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【 第一幕 6 】

「で、お前は猫が散歩してる間、ここで忠犬よろしく、一晩中女の子の番をしていたってわけか」

 午後の強い光の中でも、夕闇の茜色の中でも、夜の月明かりの中でも、櫻ちゃんの子供部屋は美しかったが、朝の風景もまた格別だ。

 朝靄の中でぼんやりと光る庭の樹木は濃い緑を湛え、緩やかな朝焼けにに照らされた室内は幻想的な色さえ醸し出す。

 それは昨日、櫻ちゃんが寝付く瞬間まで一緒に読んでいた物語の舞台のようだった。

「はい」

 徹夜が堪えたのか、いくら相手が可愛く素直な女の子とはいえ慣れない子守りに疲れたのか、頭の芯に澱のように沈んでいる重さを振り払いながら、俺は鬼頭様の問いに簡潔に答える。

 ずいっと顔を近付けながら「似合わないが、冗談を言ったつもりならば笑ってやるぞ」と、そう告げる鬼頭様に俺は、いいえ冗談ではないです。真実です と馬鹿正直に返す。

 そんな事を言えば怒られる事は分かっていたが、俺には他に返す言葉は見つけられない。

「あのなぁ。お前はいつから、猫の犬になったんだ」

 翌朝、幼い少女が目覚めるにはまだ早すぎる時刻。

 俺は昨日一番初めに通された、櫻ちゃんの私室に呼び出されていた。そして俺の目の前には三人の人間が居る。

「馬鹿か、お前。此処の奥さんは猫が嫌いなんだ。外に出すなと言っただろう。お前は主人の命よりも、猫の我が儘を優先するのか」

「まあまあ。あの素早い猫相手じゃ、逃げられても仕方ないだろ。そう怒るなよ(あや)ちゃん」

 頭ごなしに「首輪付けてでも捕まえとけ」「餓鬼のお使いでも、もうちょっとマシな行動するぞ」「呆れたな」等々と俺を怒鳴るのは鬼頭様。

 言外に参尾なら白さん相手に言い包められても仕方ないだろうと、やんわり取り成してくれるのは(かい)さん。

「すみません。妹のために」

 それに名前だけは聞いていたが、俺とは初対面になる香枝(かえ)さん。

「ご面倒をお掛けしてしまって」

 か細い声で、本当に申し訳なさそうに頭を下げる香枝さんは、あまり人の美醜(びしゅう)に興味のない俺でさえ、一目で保護欲をそそられるような美しい手弱女(たおやめ)だった。

「全く、仕方ないな」

 噂通りの美人である香枝さんの前で、自分の部下の醜態をこれ以上指摘したくない為か。魁さんの言うとおり、俺じゃ白さんには敵わないと思っているからか。どちらにしても情けないことには変わりないが、鬼頭様は俺への怒りの矛先を一旦引いた。

「で、その気紛れにゃんこは?」

「えーと。夜のうちには戻りませんでした」

「腹が減ったら戻るかな」

 この屋敷の人間の噂話を盗み聞きしてくる。流石に、この家の住人である香枝さんの前では言えない白さんの行動は誤魔化して、俺は当たり障りの無い範囲で昨夜の事を説明する。

 鬼頭様は香枝さんの前では、完全に白さんを猫扱いする事に決めたのか、中々酷い台詞を吐いている。昨日のお手洗い発言といい、聞かれたら、今度こそ本気で噛み付かれたり、引っ掻かれたりしてしまうんじゃないだろうか。少しだけ心配だ。

「他には、何か変な事は無かったか?」

「いいえ。別に」

 本当は、去り際に白さんが残した衝撃的な言葉の数々を少しでも早く鬼頭様に伝えて指示を仰ぎたい。だが俺がそれを伝えないのは、ここに香枝さんが居るからだ。白さんの言葉を信じるならば、ここの家人は皆、犯人候補。安易に昨日の白さんの話は聞かせられない。

