。これで小野殿も妹御の後を追えますな」
「騒兵衛はどうするのだ?」
「元々それがし、天野の家来ではありませぬ。また放浪に出て、食べるあてを探すまでですよ」
騒兵衛と別れて宿舎に入り、荷物をまとめていると、外で物音がした。
出てみると、千歳が斬馬刀を運び出していた。
「手伝いましょうか」
「いえ、私一人で十分です」
千歳は斬馬刀を軽々と回しながら言った。
「……そのようですね」
「まったく、兄はどこでこんなものを手に入れたのやら」
片手で斬馬刀を持ちながら、刀身をしげしげと眺める千歳の様子は、とても若い娘とは思えない。
「その力はどこから出ているのですか?」
「さあ。この体質は先天的なものだと母からは言われています。母の一族は呪われた家系であるとも聞いていますが、これ以上は禁忌に触れるので、私もあまり調べてはいないのです」
「しかし、先日のような腕ならば、仕官の誘いもあるのでは?」
「断っています。両親の遺言で、誰かに仕えることを禁じられていますから」
この熊襲皇国においても、中原やハン諸国ほどではないにせよ礼学の影響が存在した。親など年長者を尊ぶことを重んじ、これに逆らうことは不孝として周囲の評判を落とすことにもなった。
「千歳殿。貴女を見込んで実は一つ頼みがあるのですが……」
「何でしょう?」
六路兵衛は意を決した。
「恥ずべきことではありまするが、この六路兵衛、一人で目的を達するには力量が足りませぬ。そこで千歳殿。正式に貴女を用心棒として雇いたいのですが……」
千歳は「成程」と言うと
「なら一月契約で二貫となりますが、どうですか?」
「……二貫」
一貫は銭一千文に相当する。ちなみにこの時代は銭四貫で金貨一両となる。三両あれば一人が一年生活できるといわれた時代、二貫は定職に就かない者達にとってはなかなかの金額であった。
それでも、六路兵衛は承諾した。
「分かりました。二貫でいいでしょう。よろしくお願い申します」
「別にもう二月くらいなら無償で付き合っても構わないのですが、よろしいのですか?」
「はい。私も武士です。厚意に甘えてばかりではいけませぬ」
「いいでしょう。では小野六路兵衛様。用心棒として、貴公を護衛いたします」
「よろしく頼みまする」
とりあえず、千歳にこれ以上苦労を掛ける事態は防げたと、六路兵衛は思っていた。性分として、恩には報いなければ気が済まないのである。
今回もお読みいただきありがとうございました。
このところ時間的余裕がないため、申し訳ありませんが次回の投稿は少し飛びまして九月中旬ごろを予定しております。




