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【 第一幕 8 】

「案内も無しか、嫌われたものね」

 見渡す限りの闇。

 何処まで続くかも分からない、先の見えない長い廊下を歩く。妖狐の結界で出来た闇は、夜目の利く白さん、黒さんの瞳すらも狂わせる。同族の本能で先を予想できる俺が居なければ、この闇を抜けることは不可能だろう。「はったりでも何でも良いから、出し惜しみせずに、狐火(きつねび)のひとつでも灯せばいいのに」

そう呟いたのは白さんで、俺を横目で見ながら、手放しで賛成したのは鬼頭様だ。

「無茶言わないで下さい」

「参尾には言ってないって」

 鬼頭様の視線に気付いていた白さんが、苦笑しながら一応俺を庇護してくれる。ここは俺と同種の、しかも俺よりも力を持ったあやかしの結界の中。今の俺は道案内以外は無力に等しい。

 白さんは同情だか哀れみだか分からない視線を俺に送り、深い闇の中で唯一輝く大きな瞳を閉じた。

 それだけで、ほんの少しだけ、闇が深くなった気がした。

「全く、焼夷弾(しょういだん)でもぶつけちゃおうかしらっ……てわけにもいかないから、ここはやっぱり狐火ならぬ猫火かな」

 便利な道具があるなら態々力を使う必要は無いし、自分はずっと人の世で生きてきたんだから、人間の道具を使う事を厭わない。常々そう言っている白さんが洒落(しゃれ)にならない冗談を吐く。人の道具がこの地を傷つけられるのかは分からないが、白さんが使うなら何が起きても不思議は無い。

 内心恐々としている俺の目の前で、彼女はそっと立ち止まった。

 そして。

 高く、高く、一声鳴いた。

「持ってて。参尾」

「は?」

 先頭を歩いていた俺の目の前に、突然現れたのは一個の角灯(らんたん)

 山奥の里では見た事も無いような、無駄に華美(かび)な装飾がされているのは、白さんの趣味か、ただの嫌味か。意外と質素な白さんの好みを考えれば、多分後者だろう。ならば、どんなに高価な物でも、そんなに丁重に扱わなくても良い筈。俺はひょいとその角灯に手を伸ばした。

「えっ」

 しっかり握った途端に、光源を発する角灯(らんたん)

「どう。明るいでしょう」

 白さんの満足気な問い掛けに、俺はうんうんと何度も頷く。

 それは本当に小さな角灯ひとつが出しているとは、信じられない明るさだ。周囲を包む、明るいが熱の無い(あかり)に、俺は満月の光を思い出していた。

 ぼんやりと優しく光る空間は、歩き易いだけでなく、知らず高まっていた緊張感を解す事にも効果を発する。

 暫く取り留めのない雑談をしながら歩き続けていると、弐拾間(にじゅっけん)先か弐拾五間(にじゅうごけん)先か。廊下の突き当たり、薄闇の先に扉が見えた。そこが本日の目的地。

 光に導かれるまま、俺達はその扉を目指して足を速めた。

「久しいな、白。ぬしがこの場に姿を現したという事は、それ相応の覚悟を持ってこられたと考えて良いのですかな」

 盛大な警戒心と共に、扉を開いた俺の耳に途端飛び込んできたのは、(しわ)だらけの顔を歪め、したり顔で白さん個人を揶揄する八尾狐(はちびきつね)の声。

「開口一番ご挨拶ね」

 白さんはひょいと黒さんの腕から抜け出ると、八尾狐に向かって歩き出した。俺達は彼女の後は追わずに鬼頭様を中心に三人固まって、扉近くに立っている。そこが一番の安全地帯だと、俺の本能が伝えていたから。

「動いては駄目ですよ」

 黒さんの言葉に俺も鬼頭様も頷く。

 ここは見た目は寂れた廃寺。境内は落ち葉と生い茂った雑草が入り混じり、寺社や鐘楼すらも朽ちかけている。だがそれら全てが、日常からこの地を遮断する為の目くらましだと、俺達は当然のように知っている。