 正直、彼女の存在を少し邪魔だと思ってしまう。

「仕方ない。先に始めてるか」

「そうだな」

 俺の葛藤を余所に、鬼頭様の興味は白さんから離れてしまった。鬼頭様の言葉に魁さんが頷き、直ぐに持っていた鞄から厚い書類袋を取り出した。

「これ、医者の診断書なんだから、当たり前と言えば当たり前だけど、特に不審なところは無い。しいて言えば睡眠薬の使用量が多いけど、それも常識の範囲だな」

 昨日一晩掛けて分析したのだろう。理路整然と説明を始める魁さんに、鬼頭様も香枝さんも口は挿まない。勿論、俺も黙って耳を傾ける。実は俺には、魁さんの言っている事の半分も分からないのだが、それでも聞くだけは聞く。そして最終的に告げられるのは、鬼頭様にとっては予想された、俺にとっては意外な答え。

「そうか。やはりな」

 違う。そんな筈は無い。だって白さんが断言したのだ。これは事件で、犯人は家の中にいると。

 俺はそう叫びたかったが、やはり香枝さんの存在が邪魔で言えない。鬼頭様達のように言外に真実を滲ませたり、含ませたりといった言動は、俺にはとても出来ない。

「じゃ、結論は事件性無しで良いのか」

 白さんの帰りを待たずに、このまま解散してしまいそうな鬼頭様と魁さんを見つめながら、俺は何も出来ない自分に歯噛みしていた。

「いいや、まだだ。言いたくないが、犯罪事を仕出かす奴の独自の発想ってのは、並みの人間の想像を軽く超える。悪いが魁一人の判断を鵜呑みにするのは危険だ。悪く思わないでくれ」

「そうか。いや、いいよ。この件は絢ちゃんの判断に従うさ」

 鬼頭様の言葉に魁さんは軽く頷く。

「でも、そうなると。いや、そうとも言えないか。うーん、いや、やっぱり」

「絢?」

「鬼頭様?」

 そして何を考えているのか、鬼頭様は熊のように部屋をぐるぐると回りながら、自問自答を繰り返し始めた。

「なぁ二人共、睡眠薬の作用は知ってるか」

 やがて、自分の中で何らかの結論が付いたのか、鬼頭様は俺と魁さんの顔を見てそうそんな事を言い出した。

「……俺は知りません」

 暫し考えて俺は首を横に振る。睡眠薬の作用なんて俺は飲めば眠くなる事しか知らない。だが、鬼頭様が聞いているのはそんな事じゃないだろう。困ったように、助けを求めるように魁さんを見れば、彼は鬼頭様の言葉に何かを思い付いたのか、深く頷き、ゆっくりと口を開いた。

「睡眠薬は脳の中枢神経を強制的に抑制して、半ば無理矢理に脳を眠らせる薬だ」

 何も知らない俺にも説明するように、丁重に。

「不眠でどうしても眠れずに精神が不安定になったり、情緒不安定になった時、とりあえずの眠りを与え、心を一時的にでも落ち着かせるのがその主な目的」

「さすが魁。完璧だ」

 鬼頭様の称賛に魁さんが、当然だとばかりに満足げに頷いた。

「んじゃ、睡眠薬の禁忌(きんき)は?」

 更に続く質問に今度は俺の返事を待つ事無く、魁さんが即答した。

「多量に服用すれば、脱力感を伴う副作用がある。それに依存性も高い。続ければ続けるほど、身体に睡眠薬の成分が蓄積されて、内臓にも負担をかける」

「お見事」

「お褒めにあずかり光栄」

 ぱちぱちと手を叩き、手放しの称賛する鬼頭様に、魁さんは慣れた調子で、丁重なお辞儀と共に紳士的に応えた。本心なのにな。という鬼頭様のぼやきも適当に聞き流している。

「で、それが今回の件に何の関わりがあるんだ?」

「ん、その前に。もう一つ二つ気になる事があって。そっちは白と黒に聞きたいんだが……」

 然程(さほど)時間を置かずに戻るだろう。そう思っていたのに、未だ白さんは姿を現さない。少しの困惑と少しの怒り。そんな感情がまた鬼頭様の表情に浮かんだのを見て、俺は頭を抱えたくなった。

 鬼頭様が怒るなら自分が怒られる。そう言ったのは白さんだ。だったら早く戻って鬼頭様の機嫌を取り成して欲しい。このままでは、また俺が怒鳴られる。

 鬼頭様は年の割には博学だが万能ではない。事が自分の得意分野から外れれば、知らない事はある。そして、知らない事は自己流で調べるよりも、信用に足る者に聞くのが一番だとも言っていた。こうして、魁さんや白さんを頼るのもその信念の一貫だ。

 鬼頭様は科学や医療系の話は魁さんに叶わないし、歴史や呪術系の話は白さんに敵わない。その鬼頭様が白さんに聞きたいことがあると言う。なら、鬼頭様もこの件に呪術系の関わりを感じたのだろうか。白さんがこっちの領分といっていた事に何か関係があるのだろうか。

「ああ、香枝さん。そろそろ櫻ちゃんが起きる頃じゃないですか?」

「え、ああ。本当」

「こちらは気にせずに、目覚めた彼女の傍に居てあげてください。そしてどうぞ、彼女と朝食を御一緒に」

 香枝さんに立ち上がるように促がしながら、自らも立ち上がり手を差し出す。突然の話題の転換に首を傾げたのは俺だけでは無かったはずだ。だが、何かを感じた魁さんは口を挟まない。中途半端な場面で退場を促がされた香枝さんは、向けられた鬼頭様の鉄壁の笑みに反論を阻まれた。

 彼女は「では、失礼して」とか何とか呟きながら、まるで追い出されるように部屋を出て行く。

 ごゆっくり。そう言って見送る鬼頭様の声音と態度は何だか場違いに長閑で、俺は少しだけ感じた嫌な予感に眉を顰めた。

「さて、何から話そうかな」

 香枝さんを見送って、椅子に座りなおした鬼頭様は、俺達を正面から見つめる。その真剣な表情と、白地(あからさま)に香枝さんをこの場から追い出したことから、俺と魁さんは鬼頭様が彼女と櫻ちゃんにとって、あまり良くない事を話そうとしているのだと理解した。

「ばかだな」

「本当です」

 まるで自分が傷つけられた様に顔を歪ませる鬼頭様。それが、あの無防備な少女達だけでなく、魁さんや俺の事も心配している故にだと知っている。変なところで遠慮深い優しさは出会った頃の少年そのままだ。

 だから、俺は櫻ちゃんや香枝さんは兎も角、自分にはそんな心配は無用だと鬼頭様に向かい笑って見みせた。魁さんも同じだ。それを見て、鬼頭様も重い口を開く。

「魁。睡眠薬と酒を併用した時の危険性は知ってるな」

「ああ、勿論。服用直後の記憶の混乱や錯乱。異常な眠気に伴う、ふらつきや目眩ってところか」

「確か、脳の活動が抑えられ、呼吸機能が抑制される事による呼吸障害もだよな」

 魁さんの言葉を鬼頭様が補足した。

「おいっ絢。お前、まさか」

 鬼頭様の言葉を聞いた魁さんが、半信半疑、そんな表情を見せる。俺には鬼頭様が何を言おうとしているのか分からない。魁さんが何に驚いているのか分からない。

「例えばだよ」

 全く話に付いていけない俺を無視して、鬼頭様は魁さんだけに視線を合わせる。鬼頭様が俺達二人をどう見ているのかを如実に表している態度。魁さんは苦笑いして言葉を返した。

「確かにそんな症状が出る事もある。だが、ここの当主はそこまで酒好きじゃなかったし、馬鹿でもない。専属医にかかっていて知識もあった彼が、睡眠薬と酒を併用するなんてありえない」

「確かにな。香枝さんに言わせりゃ生真面目過ぎるくらい、理知的な人物だったらしい」

「ああ。この家は俺ん家と親戚筋とはいってもかなり遠いし、ちょっとした事情で親しい付き合いは無いんだ。つまり、鬼頭家や俺ん家と違って華族の後押しは無い。彼は自分の能力だけで成り上がり、一代で豪商の仲間入りした。その手腕と人望の厚さは伊達じゃない。凄い人だ」

「お前にそこまで言わせるなんてな。なら、過失じゃなく故意の可能性は?」

「故意って……自殺?」

「どうだ?」

「断言出来るほどの証拠はないが、無いと言いたい。彼は責任感の強い男だ。何か理由があったとしても、後を幼い少女に託して、こんな不自然に消えていく人間じゃない。白だってそういう意味では、ここの当主のことは気に入っていた。死因が当人の過失、まして故意だったなんて可能性は零に等しい」

 鬼頭様の言葉に、魁さんは次々に反対意見を述べる。

 俺はここの当主の事など何も知らない。だが、俺も魁さんや白さんが気に入って、認めていた人間がそんな死因を選ぶとは思いたくない。それは鬼頭様も同じだったのだろう。彼はあっさりと次の質問を口にした。