「私達は兎も角、参尾に一言も無いんですか?。それにこういう場合、まずは御機嫌伺いから始めるのが常套(じょうとう)じゃない?。例えば……」

 所々深い穴の開いた板張りの本堂。

 白さんは猫の姿のまま、気配に愛想笑いを浮かべて八尾狐に対峙していた。尤も口調はいつもの、他者を揶揄する調子を崩してはいなかったが。

「ご無沙汰いたしております。長老様には心身共にご健在で、お変わりなくお過ごしの事と見受けられ、喜ばしい限りでございます。長の年月お伺いも致さずに不義理ばかり致しまして誠に申し訳ございません。私も変わりなく元気でやっております。ですが、最近は人の中に身を置いてばかりで、あやかしと戯れる事も少なくなりました。昔、長老様のご迷惑も考えず、夜中まで賑やかに呑み明かしていた、楽しかった頃の事を懐かしく思い出します。あの頃、参尾はまだ子供で、普通の子狐と見分けが付かないくらいでしたね。その参尾もご覧の通り、立派なあやかしの道を歩んでおります。先日とある場所で、あの当時の遊び仲間であった狐の少女、長老様のご息女(そくじょ)でもあられる(かずら)様の気配を感じ取りました。ご息女も参尾同様、立派なあやかしと成られた様で、おめでとうございます。幼馴染みの見事に成長した様子に懐かしさに堪えきれず、こうしてはせ参じました次第です。まずは長らくのご無沙汰のお詫びを申し上げたくこうして足を運びました」

 白さんは一度も息継ぎをする事無く、一度も言葉に詰まる事無く、そこまで言い切った。これで、俺達が此処に来た用件の七割は終わった。後の三割は八尾狐の返答次第。それによってこちらの対応も変わる。

 白さんの言葉に含ませた真意に気付くか。気付かないか。もし気付いたとして、どんな反応を見せるか。

 俺はじっと八尾狐を見つめていた。否、睨みつけていたと言っても良かったかもしれない。気付かないならまだ良い。彼が白さんの言葉を無視したら、俺は後先を考えずに、彼を罵倒し飛び掛ってしまうかもしれなかった。

「……今、なんと言うた」

 少なくとも気付きはした。そして無視はしなかった。その事に俺はほっと胸をなでおろした。此処で八尾狐に無情な対応をされたのでは、あまりにも葛様が哀れすぎる。

「今の口上(こうじょう)をもう一度初めから言うんですかぁ? 勘弁して下さいよ」

「葛に会うたと?」

 器用に、こきこきと首を揺らしながらの白さんの言葉を遮り、長は問う。

「会ってはいません。ただ気配を感じました。ある人間のお屋敷で」

 正確に答える白さんに、今度は問いは返らなかった。それを納得の印と取ったのか、白さんが再び話し始める。

「それ相応の覚悟は承知で参りました。まずは人払いを。それから詳しい話を聞いていただけませんか。そして、いくつかの質問に答えてください」

 白さんの口調は今日、彼女が発した中で一番真摯で慈愛のこもったものになった。どうかお願いしますと、彼女は頭を垂れている。これは、それほどに重要な願いなのだ。当然長も気付いただろう。

「断る」

 だが、長は白さんの願いを撥ね退けた。

「しかし」

「話は終わりだ」

 言い募る白さんの声には、悲しみの色が浮かぶ。それでも長は言葉を撤回しようとはしなかった。威厳のある長の声に、ほんの少しの焦りを感じたのは俺の気のせいだろうか。

(おさ)

「消えうせろっ」

 尚も何かを言おうとし、一歩を踏み出そうとする白さん。長はそんな白さんに手にした杖を振り上げ、勢いをつけて投げ付けた。まるで白さんが言葉を発する事を恐れるように。

「白さんっ」

 信じられない光景が目の前に広がる。

 白さんは杖を、真正面からまともに受けた。避ける事も、跳ね返す事もしなかった。

 腹に受けた衝撃で白さんに小さな身体は宙を飛び、壁面に容赦なく叩き付けられる。

「どうして」

 思わず走り寄り、白さんの傍に跪く。

「嘘だ」

 地に伏してぴくりとも動かない小さな白猫に、頭上から何かが、ぱらぱらと降り注いでいた。絹糸の様なしなやかで綺麗な白が、朽ちた木片で汚れていく。

「…………」

 白さんが無様に倒れた事に。

 黒さんが助けに入らなかった事に。

 鬼頭様が一連の出来事を見ても表情すら変えなかった事に。

 俺は驚き、声を失った。


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