「それじゃ、自分の意思じゃなかったとしたら?」

「は?」

「えっ?」

 そして質問を受けた人物は、あまりに簡潔で、しかも意外なそれを理解するのに暫しの時間を必要とした。目を丸くした魁さんに、流石に不親切すぎたと感じたのか、珍しく鬼頭様は質問に補足を加える。

「自分が睡眠薬を飲んでいたと知らなかったら、だ」

「どういう事だ? 睡眠薬は確かに処方されてたぞ」

 両手を広げて、態度でどうだと示す。そんな鬼頭様に魁さんは咄嗟に立ち上がり、一歩を踏み出した。

 上から鬼頭様を見下ろす魁さんの視線は怖い位に真剣だった。

「それが本人に説明されていなかったとしたら。という事だ」

「そんなことっ」

 ある訳が無い。そう言おうとしたであろう魁さんの声は、瞬時に続けられた鬼頭様の言葉に遮られる。

「旦那様付きのお手伝いさんに聞いた。旦那様は寝酒の習慣があったみたいだ。仕事が忙しくて身体と心が高ぶって眠れない時とかに。そんな気分転換の方法を実践していた人間が、わざわざ睡眠薬を処方してもらうと思うか? もし、睡眠薬の服用が老人の望むものでなかったとしたら。老人の習慣を利用して、誰かが病身の彼に酒と睡眠薬を服用させたとしたら。それは殺人だ」

 そう告げられた瞬間の魁さんの歪んだ顔を、俺は直視出来なかった。

 魁さんは自分の調査で、当主の死を自然死だと確信していた。その事に安堵もしていたはずだ。誰だって自分の親しい人間が殺されたなんて思いたくはない。それが最悪の形で覆された。

「可能性の問題か」

「ああ。悪いが零じゃない限り、可能性は消せない」

 鬼頭様は小さく肩を竦め、魁さんを見上げた。瞳の中には憐憫(れんびん)が見える。魁さんもそれに気付いたのだろう。視線から逃れるように、彼は窓の外に目を向けた。

 もう日もかなり高く上っている。

 鬼頭様も魁さんも何も言わない。勿論、俺に言える言葉はない。

 時間が止まったような静けさが暫く続いた。風が出てきたのか、木々が揺れ葉を鳴らしている音だけが部屋の中に響いていた。

「ただ、ひとつ問題がある」

やがて、鬼頭様が口を開く。慎重さを滲ませた、静かな声だった。

「問題?」

「動機が分からない」

「言いたくないが。ここの当主を殺して得をする人間は腐るほど居るぞ。商売敵とか」

 聞きたくない事でも事実は事実。魁さんは鬼頭様の言葉を無視しなかった。それどころか積極的に意見を述べる。

「知っている。だが、実際に殺せる人間はそういない」

「それは感情的に?」

「いや、現実的に」

「そういう意味なら。絢ちゃんの言う殺害方法を採用するとしたら、医者を買収すれば誰にでも出来る」

 一度考えを纏めてしまえば、魁さんの意見は理性的だった。

「僕も初めはそう思ったんだけどな」

 動揺はしているだろうがこれなら大丈夫と判断したのか、鬼頭様は話を続けた。今度は質問ではない。これは事実に基づいた調査報告だ。

「お抱え医者は当主の息子の友人だ。もっと正確に言えば櫻と香枝の父親の友人なんだな、これが」

「は?」

 鬼頭様の声に反応したのは俺の方が先だった。思わずまぬけな声を出してしまった俺を無為して、鬼頭様は魁さんに向き合う。

「この家の中で当主が死んで一番得をする人間は?」

「後継者に指名された櫻と、彼女の保護責任者である直属の家族」

 今度は逃げずに、魁さんは鬼頭様の視線を受け止めた。

「そうだな」

「そして、彼女の父親には当主を殺害する力があった。普通に考えれば犯人は決まりだ。だが」

 魁さんの中でどんな心の動きがあったのか、声に力が戻っている。震えも動揺も無い。波風一つ立たない()いだ声音。全く、たいした精神力だ。

「そう、だが、だ。こんなの、全く、全然、気に入らない。不自然だ」

「不自然でも事実なんだろう?」

「でもっ」

 反対に鬼頭様は一気に声を荒げていた。それは、一つ一つ事実を積み重ねていても、なぜか真実に辿り着けないもどかしさから。

 俺には、今までの鬼頭様と魁さんの会話に入るだけの知識はない。だが、二人の懸念とはまた違う部分で気になる事があった。それは正に、鬼頭様が言うところの不自然な事。

「あの、鬼頭様。香枝さんは何かを知っているんじゃないですか?」

 俺は恐る恐る鬼頭様に声を掛ける。

「何故だ」

 鬼頭様は「あぁそういえば、お前居たっけ」なんて酷い台詞と共に俺を振り返った。だが、ここで怯んではいけない。俺は自身を落ち着かせるために、大きく息を吸い呼吸を整えた。

「鬼頭様は言いましたよね。櫻ちゃんが知り合いに会う度に、おじい様は殺されたんだって言いふらしてるって。相手を選ばず誰にでもって。それを鬼頭様に伝えたのは香枝さんだって。でも俺は昨日から櫻ちゃんと一緒に居るけど、そんな事一回も聞いていません。俺だけじゃない、鬼頭様も魁さんも聞いてないんじゃないですか? 幽霊が出るって言うのは聞きましたけど、櫻ちゃんは俺にそれを嬉しそうに話してくれました。あの子はおじい様が殺されたなんて思ってないんじゃないですか?」

「お前、何が言いたいんだ?」

「おじい様が殺された。それって、櫻ちゃんじゃなくて、香枝さんが思ってる事なんじゃないですか。香枝さん自身が誰かに言いたかった事なんじゃないかって、俺は思うんです」

 そして、ずっと考えていた事を思い切って話した。途中で止められて、笑われてしまったら、二度と話せなくなる気がして、本当に一気に話した。

「香枝さんは誰かを疑うだけの理由を。犯人に繋がる何かを知っているんじゃないですか」

「なるほど。だから僕に相談したか」

「はいっ」

 鬼頭様も魁さんも、俺の意見を笑ったりはしなかった。それどころか真剣に耳を傾けてくれる。嬉しくなって、俺は勢い込んでぶんぶんと首を縦に振った。もし、この姿でも尻尾があるなら、それも思い切り振っていただろう。

「参尾、お前は香枝が誰を疑っていると思う?」

「分かりません。鬼頭様は彼女の父親を疑ってはないんですよね」

「疑ってはいる。だが、他に疑うべき人物がいるかも知れない。だから白の意見を聞きたいんだ。僕達の常識で解明できないなら、これはあっちの分野かもしれないだろ。医術に加えて呪いの類も選択肢に入れれば、犯人の幅は格段に広がる」

 その台詞を聞いて、そういえばと、俺は白さんの言葉を鬼頭様に伝える。

「白さんもそう言っていました。これはこっちの領域かもしれないって」

「いつっ」

「昨日です」

「それを早く言えよ、馬鹿が。他には何か言ってなかったか」

 何故ここまで、という剣幕で、散々に「本当にお前は気が利かないな、馬鹿が」と怒鳴られながら、俺は昨夜の白さんの言葉を鬼頭様に伝えた。早くと言われても、こんな事を香枝さんの前で言うわけにはいかなかったじゃないですか。なんて言い訳は興奮した鬼頭様には通用しない。全てを聞いた鬼頭様は「やはり、僕の勘に間違いはなかった」などど自画自賛しながら、満足そうに頷いている。

「よし。じゃあ後は、白の報告待ちだな」

 この家でする事は今はもう無い。帰って白を待つ。そう断言すると、鬼頭様は香枝さんや櫻ちゃんに挨拶をすることもなく、帰路に着いてしまった。

 対応に出てくれたお手伝いさんには丁重に頭を下げたくせに、家人の誰にも何も言わずに帰るのは無作法ではないのだろうか。別れの挨拶をせずに帰宅するのは少しだけ残念だな。思うことは色々あった。だが、魁さんまでもが鬼頭様を咎める事無くそれに習っていたのでは、俺が言うべき事は何もない。

 何事かを囁きあいながら、肩を並べて西洋様式の大きな門を潜る鬼頭様と魁さんから一歩引いて、俺は無言で歩いていた。微かに櫻ちゃんの視線を感じた気がして、館の敷地内から出る前に一回だけ、後ろを振り返ろうかとも思ったが、実行には移さなかった。


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